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インド=ヨーロッパ語族(印欧語族)

2011年10月25日 | 高2用 授業内容をもう一度

 彼らは、前20世紀よりも前に中央アジアから出発しました。その人たちがなぜ長い旅に出たのかはわかりません。南に向かった人たちは、インダス川という大河の周りに入り、もともとその地に住んで【インダス】文明を営んでいた【ドラヴィダ】人を追い払い、奴隷にして、定住しました。南に向かった人々を【アーリア】人と呼びます。
 西に向かった人々もいました。もちろん彼らはいっぺんに中央アジアを出発したわけではありません。言ってみれば、「波のように」移動を始めたのです。さて、西に向かった人たちは、【ティグリス・ユーフラテス】川に達すると、この地で繁栄していた【アムル】人の【古バビロニア】王国を滅ぼしてしまいます。【前18】世紀に【ハンムラビ】王が活躍した、あの王国をです。しかし、彼らはメソポタミアでは建国しませんでした。もうすこし西に行って、【小アジア】で建国しました。【前17】世紀のことです。彼らを【ヒッタイト】人と呼びます。王国を失ったメソポタミアには、少し遅れてやってきた人々が、その北部に【ミタンニ】王国を、その南部に【カッシート】王国を立てています。すなわち、前17世紀からおよそ前13世紀まで、メソポタミアと小アジアでは、インド=ヨーロッパ語族の世界が展開したと言ってよいでしょう。
 さらに少し遅れて移動をはじめた人々は、さらに西まで進みました。バルカン半島に入ったのは【ドーリア】人です。彼らは【エーゲ】文明を破壊し、ギリシア世界を混乱に陥れたようです。また、バルカン半島の西のとなりにある【イタリア】半島まで移動を続けたのは【ラテン】人です。ドーリア人は【スパルタ】というポリスを作り、ラテン人は後に【ローマ帝国】を建設した人々です。
 ここで小さな疑問が起こります。なぜインド=ヨーロッパ語族の人々は、先住の文明を破壊して、その土地を奪うだけの「強さ」を持っていたのでしょうか?それは彼らとともに移動した【馬】に【戦車】をひかせて、戦闘の際に【馬と戦車】を前面に出して戦ったからと、考えられています。先住の人々はそれまで馬を見たことがなかったので、大いに驚き、混乱を招いたことでしょう。


唐と東アジア文化圏

2011年10月25日 | トリオDE世界史
(1)5世紀ころの朝鮮半島 �北部�南部中国側�南部日本海側
�高句麗
�百済
�新羅
(2)新羅 �都�全盛期の王�貴族制度
�慶州
�武烈王金春秋
�骨品制
(3)隋唐と高句麗 �遠征に失敗した隋皇帝�失敗した唐皇帝�成功した皇帝
�煬帝
�太宗
�高宗
(4)唐3代皇帝 �皇帝�妻�子供
�高宗
�武后
�中宗
(5)太宗と高句麗 �遠征�同盟�新羅国王
�失敗
�唐羅同盟
�武烈王金春秋
(6)高句麗の滅亡まで 
�唐羅同盟を結ぶ
�百済征服
�高句麗征服
(7)高句麗滅亡後 
�唐が平壌に安東都護府を設置
�新羅が平壌を征服して朝鮮半島を初めて統一
�唐の安東都護府は遼東に撤退
(8)渤海 �建国した人々�建国者�呼称
�高句麗の遺民
�大祚栄
�海東の盛国
(9)高宗の外征 �モンゴル高原�西域�朝鮮半島
�東突厥を一時的に平定し単于都護府を設置(まもなく東突厥は復活)
�西突厥を征服して安西都護府などを設置
�高句麗を征服して安東都護府を設置
(10)唐の辺境支配 �役所�政策�内容
�都護府
�覊縻政策
�征服した部族長に自治を認めて間接統治を行なった
(11)唐代の外来宗教の中国名 �キリスト教�イスラム教�ゾロアスター教
�景教
�回教
�祆教
(12)唐代のキリスト教 �宗派�異端とされた公会議�中国での状況
�ネストリウス派キリスト教
�431年のエフェソス公会議
�長安に「大秦景教流行中国碑」が建立された
(13)唐代の長安 �人口�特徴2つ
�100万都市
�貴族が住む政治都市
�国際都市
(14)8世紀の文化圏 �ヨーロッパ�西アジア�東アジア
�キリスト教文化圏(フランク王国とビザンツ帝国)
�イスラム帝国(アッバース朝)
�東アジア文化圏(唐)
(15)唐と周辺国の関係 �関係�その内容�目的
�冊封体制
�唐と周辺国が君臣関係を結ぶ
�唐との朝貢貿易や、唐の文化・制度の導入を行なう(東アジア文化圏)

