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古代ギリシア史 法政大

2006年05月30日 | 復習用入試問題
つぎの文章を読み,後の問いに答えよ。法政大

 古代ギリシア史はポリスの生成・発展・没落の歴史であるといわれる。前8世紀ころ,ギリシアや小アジア西岸では地域ごとに王や貴族の統率のもと集住がみられるようになり,ポリスを形成した。ポリスとは独立した小都市国家のことで,市民共同体でもあった。人々の居住地は城壁で囲まれていて,【1】と呼ばれる中心部の丘を祭祀の場所とし,【2】というそのふもとの広場を政治・経済活動の場としていた。人々のあいだには,すでに貴族・平民・奴隷の区別があり,ポリスの成立時には貴族階級が軍事・政治を支配していたが,次第に平民も市民としての参政権を獲得するようになった。そのような経緯は,ボリスの典型ともいえるアテネの歴史にみることができる。
 アテネは【3】がアッティカ地方に建設したポリスで,当初は王政が敷かれていたが,王の権力は弱く,前8世紀半ばには貴族政に移行し,貴族から選出される(A)アルコンがポリスを統治した。平民は奴隷を用いて農業に従事していたが,人口の増加とともに土地が不足するようになったため,新天地を求めて広く地中海や黒海沿岸に進出し,(B)植民市を建設するものも現れた。植民市と母市であるポリスとのあいだの貿易も活発化し,こうした商業活動に従事する富裕な平民も増えてきた。そうした平民の中には武具を購入し,【ア】となって,軍隊の主力になるものも出てきた。こうして平民の力が強くなると,市民意識も高まり,貴族の政治支配に不満をもつようになってきた。
 貴族と平民の利害対立がめだつようになる中,前7世紀後半に貴族出身の【4】がそれまでの貴族の窓意に左右されていた慣習法を成文化し,法の支配によって秩序を維持しようとした。しかし,この法の運用はきわめて厳格だったため,平民の政治的・経済的要求に十分応えるものではなかった。その後,前6世紀初頭に借財で奴隷化する市民の存在が深刻化し,貴族と平民との対立かいちだんと深まった。そこでアルコンとなった【5】が両者の争いを調停すべく,借財を帳消しにして市民の奴隷化を防いだ。しかし,この改革は両者には不評で,貴族と平民との対立を解消することはできなかった。また,不満をもっていたり貧しい平民の支持をえて,非合法的にポリスの権力を握るものが出てきて,借主と呼ばれた。その中には,【6】のように経済を豊かにし文化を奨励してすぐれた政策をおこなったものもいたが,一般に借主の政治は専制的でその支配は短命に終わった。そこで,前6世紀末に【7】が登場し,広範な平民の支持のもと,貴族の政治的権限を抑えたり,借主の出現を防止する【イ】という制度を設けて,民主政の基礎を築いた。
 前5世紀初めのころ,【8】朝ペルシアからの圧力に対して小アジア西岸のイオニア諸市が反乱を起こし,アテネを中心とするギリシアのポリスが後者を支援したことによって(C)ペルシア戦争が起こった。この戦争では前490年,マラトンの戦いでペルシア軍の侵人を防いだり,前480年にはサラミスの海戦で【9】率いるギリシア艦隊がペルシア艦隊を破ったりするなどでギリシア側が勝利をおさめた。この戦争に参戦した貧しい平民は戦後,その発言力を高めた結果,成年男子市民の全員参加にもとづく民会が最高の政治権力を掌握することとなり,前5世紀なかばにギリシア民主政が完成した。この動きを指導したのが【10】であった。ギリシアの民主政治は,今日の民主政と異なり,奴隷制度を基礎としていたし,参政権は成年男子市民のみに認められていた。政党もなく,すべての市民が参加する直接民主政であった。その後,アテネは有力なポリスだったスパルタとの対立を深め,前431年以降,【ウ】戦争に突入し,その過程で衆愚政治におちいった結果.アテネの民主政は崩壊した。

