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2007年東大第1問

2014年05月26日 | 論述問題
第1問
 古来、世界の大多数の地域で、農業は人間の生命維持のために基礎食糧を提供してきた。それゆえ、農業生産の変動は、人口の増減と密接に連動した。耕地の拡大、農法の改良、新作物の伝播などは、人口成長の前提をなすと同時に、やがて商品作物栽培や工業化を促し、分業発展と経済成長の原動力にもなった。しかしその反面、凶作による飢饉は、世界各地にたびたび危機をもたらした。
 以上の論点をふまえて、ほぼ11世紀から19世紀までに生じた農業生産の変化とその意義を述べなさい。解答は解答欄(イ)に17行(510字)以内で記入し、下記の8つの語句を必ず一回は用いたうえで、その語句の部分に下線を付しなさい。

  湖広熟すれば天下足る アイルランド  トウモロコシ  農業革命
  穀物法廃止 三圃制  アンデス  占城稲

2009年 東大第2問

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度
第2問
 人口集中地としての都市は、古来、一定地域の中心として人々の活動の重要な場であり続けてきた。それらの都市は、周囲の都市や農村との関係に応じて、都市ごとに異なる機能を果たしてきたが、ある特定の地域や時代に共通する外観や特徴を示す場合もある。以上の点をふまえて、次の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) (a)紀元前8世紀のエーゲ海周辺ではポリスとよばれる都市が古代ギリシア人によって形づくられた。ポリスはその後、地中海・黒海沿岸地域にひろがり、その数は1000を超え、ギリシア古典文明を生み出す基盤となった。ポリスはそれぞれが独立した都市国家であったため、ギリシア人は政治的には分裂状態にあったが、他方、(b)文化的には一つの民族であるという共通の認識をもっていた。下線部(a)・(b)に対応する以下の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) ポリスの形成過程を2行以内で説明しなさい。
 (b) この共通の認識を支えた諸要素を、2行以内で説明しなさい。

4国分立時代

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

 アッシリアは統一後、間もなく滅亡し、4つの王国が誕生しました。小アジアには【リディア】王国、【エジプト】、メソポタミアには【新バビロニア】王国(またの名を【カルディア】王国)、イラン高原には【メディア】王国です。
 リディア王国はコインを始めて使用した国として重要です。世界史ではコインを【鋳造貨幣】といいます。リディアで発明された鋳造貨幣はすぐに【ギリシア】人にも使用され、ギリシア人たちの社会に大きな変化をもたらしました。
 メソポタミアを支配した新バビロニア王国【ネブカドネザル2世】は、【前586】年【ユダ】王国を滅ぼしました。その際、有名な「【バビロン捕囚】」事件を起こします。敗北したユダの人々を強制的に都のバビロンに移住させ、そこで奴隷として働かせたのです。
 イラン高原で建国したメディア王国は【ゾロアスター】教が成立したことだけでも十分記憶にとどめるに値する国です。ゾロアスター教は【拝火教】の一種。火を崇拝する宗教です。善と悪で世の中をとらえました。また【最後の審判】の思想をエジプト中王国から学び、キリスト教に伝えました。
 オリエント世界の次の時代は、メディア王国の1地方である「【ペルシス】」地方にいた【インド=ヨーロッパ】語族の人々によって展開されました。その国こそ、オリエント世界を再統一した【アケメネス朝ペルシア】。

 

 


エーゲ文明(1)シュリ-マン

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

【エーゲ】文明は【前20】世紀ころから【前12】世紀ころまでの間、エーゲ海沿岸地域で成立した文明です。前12世紀にこの文明が滅亡した理由は、なぞの【海の民】の攻撃や【ドーリア】人の侵入と考えられています。これらの攻撃や侵入により、それまでエーゲ海周辺の人々が使用していた文字は、それ以降の人々には伝承しませんでした。文字は忘れ去られたのです。したがって、前8世紀ころの人々は自分たちの言葉を文字に書き表すとき、適当な文字はありません。そこで【フェニキア】文字を利用したのです。彼らは、フェニキア文字からギリシア文字を作りました。
 前12世紀に滅亡したエーゲ文明の中心は、ギリシア本土の【ティリンス】を中心とする【ミケーネ】文明と【小アジア北部】の【トロヤ】です。この両国は【トロヤ】戦争で戦ったと、詩人【ホメロス】が叙事詩で書き残しました。その叙事詩「【イリアス】」や「【オドュッセイア】」を信じた一人のドイツ人【シュリーマン】が、トロヤの遺跡を発掘しました。したがってトロヤを攻撃したティリンスも存在するはずです。シューリーマンは5年後にギリシア本土でティリンスの遺跡を発掘し、ホメロスの叙事詩が真実であったことを証明したわけです。