唐の建国期

2011年10月25日 | トリオDE世界史
(1)唐初期の皇帝 �建国�中国再統一�拡大
�高祖(李淵)
�太宗(李世民)
�高宗
(2)唐の建国 �都�建国者�建国年
�長安
�高祖
�618年
(3)太宗 �クーデタ�軍事�治世
�玄武門の変
�中国再統一
�貞観の治
(4)太宗の貞観の治 �中央官制�官吏登用法�行政
�三省六部を設置した
�科挙を本格的に実施した
�均田制・租庸調制・府兵制を継承した
(5)唐皇帝の本名 �高祖�太宗�玄宗
�李淵
�李世民
�李隆基
(6)三省六部の3省
�中書省
�門下省
�尚書省
(7)三省の役割 �中書省�門下省�尚書省
�立案
�審議
�行政
(8)三省それぞれを廃止した王朝 �中書省�門下省�尚書省
�明
�宋
�元
(9)科挙 �本格的に実施した王朝�中断した王朝�廃止された年
�唐
�元
�1905年
(10)唐建国期の国際情勢 �モンゴル高原�西域�満州・朝鮮北部
�東突厥
�西突厥
�高句麗

2011年10月25日 | トリオDE世界史
(1)隋の都 �都�その後の名称�現在の都市名
�大興城
�長安
�西安
(2)隋の建国者 �建国者�建国者本名�立場
�文帝
�楊堅
�北周の外戚
(3)隋の皇帝 �建国者�第2代皇帝
�文帝
�煬帝
(4)隋の年代 �建国年�中国統一の年�滅亡の年
�581年
�589年
�618年
(5)隋を取り巻く各地の情勢 �モンゴル高原�西域�満州・朝鮮北部
�東突厥
�西突厥
�高句麗
(6)文帝の政策 �軍事�内政�官吏登用法
�589年に南朝の隋を征服して中国を再統一
�均田制・租庸調制・府兵制を完成
�選挙を実施
(7)煬帝の政策 �内政�外征�結果
�大運河を開削
�高句麗遠征失敗
�農民反乱を招いて滅亡
(8)大運河の目的3つ
�江南経済と華北の消費地とを結ぶ
�高句麗遠征に兵員を送る
�高句麗遠征のための補給
(9)隋の均田制の給田 �女�牛�
�支給
�なし
�なし

魏晋南北朝時代(2)

2011年10月12日 | トリオDE世界史
(1)北魏の皇帝3人
①道武帝
②太武帝
③孝文帝
(2)北魏の重要年代 ①建国②華北支配③漢化政策
①386年
②439年
③494年
(3)北魏の建国 ①建国者の名②建国の年都
①拓跋珪
②386年
③平城
(4)東晋 ①建国者②都③領域
①司馬睿
②建康(現在の南京)
③江南地方
(5)五胡十六国時代 ①一時的に統一した国②その皇帝③中国統一に失敗した戦い
①前秦
②符堅
③ヒ水の戦い
(6)五胡の部族5つ
①匈奴
②鮮卑
③羯(匈奴系)
④テイ
⑤羌
(7)分裂後の北魏から隋までの3王朝 
①西魏
②北周
③隋
(8)南朝の土地制度 ①制度名②特徴③目的
①土断法
②本籍地主義を改め現住地主義を採用
③華北からの流民を管理する
(9)魏晋南北朝時代の土地制度 ①魏②西晋③北魏
①屯田制
②占田課田法
③均田制
(10)孝文帝の業績 ①政治②土地制度③郷村制度
①胡語胡服の禁(漢化政策)
②均田制
③三長制
(11)九品中正法 ①施行した国②施行した皇帝③意義
①魏
②文帝(曹丕)
③豪族の貴族化を促した

