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2004年一橋大学本試 第1問ドイツとイギリスの宗教改革の相違

2020年04月21日 | 論述問題
2004年一橋大学本試 第1問 ドイツとイギリスの宗教改革

宗教改革は、ルターにより神学上の議論として始められたが、その影響は広範囲に及び、近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。ドイツとイギリスそれぞれにおける宗教改革の経緯を比較し、その政治的帰結について述べなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

アウグスブルクの和議   首長法




解き方:
書くべきポイントは
① ドイツとイギリスそれぞれにおける宗教改革の経緯を比較する。
② その政治的帰結の違いを比較する。
400字以内なので①をドイツに100字、イギリスに100字を配当して、②を200字で記述する。②もドイツとイギリスを100字ずつ記述するほうが書きやすい。

 次に細かいことだが、②政治的帰結とは何かを考えたい。リード文に「近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした」とあるので、政治的帰結とは近代の政治状況においてドイツとイギリスとの相違に影響したことを念頭に記述したい。

①について解説:ドイツの宗教改革の経緯(100字):
 年表風に箇条書きのように記述していく受験生がほとんどで、それで十分だと思うが、「近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした」ことを念頭に置くことから考えたい。近代ドイツは1648年ウェストファリア条約で領邦国家体制が確立し、領邦国家単位で主権国家が成立した。神聖ローマ帝国は形骸化しウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とされた。「ドイツ」という単位で主権国家は成立せず「領邦」単位に分立する状況が生まれた。
 このことから、「95カ条」⇒シュマルカルデン戦争ではルター派諸侯とカトリック諸侯とが戦った。⇒アウグスブルクの和議でルター派とカトリックが認められその選択は都市や領主が担った、と続けたい。

①について解説:イギリスの宗教改革の経緯(100字)
 近代ドイツの領邦国家体制とは異なり、イギリスでは英国教会体制が確立し英王権による「宗教の一元化」が成立した。その意味で、1534年首長令で教皇権から分離を宣言⇒1559年統一令で国内教会に対して英王を主張とする教会組織への参加を求めた⇒スペインと結んだカトリック勢力が巻き返し⇒スチュアート朝では王権神授説の下でピューリタンを弾圧した、と続けたい。

②について解説:ドイツ(100字)
 1618年30年戦争は48年ウェストファリア条約で終結し、近代の主権国家体制が成立した。しかしドイツでは領邦国家がそれぞれ主権国家となる領邦国家体制となり、ドイツ統一は1871年まで持ち越された。

②について解説:イギリス(100字)
 宗教改革の政治的帰結を記述する。1642年ピューリタン革命⇒王政復古後、フランスと結びカトリック勢力が復権を目指すと国教徒中心の議会が1673年審査律で公職就任を国教会に限定し宗教の一元化を完成させ議会主権に基づく近代主権国家が完成した⇒1828年審査律を廃止し宗教上の差別が撤廃された。
 

 




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