アスキー社が上場を計画していた1984年、私はアスキーの情報システムの設計をしていた。利用環境はVAX、UNIX、INFORMIX、LAN、MS-DOSのパソコン端末。書籍や雑誌の制作から販売、原価計算に至る総合出版システム。システムの利用者は50人くらいだったろうか。各自がログインしたとき、どんなメニュー画面が出ていればいいのだろうかと考えた。注文を受ける担当、編集者、本の制作担当、営業部長、経理、経営者などなど。それぞれ役割がまったく異なる。一人一人のメニュー画面を用意しないととても満足できないと思った。しかし、それは大変だ。そして思いついたのがメニュー画面を一切作らないということ。
たとえば200本のプログラムがあれば、その起動コマンドがある、その一覧表を紙で作り、だれがどのプログラムを必要としているか、ユーザごとに丸をつけた。そして、個人別にプログラム一覧表を作り渡した。各ユーザには、UNIXにLOGINした後、必要な起動コマンドを叩いてもらうことにした。当たり前だが、一発で必要なプログラムが起動できる。結果として、社長には社長が、営業担当には営業担当が必要とするプログラムメニュー一覧しか渡っていないので、しょっちゅう使う起動コマンドは暗記してしまった。みんな当たり前のように思っていたが、私としては「してやったり」。とにかくメニュー画面を開発する必要がないし、どんなメニュー画面を作るか悩む必要もないかった。ユーザにとっては無意味なメニューを辿る操作や目的の画面が出るまでのアイドリング時間も無いのでクレームが出ない。
手抜きの結果みなハッピーだった。
話はそれるが、ユーザにSQLのコマンドも教えた。SELECT文の書き方だ。はじめはブーブー言っていた。なんでこんなことを私たちが覚えなくちゃならないんですか、お願いしたらやってくれるのが情報システムじゃないんですか、と。それにはおかまいなし、有無を言わせず教えた。すると、ちょっと知りたいと思ったことがあると、誰でもSQLコマンドを叩いてデータを見るようになった。情報システム側としては定型の帳票や画面だけ作るだけで、こまかな依頼がなくなったので、楽になるし、担当者は思いついたらSQLコマンドを叩く習慣がつき、しょっちゅう使うコマンドは保存しておいて、呼び出しながらちょっと変えて使うという要領を覚え、勝手に使い出した。
最低限の労力で最大の効果を生む方法、でした。
たとえば200本のプログラムがあれば、その起動コマンドがある、その一覧表を紙で作り、だれがどのプログラムを必要としているか、ユーザごとに丸をつけた。そして、個人別にプログラム一覧表を作り渡した。各ユーザには、UNIXにLOGINした後、必要な起動コマンドを叩いてもらうことにした。当たり前だが、一発で必要なプログラムが起動できる。結果として、社長には社長が、営業担当には営業担当が必要とするプログラムメニュー一覧しか渡っていないので、しょっちゅう使う起動コマンドは暗記してしまった。みんな当たり前のように思っていたが、私としては「してやったり」。とにかくメニュー画面を開発する必要がないし、どんなメニュー画面を作るか悩む必要もないかった。ユーザにとっては無意味なメニューを辿る操作や目的の画面が出るまでのアイドリング時間も無いのでクレームが出ない。
手抜きの結果みなハッピーだった。
話はそれるが、ユーザにSQLのコマンドも教えた。SELECT文の書き方だ。はじめはブーブー言っていた。なんでこんなことを私たちが覚えなくちゃならないんですか、お願いしたらやってくれるのが情報システムじゃないんですか、と。それにはおかまいなし、有無を言わせず教えた。すると、ちょっと知りたいと思ったことがあると、誰でもSQLコマンドを叩いてデータを見るようになった。情報システム側としては定型の帳票や画面だけ作るだけで、こまかな依頼がなくなったので、楽になるし、担当者は思いついたらSQLコマンドを叩く習慣がつき、しょっちゅう使うコマンドは保存しておいて、呼び出しながらちょっと変えて使うという要領を覚え、勝手に使い出した。
最低限の労力で最大の効果を生む方法、でした。