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楽しい?の種類

2016年02月24日 | 何かの足しになれば
授業をやっていたりクラブを見ていると、よく耳にする言葉があります。「好きにさせてしまえば、あとは勝手に生徒がやる。」確かにこの言葉のいうように、「好き」なことは自分から進んでやるし、やっていて「楽しい」と感じることに対して、人は脳を活性化させるようです。
 しかし、どうすれば「好き」にさせることができたり、「楽しい」と思わせることができるのでしょうか。もしその普遍的な方法が見つかれば、教育は大きく変わるでしょう。でも、その方法が見つからないから、教育はうまくいかない。
 では、なぜ、その方法が見つからないのでしょう。それは「好き」や「楽しい」には2種類あるからです。ひとつは「子供の楽しさ」、もうひとつは「大人の楽しさ」です。前者は友達と仲良くキャッキャとやっている中で感じる楽しさ。後者は探求する中にある障害を越える楽しさ。逆に、前者の「楽しさ」は障害があっては存在しません。
 「障害を越える楽しさ」を感じる人は、それを共感できる人同士で集まります。ここに「楽しい」と感じさせる方法の秘密があるように思います。つまり、この「楽しい」を感じることができる人間にさせること、です。たとえば、勉強ができるようになりたいのなら、自分の将来を見据えてとか、目標を持ってとか、言う前に、「耐性」を高めることです。それはクラブ活動などのスポーツを通じて身につけることもできます。逆に、その部分を省いてはうまくいかないわけです。また、「共感」できる人間になっておくことでも可能でしょう。イチロー選手に共感する人、プロジェクトXの人間ドラマに共感する人、大声をあげて必死に働く大人の姿に共感する人。手始めに「プロフェッショナル仕事の流儀」でも観ますか。

中世荘園制(1)古典荘園

2016年02月24日 | 高2用 授業内容をもう一度
 古典荘園の説明です。8世紀にカロリング朝が成立するころまでに、古典荘園初期の形態ができあがりました。自分の土地を守るために一般の小農民(小規模自作農。【農奴】ともいいます)は有力者に土地の保護や自分の安全を委ねました。当時はゲルマン人の大移動などで難民が暴徒化する場合や、周辺からの暴力的な略奪にさらされていましたから、小農民は自力、単独ではそれらの脅威に対抗できませんでした。
 また、この時期は気候が不安定で農作物の不作が頻繁に起きていました。1年の不作ならば対応できた小農民も、不作が二年続くと餓死の脅威にさらされました。その土地を放棄して新しい土地に移り住みたくても、一人の力ではどうしようもなかったでしょう。このように二年続きの不作になっての生き残っていくために、有力者の保護が必要だったのです。小農民は次の年に蒔く種の食べてしまっていると、有力者から種を分けてもらいたいのです。そのためには有力者の農地を耕す(【労働地代】)ことが必要でした。
 有力者の土地は広く、三圃制を導入していたので生産性は比較的良かったようです。有力者は農作業をしません。彼の農地は普段は奴隷が耕していました。しかし種まきの時期とか、刈り入れの時期など農繁期には人手が足りません。そこで周辺の小農民たちの力が必要でした。忙しい時期に必要な労働力をいつも確保するのは大変ですから、この方法は有力者にとっても有効だったわけです。
 10~11世紀になると、アジア系異民族である【マジャール】人や、北方のバイキング(【ノルマン】人)の侵入も無くなりました。さらに気候も温暖になったため、社会が安定しました。このような状況は、中世社会の人口の増加をもたらしましたが、その人口増加は2~3倍に達したようです。すると、小農民(農奴)が自分の農民保有地を小規模に生産するのはあまりに非効率的です。そこで増え続ける人口を養っていくために、人々は集約的な農業経営を選択しました。つまり有力者の農地(領主直営地)と小農民の農地(農民保有地)をあわせて大規模な農場とし、集団で組織的に農作業を行ったわけです。その農場では三圃制ふが導入されたので、さらに生産性が向上しましたし、農機具も飛躍的に進歩しました。【鉄製重量有輪犂】(スキ)を牛に引かせる(【牛耕】)が行われ、【水車】が広く使用されました。小農民はそれぞれの耕区に自分の農民保有地を持っていますが、分け隔てなく集団で農作業は行われました。しだいに地代は、農民保有地で取れた生産物を有力者に支払う(【生産物地代】)ようになりました。
 