エーゲ文明(2)

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

【ミケーネ】文明の中心である【ティリンス】の人々は、【攻撃性】の強い人々であったようです。都市も【城壁】で囲まれ、その城門に獅子のレリーフを残しています。有名な【獅子門のレリーフ】です。ティリンスは第1次ギリシア人南下のアカイア人が建設しました。彼らの南下でクレタ島にあった【クレタ】文明は破壊されました。
 【クレタ】文明は【前20】世紀ころから滅亡の【前15】世紀まで、クレタ島で発達しました。彼らはどうやら【地中海の貿易】で活躍したようです。しかしはっきりしたことはわかっていません。なぜなら、彼らが使用していた文字である【線文字A】はまだ未解読だからです。海で活躍した彼らは【海洋性の文明】であったといえます。宮殿の壁画には鮮やかな【イルカの絵画】が描かれていることも、海洋性の文明と言える証拠です。また、宮殿はありましたが城壁はなかったので、【軍事的色彩は薄い】といえます。この宮殿は「迷宮【ラビリントス】」と呼ばれ、牛頭人身の怪獣【ミノタウロス】が住んでいたと伝説で語られています。


クレタ文明

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

クレタ文明
 【フェニキア】人が登場するよりも前、【前20】世紀ころから【地中海貿易】に活躍していたのが【クレタ島】の人々でした。彼らのことは詳しくわかっていません。彼らの【線文字A】がまだ解読できていないからです。
 しかし、クレタ島の中心地【クノッソス】には多くの遺跡が残っています。【イルカ】の壁画をもつ宮殿から彼らが海とのかかわりが深い文明であったことがわかります。クレタ文明には【ミノス】王の子で牛頭人身の怪物【ミノタウロス】が【ラビリントス】という【迷宮】に閉じ込められ、生贄の少年少女を食べたという伝説が残されています。
 このクレタ文明で幕を開けた【エーゲ文明】でしたが、【前15】世紀頃ギリシア人の第1波南下の【アカイア】人によって滅ぼされました。ただしこれには異説もあって、【地震と津波】により滅亡したとも言われています。線文字Aが未解読のため、くわしくわからないわけです。


エーゲ文明(3)線文字Aと線文字B

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

【前20】世紀に成立した【クレタ】文明の中心は【クノッソス】。クレタ島の中央部にあります。この文明は【前15】世紀に【第1次ギリシア人南下】の時に破壊されました。第1次ギリシア人南下で【ギリシア本土】に定住した人々の文明を【ミケーネ】文明といいます。その中心は【ティリンス】でした。また、この時期には【小アジア】にも文明が成立していた、これを【トロヤ】文明と呼びます。すなわち、ミケーネ文明とトロヤ文明は同時期の文明で、【ホメロス】の詩にあるようにトロヤ文明はミケーネ文明の中心ティリンスの攻撃で滅亡しています。
 【エヴァンズ】が発掘したクレタ文明とそれに続く、【シュリーマン】が発掘したミケーネ文明・トロヤ文明をあわせてエーゲ文明と呼ぶわけです。
 トロヤ文明では【線文字A】が使用されていました。しかし【未解読】です。ミケーネ文明では【線文字B】が使用されていました。線文字Bは独人【ヴェントリス】が解読しています。線文字AとBの違いはただ単に、古い時代の文字をA、新しい時代の文字をBとしただけです。


