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青山学院大学 経済 2000年 ロシアと第1次世界大戦前19世紀

2012年10月27日 | 復習用入試問題

 次の文章を読んで,あとの問A,Bに答えよ。

(イ) (1)第一次エジプト=トルコ戦争において,ロシアは(2)オスマン=トルコを支援するが,ロシアの影響力拡大を恐れたイギリス,(3)フランス,オーストリアの干渉により,エジプトとトルコの和解がなされた。ロシアは,この和解に不満なトルコと,ウンキャル=スケレッシ条約によって軍事同盟を結び, (a) 両海峡航行における特権を獲得した。第二次エジプト=トルコ戦争においては,ロシアはイギリス,オーストリア,プロイセンとともにこの戦争に介入し,(4)エジプトを屈伏させた。しかし,その後の国際海峡協定により,ウンキャル=スケレッシ条約は破棄された。

(ロ) カフカスをめぐって,ロシアと (b) 朝イランとの戦争が始まった。これに勝利したロシアは,トルコマンチャーイ条約において,カフカス南部の (c) を獲得した。

(ハ) 大陸封鎖令を破ったロシアに,ナポレオンの大軍が侵攻した。後退するロシア軍に決定的打撃を与えられないまま,ナポレオン軍はモスクワに入るが,ロシアとの講和もならず撤退した。この遠征失敗が,(5)ナポレオン没落の主要な原因となった。

(ニ) フランス七月革命の影響下,ロシア支配下の(6)ポーランド王国において反乱が起こった。ロシア軍は撤退し,翌年には,ポーランド議会は独立を宣言,国民政府を樹立した。しかし,同年,ロシアの大軍により反乱は鎮圧された。

(ホ) ギリシア独立戦争において,ロシアはギリシアを支援し,イギリス,フランスとともに,ナヴァリノの海戦で,オスマン=トルコ艦隊を撃退する。その後のロシア単独のトルコとの戦いにも勝利し, (d) 条約が締結された。この結果,トルコは,(7)ギリシアの自治を承認し,ロシアに黒海北岸を割譲した。

 

問A (イ)~(ホ)は,一つを除いて,あるロシア皇帝の治世に起こったことである。この皇帝とその時代に関して,次の設問に答えよ。

① この皇帝は誰か。

② (イ)~(ホ)のなかで,この皇帝の治世と関係していないのはどれか。

③ この皇帝の時代の代表的な作家・劇作家で,「死せる魂」などの作品を残した人物は誰か。

④ この皇帝の治世下の国事犯事件に関係して流刑となったことのある作家で,「貧しき人々」などの作品を残した人物は誰か。

⑤ この皇帝の時代の代表的な作曲家で,ロシア国民音楽の父といわれ,オペラ「イヴァン=スサーニン」などの作品を残した人物は誰か。

問B 文中の空欄〔(a)~(d)〕に適切な語句を入れ,下線部分〔(1)~(7)〕について次の設問に答えよ。

(1) 当時のエジプト太守は誰か。

(2) 当時のオスマン=トルコ皇帝は誰か。

(3) 当時のフランス国王は誰か。

(4) 第一次戦争の結果,エジプトが獲得したが,第二次戦争の終結で,エジプトが放棄したのはどこか。

(5) ロシア遠征の翌年10月に,ロシア,プロイセン,オーストリアの連合軍が,ナポレオン軍に勝利した戦いは何と呼ばれているか。

(6) このポーランド王国(会議王国)成立時の国王は誰か。

(7) ギリシアの完全独立が列国に承認された会議は何と呼ばれているか。

 

【解答2】 

問A ① ニコライ1世              ② (ハ)

     ③ ゴーゴリ                  ④ ドストエフスキー

     ⑤ グリンカ

問B (a) ダーダネルス・ボスフォラス                              (b) カージャール

     (c) アルメニア               (d) アドリアノープル

     (1) ムハンマド=アリー       (2) マフムト2世

     (3) ルイ=フィリップ         (4) シリア

     (5) ライプチヒの戦い

     (6) アレクサンドル1世       (7) ロンドン会議

 

 