魏晋南北朝時代の展開

2011年10月12日 | トリオDE世界史
(1)3国時代の都 ①魏②呉③蜀
①洛陽
②建業
③成都
(2)西晋 ①建国者②豪族の反乱③南匈奴の反乱
①司馬炎
②八王の乱
③永嘉の乱
(3)魏晋の年代 ①魏建国②晋の中国再統一③反乱の時期
①220年
②280年
③300年前後
(4)東晋 ①建国者②都③意義
①司馬睿
②建康
③江南開発が進む
(5)5胡の民族3つ
①匈奴(匈奴・羯)
②鮮卑族
③チベット系(テイ・羌)
(6)前秦 ①建国者②領域③東晋との戦い
①苻堅
②華北を統一
③ヒ水の戦い
(7)五胡十六国時代 ①華北の状況②江南の状況③華北統一の年
①北方遊牧民族の16ケ国が乱立
②中国人が東晋(南朝)を建国
③439年
(8)鮮卑族の皇帝 ①建国者②華北統一③漢化政策
①道武帝
②太武帝
③孝文帝
(9)鮮卑族の年代 ①建国②華北統一③漢化政策
①386年
②439年
③494年
(10)北魏 ①建国者本名②民族③都
①拓跋珪(道武帝)
②鮮卑族
③平城
(11)太武帝 ①領域②国教化した宗教③弾圧した宗教
①モンゴル高原と華北全域
②道教
③仏教(三武一宗の法難)
(12)孝文帝 ①政策②都③石窟寺院
①漢化政策
②洛陽
③竜門石窟寺院
(13)北魏の東西分裂 ①西②東③西④東
①西魏
②東魏
③北周
④北斉
(14)南朝の5ケ国
①東晋
②宋・斉・梁・陳
(15)隋 ①建国した際に倒した王朝②華北統一で滅ぼした王朝③統一で倒した王朝
①北周
②北斉
③陳

後漢~三国時代

2011年10月12日 | トリオDE世界史
(1)後漢 ①建国者②建国年③都
①光武帝
②25年
③洛陽
(2)東匈奴 ①王②漢の宮女③元曲
①呼韓乎単于
②王昭君
③漢宮秋
(3)後漢の西域経営 ①皇帝②役所③将軍
①和帝
②西域都護
③班超
(4)班超 ①部下②西域都護の都市③兄
①甘英
②クチャ
③班固
(5)後漢の政争 ①対立した勢力2つ③166年の事件
①外戚と宦官
②儒学者(党人)
③党錮の禁
(6)後漢の儒学 ①学問②内容③中心人物
①訓詁学
②経書の字句の研究
③鄭玄
(7)甘英の旅行ルート ①~③
①安息
②条支国(シリア?)
③大海
(8)大秦王安敦の使者 ①訪中の年②到着した都市③記録された歴史書
①166年
②日南郡(現ユエ)
③後漢書西域伝
(9)匈奴の滅亡 ①西匈奴②北匈奴③南匈奴
①東匈奴と前漢に攻撃され滅亡
②南匈奴と後漢に攻撃されて西走し、ハンガリーでフン族になった。
③五胡として華北に移住
(10)後漢の滅亡 ①農民反乱②滅亡の年③滅ぼした国
①黄巾の乱
②220年
③魏
(11)黄巾の乱 ①年②中心の宗教教団2つ
①184年
②太平道(張角)
③五斗米道(張陵)
(12)黄巾の乱 ①首謀者2人②鎮圧した中心人物
①張角
②張陵
③曹操
(13)張角 ①宗教教団②指導した反乱③反乱の年
①太平道
②黄巾の乱
③184年
(14)五斗米道 ①中心人物②特徴③その後の教団
①張陵
②道教の源流になった
③正一教(道教の一派)
(15)3国時代の3国
①魏
②呉
③蜀
(16)3国の建国者
①曹操
②孫権
③劉備
(17)魏 ①事実上の建国者②初代皇帝③建国年
①曹操
②曹丕
③220年
(18)呉 ①都②建国者③都の現在の名称
①健業
②孫権
③南京

