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2016年上智大学TEAP(改)中南米©植民地の特徴

2020年05月23日 | 論述問題
設問3 先住民が狩猟・採集にもとづいて部族単位で分散的に生活していたことが後のイギリス領13植民地の構造に影響を与えた。彼らを強制的に外部に排除することによって獲得した土地を自営農民や農場主をめざす白人入植者に分配することが選択された。
 一方、メキシコとアンデス高原を中心とするスペイン領ラテンアメリカでは,13植民地と対照的な社会構造が形成された。下の表を参考にしながら、その理由について,具体的な歴史上の事実を補足しながら,350字以内で論じなさい。


【設計】
①西領ラテンアメリカの社会構造が形成された理由。対照的であるように記述したい。200字
②その社会構造が形成されるに至った具体的的な歴史上の事実。150字
【解答のキーワード】
②コルテスとアステカ帝国/ピサロのインカ帝国/ポトシ銀山とサカテカス銀山の開発とインディオへの重労働/エンコミエンダ制/黒人奴隷を輸入して補う。
①中南米に先行する帝国が存在した。/白人男性中心の軍隊が入植者の中心で13植民地のように家族単位ではないことが混血を増やした。/先行する帝国を滅ぼし社会体制を破壊したうえで銀山経営を行ったため、先住民を労働力として使用可能になり先住民と共存する社会構造になった。/銀山経営が多大な労働力を必要とし黒人奴隷に頼ったことでエスティソに加えムラトも含む複雑な社会構造になった。/

2000年東京大学本試第1問(改)啓蒙思想家がみた18世紀の清

2020年05月21日 | 論述問題
第1問(改)
大航海時代以降,アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると,特に18世紀フランスの知識人たちの間では,東方の大国である中国に対する関心が高まった。以下に示すように,中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は,称賛もあり批判もあり,様々だった。彼らは中国を鏡として自国の問題点を認識したのであり,中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。

儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし,愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。(略)四千年来,中国の識者は,最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)

ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて,彼らこそが,生まれながらに,自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。(略)ヨーロッパでは,凡庸な宰相,無知な役人,無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが,中国ではこのような制度ほ決して生まれなかった。この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)

共和国においては徳が必要であり,君主国においては名誉が必要であるように,専制政体の国においては「恐怖」が必要である。(略)中国は専制国家であり,その原理は恐怖である。(モンテスキュー)

 これらの知識人がこのような議論をするに至った18世紀の中国の状況にふれながら,啓蒙思想家がなにを賞賛しなにを批判したのかについて200字以内で述べよ。

イエズス会  科 挙  考証学   形勢戸   辮髪


【問われている点】①18世紀の中国の状況60字②啓蒙思想家が賞賛した点70字③批判した点70字
【設計】①問題文中に「議論をするに至った」とあることに注目できるかがポイント。すなわち啓蒙思想家が清の情報を手にし議論できたのはなぜか?を説明する。康熙帝からすでにイエズス会師が中国布教し情報を西欧にもたらしただけでなく、典礼問題後も公行貿易体制の清との茶貿易で往来があった。②啓蒙思想家が「賞賛」する理由は「ある理想」がフランスにはなくて中国にはあるということ。アンシャンレジウムの身分制度が強固で身分の枠を超えて活動できないフランスに対し、科挙は形勢戸という民間の地主を中心に身分にかかわらず受験可能。これにより高位官僚につくこともできた。これは身分制度が無いに等しいと考えられた。またキリスト教とことなり清代の儒学は考証学で検証を重視する学問であり宗教色はほとんど無い。③一方で清はあくまでも皇帝独裁体制をとる征服王朝で、文字の獄や辮髪を強要する。啓蒙思想家が目指す三権分立や立憲主義とはかけ離れた社会体制である。



2007年東京大学本試第1問(改)中国農業の変化と意義

2020年05月16日 | 論述問題
古来,世界の大多数の地域で,農業は人間の生命維持のために基礎食糧を提供してきた。それゆえ,農業生産の変動は,人口の増減と密接に連動した。耕地の拡大,農法の改良,新作物の伝播などは,人口成長の前提をなすと同時に,やがて商品作物栽培や工業化を促し,分業発展と経済成長の原動力にもなった。しかしその反面,凶作による飢饉は,世界各地にたびたび危機をもたらした。
 以上の論点をふまえて,ほぼ11世紀から19世紀までに生じた中国における農業生産の変化とその意義を240字以内で述べなさい。下記の4つの語句を必ず一回は用いたうえで,その語句の部分に下線を付しなさい。
 