中世西欧史 東洋大学

2016年02月24日 | 復習用入試問題

次の文章を読み,後の問い(問1~13)に答えよ。東洋大学

 11世紀後半の西ヨーロッパでは,(1)修道院改革運動の精神を継承し教会改革に熱心なローマ教皇グレゴリウス7世と(2)神聖ローマ帝国皇帝の A との間に鋭い対立が起こった。聖職者叙任権闘争と呼ばれるこの争いは1122年の B による教皇権の拡大につながった。こうした教会と世俗権力との抗争のなかで,ローマ教皇ウルバヌス2世は聖地回復の戦いを起こすことをクレルモン教会会議で決議し,1096年西ヨーロッパの軍隊が突如,西アジアへ侵攻することになった。
 この時期の西アジアはイスラム教徒が支配していた。イスラム教は7世紀の前半,アラビア半島でムハンマドによって創始された宗教であるが,(3)正統カリフ時代を経てその勢力は拡大し, C を首都としたウマイア朝はイベリア半島に進出して D を倒し,さらにピレネー山脈を越えて西ヨーロッパにまで進出した。しかしウマイア朝は,その後アッバース朝の成立によりイベリア半島へ追われた。
 (4)アッバース朝は第2代カリフ E の時,ティグリス川中流域に首都バグダードを建設し,第5代カリフ,ハールーン=アッラシード時代には最盛期を迎えた。しかし,10世紀中葉になると実権はイラン系のブワイフ朝に奪われ,11世紀にはブワイフ朝を倒したトルコ系のセルジューク朝がバグダードに入城し,アッバース朝のカリフからスルタンの称号を受けて世俗の権力を掌握し,さらにアナトリアに進んでビザンツ軍を破った。こうしたセルジューク朝の拡大が十字軍遠征の契機となったのである。
 第1回十字軍は,イェルサレムを占領し(5)イェルサレム王国を初めとするキリスト教徒の封建国家を建設するなど一定の成果をあげたが, F に首都を置いた(6)ファーティマ朝の反撃にあい,さらにアイユーブ朝によってイェルサレムは再びイスラム勢力によって回復された。しかし,これとほぼ同時期にイスラム世界はモンゴルによる東からの侵略に直面し, G に率いられたモンゴル軍の攻撃によってアッバース朝はついに滅亡した。
 一方,十字軍遠征は宗教的情熱だけで行われたわけではなかった。第1回十字軍で建国された封建諸国家に見られるような領土獲得の欲望や,ヴェネツィア商人の要求に従った(7)第4回十字軍などは,経済的利害がこの軍事行動の背景にあったことを示している。ことに北イタリアの諸都市は東地中海の貿易に積極的に関与し,遠隔地商業の発展に寄与した。
問1 上記の文の空欄 A ~ G に入る最も適切なものを一つずつ選べ。
A � コンラート1世 � ハインリヒ4世
� ハインリヒ7世 � フリードリヒ1世
B � アウグスブルク和議 � カノッサの屈辱
� トリエント公会議 � ヴォルムス協約
C � カイロ � グラナダ � コルドバ � ダマスクス
D � 西ゴート王国 � 東ゴート王国
� ヴァンダル王国 � ランゴバルド王国
E � アブー=アルアッバース � アブド=アッラフマーン
� サラーフ=アッディーン � マンスール
F � アレクサンドリア � アレッポ
� カイロ � ダマスクス
G � グユク � バトゥ � フラグ � モンケ
問2 下線部(1)の運動と関係のない修道会はどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� イエズス会 � シトー会
� フランチェスコ会 � ドミニコ会
問3 下線部(2)の帝国の起源となった事項は次のどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� イスラムのウマイア朝を破ったシュタウフェン家のオットーは,帝冠を授けられた。
� 西フランクのユーグ=カペーが,マジャール人を撃退したことから帝冠を授けられた。
� ザクセン家のオットーはマジャール人を撃退したことなどから,帝冠を授けられた。
� メルセン条約でドイツ王となったザクセン家のカールが帝位についた。