問1.空欄【1】~【10】に最もふさわしい語を,下の語群の中から選び,その記号を答えよ。
a.ソロン b.ドーリア人 c.ネアポリス d.テミストクレス e.ヘレネス f.アゴラ g.ドラコン h.ヘロット i.イオニア人 j.トロヤ k.クレーロス l.ペリクレス m.アケメネス n.オリンピア 0,サラミス P.クレイステネス q.アクロポリス r.アリストファネス S.ペイシストラトス t.バルバロイ
問2.空欄【ア】~【ウ】に最もふさわしい語を記入せよ。
問3.下線部(A)に関して,間違っている事柄を下のa~dから一つだけ選び,記号で答えよ。
a.アルコンとは執政官を意味する。 b.前7世紀ころからアルコンの任期は1年に定められたとされる。
c.前5世紀の民主政の確立とともにアルコンは廃止された。 d.当初,アルコンの定員は9名だったとされる。問4.下線部(B)に関して,ギリシアの植民市でなかったものを下のa~dから一つだけ選び,記号で答えよ。解答番号15
a.カルタゴ b.シラクサ c.マッサリア d.ビザンテイオン
問5.下線部(C)に関して,間違っている事柄を下のa~dから一つだけ選び,記号で答えよ。
a.この戦争はペルシアのダレイオス1世の軍隊がギリシアに侵入したことで本格化した。
b.この戦争におけるマラトンの戦いにはスパルタとアテネが参加した。
c.この戦争における海戦では三段擢船と呼ばれる軍船が活躍した。
d.この戦争でギリシア側の勝利が確定したのはプラタイアの戦いでのことである。

正解
qfigaspmdl 重装歩兵 オストラシズム(陶片追放) ペロポネソス ab

古代ギリシア史(2)

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
オストラキスモス(陶片追放)の制度で用いられた陶片について述べた次の文①~④のうちから,正しいものを一つ選べ。〔97・本〕
①アテネ市民は,この陶片を投じて,評議会の議員を選出した。
②アテネ市民は,この陶片を投じて,執政官や将軍を選出した。
③アテネ市民は,この陶片に,自分の支持する党派の名を記して投票した。
④アテネ市民は,この陶片に,借主になる恐れのある人物の名を記して投票した。

正解 4
①しばしば陶片に見えるテミストクレスはサラミス海戦時の提督である。②・③この陶片は選出のためのものではなく,ポリスからの追放者を決めるものである。前6世紀末クレイステネスが創設し,前5世紀に多用された。④は6000票の得票農地最多のものが,僭主の恐れのある者として追放された。

古代ギリシア史(3)

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
古代のギリシア人に関連して述べた次の文①~④のうちから,正しいものを一つ選べ。〔96・追〕
①ギリシア人の中で,最初にギリシア本土に南下して来たのは,ドーリア人と呼ばれる人々である。
②ギリシア人のポリスでは,アクロポリスやアゴラを中心に,公共生活が営まれた。
③ポリスが形成された背景には,青銅器の普及による生産力の向上があった。
④ポリスは最初,強大な権力を持つ王によって専制的に支配されていた.

正解 2
①第1波ギリシア人南下はアカイア入。ミケーネ文明を建設した。②アクロポリスはポリス中央部の丘で信仰と防衛の拠点,アゴラは公共の広場。③ギリシアではドーリア人の南下のころ(前12世紀〕以後鉄器が普及。ポリス形成は前8世紀頃。④ポリスは貴族を中心とするシュノイキスモス(集住)によって成立。王は弱体。

古代ギリシア史(1)

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
古代ギリシアのポリスについて述べた次の文①~④のうちから,誤りを含むものを一つ選べ。〔84本〕
①ポリスは,一般に都市とその周辺から成る独立の国家であった。
②都市はポリスの政治的中心であり,そこで民会が開かれた。
③市民は政治に専心し,ポリスの防衛にはもっぱら傭兵を用いた。
④ポリスは,エーゲ海域を中心に地中海・黒海沿岸一帯に広まった。

