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19世紀のヨーロッパ史 早稲田大学法2004

2012年09月27日 | 復習用入試問題

19世紀後半の西欧の政治状況に関する次の文章を読んで,以下の問いに答えなさい。 1871年1月,プロイセン国王ヴィルヘルム1世は,フランスのヴェルサイユ宮殿において,ドイツ皇帝の即位式を行い,ここにドイツ帝国が成立した。ドイツは,中世以来�神聖ローマ皇帝が名目上支配していたが,国内は諸侯・自由都市などによって大小の領邦に分かれていたため実質的な統一は達成されていなかった。�17世紀後半以降,北ドイツでプロイセンが�オーストリアに次ぐ第2の強国として台頭しつつも,19世紀初頭のナポレオンの大陸支配により統一の歩みは一時頓挫した。しかし,ナポレオン没落後のウィーン会議において,オーストリア・プロイセン以下35の君主国と4自由市からなるドイツ連邦が成立し,また1834年に発足したドイツ関税同盟は経済的統一への動きを進めた。�1848年の三月革命の際に,このような統一の機運は一気に盛り上がったが,結局軍隊に鎮圧され反革命の勝利に終わった。1862年,プロイセン国王から首相に任命されたビスマルクの下で,統一の主導権はプロイセンに移った。プロイセンは,1864年にデンマークと戦って領土を獲得し,1866年にはオーストリアとの戦いに勝利してドイツの盟主となった。さらにプロイセンの強大化を警戒し,宣戦布告したフランスのナポレオン3世を降伏させ,プロイセンを中心とするドイツ諸国の連合軍が,ヴェルサイユに到達しパリを占領するに至ったのである。帝国となったドイツは,フランスからアルザス・ロレーヌと多額の賠償金を獲得し,富国強兵の道を推進した。 フランスでは,�第二帝政を支配したナポレオン3世が退位した後も,国民防衛政府はしばらくドイツヘの抗戦を続けたが,ついに1871年1月末に降伏した。その後共和派のティエールを首班とする政府が成立し,ドイツとの講和条約を結んだものの,これを認めないパリ民衆は,社会主義者の指導の下で反抗し,パリ=コミューンという自治政府を樹立した。このコミューン政権が2ヵ月あまりで崩壊した後�1875年には共和国憲法が制定されて第三共和政の基礎が固まったが,なおも多くの小政党に分裂したままで,フランスの政情は不安定であった。 一方,イタリアもこの頃,国家統一への道を歩んだ。イタリアでは,�教皇領のほか多くの都市国家や諸侯領に分裂して統一は遅れていたが,二月革命後,ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世がサルデーニャ王位につくと,首相カヴールのもとで近代化を図り,この王国が統一運動の中心になった。カヴールは1859年のオーストリアとの戦争や,フランスとの取り決めによって領土を拡大し,さらに�「青年イタリア」のガリバルディからの献上地を加えることで,イタリアの国土の統一を成し遂げ,1861年3月にイタリア王国を成立させたのである。

設問1 下線部�について,神聖ローマ帝国に関連する次の1~4の説明の中から誤っているものを一つ選びなさい。
1 ザクセン朝のオットー1世は,962年にローマ教皇からローマ皇帝の冠を授けられ,初代神聖ローマ皇帝となった。
2 13世紀半ばには,実質上神聖ローマ皇帝不在の「大空位時代」があった。
3 神聖ローマ皇帝カール4世は,14世紀半ばに金印勅書を出し,皇帝選出権を聖俗の七選帝侯に認めた。
4 神聖ローマ皇帝カール5世が即位したため,ルターは1517年に九十五カ条の論題を発表し,神学上の立場からこれに抗議した。

設問2 下線部�について,次の1~4の説明の中から,17世紀の出来事や事件にあてはまらないものを一つ選びなさい。
1 北アメリカにヴァージニア植民地が建設され,ついで,ピューリタンがメイフラワー号で渡米した。
2 イギリスでは,ジェームズ1世がスチュアート朝の初代の国王として即位した。
3 オスマン帝国のスレイマン1世は,ウィーンを包囲し,ヨーロッパ諸国の脅威となった。
4 モルッカ諸島のアンボイナ島で,イギリス商館員が虐殺されるアンボイナ事件が起こった。

設問3 下線部�のオーストリアについて,これに関連する次の1~4の説明の中から正しいものを一つ選びなさい。
1 カルロヴィッツ条約により,オーストリアは,オスマン帝国からブルガリア,トランシルヴァニアを獲得した。
2 マリア=テレジアの王位継承権の主張によりスペイン継承戦争が起きたが,オーストリアはシュレジエンを失った。
3 ヨーゼフ2世は,宗教寛容令を発布するなど,啓蒙絶対(専制)君主としてオーストリアの近代化に努めた。
4 レオポルト2世は,イギリスのピットと共同でルイ16世の救援を呼びかけるピルニッツ宣言を出した。