問4 下線部(3)の時代の説明として最も適切なものを一つ選べ。
� イスラムの法律学者が征服地の統治に当り,軍営都市(ミスル)は統治拠点とならなかった。
� 総督(アミール)が征服地統治にあり,イラクのバスラなどの軍営都市が統治の拠点となった。
� ムハンマドの長男アリーの子孫だけがカリフと認められ,征服戦争を指導することができた。
� 東ゴート王国やビザンツ帝国などを滅ぼしたイスラム教徒の征服戦争はジハードと位置付けられた。
問5 下線部(4)の時代の特徴として,最も適切なものを一つ選べ。
� ムスリム(イスラム教徒)は,アラブ人・非アラブ人の区別なくジズヤが免除された。
� ムスリムであっても,アラブ人・非アラブ人の区別が厳格に設けられ,アラブ人にはジズヤが免除された。
� ムスリムの土地所有者はハラージュを免除される一方で,非アラブ人ムスリムも官僚に登用された。
� イラン出身のアッバース家にとって,シーア派の擁護がカリフとしての最も重要な職責であった。
問6 下線部(5)に該当しないものはどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� アンティオキア公国 � エデッサ伯国
� トリポリ伯国 � ロンバルド王国
問7 下線部(6)の説明として最も適切なものを一つ選べ。
� 中央アジアのトルコ系の王朝であるファーティマ朝は,スンナ派を基盤としてエジプトを支配した。
� スンナ派を基盤とするファーティマ朝の君主は,ウマイア朝の権威を否定しスルタンを名乗った。
� ファーティマ朝はシーア派にもとづいた王朝で,チュニジアからエジプトヘと勢力を拡大した。
� マムルーク朝の君主を倒してエジプトの支配権を獲得したのがファーティマ朝である。
問8 下線(7)の遠征の結果,建国されたのはどれか,最も適切なものを一つ選べ。
� ラテン帝国 � ニケーア帝国 � キプロス王国 � グルジア王国
問9 イスラムの文化に関する次の文のなかで誤っているものを一つ選べ。
� 『コーラン』の解釈にかかわる神学,法学などイスラム諸学を修めたものはウラマーと称された。
� テュニス生まれのイブン=ハルドゥーンは,『歴史(世界史)序説』において定着民と遊牧民の関係を中心に歴史発展の法則性を論じた。
� ギリシア語文献のアラビア語訳からはじまった「外来の学問」は,アリストテレス哲学の研究ではイブン=シーナーなど優れた学者を輩出した。
� エジプト生まれのイブン=バットゥータの『四大陸周遊記』は10世紀半ばに書かれたものである。
問10 イスラム世界におけるイクター制の説明として,最も適切なものを一つ選べ。
� イクター制は土地の徴税権を軍人に与え,農民や都市民から徴税するものである。
� ブワイフ朝によって導入されたイクター制は,カリフに替わり大アミールが地方の統治をおこなう制度である。
� イクター制はセルジューク朝によって初めて導入されたが,その普及はエジプトのイスラム世界に限定された。
� 後ウマイア朝では,イクター制によって軍人は現金による俸給を保証された。
問11 次のA~Dは,モンゴル勢力の拡大に関する事件である。年代順に適切に並んでいるものを一つ選べ。
A リーグニッツ(ワールシュタット)の戦い B 南宋の滅亡
C 元朝の成立 D アッバース朝の滅亡
� A-B-D-C � A-D-C-B
� B-D-A-C � D-B-A-C
問12 中世から近世にかけてのヨーロッパ都市に関して,次の問に答えよ。
ヨーロッパ中世都市について次の説明のうち,最も適切なものを一つ選べ。
� 11~12世紀以来,北イタリアやドイツでは皇帝や国王から特許状を得て自治都市化した。
� ドイツと異なりイギリスの有力都市は皇帝直属の自由都市として諸侯と同じ地位を得た。
� 南フランスを中心とする諸都市は,リヨンを盟主としてハンザ同盟を結成した。
� 南ドイツ諸都市はハンブルクを盟主としてロンバルディア同盟を結成した。