正解 3
①アテネの人口は焼く3万人。②都市の中心がアゴラで,政治・文化。経済の中心。③ポリスは,私有地(クレロス)を所有し,重装歩兵の担い手である市民の共同体であった。④イオニア諸都市など。

エーゲ文明(3)

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
クレタ文明について述べた次の文①~④のうちから,正しいものを一つ選べ。〔93・本〕
①この文明では,貨幣が鋳造され,流通していた。
②この文明の建築様式の特色を示すものは,巨石を用いた堅固な城砦である。
③この文明の遺跡にみられる壁画や陶器の絵には,海の生物などを題材にしたものが多い。
④この文明の中心であったクノッソスの遺跡は、シュリーマンによって発掘された。

正解 3
①鋳造貨幣はりディア王国(前7世紀)で発明された。②クレタ文明には城壁hなく、堅固な城砦建築は次のミケーネ文明の時代である。③クノッソス王宮内の壁画にはみごとな海(イルカ)の生物の壁画が描かれている。

エーゲ文明(2)

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
クレタ島において,前2千年紀前半ごろに栄えた古代文明について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。〔04・本〕
①エヴァンズにより,この文明の遺跡が発掘された。
②鉄器文明であった。
③ミケーネ文明を滅ぼして成立した。
④この文明では,文字が用いられなかった。

正解 1
①エヴァンズは,クノッソス宮殿跡を発掘した。②クレタは地中海貿易の中心で,前20世紀に青銅器文明。③クレタ文明の影響を受けた移住ギリシア人(アカイア人)が,ミケーネ文明を形成した。④クレタ文明・ミケーネ文明ともに文字使用が認められ,前者選文字Aは未解読である。

エーゲ文明 81

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
 クレタ文明とミケーネ文明の類似点について記述した次の文①~④のうちから適切なものを一つ選べ。〔81・追〕
①両者ともに,堅固な城壁を持ち,優美な壁画で飾られた大宮殿を遺した。
②両者ともに,王が強大な権力を持ち,簡単ながら官僚機構も備わるなど,オリエント型社会の特徴を示している。
③両者ともに,喫形文字・線文字A・線文字Bの三種の文字を持っていた。
④両者ともに,鉄器文化の段階に到達していた。

正解
2
①クレタ文明に城壁がない。②専制君主がの存在する。③クレタ文明下の線文字A,ミケーネ文明下の線文字Bは別の文字で,連続性はない。④鉄器文明は前12世紀以降のドーリア人の出現以後である。

古代ギリシア史 06 

2006年05月30日 | チャレンジ・センター
センター06 古代ギリシア史

 前8世紀以降,ギリシア人は都市国家を形成するとともに,植民活動も広範に展開していった。(1)すでにフェニキア人が,地中海沿岸にカルタゴなどの植民市を建設し,大規模な交易活動を展開していたため,時としてそれら植民市とギリシア人の関係が緊張することもあった。しかし,ギリシア人もまた多くの植民市を建設し,自らの交易活動も活発化させていくことになる。これに伴って,常設の市場があった(2)都市内部の広場では,物資の交換のみならず,情報や意見のやり取りも盛んに行われるようになり,やがて(3)そのような空間から政治史の新たな扉が開かれていった。

問1 下線部(1)に関連して,フェニキア人の都市ティルス(テュロス)及びその植民市カルタゴと,次の地図中の位置a~cとの組合せとして正しいものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。  
① ティルス(テュロス)―a カルタゴ―b
② ティルス(テュロス)―a カルタゴ―c
③ ティルス(テュロス)―b カルタゴ―a
④ ティルス(テュロス)―b カルタゴ―c
⑤ ティルス(テュロス)―c カルタゴ―a
⑥ ティルス(テュロス)―c カルタゴ―b

問2 下線部(2)に関連して,古代ギリシアの都市で市場や集会が開かれた広場の名として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 
① アクロポリス ② アゴラ ③ フォルム ④ ポリス

