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世界史の復習をサポートするブログです

論理エンジン

2009年04月25日 | 何かの足しになれば
出口の論理エンジンの「日本語トレーニング」
著者/訳者名 出口汪/著
出版社名 小学館 (ISBN:978-4-09-837706-0)
発行年月 2007年07月
サイズ 111P 26cm
価格 1,050円(税込)
要旨を正確にとらえるための練習。森鴎外の小説『山椒大夫』をもとに,日本語についての練習をします。

目的と目標

2009年04月24日 | 何かの足しになれば
 何かを成し遂げたいと思うとき、目的とか目標をもって頑張ろうとします。しかし、「目的」と「目標」は似ている言葉ですが、はっきりと区別する必要があります。「目的を持つ」とは「何のためにやるのかを明確にすること」であり、「目標を持つ」とは「何を達成するのか」ということです。たとえば、女の子がダイエットをする、という状況を想定します。ただし、その人が「痩せたい」というのは「目的」でも「目標」でもありません。これは単なる「願望」にしか過ぎません。「願望」だけではなかなかモティベーションを持ち続けることはできません。「~だったらいいな」程度ではうまくいかないものです。
 ではどうすればよいのでしょうか。まず、「何のため痩せたいのか」という「目的」明確にします。「きれいになりたい」などがそれにあたります。次に「目標」の設定です。目標の設定にはそれぞれの性格が重要な決め手になりますが、「3ヶ月で3キロ減」とか「1ヶ月で1キロ減」を3ヶ月間、という数値化が必要です。
 大学に受かりたい。「何のために」を今の自分なりに考えて見ましょう。かっこいいから、この学問をしたいから、就職がいいから、など素直なものでいいのです。次に「目標」を立てます。○○大学○学部という具体的なものでもよいし、偏差値のスコアでもいいのです。


04仏教大 オリエント史

2009年04月17日 | 復習用入試問題
04仏教大 オリエント史

次のA・B・Cの各文章を読み,【 】内にもっとも適当な語句をそれぞれ語群より選びなさい。
(A)前3500年頃から,ティグリス川と【ア】川に挟まれたメソポタミア南部では,肥沃な土壌と気候に助けられて灌慨農業が発達し,前2700年頃までに【イ】,ラガシュなどの都市国家が多数形成された。これらの都市国家を築いた【ウ】人は印章に絵文字を刻んでいたが,やがて【エ】を発明し,この地域および周辺地域で用いられる多くの文字の原型となった。のちにローマ人はこの地域を含む西アジアを【オ】(太陽の昇るところ)と呼んだ。
〔語群〕1.アラビア 2.アラム 3.アルファベット 4.インダス 5.ウル 6.オリエント
7.シュメール 8.シリア 9.テーベ 10.トロヤ 
a.ナイル b.フェニキア c.ユーフラテス d.楔形文字 e.神聖文字
(B)前2400年頃になると,北方から侵入したセム系の【カ】人がメソポタミアの都市国家をつぎつぎに征服して最初の統一国家を作ったが,まもなく衰え,その後,前1950年頃,西セム系の【キ】人がバビロンを首都として古【ク】王国を建てた。やがて専制的な王のもとで中央集権化がすすみ,【ケ】法典を制定して法治主義を確立しようとした。やがてこの王国は早くから鉄器を使用した【コ】人などの侵入を受け衰えていった。
〔語群〕1.アッシリア 2.アッカド 3.アナトリア 4.アムル 5.アラム 6.エジプト     7.シリア 8.ドーリア 9.バビロニア 10.ハンムラビ 
a.ヒクソス b.ヒッタイト c.マケドニア d.マヌ e.リディア
(C)前1500年頃,セム系の遊牧民であった【サ】人はパレスチナに定住し,前11世紀には王国を築いた。ダビデ王と【シ】王の時に王国は全盛期をむかえたが,その後,北のイスラエルと南の【ス】に分裂した。前者はやがて【セ】に滅ぼされ,後者も別の王国に滅ぼされて,前586年,住民の多くはバビロンに連れ去られた。彼らは約50年後に解放されて帰国し,イェルサレムに神殿を築いてユダヤ教を確立し鵡彼らは田を唯一の神として信仰し,強い選民思想をいだいた。
〔語群〕1.アッシュール 2.アッシリア 3.アトン 4.イクナートン 5.ギリシア 6.キリスト 7.ソロモン 8.ドーリア 9.ヘブライ 10.ペルシア
a.ミケーネ b.メディア c.ヤハウェ d.ユダ