正解
問1 A � B � C � D �
E � F � G �
問2 � 問3 � 問4 � 問5 � 問6 �
問7 � 問8 � 問9 � 問10 � 問11 �
問12 � 問13 1 � 2 �


中世西欧史  05関西学院大(経済)

2016年02月24日 | 復習用入試問題

05 関西学院大学  経済学部

 次の文中の   に最も適当な語を語群から選び,また下線部に関する問いに答え,記号にマークしなさい。

 8世紀以降の中世の西ヨーロッパ社会では,封建制度のもとで自給自足経済と現物経済が支配的であった。それは�第2次民族大移動から生じた混乱のもとで交通や商業が衰退したことや,封建的主従関係に基づいて�荘園制が成立したことによる。荘園は領主直営地と農民保有地からなり,そこでは自給自足的な農業経営が行われていた。また荘園領主は,国王の役人の立ち入りが免除される不輸不入権を得ていた。
 ところが,11世紀頃から封建社会が安定し,�農業生産も向上すると,ドイツ人の イ 川以東への植民,�イベリア半島での国土回復運動(レコンキスタ),�十字軍の遠征による西ヨーロッパ世界の拡大に伴い,余剰生産物の交換や取引に対する要望が生まれた。これが中世都市成立の要因である。そこでは,かつての自給自足・現物経済に代わり,交換経済と貨幣経済が支配的となった。
 たとえば�北イタリアの諸都市や,リューベック,ハンブルクなどの北ドイツの諸都市では�遠隔地商業が発達した。特に,北ドイツでは ロ 同盟が結成され,北方貿易を独占した。また,都市では�ギルドが形成され,これによって市場が独占されていった。

[語 群] 
イ a.ライン b.エルベ c.マース d.ローヌ
ロ a.ロンバルディア b.カルマル
c.ハンザ d.シュマルカルデン

[問 い] 
� 8世紀以降の第2次民族大移動に関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.カール=マルテルは,イベリア半島から侵入したイスラム教徒を退けた。
b.オットー1世は,レヒフェルトの戦いでマジャール人を退けた。
c.カヌートに率いられたヴァイキングの一派は,ノルマンディー公国を建てた。
d.イングランドのアルフレッド大王は,デーン人の侵入を一時的に退けた。

� 荘園制に関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.荘園内の農民は,領主に対して賦役や貢納の義務を負った。
b.荘園内の農民は,教会に十分の一税を支払った。
c.領主は,荘園内の農民に対して裁判権を行使することができた。
d.聖職者・教会は,荘園内の農民を支配する領主にはならなかった。

� 11世紀頃から新たに普及し,農業生産の向上に貢献した農法はどれか。
a.二毛作 b.三圃制 c.二期作 d.二圃制

� イベリア半島におけるイスラムの最後の拠点となり,1492年に陥落したナスル朝の都はどれか。
a.グラナダ b.サラゴサ c.コルドバ d.バレンシア

� 十字軍の遠征に関する記述で,誤りを含まないものはどれか。
a.第1回十字軍で建設されたイェルサレム王国は,セルジューク朝の攻撃を受けて滅んだ。
b.第3回十字軍には,イギリス王・フランス王・神聖ローマ皇帝が参加した。
c.第4回十字軍で建設されたラテン帝国は,イル=ハン朝の反撃を受けて滅んだ。
d.第7回十字軍で,フランス王ルイ9世はエジプトを攻撃したが敗退した。

� 北イタリアの諸都市に含まれないものはどれか。
a.ミラノ b.フィレンツェ
c.マルセイユ d.ジェノヴァ

� 遠隔地商業に関する記述で,誤りを含まないものはどれか。
a.バルト海・北海貿易の中心地であるリューベックは,ザクセン公が建設した都市である。
b.東方貿易の中心地であるダンチヒやブレーメンでは,香辛料が輸入されていた。
c.北イタリアのフランドル地方では,毛織物産業が盛んであった。
d.ドナウ川中流の大司教所在地ケルンも,交易の中心地として繁栄した。