設問4 下線部�に関連して,1848年に起きた出来事として述べた次の1~4の説明の中から正しいものを一つ選びなさい。
1 マルクスとエンゲルスが,『共産党宣言』を発表した。
2 アメリカは,スペインからカリフォルニアを獲得した。
3 フランクフルト国民議会で,オーストリアを中心とする小ドイツ主義が採択された。
4 フランスでは,ルイ=ナポレオンが皇帝に就任した。

設問5 下線部�について,ナポレオン3世時代の出来事で古いものから順に並んでいるのは次の1~4のどれか。正しいものを一つ選びなさい。
1 アロー戦争への出兵 → エムス電報事件 → クリミア戦争への出兵 → メキシコ出兵
2 メキシコ出兵 → クリミア戦争への出兵 → エムス電報事件 → アロー戦争への出兵
3 エムス電報事件 → クリミア戦争への出兵 → メキシコ出兵 → アロー戦争への出兵
4 クリミア戦争への出兵 → アロー戦争への出兵 → メキシコ出兵 → エムス電報事件

設問6 下線部�に関連して,第三共和政下のフランスの出来事に関する説明として正しいものを次の1~4の中から一つ選びなさい。
1 元陸相のブーランジェがユダヤ系のドレフュス大尉をスパイ容疑で逮捕し,終身刑に処する事件が起こった。
2 清仏戦争によって,ミャンマー(ビルマ)に対するフランスの保護権が承認され,さらにインドシナ連邦が成立した。
3 サンディカリズムと呼ばれる右派思想を信奉する君主主義者が,ドイツヘの復讐を唱えて,人気を博した。
4 フランスの外相ブリアンやアメリカのケロッグの提案で,不戦条約がパリで締結された。

設問7 下線部�に関連して,教皇・教皇領・教皇庁について述べた次の1~4の説明の中から正しいものを一つ選びなさい。
1 教皇はローマ=カトリック教会の最高首長であり,初代のパウロを継ぐものとされる。
2 フランク王国のクローヴィスは,カロリング朝を創始し,獲得した領土を教会に寄進した。
3 14世紀に教皇庁が一時フランスのアヴィニョンに移された事件は,「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれる。
4 イタリアのムッソリーニは,教皇ピウス7世と宗教協約(コンコルダート)を結んだ。

設問8 下線部�について,ガリバルディがサルデーニャ王に献じた地域はどれか。次の1~4の中から正しいものを一つ選びなさい。
1 ヴェネチア 2 ロンバルディア3 トリエステ 4 両シチリア王国

【解答2】 2004 早稲田大学 2/21,本学 法学部 設問1 � 4 設問2 � 3設問3 � 3 設問4 � 1設問5 � 4 設問6 � 4設問7 � 3 設問8 � 4


19世紀以降のオスマン=トルコ !06慶応(商)