アテネの民主政治と現在の民主政治

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

アテネでは民主政治が行われていたことを、多くの人が知っています。ただし、その制度は今のわれわれの民主政治と異なっています。国家を運営するには官僚機構が必要ですが、官僚の採用方法は時代や場所によって異なります。
 たとえば貴族が勢力を持っている時代ならば、貴族の子弟から家柄に応じて官僚が選ばれます。中国の宋代では、【科挙制度】を通じて官僚を採用しました。儒学の教養を持つものならば誰でもこの国家試験を受験することができるという、画期的な制度です。この科挙制度に驚いた17~18世紀のフランスの思想家たちが現在の国家試験による採用、という方法を作り上げたのです。
 では、アテネではどうだったのでしょうか。彼らは「【抽選】」つまりくじ引きで選ぶ方法を採用しています。彼らは能力や努力によって生じる格差さえも否定した、完全な平等を意図したわけです。
 もうひとつアテネの民主政治には興味深い特徴がありました。民主主義がもっとも嫌うのは独裁者の存在です。現代の社会でも独裁者が出現し、自国民や周辺の国々および民族を苦しめています。18世紀の啓蒙思想家は三権分立を提唱して独裁政治を防止しようと考えたました。アテネでも同様に独裁政治を嫌っています。彼らは独裁者(アテネでは【僭主】という)の出現を人々の投票によって行う【オストラシズム】で予防する制度を作ったのです。
 このようにアテネの民主政治と現在の民主政治とでは方法に違いがあるものの、政治の姿勢そのものについては似ているといえます。


前7世紀のオリエント世界の変化とギリシア世界への影響

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

オリエント世界は【前7】世紀に激動の時代を迎えました。【アッシリア】がオリエントを統一していく過程で、アッシリア王の【アッサルハドン】がフェニキアの港湾都市【ティルス】の港を破壊しました。フェニキア人の多くは港を失うと、西地中海、現在の【チュニジア】の地【カルタゴ】に移住を余儀なくされました。
 このことはギリシアの人々に大きなチャンスをもたらします。ギリシア人も穀物を自給できない土地に住んでいるため、より良い安定した生活を手にするには、地中海の貿易で利益を上げ、穀物を手にしたかったのです。それまでフェニキア人が地中海沿岸や黒海沿岸、小アジアにある港に適した土地について、他の民族を寄せ付けなかったのが、彼らの貿易活動が停止したことで、ギリシア人がフェニキア人にとって代わったわけです。
 ギリシア人は【黒海沿岸】や小アジアの【イオニア】地方に【植民市】を建設し、その港を基地として地中海貿易に乗り出します。貿易で大もうけする平民が出ます。よい商品を作って利益を上げる者も出ました。しかし、その一方で、失敗して全財産を失って【無産市民】と呼ばれるようになたり、当時は自分の体を借金の担保にして金を借りる習慣があったため、その借金が返せずに、【債務奴隷】に落ちぶれる者も多く出ました。前7世紀にギリシア世界も未曾有の変化を経験したわけです。


前7世紀のギリシア世界で貨幣経済が進んで・・・

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度
 前7世紀に貿易で成功すると、その一方で、貿易拠点である港の取り合いや、よい商品・穀物の奪い合いといったポリス同士のトラブル、他の民族との紛争が多くなります。そのため、貿易や商工業で活躍する平民たちは、武器を自分で購入して戦争に加わるようになりました。戦争の数も増えたでしょうし、戦いの規模も大きくなったのです。
 これら【富裕化した平民】たちはやがて不満を持ち始めます。ポリス内のすべての決定は、これまで通り貴族が行うからです。厳しい戦争には平民が前線に立たされ、貴族との摩擦も多くなっていったでしょう。
 前7世紀の小アジアはギリシア人の活動などもあって活況を帯び、そこに成立した【リディア】では【鋳造貨幣】という金属貨幣が発明されました。この鋳造貨幣は、すぐにギリシア本土に持ち込まれたはずです。貨幣が流通する社会を【貨幣経済】、貨幣がなく物々交換で門をやり取りする社会を【自然経済】といいます。ギリシア世界は【前7】世紀に貨幣経済の社会に発展し、いっそう、成功するものと破産するものとに平民が2極化し、平民同士や平民と貴族との間で、互いに不満と対立が広がっていったのです。
 