魏晋南北朝時代の制度

2011年10月12日 | トリオDE世界史
(1)土地制度 ①魏②晋③北魏
①屯田制
②占田課田法
③均田制
(2)官吏登用法 ①前漢②魏③唐
①郷挙里選
②九品中正法
③科挙
(3)屯田制 ①創始者②王朝③内容
①曹操
②魏
③兵士を入植させる
(4)占田課田法 ①創始者②王朝③目的
①司馬炎
②西晋
③豪族の大土地所有を制限
(5)均田制 ①創始者②王朝③内容
①孝文帝
②北魏
③農民に土地を給田
(6)戸籍・村落制度 ①西晋の戸籍制度②北魏の村落制度③南朝の制度
①戸調式
②三長制
③土断法
(7)道武帝 ①業績②都③石窟寺院
①モンゴル高原を統一
②平城
③雲崗石窟寺院
(8)太武帝 ①業績②都③国教
①モンゴル高原と華北全域を支配
②平城
③道教
(9)道教 ①創始者②教団③源流となった教団
①寇謙之
②新天師道
③五斗米道(張陵)
(10)孝文帝の漢化政策 ①遷都②法令③石窟寺院
①平城から洛陽に遷都
②胡語胡服の禁
③竜門石窟寺院
(11)孝文帝の政策 ①移住政策②土地制度③村落制度
①漢化政策
②均田制
③三長制
(12)均田制に伴う制度 ①税制②兵制③完成した皇帝
①租庸調制
②府兵制
③隋の文帝
(13)土断法 ①特徴②内容③実施した王朝
①現住所で農民を管理する原住地主義
②戸籍管理法
③南朝

魏晋南北朝時代の六朝文化

2011年10月12日 | トリオDE世界史
(1)六朝 ①建業の都にした王朝②最初の南朝③南朝4つ
①呉
②東晋
③宋・斉・梁・陳
(2)六朝文化 ①特徴②担い手③思想
①清談
②竹林の七賢
③老荘思想
(3)東晋の貴族文化 ①詩②書③画
①陶淵明
②王義之
③顧之
(4)陶淵明 ①文化②王朝③作品
①詩
②東晋
③帰去来辞
(5)王義之 ①文化②王朝③作品
①書
②東晋
③蘭亭序
(6)顧之 ①文化②王朝③作品
①画
②東晋
③女史箴図
(7)六朝の特徴 ①文章形式②文化の担い手③地域
①四六駢儷体
②門閥貴族
③江南の都建康
(8)梁の貴族文化 ①人物②地位③作品
①昭明太子
②梁の武帝の長子
③文選

03年早稲田大学(法)魏晋南北朝時代

2011年10月12日 | 復習用入試問題
早稲田大学 法

 中国の魏晉南北朝史に関する以下の文を読み,それぞれの設問に対して解答を一つ選び,その記号を所定欄にマークせよ。

 後漢王朝の滅亡によって中国史は分裂時代に入り,再び統一されるのは隋によってである。後漢末の事実上の分裂から数えるとほぼ400年にもわたるこの大分裂時代は,中国史に未曾有の混乱と変化をもたらした。そしてその直接の契機となったのがa黄巾の乱である。b当時,納税・軍事等の担い手であった自作農も豪族の土地兼併によって没落する者が増加し,外戚や宦官をめぐる政治的混乱がそれに追い打ちをかけた。こうした社会不安を背景にして,2世紀後半,病気治療による救済を説く新興宗教教団が興った。その一つである太平道の教祖張角は,184年に数十万の信徒とともに蜂起した。
 その渦中で事実上後漢王朝が崩壊すると,群雄割拠の状態となり,やがてc魏・蜀・呉が分立抗争する三国時代となった。この分裂は晉(西晉)によって一時的に統一された。しかし八王の乱や農民反乱によって晉は動揺し,dそれに乗じた匈奴が洛陽および長安を占領してこれを滅ぼした。帝室の一族の司馬睿は建康で即位し,晉を再建した(東晉)。
 八王の乱のさい,諸王は北方・西方の非漢人の武力を利用したので,その内乱はこれら諸族の侵入を誘発することになった。e匈奴の動乱はその端緒となり,諸族が一斉に華北へ侵入した。かくて,f江南に再建された晉に対し,華北には“五胡十六国”と総称される非漢人の地方政権が次々と興亡し,中国は南北に分裂した。華北は439年に鮮卑族の建国した北魏によって統一され,g孝文帝のとき一連の中国化政策が行われた。しかしh北魏はその後内部抗争によって分裂を重ねていった。一方,東晉もその部将によってのっとられ,以後は短命な王朝が交替した。北周の外戚楊堅は禅譲によって隋を建国し,大興城を都としてi最後の南朝を滅ぼし,長い分裂時代に終止符が打たれた。