大戦間史(2)ヒトラーの登場

2012年10月27日 | トリオDE世界史

(1)ヴァイマール連合の3つの政党
�SPD(社会民主党)
�中央党
�民主党
(2)ヒトラーの登場 �1923年�最初の政党名�ナチスの正式名称
�ミュンヘン一揆に参加
�ドイツ労働党
�国家社会主義ドイツ労働者党
(3)ナチスの組織 �ナチスの軍隊�ヒトラーの護衛�秘密警察
�突撃隊(SA)
�親衛隊(SS)
�ゲシュタポ
(4)ナチスの拡大 �1932年7月�33年1月�33年3月
�ナチスが第1党(過半数未満)
�ヒトラー内閣成立(連立で過半数)
�2/3議席を獲得
(5)1933年 �2月�3月�10月
�国会議事堂放火事件
�全権委任法(授権法)
�国際連盟脱退
(6)ナチスの対労働者政策 �年�御用組合�政党
�1933年
�ドイツ労働戦線
�一党独裁体制
(7)総統(フュラー)の権限兼務
�首相
�大統領
�党首(一党独裁)
(8)ザール地方 �1919年�1935年�結果
�15年間国際連盟の管理下に置く
�住民投票
�ドイツに帰属
(9)再軍備宣言 �年�違反�ヴェルサイユ条約の取り決め
�1935年
�ヴェルサイユ条約違反
�陸軍10万人・潜水艦を持たない
(10)ナチスの年代 �第一党�政権獲得�再軍備宣言
�1932年
�1933年
�1935年


大戦間史(1)ヴァイマール共和国と賠償問題

2012年10月27日 | トリオDE世界史

(1)大戦直後のドイツ �反乱�革命�休戦協定
�キール軍港水兵の反乱
�ドイツ革命
�コンピエーニュの森
(2)臨時政府 �首班�中心勢力�行動
�エーベルト
�社会民主党(SPD)
�レーテを徹底的に弾圧した
(3)レーテ勢力最後の蜂起 �蜂起�女性指導者�指導者
�スパルタクス団の蜂起
�ローザ=ルクセンブルク
�カール=リープクネヒト
(4)ヴァイマール連合の3政党
�SPD社会民主党
�中央党
�民主党
(5)ヴァイマール共和国 �憲法�初代大統領�特徴
�ヴァイマール憲法
�エーベルト大統領
�カイザーは去ったがユンカーは残った
(6)ヴァイマール憲法 �起草者�欠点�民主的要素
�プロイス
�大統領非常大権
�団結(スト)権
(7)賠償問題 �1921年�1923年�1924年
�ロンドン会議で1320億金マルクに確定
�ルール出兵
�ドーズ案
(8)ルール出兵 �年�出兵した国�ドイツの対応
�1923年
�フランスとベルギー
�消極的抵抗
(9)1923年のドイツ �経済�対策�中心人物
�超インフレーション
�レンテンマルクを発行
�シュトレーゼマン
(10)シュトレーゼマン外交 �1924年�25年�26年
�ドーズ案
�ロカルノ条約
�国際連盟加盟
(11)ドーズ案の国際金融の流れ �米から独�独から英仏�英仏から米
�資本
�賠償金
�戦債
(12)ロカルノ条約 �年��確認事項2つ
�1925年
�ラインラントの非武装中立を確認
�国境の現状維持
(13)国際連盟への加盟 �ドイツ�ソ連�アメリカ
�1926年
�1934年
�加盟せず
(14)ヴァイマール共和国の指導者 �初代大統領�1925年大統領�外相
�エーベルト
�ヒンデンブルク
�シュトレーゼマン
(15)ミュンヘン一揆 �年�参加者�結果
�1923年
�ヒトラー
�ヒトラーは逮捕され獄中で『我が闘争』を執筆
(16)ラパロ条約 �年�締結した国�内容
�1922年
�ドイツとソ連
�ドイツが西欧で初めてソ連を承認


