「海越えの花たち」
脚本 長田 育江
演出 木野 花
紀伊國屋ホール
「私たちの不幸は明日のことを考えられないことだ。」
日本の占領下の朝鮮半島に嫁いだ日本人妻の夫である朝鮮人がつぶやく。
第二次世界大戦が終わり、祖国を取り戻し平穏な日々が訪れるかと思った矢先に朝鮮戦争が始まった時のことだ。
終戦の日を境に、在韓日本人妻たちは、外国人妻となり、周囲の人たちは手のひらを反す。
日本に国籍が無く、朝鮮人の夫から離縁されれば婚姻の証拠もない。
半島からの引き上げはほぼ完了した、とされた中、取り残された女たちは理解ある朝鮮の人たちと「慶州ナザレ園」で肩を寄せ合って生きていく。
朝鮮戦争が終結し、半島は北と南に分断され、それでも生活が落ち着いてきて幸せが見えてきたと思ったら、今度は愛する人がベトナム戦争にお金のために出かけて行く。
いつもいつも自分の意志ではないことに振り回され続ける理不尽を受け入れながら、必死で生き抜いた女性たちがいたのだ。
長田さんの脚本は、いつも登場人物の心の内をみごとなまでに的確な言葉で表していて、心の奥に深く響く。
「ベトナム戦争反対」のシュプレヒコールで幕を開け、同じ場面で幕を閉じる演出も、最初と最後では同じ場面、同じセリフが全く違ったものに感じられる。
先週の「肉の海」に続き、今回も前から2番目という迫力満点の席で、表情の一つ一つまでよく見えて、苦しくなるほどだった。
戦後20年も彼女たちの存在に目を逸らしてきた政府が救済の手を差し伸べるが、目の前に生きている彼女たちを見てもなお、こともあろうに書類の不備を理由に連れ帰ることができない、と言う。
今、現実に生きている人間よりも書類が大事っていうのは昔も今もこの国はちっとも変わっていない。
いったいどこを向いているのだろう。
「なんで、もしも」と考えていたら生きていけない、と劇中女性の一人は言う。
ほんとにそのとおりだ。
誰のためなのかわからないような法案が次々と国会を通過していく。
今日までのたくさんの人たちの苦しみや悲しみの歴史を、あの人たちはあまりにも軽んじている。
あまりにも重いテーマにスパっと切り込んださすがの作品。
今目の前にある普通の生活に感謝しなくては。
ずしっと見ごたえがありました。
次回作も楽しみにしています。