2012年09月27日 | 復習用入試問題

 次の文章を読み,下記の設問に答えなさい。06年慶應義塾大学商

 (a)19世紀前半からオスマン帝国支配下の諸民族が独立運動を進めると,ヨーロッパ列強が干渉を開始し,さまざまな国際問題が生じた。1830年代の2度にわたる (1) �・ (2) 戦争には,ロシア・フランス・イギリスが介入した。ロシアは1833年のウンキャル=スケレッシ条約でボスフォラス・ (3) �・ (4) 両海峡における特権を獲得した。しかし,1840年からの戦後処理では (5) �・ (6) 外交が勝利を収め,ロシアの南下政策は挫折し,フランスの地中海東部地域への進出も阻止された。そして1860年代からは,イギリスとフランスがエジプトを財務管理下に置いて内政干渉も開始した。特にイギリスは,1875年にスエズ運河の株式を買収して経営権を握った上,外国の支配に反抗して1881~82年に (7) �・ (8) が反乱を起こすと,単独でエジプトを軍事占領して事実上の保護下に置いた。
 1853年の (9) �・ (10) 戦争は,聖地管理権を失ったロシアがオスマン帝国内のギリシア正教徒保護を理由にオスマン帝国に侵入して始まり,最終的にヨーロッパ列強同士の戦いとなった。1856年の (11) �・ (12) 条約では,オスマン帝国領の保全・黒海沿岸地域の中立化などが約束された。しかし,1877~78年の (13) �・ (14) 戦争後の (15) �・ (16) 条約では,ルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立が承認された。また,自治を認められたブルガリアを通じて,ロシアが事実上バルカン半島の大半を掌握することとなったため,イギリスと (17) �・ (18) 主義を進めるオーストリアが反対したことから, (19) �・ (20) がベルリン会議を開いて調停を行った。その結果, (15) �・ (16) 条約が破棄されて新たに結ばれたベルリン条約で,ロシアの南下政策は最終的に挫折する一方,イギリスは (21) �・ (22) の,オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得して,オスマン帝国はヨーロッパ側領土の半分以上を一気に失った。1908年の (23) �・ (24) 革命を契機にオーストリアがバルカン半島への勢力拡大を図ると, (25) �・ (26) 主義を唱えるロシアの支援で1912年にバルカン同盟が結成された。オスマン帝国は,1911~12年の (27) �・ (28) 戦争でトリポリ・ (29) �・ (30) を失い,さらに第1次バルカン戦争でイスタンブルを除くヨーロッパ領とクレタ島を奪われた。
 第1次世界大戦では,ヨーロッパ列強は,1916年の (31) �・ (32) 協定のような,敵領土と植民地の戦後配分を決めた秘密条約を結んだ。同時に,同盟国側・連合国側ともに,自治や独立を約束して植民地や民族独立運動の支援を得ようとしたが,特にイギリスが行った,アラブ人国家の独立を認めると同時に,ユダヤ人の (33) �・ (34) 運動の援助を約束するという矛盾外交は,パレスチナにおいて現在もなお続く紛争の原因となっている。第1次世界大戦終結後,オスマン帝国が旧連合国側と1920年に結んだ (35) �・ (36) 条約などを経て,シリアはフランスの,イラク・ (37) �・ (38) ・パレスチナはイギリスの委任統治下に置かれた。また,イギリスの援助を得たイブン=サウードが独立し,後に (39) �・ (40) 王国を建設した。こうした領土の大幅削減のみならず,軍備縮少や治外法権の受け入れを余儀なくされた結果,愛国心が高揚したオスマン帝国では,1919~23年 (41) �・ (42) を指導者とするトルコ革命が起こり,オスマン帝国が倒れてトルコ共和国が成立した。その後,中東地域では数々の国が独立や自主権の回復を果したが,資源の利権などをめぐり欧米諸国の介入が続いたため,(b)中東諸国にとっては,外国資本の介入を排除すること,また,ヨーロッパ諸国による過去の分割統治により生じた宗教・宗派・民族間の対立を克服することが課題となった。

問1 文中の空欄 (1) �・ (2) ~ (41) �・ (42) にあてはまる最も適当な語句の番号を下記の選択肢から選び,解答欄 (1) ~ (42) にマークしなさい。
11 アゾフ 12 アフガーニー
13 イエメン 14 イタリア=トルコ
15 ヴィルヘルム 16 ウィーン
17 ヴェルサイユ 18 ウラービー
19 エジプト=トルコ 20 カルロヴィッツ
21 キプロス 22 キレナイカ
23 グラッドストン 24 クリミア
25 ゲットー 26 サイクス・ピコ
27 サウジアラビア 28 サン=ジェルマン
29 サン=ステファノ 30 シオニズム
31 青年トルコ 32 セーヴル
33 ダーダネルス 34 ディズレーリ
35 トランスヨルダン 36 トリアノン
37 トルコ=イギリス 38 ヌイイ
39 パーマストン 40 パリ
41 バルフォア 42 パン=ゲルマン
43 パン=スラヴ 44 パン=トルコ
45 ビスマルク 46 フランス=トルコ
47 プロイセン 48 ミドハト=パシャ
49 ムスタファ=ケマル 50 メフメト=アリー
51 ユーゴスラヴィア 52 ロシア=トルコ
53 ロンドン 54 ワッハーブ

問2 文中の下線部(a)をヨーロッパ列強は何と呼んだか。所定の欄に記入しなさい。

問3 下線部(b)について,以下の(1)および(2)の設問に答えなさい。答えはいずれも所定の欄に記しなさい。
(1) 第2次中東戦争後エジプトが指導的地位についた,アラブ世界の統一を求める運動は何か。

(2) 第4次中東戦争において石油戦略を発動した機構名は何か。略号は不可とする。

問4 下線部(b)について,イギリス委任統治下のパレスチナでは,1933年のナチス政権成立とともにユダヤ人入植者が飛躍的に増加し,アラブ人との敵対が強まったが,この状況下でアラブ人側が行った要求を2つ挙げ,おのおの10字以内で所定の欄に記しなさい。

問5 下線部(b)について,以下の(イ)~(ニ)は4度にわたる中東戦争の説明である。古い順に並んだものを下記の選択肢1~6から選び,解答欄 (43) にマークしなさい。
(イ) イスラエルがシナイ半島・ゴラン高原・ヨルダン川西岸・ガザ地区などを軍事占領した。
(ロ) 国連決議に基づき建国したイスラエルと,これを認めないアラブ諸国連盟が戦った。
(ハ) スエズ運河国有化を宣言したエジプトに対し,イスラエル・イギリス・フランスが軍事行動を起こした。
(ニ) エジプト・シリアがイスラエルに先制攻撃をかけたが,イスラエルが苦戦のすえ勝利した。
1 ハ,イ,ロ,ニ 2 ロ,ハ,イ,ニ
3 イ,ハ,ニ,ロ 4 ニ,ロ,ハ,イ
5 イ,ニ,ロ,ハ 6 ロ,イ,ニ,ハ,