設問1 下線aの黄巾の乱を主導したのは太平道であるが,反乱と宗教の関係を示した次の記述の中で誤っているものはどれか。
① 張角は蜂起後も教団を保持し,そのため太平道は五斗米道と共に道教の源流となる。
② 紅巾の乱は元末の白蓮教徒を主力として行われた農民反乱である。白蓮教は仏教的要素の強い民間宗教である。
③ 清は乾隆時代を頂点としてしだいに体制がゆるみ,各地に反乱が起こった。18世紀末に起こった白蓮教徒の乱はその最大のものである。
④ 山東で発展した義和団は白蓮教系の宗教を奉じる宗教結社で,“扶清滅洋”を叫んで外国人・外貨の排斥やキリスト教会の破壊を行った。

設問2 下線bの自作農創設のために,歴代の中国王朝はさまざまな土地政策を試みたが,次の記述の中で誤っているものはどれか。
① 前漢末に大土地所有の制限と小農の保護を目的とする限田法が発布されたが,効果はなかった。
② 漢代の屯田制は辺境防衛を兼ねて西北辺境で行われたが,三国魏のそれは内地における土地制度である。
③ 北魏は均田制を実施したが,隋唐に継承された均田制と異なり,妻・・耕牛へは給田されなかった。
④ 西晉で実施された占田・課田法は,土地所有の制限と税収の確保を図ったものである。

設問3 下線cの三国時代に関する次の記述の中で誤っているものはどれか。
① 曹操は華北を制圧したが,赤壁の戦いで劉備・孫権の連合軍に大敗し,政局は天下三分の形勢となった。
② 曹丕が後漢最後の皇帝の禅譲を受けて魏を建国すると,劉備も四川の成都で帝位について蜀を建国し,諸葛亮を宰相に任じた。
③ 劉備が帝位につくと,孫権も帝位について都を建業,今の広州に定め,そのため江南の開発が進展した。
④ 三国時代が開始されたころ,西アジアではササン朝ペルシアが建国された。

設問4 下線dの事件は何と呼ばれるか。
① 淝水の戦い ② 永嘉の乱 ③ 靖康の変 ④ 靖難の変

設問5 下線eの匈奴の変遷に関する記述の中で誤っているものはどれか。
① 前漢の武帝の反撃によってゴビ以北に後退した匈奴は,前1世紀になると内部争いで東西に分裂し,漢に服属した東匈奴は1世紀中ごろさらに南北に分裂した。
② 西晉を滅ぼした匈奴は南匈奴の一部で,彼らは五胡十六国時代にいくつかの地方政権を建てたが,北魏の華北統一後,漢人に融合・同化した。
③ 北匈奴は後漢の攻撃を受けて敗れ,一部は西方に移動してイリ地方に移り,2世紀中ごろカザフ草原に移動した。
④ 北匈奴の子孫といわれるフン族は,4世紀に南ロシアに現れ,西ゴート族を服属させ,さらに東ゴート族に迫って“ゲルマン諸族の大移動”のきっかけとなった。

設問6 下線fの江南に興亡したこの時期の諸王朝を“六朝”と総称し,高雅な貴族文化が開花したことで知られる。その六朝文化に関する記述の中で誤っているものはどれか。
① 文体として四六駢儷体が発達し,梁の昭明太子によって『文選』が編まれ,詩人として陶淵明や謝霊運などを生み出した。
② 絵画では「女史箴図」をえがいた顧之が画聖と呼ばれ,書では王羲之が書聖と呼ばれた。
③ 仏教では法顕が陸路インドに行って仏教をおさめ,帰路シュリーヴィジャヤで『仏国記』(法顕伝)を著わした。
④ 儒教では漢代の訓詁学に替わって老荘思想で経典を解釈することが流行し,正史では『後漢書』・『三国志』などが著わされた。

設問7 下線gの孝文帝による政策や事業ではないものはどれか。
① 現在の山西省大同付近に雲崗石窟を開山した。
② 財政確保・治安維持のため三長制を制定した。
③ 鮮卑人の姓を漢人風に改めさせ,鮮卑の服装・言語なども禁止した。
④ 平城から洛陽に遷都した。