湖広熟すれば天下足る   トウモロコシ    アンデス    占城稲



【設計】
1.農業生産の変化(120字):宋代は長江下流域が占城稲が普及して穀倉地帯。湖田・囲田の技術改革で生産力向上。明代は長江下流域が綿花栽培に転換。穀倉地帯は中流域に移り「湖広熟すれば天下足る」と言われた。スペインによってアンデス原産トウモロコシが持ち込まれた。清代は山間部でトウモロコシ栽培が普及した。福建省などで茶の生産が広まった。

2.その意義(120字):宋代は各地で特産物が発達し商業都市が発達。明代は長江下流域で家内制手工業で綿織物工業が発達。穀物増産で国内で山西商人や新安商人といった遠隔地商人の活動が活発化。清代はトウモロコシの普及で人口が急増した。18世紀末から19世紀になるとその減産で反乱が頻発した。イギリス東インド会社が茶を輸入し片貿易が続いた。

2000年東京大学本試 啓蒙思想

2020年05月16日 | 論述問題
大航海時代以降,アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると,特に18世紀フランスの知識人たちの間では,東方の大国である中国に対する関心が高まった。以下に示すように,中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は,称賛もあり批判もあり,様々だった。彼らは中国を鏡として自国の問題点を認識したのであり,中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。

儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし,愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。(略)四千年来,中国の識者は,最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)

ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて,彼らこそが,生まれながらに,自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。(略)ヨーロッパでは,凡庸な宰相,無知な役人,無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが,中国ではこのような制度ほ決して生まれなかった。この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)

共和国においては徳が必要であり,君主国においては名誉が必要であるように,専制政体の国においては「恐怖」が必要である。(略)中国は専制国家であり,その原理は恐怖である。(モンテスキュー)

 これらの知識人がこのような議論をするに至った18世紀の時代背景,とりわけフランスと中国の状況にふれながら,彼らの思想のもつ歴史的意義について,解答欄(イ)を用いて15行以内で述べよ。なお,以下に示した語句を一度は用い,使用した場所には必ず下線を付せ。

イエズス会, 科 挙, 啓 蒙, 絶対王政, ナント勅令廃止, フランス革命, 身分制度, 文字



【字数配分】
18世紀フランスの時代背景(150字):絶対王政が限界。アンシャンレジームで特権階級が政治経済を独占し免税特権を持つ。
18世紀中国の時代背景(150字):検証を重視する考証学。形勢戸も地丁銀で課税される。身分差がない科挙制度で官吏登用する。辮髪や文字の獄。『古今図書集成』や『四庫全書』を国家事業として皇帝により編纂。
啓蒙思想の歴史的意義(150字):重商主義から重農主義(自由主義経済)に模索。三権分立を主張。ディドロ・ダランベールらが百科全書で科学技術などを記録。
【考え方】
1.啓蒙思想家たちの議論を「賞賛」と「批判」に分けて検証する。具体化する。
2.18世紀フランスの状況にその「賞賛」と「批判」を当てはめる。つまり中国とフランスを比較しながら考える。


1995年一橋大学本試第1問 30年戦争

2020年05月14日 | 論述問題
 ドイツを舞台とする宗教戦争としてはじまった三十年戦争は、ドイツに政治的利害 と領土的野心をもつフランスとスウェーデンなどの介入をまねき、多数のヨーロッパ諸国が関与する戦争となった。また、その講和会議はヨーロッパ最初の国際会議とされる。以上のような点に留意しながら、三十年戦争の結果と、それが後のドイツに及ぼした影響について述べなさい(400字)。



【字数配分設計】
1. 30年戦争の結果(200字):経過を書く必要はない。またドイツ以外の影響も結果として書ける。
条約の内容についてはアウグスブルクの和議の再確認すなわち領邦教会制が確立した。これにより教皇権や公会議の権威が及ばない主権国家が成立しそれらが国際法によって関係づけられた主権国家体制が成立した。ドイツ社会の荒廃。ハンザ同盟に代わってスウェーデン王国がバルト海沿岸地域を獲得し北海バルト海商業圏を支配した。フランス王国はライン川左岸にあるアルザス・ロレーヌ地方を獲得した。