ロシア革命(3)ソヴィエト連邦の成立

2012年10月22日 | トリオDE世界史

(1)革命後の経済政策 �1918~21年�1921年�1928年
�戦時共産主義
�ネップ(NEP新経済政策)
�5ヶ年計画
(2)対独講和 �年�条約�中心人物
�1918年3月
�ブレストリトフスク条約
�トロツキー
(3)干渉戦争 �口実�時期�最後まで関与した国
�チェコ兵捕虜問題
�1918~22年
�日本
(4)戦時共産主義 �企業活動�取り締まり�止めた原因
�私企業の停止・完全国有化
�チェカ(革命怠惰取締り委員会)
�サヴィエト系兵士のクローンシュタットの反乱
(5)ネップ �年�内容�儲けた人々
�1921年
�私企業を容認して資本主義を一部復活した
�ネップマン
(6)ソ連承認の年 �ドイツ�イギリス・フランス・イタリア�アメリカ
�1922年
�1924年
�1933年
(7)イギリスのソ連承認 �年�首相�政党
�1924年
�第1次マクドナルド内閣
�労働党
(8)ソ連承認の人名 �イギリス�アメリカ�ドイツ
�マクドナルド労働党首相
�Fルーズベルト民主党大統領
�エーベルト大統領
(9)レーニンの死 �年�世界革命論�一国革命論
�1924年
�トロツキー
�スターリン
(10)第1次5カ年計画 �開始年�中心�状況
�1928年
�重工業中心
�ソ連だけは、大恐慌の影響をまったく受けずに経済成長を続けた。
(11)農業政策 �第1次5カ年計画の内容�集団農場�国営農場
�農業の集団化
�コルホーズ
�ソホーズ


ロシア革命(2)3月革命と11月革命

2012年10月22日 | トリオDE世界史

(1)ロシア革命の3段階
�3月革命
�2重権力
�11月革命
(2)3月革命 �年��原因2点
�1917年
�反戦運動・反ツァーリ運動
�都市の食糧難
(3)2重権力 �3月臨時政府首班�7月臨時政府首班�ソヴィエト政府の指導
�リヴォフ公
�ケレンスキー
�メンシェヴィキ
(4)臨時政府の中心勢力 �3月�5月�7月
�カデットが設立
�社会革命党(SR)のケレンスキーが入閣
�SRのケレンスキーが首班になる
(5)レーニン �亡命先��4月テーゼの内容
�スイス
�即時停戦
�すべての権力をソヴィエトへ
(6)レーニン �4月�7月�9月
�4月テーゼ
�7月事件でフィンランドに亡命
�ソヴィエト政府を掌握
(7)11月革命 ��布告2つ�臨時政府
�平和に関する布告
�土地に関する布告
�全ロシア・ソヴィエト会議
(8)平和に関する布告の内容3点
�即時停戦
�無併合・無賠償
�民族自決
(9)人民委員会議 �レーニン�トロツキー�スターリン
�議長
�外務人民委員
�少数民族人民委員
(10)一党独裁体制 �追放された政党�独裁政党�中心人物
�SR
�共産党(ボリシェヴィキ)
�レーニン


第1次世界大戦 東京農業大学05

2012年10月22日 | 復習用入試問題

第一次世界大戦に関する次の文章を読み,以下の設問に答えよ。
 1914年オーストリアの皇太子夫妻が( ア )で暗殺され,オーストリアはセルビアに宣戦した。(a)セルビアを支援するロシアは動員令を発令し,ドイツはロシア・フランスに宣戦を布告し,(b)イギリスも参戦し,第1次世界大戦が勃発した。ドイツは( イ )の戦いでロシア軍に大勝したが,その後,(c)連合国との間で一進一退の攻防となり,(d)戦いは長期化していった。1917年に(e)アメリカ合衆国がドイツに宣戦し,(f)同盟国側はつぎつぎと降伏していった。ドイツ国内でも( ウ )での水兵の反乱をきっかけに,各地で革命が広がり,ドイツ帝国は一気に崩壊した。そのため,( エ )年にドイツ共和国は連合国と休戦条約を結び,第1次世界大戦は終結した。

問1 文中の( ア )・( イ )・( ウ )に入る都市名として正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。
� サライェヴォ � イスタンブル
� マルヌ � ベルリン
� キール � タンネンベルク