【解答】 
問1 (1)(2) 19 (3)(4) 33 (5)(6) 39 (7)(8) 18
(9)(10) 24 (11)(12) 40 (13)(14) 52 (15)(16) 29
(17)(18) 42 (19)(20) 45 (21)(22) 21 (23)(24) 31
(25)(26) 43 (27)(28) 14 (29)(30) 22 (31)(32) 26
(33)(34) 30 (35)(36) 32 (37)(38) 35 (39)(40) 27
(41)(42) 49
問2 東方問題
問3 (1)アラブ民族主義 (2) アラブ石油輸出国機構
問4 ユダヤ人土地購入禁止(ユダヤ人入植制限),パレスチナ政府樹立
問5 (43) 2


19世紀後半のヨーロッパ(4)第2帝政と第3共和政

2012年09月27日 | トリオDE世界史

(1)ナポレオン3世の年代 �第2共和政大統領�第2帝政開始�退位
�1848年
�1852年
�1870年
(2)第2帝政 �皇帝�期間�就任方法
�ナポレオン3世(ルイ=ナポレオン)
�1852~70年
�人民投票
(3)第2帝政の内政 �パリ�1855年�経済
�パリ大改造
�パリ万博開催(第2回)
�産業革命完成
(4)第2帝政期の戦争 �1853~56年�1861年�1870~71年
�クリミア戦争
�メキシコ出兵
�普仏戦争
(5)メキシコ出兵 �年�その時期の合衆国�擁立された人物
�1861年
�南北戦争中
�皇帝弟マクシミリアン
(6)普仏戦争 �問題�原因�降伏
�スペイン王位継承問題
�エムス電報事件
�セダンの降伏
(7)第2帝政のアジア政策 �1856年�1858年�1863年
�アロー戦争(第2次アヘン戦争)
�仏越戦争
�カンボジア保護国化
(8)第2帝政のベトナム政策 �戦争�条約�獲得した地域
�仏越戦争
�サイゴン条約
�コーチシナ東部3省
(9)仏越戦争 �年�ベトナム王朝�宗主国
�1858~62年
�阮朝越南
�清
(10)普仏戦争後 �フランスの敗戦�臨時政府首班�パリの状況
�セダンの降伏(1870年)
�ティエール
�パリ=コミューン(1871年)
(11)パリ �1848年�1870年1871年
�ラ=マルティーヌ臨時政府
�ティエール臨時政府
�パリ=コミューン
(12)パリ=コミューン �中心勢力�意義�結果
�パリの労働者と社会主義者
�史上初の社会主義政権
�臨時政府により徹底的に弾圧された
(13)第3共和政の特徴3つ
�軍部の台頭
�反ドイツ感情
�帝国主義時代
(14)第3共和政の事件 �軍部の台頭�反独感情�英仏対立
�ブーランジェ事件
�ドレフェス事件
�ファショダ事件
(15)第3共和政の植民地建設 �1881年�1882年�1887年
�チュニジア保護国化
�ソマリア(ジプチ)領有
�仏領インドシナ成立
(16)ドレフェス事件 �何人�文豪�キャンペーン
�ユダヤ人
�文豪ゾラ
�私は弾劾する
(17)英仏対立 �事件�事件発生の年�衝突した地域
�ファショダ事件
�1898年
�スーダン


19世紀後半のヨーロッパ(2)ドイツ統一

2012年09月27日 | トリオDE世界史

(1)神聖ローマ帝国後のドイツ �1806年�1815年�1867年
�ライン同盟
�ドイツ連邦
�北ドイツ連邦
(2)ブルシェンシャフト運動 �時期�中心勢力�弾圧
�1817年ルター300年祭
�自由主義者・学生など
�カールスバードの決議(1819年)
(3)ドイツ統一までの自由主義運動 �1817年�1834年�1848年
�ブルシェンシャフト運動
�ドイツ関税同盟
�フランクフルト国民議会
(4)ドイツ関税同盟 �年�思想家�中心国
�1834年
�フリードリヒ=リスト
�プロイセン
(5)フランクフルト国民議会 �年�統一の主義�中心国
�1848年
�小ドイツ主義
�プロイセン
(6)プロイセン �国王�宰相�政策
�ヴィルヘルム1世
�ビスマルク
�鉄血政策
(7)鉄血政策の戦争 �1864年�1866年�1870~71年
�デンマーク戦争
�普墺戦争
�普仏戦争
(8)デンマーク戦争 �問題�交戦国�年
�シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン問題
�プロイセン+オーストリアVSデンマーク
�1864年
(9)普墺戦争 �年�問題�講和条約
�1866年
�シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン帰属問題
�プラハの和
(10)普墺戦争の結果 �プロイセン�南北の境界線�オーストリア
�北ドイツ連邦を組織
�マイン川以北22邦
�オーストリア・ハンガリー2重帝国
(11)北ドイツ連邦 �川�参加した邦の数�オーストリア
�マイン川以北
�22邦
�除外
(12)普仏戦争 �問題�原因�戦い
�スペイン王位継承権問題
�エムス電報事件
�セダンの降伏
(13)普仏戦争結果 �ドイツへの割譲地�パリ�フランスの政体
�アルザス・ロレーヌ地方
�パリ=コミューン成立
�第3共和政
(14)ドイツ帝国 �初代皇帝�年�皇帝就任式
�ヴィルヘルム1世
�1871年
�ヴェルサイユ宮殿鏡の間


