FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

ツタンカーメン

2013年04月22日 | 高校1年生用

 【ツタンカーメン】は【新王国】第【18】王朝の少年王で、【黄金のマスク】の発見で有名な王です。イクナートンの息子で、彼の妻として有名な【ネフェルティ】の子供ではない、別の妻の子供であろうと考えられています。
 イクナートンがなくなった後、【アモン】を祭る【テーベ】の神官たちに押されてテーベに都を戻し、ツタンク・アモンと名乗りました。在位9年18歳で死去したため、王墓の建設がまにあわず、【テーベ】近くの【王家の谷】にある大臣の墓に葬られました。それから3300年後、イギリス人【ハワード=カーター】が1922年に発掘し、王のミイラには黄金のマスクが被せられていたわけです。


ユダヤ人の歴史

2013年04月21日 | 高2用 授業内容をもう一度

シリアからエジプトに移り住んで、エジプトでは奴隷として生活していた人々が、【前13】世紀に【モーセ】に連れられてエジプトを脱し、約束の地カナーンに移住しました。この出来事を【「出エジプト」】といいます。また、モーセはエジプトのファラオである【ラムセス2世】の異母弟であったといわれます。ラムセス2世は【新王国】【第19王朝】の全盛期の王で、【アブシンベル神殿】を建設したことでも有名です。モーセは「出エジプト」の際に【シナイ】山で神【ヤハウェ】から【「十戒」】を授かったとされ、預言者の一人に数えられています。
 その後、【前1000】年頃、ユダヤ人は【ヘブライ】王国を成立させ、初代サウル王が神殿を建設しました。現在ではその一部が残っているに過ぎませんが、「嘆きの壁」】といユダヤ教の聖地になっています。この王国の全盛期は第2代【ダヴィデ】王と第3代【ソロモン】王のときです。しかし、前922年にこのヘブライ王国は、北の【イスラエル】王国と南の【ユダ】王国に、南北に分裂しました。【前722】年北のイスラエル王国を【アッシリア】王国の【サルゴン2世】が襲い、滅ぼしました。その後、アッシリア王国はメソポタミアからエジプトにいたるまでを支配し、最初の【オリエント統一】を成し遂げています。しかし、このアッシリア王国は統一後40年ほどで滅亡したため、オリエント世界は4王国(リディア、エジプト、新バビロニア、メディア)が勢力を競う時代に入りました。その4王国のうちメソポタミアを支配した【新バビロニア】王国(別名【カルディア】王国)の支配者【ネブカドネザル2世】が、【前586】年に南の【ユダ】王国を滅ぼしました。そして、生き残った彼らを自分の都【バビロン】に連れ帰り、奴隷としたのです。この出来事を【「バビロン捕囚」】といいます。
 【前538】年、バビロン捕囚からユダヤ人を解放したのは、【アケメネス朝ペルシア】を建国した【キュロス2世】です。開放されたユダヤ人は、【イェルサレム】に戻り、神殿を再建しました。これによって、【前6】世紀に【ユダヤ教】が成立したわけです。
 参考までに、彼らは自らを「イスラエル人」と呼び、周囲の人々は彼らを「ヘブライ人」と呼びました。また、前6世紀以降、ユダヤ教を信じるユダの人々という意味で「ユダヤ人」と呼びます。


成長課題

2013年04月11日 | 何かの足しになれば

生涯教育の基本に「成長課題」があります。このことは、狼に育てられた2人の娘に言葉やマナーを教えることができなかった、という話や、ボールを投げる技術を身に付けるのは3歳、ボールをけるのは10歳までが適切であるとか、そういったことでしられています。そういえば、50歳を過ぎてパソコンを使いこなすようになるのは大変な労力です。


 その一方で、この「成長課題」は、それぞれの年代が乗り越えなければならない課題を示しています。もちろん、その課題は時代によっても違うでしょう。さて、高校生の「成長課題」とは何でしょうか。学校によっても違うように思います。我々大人が、自分の時には「この時までにボールをけれるようになっておく必要があるよ。」とアドヴァイスされなかったことを、だから自分は「香川」に慣れなかったのか!とあとで納得したとように、今の高校生諸君にも、「今なすべきこと」はわからないのではないか。


 さて、高校生の「今なすべきこと」は、「自分でやり遂げた感覚」。いかがですか?


将来を決定するには

2013年04月03日 | 何かの足しになれば

 高校生が自分の将来を考えるということは非常に難しいようです。この難しさは、奥さんが夕飯を何にするかを決めるときの困難さと似ているかもしれません。つまり、夕飯のメニューを決定できないのは、昨日はあれで、一昨日はこうだったから、今日は何にしよう??という発想をしているにも関わらす、自分のレパートリーが少ないために、選択の余地が制限されているからです。


 高校生が将来を選択する際の困難は、自分の過去の経験が乏しい場合に発生します。もちろん、人間の経験は、実際に経験したことばかりではありません。本で知った知識や、他の人との会話や、やり取りも「経験」と言えます。したがって、クラブ活動で何部に入っていたかは関係なく、どのような活動であったか、顧問の先生やその他の大人、先輩との間にどのような会話があったか、彼らがどのように思考していたかに関心を持つこと、が重要なわけです。授業で何を学んだか、という点を取れば、その場合、暗記した単語や公式の量が問われているのではなく、どのように暗記したかとか、付帯知識、周辺知識からどのように思ったか、教師がどのように物事を捉えていたかに関心を持つことこそが大切になるでしょう。


 このように考えると、自分の将来を決めるには、高校生活そのものを「充実」させ、多様な経験をすることが、自分の将来を決定するといってよいでしょう。マニュアルにしたがって、大学のオープンキャンパスに行くことを否定するわけではありませんが、回りの大人は、高校生に対して「良い経験」をさせることに気を使いたいものです。


未知との遭遇

2013年04月01日 | 何かの足しになれば

 人間は経験に依存して生活しています。その経験は自身の知覚に由来していると言えるでしょう。つまり自分自身が感じたことを通じて、自分が経験したと考えるわけです。したがって、その人の知識や洋服のセンスや信念のようなものも、その人が知覚を通じて得た経験に依存しているといえます。しかし、それらが経験に依存しているだけなら、その人は同じことを繰り返すだけになります。

 人間にとって「未知」は「不安」につながります。自分が知覚したことのない「未知」に踏み込まないと新しいこと(知覚)ができません。そして新しい「知覚」が新しい経験となってその人の世界を広げていく。もちろん、自分の経験から推測することができない「未知」は不確実な世界です。その世界に踏み出さない限り豊かな人生、たような人生を送ることは難しいでしょう。

 「未知」という不安や困難に立ち向かうとき、自分はどのような行動をする人間なのか?この自分自身の「適応習性」を自分自身で確認することが必要です。受験勉強と部活との両立で悩んだとき、その人はどのような行動をとるのか?どちらかを諦める?最後まで挑戦する?つまり、「未知」の不確実要素にスポットを当てて「不安」に思うより、「未知」を前にしたとき、その一歩手前にいるときの「適応」を経験する。そしてその時に自分はどのように適応したのか(習性)を積み重ねていく。