問3 下線部(3)に関連して,アテネの広場について述べた次の文章a~cが,時代の古いものから順に正しく配列されているものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。  
a セレウコス朝シリアと対立していたペルガモンの王アッタロス2世が,アテネの広場に柱廊を建設した。
b ソロンは広場で市民を鼓舞するために詩を朗唱し,アテネはサラミス島を獲得するため積極的に戦うようになった。この後ソロンは改革事業の指導者に選ばれることになる。
c ペイシストラトスは自ら身体を傷つけて広場に現れ,政敵に襲われたと訴えた。このため護衛兵をつけることが認められたが,彼はこの護衛兵を利用して僭主政治を打ち立てることになる。
① a→b→c ② a→c→b ③ b→a→c ④ b→c→a
⑤ c→a→b ⑥ c→b→a

正解
224

中間考査【2】解説

2006年05月22日 | 復習用入試問題
中間考査の問題解説【2】
【2】C・G・Hの3問はできなくても仕方ないでしょう。そのほかで得点したいところです。
A、アッシリアがメソポタミア北部から拡大した様子はノートに地図で書かれていると思います。その地には、前15世紀の印欧語族の時代にミタンニ王国があったことから、正解にたどり着けます。
B、アッシリアの都はアッシュール=バニパルの時代のニネベでしょう。大図書館で有名です。
C、教科書P28に、アッシリアは重税と圧制によって服属民の反抗を招き、前612年に崩壊して、と書かれています。覚えておく年代のひとつかもしれません。
D、リディアの「リ」は「利益の利」を思い出して、経済が発展した小アジアに建国した国で、都のサルデスにはアケメネス朝ペルシアの時代には「王の道」が作られたほど、経済的に重要だった、ことが正解にたどり着く道でした。もちろん、4王国時代の地図で覚えていれば簡単でした。
E、新バビロニアといえば「バビロン捕囚」の「ネザル2」が出てくるはず。簡単です。
F、誤っているものを選びます。選択肢を見るとどれも授業でやったことばかり。自身をもって5を書きましょう。
G・H、板書のプリント(3)の右下には第25王朝がクシュ人の王朝であると書かれていますが、授業では扱いませんでした。クシュ人は現在のエチオピアにメロエ王国を建国した人々で、しばしばナイル川を下って、エジプト人を苦しめました。授業では「アフリカ史」で扱う予定です。
I ペルシアを独立させたのはキュロス2世です。簡単です。
J 選択肢1が間違いだとすぐに気がつきたいものです。テーベは中王国と新王国の都でした。古王国の都は下エジプトのメンフィスで、3大ピラミッドがあるギザのそばに位置しています。

京都産業大学は関西の難関大学のひとつです。関東で言えば六大学レベル。その大学の問題も簡単な問題が多くあったと思います。授業でやっていることに自信を持てると思います。