19世紀後半のヨーロッパ(1)イタリア統一

2012年09月27日 | トリオDE世界史

(1)イタリア統一の人物 �自由主義者�サルディニア宰相�赤シャツ隊
�マッツィーニ
�カブール
�ガリバルディ
(2)国王 �第1次統一戦争�第2次統一戦争�初代イタリア国王
�カルロ=アルベルト
�ヴィットーリオ=エマヌエレ2世
�ヴィットーリオ=エマヌエレ2世
(3)イタリア統一の党派 �秘密結社�大衆政党�ガリバルディ
�カルボナリ党
�青年イタリア党
�赤シャツ隊(千人隊)
(4)青年イタリア党 �中心人物�拠点�建設
�マッツィーニ
�ナポリ
�ローマ共和国(1849年)
(5)3月革命の影響 �中心勢力�建設�結果
�青年イタリア党
�ローマ共和国
�教皇ピウス9世が保守化して失敗
(6)3月革命の影響 �統一戦争を開始した国�その国王�結果
�サルディニア王国
�カルロ=アルベルト
�オーストリアに敗北してカルロ=アルベルト退位
(7)サルディニアによる統一 �国王�宰相�統一年
�ヴィットーリオ=エマヌエレ2世
�カブール
�1861年
(8)カブール �密約�年�相手
�プロンビエールの密約
�1858年
�ナポレオン3世
(9)プロンビエールの密約 �年�フランスへの割譲地�結果
�1858年
�サヴォイとニース
�ナポレオン3世の裏切り(ヴィラフランカ条約)
(10)イタリア王国の都 �1861年�1865年�1871年
�トリノ
�フィレンツェ
�ローマ
(11)1861年時のイタリア王国に含まれない地方 
�ヴェネツィア
�教皇領
�未回収のイタリア
(12)イタリア王国による併合年 �ヴェネツィア�教皇領�未回収のイタリア
�1866年
�1870年
�1919年
(13)未回収のイタリア3地方
�南チロル
�トリエステ
�イストリア
(14)イタリア王国による併合 �ヴェネツィア�教皇領�未回収のイタリア
�普墺戦争
�普仏戦争
�第1次世界大戦