問2 下線部(a)に関連して,1912年に両国の間で結ばれた協力体制について正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。
� ワルシャワ条約 � バルカン同盟
� 三国同盟 � 三帝同盟

問3 下線部(b)に関連して,イギリスが参戦した時の首相として正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。 
� グラッドストン � マクドナルド
� アスキス � バルフォア

問4 下線部(c)に関連して,連合国は他国に協力を求めるために秘密外交を展開したが,アラブ独立を約束した密約について正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。
� サイクス―ピコ協定 � バルフォア宣言
� 三国協商 � フサイン―マクマホン協定

問5 下線部(d)に関連して,第一次世界大戦中におこった出来事について述べた文として誤っているものを,次の�~�のうちから一つ選べ。
� 1915年,ドイツがイープル戦場で毒ガスを使用した。
� 1916年,イギリスでは,ロイド=ジョージ内閣のもとで女性に選挙権が認められた。
� 1917年,ロシアでは三月革命によりニコライ2世は退位させられ,帝政は崩壊した。
� 1917年,フランスでは対独強攻策をとるクレマンソー内閣が誕生した。

問6 下線部(e)に関連して,アメリカが参戦する原因となった出来事について正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。 
� 毒ガスによる無差別殺人 � 無制限潜水艦作戦
� ロシア革命 � 油田の発見

問7 下線部(f)に関連して同盟国として正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。 
� ギリシア � 日本 � イタリア � ブルガリア

問8 文中の( エ )に入る西暦年として正しいものを,次の�~�のうちから一つ選べ。
� 1917 � 1918 � 1920 � 1921

正解
1 6 5 1 3 4 2 2 4 2


ロシア革命(1)第1革命と上からの改革

2012年10月22日 | トリオDE世界史

(1)19世紀後半の皇帝3人
�アレクサンドル2世
�アレクサンドル3世
�ニコライ2世
(2)アレクサンドル2世 �1856年�1861年�1882年
�クリミア戦争終結
�農奴解放宣言
�暗殺される
(3)ナロードニキ �標語�活動の対象�中心勢力
�人民の中へ(ヴ・ナロード)
�ミールに従属している農民
�自由主義貴族の娘など
(4)クリミア戦争 �年�原因�条約
�1853~56年
�聖地管理権
�パリ条約
(5)農奴解放宣言 �年�皇帝�限界
�1861年
�アレクサンドル2世
�ミュール単位の解放
(6)アナーキズムの思想家 �財産は窃盗だ�反議会主義�人々の自由な連合
�プルードン
�バクーニン
�クロポトキン
(7)ロシアの社会主義政党 �ナロードニキ系�マルクス主義�ブルジョア
�社会革命党=エスエル(SR)
�メンシェヴィキ(少数派)とボリシェヴィキ(多数派)
�立憲革命党(カデット)
(8)マルクス主義指導者 �ボリシェヴィキ1人��メンシェヴィキ2人
�レーニン
�マルトフ
�プレハーノフ
(9)血の日曜日事件 �年�指導者�状況
�1905年
�ガポン
�日露戦争末期のペテルブルクの反戦運動
(10)1905年 �第1革命�兵士の反戦蜂起�条約
�血の日曜日事件
�戦艦ポチョムキン号の反乱
�ポーツマス条約
(11)上からの改革 �首相�1906年�内容
�ヴィッテ
�10月勅令
�ドゥーマ(下院)開設
(12)反動政治 �首相�年�内容
�ストルイピン
�1906年
�ミュール解体(富農を地方行政官とし地方支配を強化)
(13)19世紀のロシア文学 �父と子�罪と罰�戦争と平和
�トゥルゲネフ
�ドストエフスキー
�トルストイ