正解
(A)アc イ5 ウ7 エd オ6(B)カ2 キ4 ク9 ケ0 コb(C)サ9 シ7 スd セ2 ソc 

古代オリエント史の問題

2009年04月17日 | 復習用入試問題
次の文章を読み、後の問に答えなさい。

 セム系遊牧民であった【1】人が,メソポタミアに古バビロニア王国(バビロン第一王朝)を建設した頃,この地では同じセム系のカナーン人が定住し,カナーンと呼ばれるようになった。やがてこの地は,古バビロニア王国を滅ぼしたインド=ヨーロッパ系の【2】が,中王国を滅ぼした【3】を追放して成立したエジプトの新王国と覇権を争う場となった。東地中海一帯へのいわゆる「海の民」の侵入がこのバランスを崩し,この地にさまざまの勢力が独自の発展をとげるきっかけとなった。この地には,「海の民」の一派ペリシテ(フィリスティア)人と呼ばれる人々が入植し,製鉄技術や果樹栽培を伝え,パレスティナの地名の由来となった。やがてこの地域の山地方面から海岸平野部に,【4】人と呼ばれる人々(【10】人と自称した)が進出するようになり,ペリシテ人やカナーン人と衝突するようになった。【4】人はやがて王国を成立させ,第2代の王【5】のもとで,ペリシテ人やカナーン人,東方のアンモン人,モアブ人,エドム人,さらに北方のダマスクスの【6】人を征服して版図を拡大し,【7】を首都と定めた。第3代の王【8】は,首都に【9】を奉る(1)神殿を建てた。けれども,第3代の王の死後,王国は,北の【10】王国と,南の【11】王国とに分裂した。
 やがて東方の諸勢力が帝国を形成して強力になるとともに,この地は再び大帝国の抗争の地となった。まずメソポタミアを統一して侵攻してきた【12】が,北の【10】王国を滅ぼした。ついでイラン高原の【13】と同盟を組んで,【12】を滅ぼしてメソポタミアを支配した【14】が,エジプトと組んで対抗していた南の【11】王国を滅ぼした。このとき,首都も神殿も破壊され,王や上層市民は侵略国の首都に連れ去られた。けれども,それから50年足らずの後に,この侵略国は,【13】を滅ぼして勃興してきた新しい帝国【15】によって滅ぼされた。この帝国の支配のもとで,連れ去られた上層市民の帰還が許され,神殿の再建や一定の自治が認められた。【16】の主要部分が編纂され,選民思想やメシア信仰を特色とする【17】教が形成されていったのはこの時期以降のことであろうといわれている。

空欄【1】~【17】にもっとも適当な語を,つぎのa~zのなかから選び,その記号を答えなさい。a.アッシリア b.アケメネス朝ペルシア c.アムル(アモリ) d.アラム e.イェルサレム 
f.イスラエル g.イスラーム h.エジプト i.旧約聖書 j.キリスト k.コーラン(クルアーン) l.ササン朝ペルシア m.新バビロニア(カルデア) n.新約聖書 o.ゾロアスター
p.ソロモン q.ダヴィデ r.パウロ s.ヒクソス t.ヒッタイト u.ヘブライ v.メディアw.リディア x.ヤハウェ y.ユダ z.ユダヤ

正解
(1)c(2)t(3)s(4)u(5)q(6)d(7)e(8)p(9)x(10)f(11)y(12)a(13)v(14)m(15)b(16)i(17)z


オリエント文明を整理すると

2009年04月08日 | 高校1年生用
※概観
 古代オリエント史はティグリス・ユーフラテス河流域のメソポタミア地方と、ナイル河流域のエジプトの2地域が中心となっている。これに地中海東岸地域とアナトリア(小アジア)を加えて考えていけばよい。これら地域毎に分けて古代オリエント史を考えることが多いのだが、じつはオリエント世界全体を掌握しながら、時代区分を行って見ていくほうが理解し易いのである。
 すなわち、シュメールから始まった古代文明が、農耕文明としてチグリス・ユーフラテス河流域で成熟していき前18世紀のバビロニアで集大成される時期が『第1期』。この時期ではエジプトも同等レベルの文明を完成させたといえる。
 次いで前20世紀頃の中央アジアから始まった遊牧民族の大移動が古代オリエント世界にも波及してきた時期が『第2期』である。『第2期』を理解するためには古代世界の中央アジアからインド、オリエントに至る国際情勢を知る必要がある。この人類史上最初の民族大移動はインド・ヨーロッパ語族の移動で、彼らは馬(馬の原産地は中央アジアであるため彼らが馬を使用したことに不思議はない)を所有したため圧倒的な軍事力で移動先の農耕文明を征服した。インドのインダス文明を破壊したのも彼らの一派であった。そして古代オリエント世界にはミタンニ、カッシート、そして後に鉄器を発明するヒッタイト人が侵入し、先行の農耕文明を征服した。その余波はエジプトにも波及し中王国が滅亡している。この『第2期』は前18世紀から前12世紀頃まで続いた。この時期の古代オリエント世界はダイナミックな動きを見せ、国際関係にもとづく外交政策も展開された。この時代は謎の民族である「海の民」の侵入で幕を降ろすが、鉄器の普及をともなった古代オリエント世界の活発化は、農耕によらず商業活動を主体とする民族に活躍の場を提供することになる。
 『第3期』は海上で商業活動をするフェニキア人や陸上交通を交易の場とするアラム人、古代オリエントの商業世界全体の統合を目指したアッシリア人などが競い合った時代である。フェニキア人とアラム人は「海の民」消滅後に軍事的空白地帯となった地中海東岸を本拠地にしたが、アッシリアはティグリス河上流から勃興したため、まず最初にメソポタミアの既成勢力と自国の存亡を賭けた抗争に勝利しなければならなかった。そのためアッシリアはフェニキアやアラムと違い、軍事大国化の道を歩んだ。
 『第3期』が古代オリエント世界の商業活動を巡る争いであったと理解すれば、アッシリアがフェニキアの都市を徹底的に破壊した理由が知れよう。アッシリアはオリエントの統一に成功したものの官僚制度などの基本的統治機構を持たなかったためにまもなく崩壊した。
 そして『第4期』では、その欠点を十分に解消した統一国家アケメネス朝ペルシアが、西方のギリシア世界と関わっていく中で、古代世界そのものが大きく範囲を拡大していくのである。