19世紀前半のヨーロッパ(8)東方問題�

2012年09月27日 | トリオDE世界史

(1)東方問題3つの戦争 �1821~29年�31~33年�39~40年
�ギリシア独立戦争
�第1次エジプト事件
�第2次エジプト事件
(2)露土間の条約 �1829年�1833年�1878年
�アドリアノープル条約
�ウンキャルスケレッシ条約
�サン=ステファノ条約
(3)ギリシア独立戦争 �時期�独立運動の組織�原因
�1821~29年
�ヘタイリア=フィリケ
�ギリシアの国民主義
(4)ギリシア独立戦争 �25年の激戦地�27年の激戦地�義勇軍参加の詩人
�ミソロンギの戦い
�ナヴァリノの戦い
�バイロン
(5)ナヴァリノの戦い �義勇軍詩人�その主著�絵画
�バイロン
�チャイルドハロルドの遍歴
�シオの虐殺(ドラクロア)
(6)ギリシア独立 �独立年�国際承認した会議�西欧の機運
�1829年
�ロンドン会議
�ウィーン体制下だが独立を暗黙に支持
(7)エジプト独立 �中心人物�宗主国�支持した西欧の国
�メフメト=アリー
�オスマン=トルコ帝国
�フランス
(8)第1次エジプト事件 �年�露土間の条約�国際条約
�1831~33年
�ウンキャル・スケレッシ条約
�クータイヤ条約
(9)メフメト=アリーの成果 �第1次エジプト事件2つ�第2次エジプト事件
�エジプトの世襲権
�シリア領有権
�エジプト世襲権のみ(シリアは放棄)
(10)メフメト=アリー �出身�ギリシア独立戦争�業績
�マケドニア生まれのアルバニア人
�オスマン=トルコを支援して貸しを作る
�メフメト=アリー朝を創始
(11)第2次エジプト事件 �1840年�1841年�結果
�ロンドン会議でウンキャル・スケレッシ条約を破棄
�国際海峡協定で両海峡封鎖
�メフメト=アリーにエジプト世襲権のみを与える
(12)クリミア戦争 �年�原因�条約
�1853~56年
�聖地管理権問題
�パリ条約
(13)問題 �エジプト事件�クリミア戦争�露土戦争
�エジプト世襲権
�聖地管理権問題
�ギリシア正教徒保護問
(14)クリミア戦争 �開始時のロシア皇帝�敗戦時ロシア皇帝�フランス皇帝
�ニコライ1世
�アレクサンドル2世
�ナポレオン3世
(15)クリミア戦争の激戦地 �激戦地�看護�影響
�セバストーポリの戦い
�ナイチンゲール
�デュナンが国際赤十字社を設立
(16)クリミア戦争のロシアの影響 �ツァーリ�法令�年
�アレクサンドル2世
�農奴解放令
�1861年   
(17)露土戦争 �年�露土間の条約�国際会議
�1877年
�サン・ステファノ条約
�ベルリン会議
(18)露土戦争で独立した国3つ
�セルビア
�モンテネグロ
�ルーマニア
(19)ブルガリア �サン・ステファノ条約�ベルリン会議�宗主権
�大ブルガリア公国成立
�ブルガリアは自治領として領土縮小
�オスマン=トルコが宗主権を持つ
(20)ベルリン会議 �主催者�その自称�年
�ビスマルク
�公正な仲介人
�1878年
(21)ベルリン会議 �墺�英�トルコ
�ボスニア・ヘルツェゴビナの管理権を獲得
�キプロス島領有
�バルカン諸国の独立を承認
(22)ボスニア・ヘルツェゴビナ �進出した国�管理権獲得年�併合年
�オーストリア・ハンガリー2重帝国
�1878年ベルリン会議
�1908年青年トルコ党の革命


19世紀のヨーロッパ史 問題 札幌大学2004

2012年09月23日 | 復習用入試問題

2004 札幌大学

 次の文を読み以下の問いに答えよ。

 ナポレオン戦争後のウィーン体制の下で,かつての神聖ローマ帝国の版図の大半は, 1 へと改組された。しかし,その内部では政治的分裂が続き,ナポレオン戦争をきっかけとする民族意識・国民主義の高まりから,統一ドイツ国家の形成が求められた。
 ドイツ統一の中心となったのは,ウィーン条約でライン地方を得たプロイセン王国だった。ナポレオンの没落前からプロイセンでは 2 ・ 3 らによる農民解放などの国制改革が行われ,また,「ドイツ国民に告ぐ」と題した講演で知られる 4 らの精神運動によってドイツ民族意識が高められた。
 ウィーン体制下,このプロイセンが中心となって1834年に 5 が発足し,ドイツの経済的な統一がほぼ完成した。しかし,政治的統一の実現にはさらに年月を要した。
 1848年パリで起こった二月革命の影響は暴動となってプロイセンをはじめとするドイツ諸邦にもおよんだ。この際,自由主義的気運が盛り上がり,ドイツ統一と全国憲法制定のため,ドイツ諸邦の自由主義者からなる イ 国民議会が開かれたが,(A)ドイツ統一の方式を巡っては二つの立場が対立し,自由主義者の主導によるドイツ統一は失敗に終わった。その後,自由主義者に代わって,プロイセンの政府・軍部を支配する ロ へと,統一の主導権は移った。
 1862年プロイセンの首相となった ロ 出身のビスマルクは,(B)武力によるドイツ統一問題の解決を訴え,議会の反対を押し切って軍備を拡張した。ビスマルクは,1864年には 6 との戦争で,シュレスヴィヒ・ホルシュタインを奪い,さらに1866年この2州を巡ってオーストリアと戦いこれを破ると,ドイツ連邦を解体し,翌年プロイセンを盟主とする 7 を作り上げ,ドイツ統一を完成に近づけた。
 フランスの 8 は,プロイセンの強大化を警戒し,1870年7月プロイセンに宣戦した。プロイセンを中心とするドイツ諸邦の連合軍は,たちまちフランスに侵入して,9月 8 をセダンで降伏させ,フランスの帝政は廃止された。(C)翌71年1月末にフランスはドイツに降伏した。
 フランスの降伏に先立ち,1871年1月半ば, 9 は 10 でドイツ皇帝の位につき,ドイツ帝国が成立し,プロイセンを中心としたドイツ統一の動きは一応の完成をみた。