中間考査【1】解説

2006年05月22日 | 高3用 授業内容をもう一度
中間考査問題の解説【1】
【1】(1)早くから農耕の発展した、とあるので、①イェリコを選べます。食糧生産革命のことを思い出しましょう。
(2)この問題は少し厄介です。この地域には、とあるので、イェリコはどこの都市かを思い出します。イェリコといえば、古典的シリアの中、しかも死海の北岸に位置したはず。(2)の選択肢をチェックすると、③のカナーンはユダヤ人が約束の地とした土地だったはず。これを覚えていればOKです。①アッカドはメソポタミアの国、②アムルは古バビロニア王国を作った人々でした。③のフルリはミタンニ王国を作った人々です。
(3・4)(3)だけ読んでいるとなんとなくわかりづらいです。そのような場合、先の( )を解いていくとわかることが良くあります。(4)は中王国を滅ぼしてエジプトに侵入した民族ですから、③ヒクソクとすぐにわかります。したがって、ヒクソスといえば「馬と戦車」。選択肢の③を選べばよさそうです。
(5)この問題は次のポイントを思い出せないと、厄介です。文章を読むと、(5)は新王国と同じ時代に、メソポタミア北部を本拠地としたことがわかります。したがって新王国と対抗したのはヒッタイトですから、印欧語族の「ヒミツ」を思い出すと答えがわかります。メソポタミア北部は「ミ」ですから④ミタンニが正解。地名は北から覚える、とい原則が大切なことがわかります。
 以上のことが思い出せない場合の対処方法です。文章をさらに読んでいくと、第18王朝の王と(5)のミタンイと同盟を結んで1、ヒッタイトと対抗した、ことがわかります。アマルナ文書をヒントに(5)をミタンニ王国であると気づくこともできます。あきらめずに問題を解く姿勢が必要でしょう。
(6)第18王朝の王は選択肢の中に2人います。①アメンホテップ4世と③トトメス3世です。文章が多少わかりづらいが、メソポタミア北部の国と同盟関係を結んだ王、最古の国際関係の文章であるアマルナ文書を残した王といえば、アメンホテップ4世になります。
(7)新王国と争った小アジアを本拠地とした国はヒッタイトでしょう。ここから(5)や(6)の正解に気づいていくことになります。
(8)授業外の問題です。正解は①クノッソス。勘のいい人は正解できたかも知れません。
(9)カッコの直前に、紀元前1200年ごろとあるし、地中海東部各地を襲った、とあるので、正解は③海の民であるとわかります。(7)ヒッタイトを滅ぼした、ともあるので海の民であるとわかるでしょう。
(10)カッコのすぐ後ろにパレスティナ南部の海岸線に都市を建設して、とあるので②フェニキアや③ヘブライ?かなと思ってしまいます。しかし、かれらやアラム人が(9)海の民の一派であるなどと聞いたことがありません。したがって、消去法で④ペリシテを選ぶことができれば正解です。

以上、この問題で間違えるとしたら(2)(9)(10)の3問でしょうか。うまくいけば(9)以外は正解にたどり着きたいものです。学習院大学の入試問題を70%できればいいでしょ。

04青山学院(経営)オリエント史

2006年05月12日 | 復習用入試問題
04青山学院(経営)オリエント史

 次の問1~5は,それぞれ説明文①~③と用語a~cから成っている。各問ごとに,①~③の文が説明していると思われる用語を,a~cから一つ選びその記号を答えなさい。同じ用語を2回以上選んでもよい。もしa~cに適切な用語がない場合には,dを記入せよ。それぞれの説明文につき記すべき記号は一つしかない。2つ以上の場合は誤りとする。

問1.a.アッカド人 b.アラム人 c.アムル人
① 彼らは前3000年紀初めにウル,ウルクなどの都市国家を形成し,模形文字を用いて文書を残している。それらの都市にはジッグラトと呼ばれる塔が立てられていた。
② セム系遊牧民である彼らは,サルゴン1世の下で多くの都市国家を征服し,南部メソポタミアを統一した。この「大征服者」はさらにシリア,小アジアをも征服したと言われている。
③ セム系遊牧民である彼らの王ハンムうどは,メソポタミアを再統一し,「四界の王」となった。そして有名な「法典」を発布する。

問2.a.アマルナ b.メンフィス c.テーベ
① エジプト古王国時代の首都。この時代には大ピラミッドが多く建造されている。ギゼーのクフ王のが最大のもの。
② エジプト中王国・新王国時代の首都。中王国崩壊後のヒクソス支配に対する解放のための戦いもここから始まった。
③ アメンホテプ4世が新しい都をここに建造した。この新都では一種のリアリズム芸術が栄えたが,すべては王一代で終り,この都はすぐに見捨てられ,廃嘘となってしまった。

問3.a.アトン b.アモン c.オシリス
① テーベの市神。新王国時代のエジプトは西アジアを支配し,そこから富が流れ込んだ。それはこの神の勝利であり,繁栄であると考えられた。そのため,この神の神官団の勢力が増大した。
② この神を奉ずるアメンホテプ4世は,平和主義的な宗教改革を断行した。それは,一神教的傾向を持っていたとも言われる。
③ 『死者の書』の中で,死者が「私は潔白です」と呼びかける審判者がこの神である。死後の裁判と「魂の計量」はこの神の前で展開されるのである。