� 中世都市のギルドに関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.初期の商人ギルドは,商人だけでなく手工業者も含む組合組織であった。
b.商人ギルドの運営を独占する大商人に対抗して,手工業者は同職ギルドをつくった。
c.同職ギルドの正規の組合員は親方と職人であり,徒弟との間には厳しい身分差があった。
d.同職ギルドは,ツンフト闘争を通じて,市政への参加を実現した。

正解
イ b ロ c
� c � d � b � a
� b � c � a � c


十字軍遠征 2008 関西学院大学(経済)

2016年02月24日 | 復習用入試問題

次の文中の   に最も適当な語を語群から選び,また下線部に関する問いに答え,最も適当な記号1つをマークしなさい。

 十字軍の開始は,11世紀に イ が聖地イェルサレムを占領し,ビザンツ帝国に大きな脅威を与えたことに起因している。ビザンツ皇帝アレクシオス1世が西方に援助要請を行ったのに対し,教皇 ロ は1095年に①クレルモンで公会議を開催し,教会の敵を打ち破って聖地を回復するために,「聖戦」を開始することを提唱した。②第1回十字軍は当初の目的を果たして聖地回復に成功する。しかし,続く第2回と③第3回十字軍はいずれも失敗に終わり,④第4回十字軍では,同じキリスト教を信奉するビザンツ帝国を攻撃して⑤コンスタンティノープルを攻略した。その後,フランス王 ハ によって実施された最後の十字軍も,聖地を奪還することはできなかった。
 他方,十字軍運動の中で組織された ニ によって,ヨーロッパ東方地域に残された異教世界をキリスト教化するためのもう一つの「十字軍」(「北の十字軍」などと呼ばれることもある)も組織され,激しい軍事行動を通じてバルト海東南岸地域への布教とドイツ人の植民を進めた。その系譜を引くのが⑥プロイセン公国である。このように,十字軍運動は,聖地回復という本来掲げていた目的を達成することはできず,当初目的からの逸脱も様々に見られたのだが,キリスト教的なヨーロッパ世界の拡大をもたらしたのも事実である。

[語 群] 
イ a.アッバース朝 b.ウマイヤ朝
c.セルジューク朝 d.ファーティマ朝

ロ a.グレゴリウス7世 b.ウルバヌス2世
c.レオ3世 d.ボニファティウス8世

ハ a.フィリップ2世 b.フィリップ4世
c.ルイ9世 d.シャルル8世

ニ a.イエズス会 b.宗教騎士団
c.ベネディクト派修道会 d.托鉢修道会

[問 い] 
① クレルモンは現在どの国にあるか。
a.イギリス b.フランス c.ドイツ d.イタリア

② 第1回十字軍がイェルサレムを占領した1099年当時のイスラーム世界の記述として,誤りを含むものはどれか。
a.北アフリカ西部ではムラービト朝が栄えていた。
b.ファーティマ朝がカイロを首都としていた。
c.アフガニスタンにはガズナ朝があった。
d.バグダードはイル=ハン国の支配下にあった。

③ 第3回十字軍に参加した君主に含まれないのはだれか。
a.神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世
b.イギリス王リチャード1世
c.フランス王フィリップ2世
d.カスティリャ王アルフォンソ8世

④ 第4回十字軍の主導権を握った都市はどれか。
a.ヴェネツィア b.リューベック
c.ジェノヴァ d.アウクスブルク

⑤ コンスタンティノープルに関連する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.もとはローマ人の植民都市ビザンティウムであった。
b.メフメト2世の攻撃を受けて陥落した。
c.ハギア=ソフィア聖堂は,後にイスラーム教のモスクに変えられた。
d.オスマン帝国支配下に入った後は,イスタンブルと呼ばれるようになった。

⑥ 17世紀初頭に,プロイセン公国を領有したブランデンブルク選帝侯家はどれか。
a.ハプスブルク家 b.ロマノフ家
c.ランカスター家 d.ホーエンツォレルン家


【解答1】2008 関西学院大学 2/6,A方式(3科目型) 経済
イ c ロ b ハ c ニ b
① b ② d ③ d ④ a
⑤ a ⑥ d