第1次世界大戦とロシア人民の二重苦

2012年10月22日 | 高3用 授業内容をもう一度

 【1890】年までロシア経済に対して大きな力を持っていたのは【ドイツ】資本であったが、【1891】年に【露仏協商】が結ばれると、【フランス】資本がロシアに進出した。つまりフランスの会社がロシアの各都市に工場や鉄道、港湾を建設し、フランスの銀行がロシアの各都市に支店を出し、フランスの学者がロシアで教鞭を取っていたのである。このことは事実上ロシアはフランス資本の支配下に置かれた植民地のようであったと考えるとわかりやすい。
 その一方で、ロシアは【1616】年に成立した【ロマノフ】朝という専制政治が色濃く残る国でもあった。ロシア皇帝を【ツァーリ】というが、ツァーリズムによる封建的支配も色濃い国であった。このように、第1次世界大戦前のロシア人民は「フランス資本」と「ツァーリズム」による二重苦に悩まされていたのである。
 【1914】年【サライエヴォ】事件をきっかけに第1次世界大戦が始まると、人々の予想に反して、戦争は「長期戦」化し、すべての国民生活を巻き込んだ「【総力戦】」した。その結果、ロシアにあったフランスの会社・工場は閉鎖されるなど、フランス資本はロシアから引き上げてしまった。そのため、ロシアの都市には失業者があふた。また、農村から兵士に借り出された人数は農民の【50】%に当たり、彼らも都市に搬送され前線への出兵を待っている状況であった。


19世紀のロシア史

2012年10月22日 | トリオDE世界史

(1)19世紀の皇帝3人 �1801~�1825年~�1855年~
�アレクサンドル1世
�ニコライ1世
�アレクサンドル2世
(2)アレクサンドル1世 �1805年�1812年�1815年
�アウシュテルリッツの戦い
�ナポレオンのモスクワ遠征
�神聖同盟を提唱
(3)ニコライ1世 �即位年�反乱�戦争
�1825年
�デカブリストの乱
�クリミア戦争
(4)デカブリストの乱 �年�中心勢力�ツァーリ
�1825年
�自由主義貴族
�ニコライ1世
(5)ニコライ1世の南下政策 �1828年�1829年�1833年
�トルコマンチャーイ条約
�アドリアノープル条約
�ウンキャルスケレッシ条約
(6)トルコマンチャーイ条約 �方面�その王朝名�ロシア皇帝
�イラン北部アルメニア
�カジャール朝ペルシア
�ニコライ1世
(7)アドリアノープル条約 �年�戦争�内容
�1829年
�ギリシア独立戦争
�ボスポラス・ダーダネルス海峡の自由化
(8)ウンキャルスケレッシ条約 �年�戦争�内容
�1833年
�第1次エジプト事件
�両海峡のロシア軍艦通行権承認
(9)クリミア戦争 �年�原因�条約
�1853~56年
�聖地管理権
�パリ条約
(10)クリミア戦争 �開戦時の皇帝�終戦時の皇帝�激戦地
�ニコライ1世
�アレクサンドル2世
�セバストーポリの戦い
(11)農奴解放令 �年�皇帝�内容
�1861年
�アレクサンドル2世
�ミュール単位で農奴身分を解放(ミュールからの移住は不可)
(12)アレクサンドル2世の時代 �1861年�1870年代�1880年代
�農奴解放令
�ナロードニキ運動
�テロリズム運動
(13)アレクサンドル2世の対清政策 �1858年�1860年代�1881年
�アイグン条約
�北京条約
�イリ条約
(14)ナロードニキ運動 �標語�意味�目的
�ヴ・ナロード
�人民の中へ
�ミュール(農村共同体)を社会主義革命の母体とする


