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東大などの論述問題で対比的問題を出題するt理由

2018年05月27日 | 論述問題
東大などの論述問題で対比的問題を出題する理由

出題者が大切に考えていることは「法則的知識」です。これはどこにでも利用可能な知識で、例えば「革命とは社会構造の大きな変革である」という知識です。イギリス革命を考える際にこの「法則的知識」を用いるとイギリス革命の特殊性が見えてきます。すなわちイギリス革命は特権階級が分裂して議会主義を取る貴族が政権を獲得しただけです。そうするとイギリス革命は「革命」ではないのか?ここで「対比的手法」によってフランス革命と比較的します。第三身分が特権階級を吹き飛ばして政権に付きました。この共和制とクロムエルの共和制はその担い手が第三身分なのか特権階級なのかで異なっていることが明確になってきます。
このように「法則的知識」を理解し利用できれば歴史が過去の出来事を記憶する作業ではないことがわかります。ロシア革命で社会構造の大きな変化はあったと言えるか?ロマノフ朝とその貴族階級に替わって共産党とそのテクノクラートが支配する変化でしたが、共和制に移行したものの構造的には大きな変革と言えないかもしれません。ここで別の「法則的知識」として「第一共和制の政権は不安定で王政への揺りもしがある」を用いると、今後のロシア共和国政府の動向が気になります。プーチン大統領は2000年から政権に関与している状況です。
大学入試問題の出題者はこのような「法則的知識」を高校生に意識させたいのだと思います。そのために「対比的手法」を用いてイギリス革命やフランス革命といった「個別的知識」を単なる出来事の暗記に終わることがないように求めているのでしょう。


2017年東京大学 第1問問題 帝国

2018年05月09日 | 論述問題
 「帝国」は、今日において現代世界を分析する言葉として用いられることがある。「古代帝国」はその原型として着目され、各地に成立した「帝国」の類似点をもとに、古代社会の法則的な発展がしばしば議論されてきた。しかしながら、それぞれの地域社会がたどった歴史的展開はひとつの法則の枠組みに収まらず、「帝国」統治者の呼び名が登場する経緯にも大きな違いがある。
 以上のことを踏まえて、前2世紀以後のローマ、および春秋時代以後の黄河・長江流域について、「古代帝国」が成立するまでのこれらニ地域の社会変化を論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。 

  漢字 私兵 諸侯 宗法 属州 第一人者 同盟市戦法争 邑

2018年一橋大学第3問 問題3.1運動

2018年05月09日 | 論述問題
Ⅲ 次の文章は、ある朝鮮人革命家が、アメリカのジャーナリストに語った回想を元に書かれたものである。これを読んで、問いに答えなさい。(問1、問2をあわせて400字以内)

 先生は、中学校の教室の前に芝居じみた厳粛さで立ち、生涯忘れられない美しい言葉のあふれる演説をした──今日それはなんと反語的に響くことか!
 「この日、朝鮮独立の宣言はなされた。朝鮮全土に平和なデモ行動が行われよう。われわれはただ独立と民主主義を求めるのみだ。誰もわれわれの正当な要求を拒むことはできない。」
 私たちは彼に率いられて街に出、何千という他の学校の生徒や街の人々と隊伍を組み、歌いながらスローガンを叫びながら町中を行進した。
 デモの途中、町の中で大衆集会が開かれ、そこで新たな独立宣言が読みあげられた。この宣言は国際主義的心情の色彩が濃く、平和精神と万国の国際的信義の擁護とをうたっていた。また中国とインドに共闘の呼びかけを行っているが、①中国は山東半島の一部を日本に引き渡す運びとなった日英の秘密条約が発覚してからそれに応じてきた。
 私は世界的大運動に重要な役割を演じているような気持ちで、至福千年がついに来たのだと思いこんでいた。しばらくして伝わってきた②ヴェルサイユの裏切りのショックは大変なもので、私などまるで心臓が裂けてとび出すかと思った。
 (ニム・ウエールズ著、松平いを子訳『アリランの歌』より引用。但し、一部改変)

問1 この文章全体で描写されている運動と下線①が示す運動について、それぞれの名称を示しなさい。

問2 下線②で示されている会議に言及しつつ、両運動の背景および、展開過程、意義を論じなさい。

2017年一橋大学 第3問 問題 ザイトンの国際関係

2018年05月09日 | 論述問題
Ⅲ 次の文章を読んで、問いに答えなさい。
 われわれが海を渡り、最初に到着した町はザイトゥーンの町であった。そこは壮大にして、規模の大きな町であり、カムハー織り(錦紗)やビロード織りの布地(緞紗)がそこでは製造されており、それらはその町に由来する名で知られている。その布地は、ハンサー織りやハンバーリク織りよりも上等である。
 そこの停泊港は、世界の数ある港のなかでも最大規模の港の一つ、否、間違いなく最大のものであり、私は実際にその港で、約100艘の大型ジャンクを見た。さらに小型船に至っては、多くて数え切れないほどであった。そこの港は陸地に入り込んだ海からの大きな入江で、やがてその海は大河と混じり合う。この町は、他のすべてのシナ地方と同じく、住民のための果樹園、田畑と屋敷が町の真ん中にあって、ちょうど、我が国のスィジルマーサの町とよく似ており、他ならぬこのために、彼らの町は規模が大きくなっている。
 (イブン・バトゥータ著、家島彦一訳注『大旅行記』より引用。但し、一部改変)

問い ザイトンとも称されたザイトゥーンの都市名を漢字で答えた上で、当該都市を取り巻く11〜13世紀の国際関係を論じなさい。(400字以内)

2017年一橋大学 第1問 問題 スペインの盛衰

2018年05月09日 | 論述問題

 16世紀半ばに書かれた次の文章を読んで、問いに答えなさい。

 あらゆる商品の価格は、その必要性が非常に高く、かつ提供される量が少ないときには上昇する。貨幣もまた、それ自体で売買され、かつあらゆる契約取引の対象となる以上は一つの商品であり、したがってその価格は貨幣の需要が大きく供給が少なければ上昇する。また、貨幣が不足している国では、貨幣が豊富にある国よりもあらゆる商品や労働が安価に提供される。実際にフランスではスペインよりも貨幣の量が少なく、パン、布、労働力の値段がスペインよりもはるかに低い。またスペインでも、貨幣の量が少なかった時代には、インド[新大陸のこと]の発見によって国中に金銀があふれた時代よりはるかに安い値段で商品や労働が提供されていた。
(マルティン・デ・アスピルクエタ『徴利明解論』(1556年)より引用。但し、一部改変)

問い この文章中で述べられている現象が、スペインの盛衰、および16〜17世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について論じなさい。(400字以内)