元朝のモンゴル支配者はラマ教に狂信し、財政難から交鈔を乱発してしまい、結局農民反乱のなかで敗れていきました。しかし、ここで重要な点は、モンゴル民族はこの紅巾の乱に敗れたものの、滅亡したわけではなく、中国の地を捨ててモンゴル高原に撤収したのだ、という点です。
すなわち、1351年に韓山童・韓林児の父子が指導した紅巾の乱が発生しました。反乱の拠点になったのは江南地方です。そのうちこの親子は殺されましたが、反乱軍の中から頭角を現した朱元璋が、1368年に元を滅ぼして、明を建国しました。都は江南の都市南京に置きました。
中国を追われたものの軍事力はある程度維持していたモンゴル民族は、モンゴル高原に北元を再建しました。この北元などのモンゴル民族の軍事力になやまされた明が、まもなく万里の長城を建設することになります。