問4.a.リディア b.メディア c.カルデア
① 四王国分立時代に小アジア西部を支配。貨幣を初めて鋳造した王国として有名。ギリシア人との交流もあった。
② セム系の王国で,メソポタミアを支配。ネブカドネザル2世治下,前586年にはユダ王国を亡ぼし,その住民を都に強制移住させた。
③ オリエント最初の世界帝国。首都はニネヴェ。その強力な軍隊が通過したあとには廃嘘と荒野ばかりが残ったと言われる。しかしこの武断的帝国は,被征服民の蜂起によって瓦解する。

問5.a.キュロス2世 b.カンビュセス2世 c.ダレイオス1世
① ペルシア帝国内の反乱を鎮圧した王は,新しい都の建造に着手した。帝国二百年の都ペルセポリスである。
② エクバタナからバビロンへ向う街道から見える磨崖に,この王は自らの業績を刻ませた。これが有名なベヒストゥーン碑文である。ローリンソンはその研究から楔形文字解読に成功している。
③ イオニア植民市の反乱を援助したアテネに報復すべく,このペルシア王は,前490年に大軍をギリシアへ送り出した。本格的にペルシア戦争が開始されたのである。

正解
d a c b c a b a c a c d c c c

古代オリエント史(7)ユダヤ教

2006年05月10日 | FORZA世界史 復習編
1. 前13cに出エジプトを実施、「十戒」などの律法を定めた人物
2. 前1000年頃にヘブライ王国の全盛期を現出した王2人。
3. ヘブライ王国が分裂した年。
4. 分裂後北部に位置し、前722 年にアッシリア に滅ぼされた国。
5. 分裂後南部に位置し、前586 年にカルディア に滅ぼされた国。
6. ユダヤ教の唯一神。
7. イエス により否定されたユダヤ 人のみが救われるとする思想。
8. ユダヤ 民族の危機に際して出現する者。
9. イエス が批判した、当時の一般のユダヤ 人を苦しめた思想。
10. モーゼ の律法を遵守する排他的形式主義の一派。

正解
①モーゼ ②ダビデ・ソロモン ③前922 ④イスラエル王国 ⑤ユダ王国 ⑥ヤーヴェ ⑦選民思想 ⑧メシア ⑨律法(戒律)主義 ⑩パリサイ人


古代オリエント史(6)バビロン捕囚

2006年05月10日 | FORZA世界史 復習編
1. バビロン捕囚をおこなった新バビロニアの王。
2. バビロン捕囚の際に滅ぼされたユダヤ人の王国。
3. バビロン捕囚の年。
4. ユダヤ人をバビロン捕囚から解放したアケメネス朝の王。

正解
①ネブカドネザル2世 ②ユダ王国 ③前586年 ④キュロス2世

古代オリエント史(5)楔形文字

2006年05月10日 | FORZA世界史 復習編
1. 楔形文字の解読のきっかけとなった碑文。
2. 楔形文字の解読のきっかけをつかんだドイツの学者。
3. ダレイオス1世の業績を刻んだイラン西部の碑文。
4. 楔形文字の解読に成功したイギリスの学者。

正解
①ペルセポリス碑文 ②グローテフェント ③ベヒストゥーン碑文 ④ローリンソン

古代オリエント史(5)ゾロアスター教

2006年05月10日 | FORZA世界史 復習編
1. 最高神で光明・善の神。
2. 暗黒・悪の神。
3. ユダヤ教やキリスト教に取り入れられた特徴を2つ。
4. ゾロアスター教を国教とした古代イランの国を2つ。
5. ゾロアスター教の中国名。

正解
①アフラ・マズダ ②アーリマン ③善悪二元論 最後の審判 ④アケメネス朝・ササン朝 ⑤ケン教