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2014年一橋大学本試 第4問 清末の改革 朝鮮と日本・ロシア関係

2021年02月15日 | 論述問題
2014年一橋大学本試【3】

  次の文章は、16世紀から17世紀末にかけて大きく変動した東アジア情勢の一端を伝えるものである。これを読んで、問1、問2に答えなさい。
 万暦47年(1619年)のサルフ山の戦いで大敗して以降、明朝では、女真族の軍事的脅威が高まりを見せる。こうした中で、新式火器の導入をもってかかる危機的状況を打開しようとしたのが、官僚にしてキリスト教徒として著名な徐光啓である。爾後、明朝では、徐光啓やその弟子の李之藻、孫元化などが、火器に精通し、(A.   )のポルトガル人と深い関係を持つキリスト教官僚らを中心に、新式火器の導入や火器の整備が建議・実施される。
 万暦32年(1604年)、進士となり官界に進出した徐光啓は、しばしば兵事、特に新式火器の導入による軍備充実の必要性を陳述して注目を浴びた。それは主として、ポルトガルの拠点となっていた(A.   )で製造される高性能のヨーロッパ式大砲(紅夷砲)を導入し、北京、およびその近郊や遼東諸地域の軍事拠点に配備するというものであった。同時に彼は、彼に師事する李之藻らを通じて(A.   )のポルトガル当局と独自に買い付け交渉を進め、泰昌元年(1620年)、みずから費用を工面して4門の紅夷砲を購入した。天啓元年(1621年)の瀋陽・遼陽の陥落など、いっそう深刻な状況となった対女真情勢を背景に、明朝は、徐光啓の建議を採用し、合計30門の紅夷砲を(A.   )から購入し、北京、および(B.   )や寧遠などの軍事拠点に投入した。また、天啓3年(1623年)、紅夷砲の操作に熟達するポルトガル人技師約100名を火器操作の指導者として招募し、京営での砲手育成の訓練に充当した。  (久芳崇『東アジアの兵器革命』より引用。但し、一部改変)
問1 空欄(A.   )(B.   )に当てはまる地名を答えなさい。さらに、清朝が明朝に替わって中国を支配するようになった経緯を、さまざまな要因を関連づけて説明しなさい。(240字)
問2 16世紀末から17世紀末にかけて、朝鮮と明朝・女真・清朝との関係はどのように推移したのか説明しなさい。その際、次の用語を必ず使用しなさい。(160字)
 壬辰の倭乱   ホンタイジ   冊封

解答例
問1
AマカオB山海関
明朝は万暦の3大遠征により財政難に陥った。さらに「17世紀の危機」で不景気に陥った。一方、1616年女真族のヌルハチが後金を建国。ホンタイジはチャハル部を平定して勢力を拡大した。この状況下、李自成の乱が派生し北京を攻略。崇禎帝が自害して明は滅亡した。そのため明将呉三桂は1644年清順治帝を入関させ、李自成の乱を平定した。
問2
朝鮮は明の冊封を受けていた。そのため壬辰の倭乱がおこると明軍は朝鮮を支援して日本を撃退した。国号を清に改めた女真族のホンタイジは朝鮮を攻撃し、次の順治帝がこれを制圧した。その結果、朝鮮は清の冊封を受けいれた。これに対し朝鮮の支配層である両班は異民族支配を嫌い、小中華思想を持った。その中で李滉は朱子学を発展させた。


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