設問8 下線hの分裂により北朝最後の北周は隋にのっとられてしまうが,その後北方諸民族は自らの社会体制を強く保持したまま中国的王朝を建設するようになる。これを“征服王朝”と呼ぶが,それに該当しないものはどれか。
① 遼 ② 金 ③ 西夏 ④ 元

設問9 下線iの南朝の興亡順で正しいものはどれか。
① 陳宋梁斉 ② 斉宋陳梁 ③ 梁陳斉宋 ④ 宋斉梁陳

正解
設問1 ① 設問2 ③ 設問3 ③ 設問4 ②
設問5 ④ 設問6 ③ 設問7 ① 設問8 ③
設問9 ④

魏晋南北朝時代(1)

2011年10月11日 | トリオDE世界史
(1)3国時代の国3つ
�魏
�呉
�蜀
(2)3国時代の都3つ
�洛陽
�建業(南京)
�成都
(3)晋 �建国者�中国再統一の年�都
�司馬炎
�280年
�洛陽
(4)後漢末から晋までの反乱 �農民反乱�豪族の反乱�南匈奴の反乱
�黄巾の乱
�八王の乱
�永嘉の乱
(5)反乱発生の年 �黄巾の乱�八王の乱�永嘉の乱
�184年 イワシの目がまっき色
�290年 
�311年
(6)六朝の王朝6つ
�呉
�東晋
�宋
�斉
�粱
�陳
(7)魏晋南北朝時代の意義3つ
�華北を北方遊牧民が長期間占領して影響を残す
�南方に中国人が移住して江南地方の開発が進む
�豪族から貴族が成立していく

後漢

2011年10月02日 | トリオDE世界史
(1)後漢の皇帝3人
�光武帝
�和帝
�桓帝
(2)後漢の東西交渉3人
�甘英
�大秦王安敦の使者
�安世高
(3)和帝の西域経営 �将軍�統治機関�中心地
�班超
�西域都護
�クチャ(亀茲)
(4)甘英 �業績�その記録�派遣した西域都護
�条支国までカスピ海以東50余国を訪問
�後漢書西域伝
�班超
(5)党錮の禁 �年�事件内容�結果
�166年
�儒学者(=党人)が外戚・宦官との政争に敗北した
�地方の政治が混乱した
(6)黄巾の乱 �年�首謀者�中心勢力
�184年
�張角
�太平道に参加した農民
(7)五斗米道 �創始者�互助組織の内容�影響
�張陵
�入門謝礼として五斗(9L)の米を納めた
�道教の正一教の源流となった
(8)後漢のヴェトナム支配 �後漢の将軍�後漢の反乱�姉妹の中国名
�馬援
�チュンチャク・チュンニの乱
�微側・微弐
(9)3国時代の3国
�魏
�呉
�蜀
(10)3国時代の都
�洛陽
�建業
�成都
(11)3国時代の建国者3人
�曹丕(父曹操が基礎つくり)
�孫権
�劉備
(12)匈奴の分裂 �西域支配�内モンゴル�外モンゴル
�西匈奴
�南匈奴
�北匈奴
(13)1世紀の東匈奴 �王�妃�2人を題材とした作品
�呼韓乎単于
�王昭君
�漢宮秋(著者馬到遠)
(14)大秦王安敦 �ローマ皇帝名�到着した土地�記録した書物
�マルクス=アウレリウス=アントニヌス
�日南郡(現在のユエ)
�後漢書西域伝

前漢

2011年10月02日 | トリオDE世界史
(1)儒学の国学化の3人 �秦の弾圧�前漢武帝�儒学の国学化の完成
�李斯
�董仲舒
�王莽
(2)史記 �著者�編集スタイル�著述の期間
�司馬遷�紀伝体�黄帝から武帝まで
(3)武帝の財政再建策3つ
�塩鉄専売
�均輸法
�平準法
(4)前漢・新・後漢の都
�長安
�長安
�洛陽
(5)新 �建国者�都�政策
�王莽
�長安
�周の政治を復活させる
(6)後漢 �建国者�都�王朝の特徴
�劉秀(光武帝)
�洛陽
�豪族の連合政権
(7)新の滅亡 �反乱�首謀者�反乱の中心勢力
�赤眉の乱
�劉秀
�地方豪族