03年 関西学院大学 文,社会,法,経済,商,総合政策
次の文中の下線部に関する問いに答え,記号にマークしなさい。
7世紀中頃からのアラブ軍の征服活動によって,(1)アフリカ北岸は徐々にアラブ化とイスラム化が進むことになった。アフリカ北岸の先住民の(2)ベルベル人は,イスラム勢力がさらにイベリア半島に進出するにあたって軍事的に大きな役割を果たしたが,一方でウマイヤ朝やアッバース朝などの中央の支配に抵抗する勢力と結びついて,反乱を繰り返した。
9世紀以降,アッバース朝の衰退がはじまり,10世紀にはイスラム世界各地で地方政権の自立の傾向が顕著となった。チュニジアではベルベル人の支持をとりつけることに成功した(3)シーア派の一派が(4)ファーティマ朝を建国して,アッバース朝の領域に迫る勢いをみせた。ファーティマ朝が建設した新都カイロは,後継王朝のアイユーブ朝,(5)マムルーク朝時代を通じて,アッバース朝の首都バグダードにかわるイスラム世界の中心となっていった。
イベリア半島におこった(6)後ウマイヤ朝はファーティマ朝とアフリカ北岸の領有を争ったが,文化や経済の面では東方イスラム世界との交流が盛んだった。イスラム世界からイベリア半島に導入された灌漑技術は農業の生産力を高め,都市の繁栄を支え,首都のコルドバは西方イスラム世界の政治・経済・文化の中心地となった。国内産業の振興に努めたアブド=アッラフマーン3世と息子のハカム2世の時代には,コルドバは人口50万を数える中世の大都市のひとつにまで成長した。
11世紀になると(7)イベリア半島は群小諸王の時代となり,12世紀にはアフリカ北岸のベルベル系諸王朝の侵略を受けた。イベリア半島最後のムスリム王朝となったナスル朝は小国にすぎなかったが,1492年に滅びるまで北部の(8)キリスト教勢力に対する砦となり,(9)スペイン=イスラム文化の最後の花を咲かせた。(10)チュニジア生まれの高名な歴史家も,一時,ナスル朝に仕えている。
[問 い]
(1) 5世紀前半から6世紀前半にかけてこの地を支配していた国はどれか。
a.ヴァンダル王国 b.ブルグント王国
c.東ゴート王国 d.西ゴート王国
(2) ベルベル人がアフリカ北岸に建設した王朝はどれか。
a.パフレヴィー朝 b.ムワッヒド朝
c.トゥールーン朝 d.パーンディヤ朝
(3) この一派の呼称はどれか。
a.イスマーイール派 b.スンナ派
c.十二イマーム派 d.ザイド派
(4) ファーティマ朝と同時代のイラン系のシーア派王朝はどれか。
a.セルジューク朝 b.ブワイフ朝
c.ガズナ朝 d.サッファール朝
(5) マムルーク朝に関する記述で誤りを含むものはどれか。
a.モンゴル軍のエジプト進出を阻止した。
b.十字軍に勝利し,イェルサレム王国を滅ぼした。
c.トルコ系の奴隷軍人サラディンが建設した王朝である。
d.アッバース朝のカリフをカイロに迎えた。
(6) 後ウマイヤ朝に関する記述で誤りを含むものはどれか。
a.ウマイヤ朝の一族がアッバース朝の追手を逃れて建国した。
b.後ウマイヤ朝の君主がカリフと称したことで,イスラム世界には2人のカリフが並び立った。
c.西アフリカで産出される金が流入し,商業の発達を促進した。
d.後ウマイヤ朝後期の政治的混乱が,11世紀末のムラービト朝のイベリア半島への介入を招いた。
(7) イベリア半島にあったイスラム都市はどれか。
a.アヴィニョン b.セビリャ
c.マラケシュ d.セウタ
(8) イベリア半島のキリスト教国に関する記述で誤りを含まないものはどれか。
a.アラゴン王のフェルナンド2世がコルドバを占領して国土回復運動は完了した。
b.1236年にカスティリャがトレドを占領し,イスラム勢力は後退を余儀なくされた。
c.グラナダ陥落の年に,コロンブスがイザベルの援助を受けて航海に出発した。
d.ポルトガル王国はアラゴンから独立し,新航路の開拓に着手した。
(9) スペイン=イスラム文化に関する記述で誤りを含まないものはどれか。
a.イブン=ルシュドはソクラテスの注釈書を著わした。
b.コルドバのアルハンブラ宮殿は代表的なスペイン=イスラム建築である。
c.多くのアラビア語文献がギリシア語に翻訳され,ヨーロッパに伝えられた。
d.中国の製紙法が,イベリア半島を経由してイスラム世界からヨーロッパに伝えられた。
(10) この歴史家はだれか。
a.ラシード=ウッディーン b.イブン=ハルドゥーン
c.イブン=バットゥータ d.イブン=ファドラーン
正解
(1) a (2) b (3) a (4) b (5) c
(6) b (7) b (8) c (9) d (10) b