第1次世界大戦 (3)西アジアの動向

2012年10月22日 | トリオDE世界史

(1)大戦中のイギリスの西アジア政策 �15年�16年�17年
�フサイン・マクマホン協定
�サイクス・ピコ協定
�ヴァルフォア宣言
(2)フサイン �出身家�出身地方�主張
�ハーシム家
�ヒジャーズ地方(メッカ)
�オスマン=トルコ帝国からのアラブの独立
(3)ワッハーブ派 �王国�中断させたエジプト太守�保護者
�ワッハーブ王国
�メフメト=アリー
�サウード家
(4)サウード家 �出身地方�中心都市�中心人物
�ヤジド地方
�リヤド
�イブン=サウード
(5)フサニン=マクマホン協定 �年�結果�その建国者
�1915年
�メッカでヒジャーズ王国が独立
�フサイン
(6)ヒジャーズ王国 �建国者�援助したイギリス人�結果
�フサイン
�アラビアのロレンス
�フサインが反英闘争に転じて崩壊
(7)サイクス・ピコ協定 �年�内容�参加国
�1916年
�戦後にトルコを分割する密約
�英仏露
(8)バルフォア宣言 �年�内容�問題点
�1917年
�シオニズム運動を支持
�パレスティナ問題の原点になった
(9)イギリスの委任統治領3箇所
�イラク
�パレスティナ
�ヨルダン
(10)フランスの委任統治領2箇所
�シリア
�レバノン
(11)旧オスマン=トルコ帝国領の戦後 �1916年�19年�21年
�サイクス・ピコ協定
�サンレモ会議
�カイロ会議
(12)トルコ帝国領の戦後 �サイクス・ピコ協定�サンレモ会議�カイロ会議
�トルコの分割統治
�英仏による委任統治領
�イギリス委任統治領の独立を容認
(13)カイロ会議後のアラブの独立国3つ
�イラク王国
�トランス・ヨルダン王国
�ヒジャーズ・ネジド王国
(14)建国者 �イラク�トランス・ヨルダン�ヒジャーズ・ネジド
�ファイサル(フサインの子)
�アブドゥラー(フサインの子)
�イブン=サウード(サウード家)
(15)サウジアラビア �意味�中心都市�国教
�サウード家のアラビア
�リヤド
�ワッハーブ家


第1次世界大戦(3)東南欧の民族自決

2012年10月12日 | トリオDE世界史

(1)ライン川 �右岸�左岸�ザール地方
�ラインラント非武装中立地帯
�連合国が保障15年間占領
�15年間国際連盟の管理下
(2)ルール地方 �1919年�1923年�1925年
�非武装地帯
�フランス・ベルギーによるルール出兵
�ルール出兵から撤退
(3)ラインラント �戦後の状況�場所�1936年
�非武装中立地帯
�ライン川右岸
�ナチス=ドイツがラインラント進駐
(4)アルザス・ロレーヌ地方 �1871年�1919年�現在
�普仏戦争でドイツに割譲
�第1次世界大戦後にフランスに返還
�フランス領
(5)小協商の3国
�チェコスロヴァキア
�スルブ=クロアート=スロヴェーン
�ルーマニア


第1次世界大戦(2)民族自決問題

2012年10月12日 | トリオDE世界史

(1)民族自決による建国3ケ国
�ポーランド
�チェコスロヴァキア
�セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
(2)旧ロシア帝国からの独立国3つ
�ポーランド
�バルト3国
�フィンランド
(3)戦後の指導者 �ポーランド大統領�ハンガリー独裁者�チェコ大統領
�ピウスツキ
�ホルティ
�マサリク
(4)ポーランド �大統領�国際管理下の都市�1920年
�ピウスツキ
�ダンチヒ
�ポーランド・ソ連戦争
(5)ハンガリー �社会主義革命指導者�独裁者�講和条約
�ベラ=クン
�ホルティ
�トリアノン条約
(6)チェコスロヴァキア �大統領�外相�旧宗主国
�マサリク
�ベネシュ
�オーストリア・ハンガリー2重帝国
(7)ロシア革命の影響 �独立国2つ�ルーマニアに奪われた領土
�バルト3国
�フィンランド
�ベッサラヴィア
(8)ユーゴスラヴィア �1918年�1929年�1945年
�セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
�ユーゴスラヴィア王国に改称
�チトーの独裁政権
(9)第1次世界大戦で崩壊した多民族国家3つ
�オーストリア・ハンガリー2重帝国
�ロシア帝国
�オスマン=トルコ帝国
(10)敗戦国の条約 �オーストリア�ハンガリー�ブルガリア
�サン=ジェルマン条約
�トリアノン条約
�ヌイイ条約