2. ドイツに及ぼした影響(200字):ウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」。神聖ローマ帝国がハプスブルク家皇帝によって集権化されることは失敗に終わったことでドイツ統一は遅れ1871年まで持ち越される原因となった。また代わって台頭したプロイセン王国を中心にドイツの統一が行われた。オーストリアはこれから排除された。


【留意すべき点】
上記の内容に以下の2点を加味して記述したい。
1. 宗教戦争から国際戦争へ転換した。:
①結果:ヨーロッパでは宗教戦争は収束し主権国家が主権の及ぶ範囲を主張して起こす国際戦争が発生した。例としてルイ14世の自然国教説
②影響:鉱物資源を有するアルザス・ロレーヌ地方は以後長期にわたってフランスとドイツの争奪地となった。

2. ウェストファリア会議は最初の国際会議である。
①結果:1625年グロティウスは『戦争と平和の法』を著し自然法が国家同士の関係にも適用されることを主張し、その影響を受けたウェストファリア条約以降は国家間の関係を調整する国際会議が開催された。
②影響:ウェストファリア条約で新旧両派の勢力が対等な関係を保障された。ドイツは領邦国家主権のもとドイツ統一後も連邦制をとり地方分権が維持されることに道を開いた。

2006年東京大学本試(改)第1問30年戦争の助長と抑止

2020年05月14日 | 論述問題
 近代以降のヨーロッパでは主権国家が誕生し,民主主義が成長した反面,各地で戦争が多発するという一見矛盾した傾向が見られた。それは,国内社会の民主化が国民意識の高揚をもたらし,対外戦争を支える国内的基盤を強化したためであった。他方,国際法を制定したり,国際機関を設立することによって戦争の勃発を防ぐ努力もなされた。
 このように戦争を助長したり,あるいは戦争を抑制したりする傾向が,三十年戦争ではどのように現れたのかについて150字以内で説明しなさい。その際に,以下の2つの語句を必ず一度は用い,その語句の部分に下線を付しなさい。

ウェストファリア条約  『戦争と平和の法』



【問われている2点】
1. 戦争を「助長」する傾向(75字): 国内社会の民主化が国民意識の高揚をもたらし,対外戦争を支える国内的基盤を強化。
2. 戦争を「抑制」する傾向(75字): 国際法を制定したり,国際機関を設立することによって戦争の勃発を防ぐ努力。

【考え方】
1. 国内的基盤を強化した国民意識の高揚: 1555年アウグスブルクの和議の領邦教会制が確立した。フランスでも1615年三部会停止で絶対王政が成立し主権を守る姿勢が強化されていた。
2. 戦争の勃発を防ぐことに繋がる国際法の制定: 1625年『戦争と平和の法』をグロティウスが著し、自然法に基づいて国家主権を抑制する必要を説いた。最初の国際法とされる1648年のウェストファリア条約は新旧両派の領邦国家を対等に関係づけることで戦争の抑止を図った。

問題:2004年一橋大学本試(改)第1問宗教改革の帰結

2020年05月14日 | 論述問題
第1問
 宗教改革は,ルターにより神学上の議論として始められたが,その影響は広範囲に及び,近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。ドイツにおける宗教改革の経緯とその政治的帰結について述べなさい。その際,次の語句を必ず使用し,その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