問1 文中の 1 ~ 10 の中に,次の語群から適切な語句を選び,記号で答えよ。
[語群] 
あ.北ドイツ連邦 い.ドイツ連邦
う.ルイ=フィリップ え.ヴェルサイユ
お.デンマーク か.オランダ
き.フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
く.ライン同盟 け.ナポレオン3世
こ.フォイエルバッハ さ.カール=ヴィルヘルム=フンボルト
し.ハルデンベルク す.シュタイン
せ.ドイツ関税同盟 そ.フィヒテ
た.ヴィルヘルム1世 ち.シャルンホルスト
つ.プロイセン・ヘッセン関税同盟 て.トリアノン

問2 文中の イ , ロ の中に適切な語句を記入せよ。

問3 下線部(A)~(C)について次の問いに答えよ。
(A) オーストリアのドイツ人地域を含む統一方式を主張する立場はどのように呼ばれたか。
(B) この政策はどのように呼ばれたか。
(C) この際フランスがドイツに割譲した2州は何というか。


解答
問1 [1] い [2]・[3] す・し
[4] そ [5] せ
[6] お [7] あ
[8] け [9] た
[10] え
問2 [イ] フランクフルト [ロ] ユンカー
問3 (A) 大ドイツ主義 (B) 鉄血政策
(C) アルザス・ロレーヌ


19世紀前半のヨーロッパ(7)イギリス自由主義改革

2012年09月23日 | トリオDE世界史

(1)農業革命 �時期�議会の対応�目的
�18世紀末~19世紀初頭
�議会が推進
�穀物の増産
(2)第1次エンクロージャー �時期�議会の対応�目的
�15~16世紀
�議会は抑止しようとした
�羊毛の増産(牧羊地)
(3)農業革命 �消滅・激増�影響�原因
�ヨーマンが消滅・都市労働者が激増
�産業革命完成
�フランス革命・大陸封鎖令
(4)穀物法 �制定年�反対の中心人物�廃止年
�1815年
�コブデン・ブライトの反穀物法同盟
�1846年
(5)信仰上の自由 �審査律制定年�その廃止年�カトリック教徒解放令年
�1673年
�1828年
�1829年
(6)信仰上の自由 �ピューリタン容認�カトリック容認�活躍した人物
�審査律廃止
�カトリック教徒解放令
�オコンネル
(7)自由主義外交 �1820年代の外相�1830~60年の外相�転換した会議
�カニング
�パーマストン
�ヴェローナ会議
(8)第1回選挙法改正 �年�政党�首相
�1832年
�ホイッグ党
�グレー内閣
(9)工場法 �制定年�中心人物�労働時間
�1833年
�ロバート=オーエン
�12時間労働
(10)産業資本家の勝利 �1833年�1846年�1849年
�東インド会社貿易独占全面停止
�穀物法廃止
�航海法廃止
(11)労働者の動き �1819年�1837年�1848年
�ピータールー事件
�人民憲章
�チャーチスト運動最高潮から鎮火
(12)人民憲章 �起草者�年�目的
�ラヴィット
�1837年
�男子普通選挙要求
(13)チャーチスト運動 �時期�目的�鎮火の原因
�1839~48年
�男子普通選挙要求
�フランスの6月蜂起失敗
(14)万国博覧会 �第1回�第2回�背景
�ロンドン
�パリ
�資本主義の完成


19世紀前半のヨーロッパ(6)産業革命

2012年09月14日 | トリオDE世界史

(1)産業革命の3段階
�綿織物工業
�エネルギー革命
�交通革命
(2)産業革命の3要素
�労働力の創出
�資本の蓄積
�市場の獲得
(3)綿織物工業の開始 �年�発明家�発明品
�1733年
�ジョン=ケイ
�飛びひ
(4)発明家4人 �ジェニー紡績機�水力紡績機�ミュール紡績機�力織機
�ハーグリーブズ
�アークライト
�クロンプトン
�カートライト
(5)蒸気機関の発明家3人 �ピストン運動�コークス発明�回転運動
�ニューコメン
�ダービー父子
�ワット
(6)交通革命3人 �蒸気機関車発明�蒸気船�実用化
�トレヴィシック
�フルトン
�スティーブンソン
(7)蒸気機関車実用化 �最初の実用化機関車�実用化区間�年
�ロコモーション号
�ストックトン~ダーリントン間
�1825年
(8)蒸気機関車営業 �最初の営業機関車�営業区間�年
�ロケット号
�マンチェスター~リヴァプール間
�1830年
(9)綿花の増産 �機械�発明家�国
�綿繰り機
�ホイットニー
�アメリカ
(10)第1回選挙法改正 �年�内容�選挙権獲得
�1832年
�腐敗選挙区の廃止
�産業資本家
(11)第1回選挙法改正 �議会�東インド会社�影響
�産業資本家が議会を支配
�1833年中国貿易独占停止
�自由主義貿易体制に移行
(12)東インド会社 �設立の年�貿易独占停止の年�解散年
�1600年
�1833年
�1858年