授業の受け方

2014年05月26日 | 何かの足しになれば

授業中に教師が使う言葉を知ると、ちゃんと授業を受けられるようになります。その言葉とは、「だから」「つまり」「ようするに」といった接続語。これらの言葉を教師が口にした理由は何でしょう。その教師は、意識しているか無意識かはわかりませんが、大切なことを言ったけど伝わってないかな?と感じたから、その内容を繰り返したくなったわけです。
 同様に、「たとえば」「別の言い方をすると」などを教師が言った場合は、はじめに話した内容が難しいから、別の言い方をしたり、分かりやすい例を示したわけです。つまり、例を示した内容に教師は注目しているのですから、聞く側は注目すべきです。
 このような話は現代文の文章を読んだり、英文を読むときの基本スキルです。そのスキルを授業中にも活用すれば、その教師が大切だと思っている場所が分かります。それをノートにメモできれば良いノートが出来上がります。
 このことは良い教師の条件にもなります。教師はこれらの接続詞をうまく使って授業をすべきでしょう。


アテネの在留外国人

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度
アテネの在留外国人をメトイコイと呼びます。メトイコイはアテネ市民にとって外国人です。つまりアテネ以外のポリスやから来たギリシア人やギリシア人以外の外国人で、アテネに移り住んだ人々です。メトイコイには市民権はないため市民ではなく、納税の義務や軍役の義務はありました。ただし、単なる外国人と違うのは、アテネの法律で守られている点です。しかし、土地などの不動産を所有する権利は与えられていません。

ペリオイコイ

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度
前8世紀にドーリア人はスパルタというポリスを作りました。場所はペロポネソス半島南部のラコニア地方です。ドーリア人がポリスを作るとき、もとからそこに住んでいたアカイア人を奴隷にしました。この奴隷は市民の共有物とされ、ヘロットと呼ばれます。
一方、奴隷にならなかった先住民はもいましたが、その人々をペリオイコイと呼びます。ペリオイコイはスパルタ周辺にいた人々です。彼らは自由に職業に就くことができ、主に商工業に従事しました。従軍の義務はありましたが、参政権は持っていません。市民権もないので不完全市民と呼びます。

都市国家の成立

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

 古代【メソポタミア】の都市国家は、大河が洪水であふれても水没しない、少し小高い丘の上に作られました。小高い丘の周囲は城壁で囲われ、数少ない有効な土地を守ります。水没した都市国家の周囲の水が引くと、そこには上流から豊かな土砂が運ばれ、労少なくして肥沃な土地を手にすることができたのです。
 こうして【前2700年】ころに、【ティグリス河】と【ユーフラテス河】に挟まれた地域の下流近くに、いくつかの【シュメール人】の【都市国家】が誕生したわけです。


ペルシア戦争

2014年05月26日 | 高2用 授業内容をもう一度

【アケメネス朝ペルシア】の大軍勢がアテネに向かって来ました。最初は補給路の不備もあって、すぐに引き返しましたが、2回目の攻勢は大規模なものでした。しかし迎え打つギリシア側は結束できず、アテネは最大の軍事力を持つスパルタの協力を得られません。そのような中、【プラティエ】という小さなポリスだけがアテネを支援し、【前490】年【マラトンの戦い】の激戦が行われ、一人の兵士がアテネの勝利をアテネに伝えたのです。
 【ダレイオス1世】を継いだ【クセルクセス1世】は3回目になる遠征を行いました。今回はスパルタとアテネを離反させる外交政策に失敗していますが、【前480】年スパルタ王【レオニダス】が率いる軍勢を【テルモピレイの戦い】で粉砕。海上と陸上からアテネを目指しました。アテネでは【テミストクレス】の意見で、アクロポリスを放棄して、全市民が船に乗り込み、ペルシア軍を攻撃しました。その間、ペルシアの陸上部隊はアテネ市内を攻略し、アクロポリスを占領しています。アテネ市民は180人乗りの軍船でペルシア海軍に勝利しました。【前480】年【サラミスの海戦】です。