アウグスブルクの和議


【問題のテーマ】
ドイツにおける宗教改革の経緯(100字)
その政治的帰結(100字)
【考え方】
1.経緯についてどこまで書くかを考える。30年戦争まで考えるとドイツをテーマとした宗教改革とは言えないだろう。なぜなら国際戦争の様相が強いから。
したがって1555年アウグスブルクの和議までを記述する。
2.「政治的帰結」とあるの。要求は「帰結」すなわち「たどり着いたところ」を答えるので、リード文に「近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割」とある点に注目したい。
すなわち「たどり着いたところ」は「近代世界」。したがって「近代世界」の形成に宗教改革がどのような役割を果たしたかについて記述する。
3.そこで「近代世界」のポイントを考える。①「近代国家」は「主権国家」②「近代思想」は「合理主義」である。この2点のうち②は要求外だか
ら、①「主権国家の成立」と関連付けて宗教改革の政治的帰結を記述する。
4.最後に記述の対象はドイツに限定する。
【経緯】
1.ルターの宗教改革は反皇帝諸侯に受け入れられた。
2.農民委指示されたミュンツアーの宗教改革は失敗した。
3.トリエント公会議でカトリックとプロテスタントに分裂した。
【政治的帰結】:領邦教会制が確立した。
1.アウグスブルクの和議で領主に選択権が与えられた。
2.領邦内の教会が教皇を頂点とする従来の教会組織から領邦君主の支配下に置かれた。
3.1648年ウエストファリア条約でアウグスブルクの和議が追認された。
4.神聖ローマ帝国の分裂が進んだ。

前5~4世紀のギリシア史

2020年05月09日 | トリオDE世界史

前5~4世紀のギリシア史

(1)ペリクレス時代 ①時期②建築③前451年
①前5世紀中頃
②パルテノン神殿を再建
③市民権法を制定
(2)アテネ民主制の完成 ①最高議決機関②参加者③政治指導者
①民会
②18歳以上男子市民全員
③ペリクレス
(3)アテネの官職 ①選出方法②任期③給料
①抽選
②1年間で再任は禁止
③有給
(4)アテネの民主政治の特徴 ①制度②制限③権力
①代議制ではなく直接民主制
②女性、在留外人、奴隷には参政権がない
③3権分立の思想はない
(5)パルテノン神殿 ①再建者②設計者③建築様式
①ペリクレス
②フィディアス
③ドーリア式
(6)デロス同盟 ①最初の本部②移動先の本部③目的
①デロス島
②アテネ
③アケメネス朝ペルシアの再攻撃に備える軍事同盟
(7)3大悲劇作家 ①アガメムノン②オイディプス③リディア
①アイスキュロス
②ソフォクレス
③エウリピデス
(8)喜劇 ①喜劇作家②作品2つ
①アリストファネス
②女の平和
③女の議会
(9)ペロポネソス戦争 ①時期②対立する同盟2つ
①前431年~前404年
②デロス同盟(アテネ中心)
③ペロポネソス同盟(スパルタ中心)
(10)コリント戦争 ①時期②対立するポリス③前386年
①前4世紀前半
②スパルタ対アテネとテーベ
③大王の和約(アンアタルキダス条約)
(11)大王の和約 ①時期②ギリシア側ポリス③同盟国
①前386年
②スパルタ
③アケメネス朝ペルシア
(12)前5世紀後半以降のアテネ ①政治状況②別の言い方③代表的ソフィスト
①衆愚政治
②デマゴーゴス
③プロタゴラス(人間は万物の尺度)
(13)レウクトラの戦い ①時期②勝利したポリス③その指導者
①前371年
②テーベ
③エパミノンダス
(14)カイロネイアの戦い ①時期②勝者③その王
①前338年
②マケドニア
③フィリッポス2世
(15)カイロネイアの戦い ①反マケドニア②親マケドニア③結果
①デモステネス
②イソクラテス
③マケドニアを盟主とするコリント同盟を結成
(16)前4世紀の戦争 ①スパルタの覇権確立②テーベの覇権確立③マケドニアの   覇権確立
①コリント戦争
②レウクトラの戦い
③カイロネイアの戦い
(17)フィリッポス2世 ①戦い②同盟③軍団
①カイロネイアの戦い
②コリント同盟(ヘラス同盟)
③ファランクスを創設
(18)マケドニア ①王2人②場所
①フィリッポス2世
②アレクサンドロス3世
③ギリシアの北方
(19)コリント同盟 ①内容2つ②盟主 
①ポリスの自治は認める
②ポリスの政治体制は維持する
③フィリッポス2世
(20)テネの哲学者3人
①ソクラテス
②プラトン
③アリストテレス
(20)ソクラテス ①時期②精神③伝達方法
①前5世紀後半
②知徳合一
③産婆術(対話法)
(21)古代の学校 ①プラトン②アリストテレス③ヘレニズム時代
①アカデメイア
②リュケイオン
③ムセイオン