第1次世界大戦(1)戦争の経過

2012年10月12日 | トリオDE世界史

(1)サライェヴォ事件 �暗殺者�暗殺された人物�年
�セルビア人青年プリンツィプ
�オーストリア皇太子フェルナンド夫妻
�1914年
(2)各国の参戦理由 �イギリス�日本�合衆国
�ドイツによるベルギーの中立侵犯
�日英同盟
�ドイツによる無制限潜水艦作戦
(3)ドイツの状況 �作戦�西部戦線�東部戦線
�シュリーフェン作戦
�マルヌの戦いで敗戦
�タンネンブルクの戦いで勝利
(4)戦争中の新兵器3つ
�戦車・航空機
�毒ガス
�潜水艦
(5)第1次世界大戦の特徴3点
�長期戦(5年間に及ぶ戦争)
�総力戦(一般国民も戦争に深く関わる)
�新兵器の登場(科学が戦争に関与)
(6)1917年 �ロシア�ドイツ�アメリカ
�ロシア革命
�無制限潜水艦作戦
�第1次世界大戦に参戦
(7)アメリカの参戦 �直接の原因�参戦理由�背景
�ルシタニア号事件
�ドイツの無制限潜水艦作戦
�ロシアで3月革命が発生した
(8)アメリカの参戦 �大統領�提示した案�スローガン
�ウィルソン大統領
�14ケ条
�勝利なき平和
(9)第1次世界大戦とアメリカ �経済�外交�影響
�債務国から債権国へ
�孤立外交を放棄
�1929年まで「永遠の繁栄」を謳歌
(10)ウィルソン大統領 �政党�大学教授�スローガン
�民主党大統領
�プリンストン大学教授
�勝利なき平和
(11)ドイツ革命 �年�革命の発生�結果
�1918年
�キール軍港水兵の出兵拒否
�ヴィルヘルム2世が亡命
(12)講和条約 �対オーストリア�対ハンガリー�対ブルガリア
�サン=ジェルマン条約
�トリアノン条約
�ヌイイ条約
(13)パリ講和会議の参加者 �イギリス�フランス�アメリカ
�ロイド=ジョージ
�クレマンソー
�ウィルソン
(14)ヴェルサイユ条約 �軍隊�植民地�賠償
�陸軍10万のみを保持
�全植民地を放棄
�賠償金額は決定せず
(15)ヴェルサイユ条約 �ライン川右岸�フランスへ割譲�ポーランドへ割譲
�ラインラント非武装地帯
�アルザス・ロレーヌ地方
�ポーランド回廊
(16)トルコの講和条約 �スルタン政府が結んだ条約�アンカラ政府の条約�その締結年
�セーブル条約
�ローザンヌ条約
�1923年
(17)トルコ革命 �中心人物�外交面の危機�年
�ケマル=パシャ
�ギリシア軍がイズミル上陸
�1922年
(18)ケマル=パシャ �別名�主張�外交
�ケマル=アタチュルク(トルコの父)
�セーブル条約破棄
�ギリシア軍をイズミルから排除
(19)トルコ革命 �1922年�1924年�内容
�スルタン制廃止
�カリフ制廃止
�オスマン=トルコ帝国の滅亡
(20)ロシア革命 �1917年の2つの革命�対ドイツ講和条約
�3月革命
�11月革命
�ブレスト=リトフスク条約


シューマン・プランからECへ

2012年10月12日 | 高3用 授業内容をもう一度

 近世以降のヨーロッパの戦争は工鉱業地帯の争奪戟でもあった。とくに【アルザス・ロレーヌ】地方は【30年】戦争・【普仏】戦争・【第1次世界大戦】でドイツ(プロイセン)とフランスの争奪の的となり、【シュレジェン】地方は【オーストリア継承】戦争とそれに続く【7年】戦争でオーストリアとプロイセンの争奪の地となり、【シュレスヴィヒ・ホルシュタイン】地方は【普墺】戦争で争奪合戦が行われた。
 フランス外相【シューマン】はこのような戦争をなくすために、工業原料の共有化を提案したのである。彼の構想の下で、【1952】年に【ECSC】(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)が結成され、さらに【58】年には【EURATOM】(ヨーロッパ原子力共同体)が、【59】年には【】EEC(ヨーロッパ経済共同体)が結成された。これら3つの組織が発展的に統合され【EC】が【1967】年に成立するが、シューマンは【ECの生みの親】ともいえる存在である。