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シーア派

2014年01月10日 | ワークシート
第4代カリフのアリーが暗殺されると、661年ウマイヤ家のムアーウィアはカリフに就任しました。以後、ウマイヤ家がカリフ位を世襲しましたが、これに対してアリーの子孫こそが正当なカリフであるとし、ウマイヤ家カリフを認めないとするグループが生まれました。イスラム社会はアリーの一派、すなわちシーア派とウマイヤ家との間でしばらく内戦状態になりましたが、ウマイヤ家カリフが指導的立場を確立していきました。

すなわち、シーア派とは第4代正統カリフおアリーとその子孫、つまりハーシム家の人々が預言者の正当な後継者であり、教団国家ウンマの指導者(イマーム)であると信じて忠誠を誓っている人々のことです。

もともとアラブ社会は部族民であったので、血統に対する強かったこともあって、イスラム教の教義に関する解釈の違いやシャリーア(イスラム法)解釈の違いによって分かれたわけではありません。
シーア派に対してウマイヤ家以降のカリフを認める立場に立つのがスンナ派の人々で、現在、スンナ派が90%に対しシーア派は10%程度といわれています。

シーア派にとってイマームの存在は大きい。神は預言者を遣わし啓示を示したが、預言者の死後にはその啓示の解釈をイマームに託したと考えます。神はイマームと通じて「神の光」を示していると考えるので、イマームはこの世で最も優れた人間なければならず、精神的・政治的指導者に位置づけます。この点で、スンナ派のカリフが共同体の政治的指導者でしかなくなっていったのと大きく異なるます。1979年のイラン=イスラム革命で指導者ホメイニ師が人々を指導したのは、彼がこのイマームであったことが大きいといえます。

しかし誰をイマームと考えるかは立場によってさまざまになりがちです。したがってシーア派には多くの分派があります。穏健シーア派といわれる「12イマーム派」や過激シーア派とされる「イスマイール派」のほかにもたくさんの分派があります。