19世紀前半のヨーロッパ(3)中南米の独立

2012年09月14日 | トリオDE世界史

(1)中南米独立運動の指導者 ①メキシコ②コロンビア③アルゼンチン
①ミゲル=イダルゴ
②シモン=ボリバル
③サン=マルティン
(2)サン=マルティンが建国した国3つ
①アルゼンチン
②チリ
③ペルー
(3)シモン=ボリバル ①建国した国2つ③国際会議
①大コロンビア
②ボリビア
③パナマ会議(第1回パン=アメリカ会議)
(4)パナマ会議 ①年②主催者③目的
①1826年
②シモン=ボリバル
③中南米の統一国家建設
(5)ブラジル ①旧宗主国②宗主国の王家③独立した国王
①ポルトガル
②ブラガンサ家
③ペドロ1世(ドン=ペドロ)
(6)メキシコ ①独裁者②合衆国との戦争③フランスとの関係
①サンタ=アナ
②米墨戦争
③ナポレオン3世のメキシコ出兵
(7)米墨戦争 ①年②原因③定められた国境線
①1846~48年
②テキサスの領有権をめぐる対立
③リオ=グランデ川


19世紀前半のヨーロッパ(4)7月革命・2月革命

2012年09月14日 | トリオDE世界史

(1)19世紀前半の政体 �1814~30年�1830~48年�1848年~
�復活ブルボン朝
�7月王政
�第2共和制
(2)19世紀前半のフランス王 �復活ブルボン朝2名�7月王政
�ルイ18世
�シャルル10世
�ルイ=フィリップ
(3)復活ブルボン朝の政治 �内政2点�外交
�10億フラン法
�7月勅令
�アルジェリア出兵
(4)7月革命 �年�市街戦�中心勢力
�1830年
�栄光の3日間
�ブルジョワジーとパリの市民
(5)7月革命の市街戦 �市街戦の指導者�画家�絵画
�ラファイエット
�ドラクロア
�民衆を導く自由の女神
(6)7月王政 �国王�王家�あだ名
�ルイ=フィリップ
�オルレアン家
�株屋の王
(7)7月王政 �特徴�内閣�普通選挙運動
�ブルジョア政権で産業革命完成
�ギゾー内閣
�改革宴会(パンケ)
(8)2月革命 �中心勢力�臨時政府首班�政権に参加した社会主義者
�パリの労働者
�ラ=マルティーヌ(ロマン派詩人)
�ルイ=ブラン
(9)臨時政府の社会主義 �社会主義者�委員会�政策
�ルイ=ブラン
�リュクサンブール委員会
�国立工場
(10)1848年 �4月�6月�12月
�普通選挙による総選挙(農民が保守化して社会主義者大敗)
�6月蜂起(労働者)
�大統領選挙(ルイ=ナポレオン)


19世紀前半のヨーロッパ(5)7月・2月革命の影響

2012年09月14日 | トリオDE世界史

(1)7月革命の影響 �成功�イタリア�ロシア
�ベルギー王国独立
�青年イタリア党結成
�ワルシャワ暴動失敗
(2)ベルギー独立 �年�宗主国�いつから
�1830年
�オランダ
�1815年
(3)ワルシャワ暴動 �年�宗主国皇帝�結果
�1830年
�ロシア皇帝ニコライ1世
�ポーランド立憲君主国からロシアの1州(直轄地)に格下げ
(4)青年イタリア党 �中心人物�結成された都市�活動の中心都市
�マッツィーニ
�マルセイユ
�ナポリ
(5)2月革命の影響 �オーストリア�ハンガリー・ボヘミア�ドイツ
�3月革命
�マジャール人独立運動・チェック人自治権闘争
�フランクフルト国民議会
(6)ウィーン3月革命 �亡命した人物�結果�影響
�メッテルニヒ
�憲法制定
�ウィーン体制崩壊
(7)ハンガリー独立運動 �中心人物�民族�結果
�コシュート
�マジャール人
�ロシアが軍事介入
(8)ボヘミア自治権闘争 �中心人物�主張�結果
�パラツキー
�スラブ民族会議
�オーストリア介入
(9)ドイツ �ドイツ統一の方式�中心勢力�帝冠を拒否したプロイセン国王
�小ドイツ主義(プロイセン中心)
�自由主義者・ブルジョアジー
�F.ヴィルヘルム4世
(10)イタリア �1849年の状況�中心勢力�中心人物
�ローマ共和国
�青年イタリア党
�マッツィーニ
(11)2月革命の影響に関する人物 �イタリア�ハンガリー�ボヘミア
�マッツィーニ
�コシュート
�パラツキー
(12)サルディニア王国 �国王�1848年の状況�結果
�カルロ=アルベルト
�第1次イタリア統一戦争
�オーストリアに敗北してカルロ=アルベルト退位