国際平和を維持するための機構という構想は古くからくりかえし提唱されてきた。たとえば近世においては,ドイツの哲学者【カント】がその晩年の1795年に『【永久平和のために】』を著して、国際連盟の基本構想を提出している。それは18世紀の混乱した国際秩序の真っ只中に生きた彼が、哲学者としてこれを反省するなかで育んだ構想であった。
しかしこうした国際機構の設立は、諸国家間の高度に政治的な問題であったため、実現にいたらず、人類が第一次世界大戦という未曾有の惨禍を経験して初めて、政治日程にのぼることになった。国際連盟として結実するこの国際平和のための機構は、直接的には、第一次世界大戦中にアメリカ合衆国大統領【ウィルソン】が発表した「【平和のための十四カ条】」のなかの一項にその起源を有した。国際連盟設立の提案は第一次世界大戦終了後のパリ講和会議でとりあげられ、講和条約であるヴェルサイユ条約の第1篇に国際連盟規約がもりこまれ、国際連盟は【1920】年に発足した。
国際連盟は【ジュネーヴ】に本部をおき、中央に総会・理事会・事務局がおかれ、自主的な外部機関である【国際労働機関】(ILO)と【国際司法裁判所】のほか、補助機関として多くの専門機関と諮問委員会が設置された。連盟の任務はまず第1に平和の維持であり、そのために【集団安全保障】の原理が採用され、連盟規約に違反して戦争をおこした国に対し、他の加盟国が協力して制裁を加えることが定められた。また連盟は、公正な国際関係や人道的諸問題のために国際協力をすすめることをも任務とした。国際労働機関もこの任務のうちの1つである人道的な労働条件の確立のために設置されたものであり、連盟の消滅後は国際連合の専門機関となって今日にいたっている。さらに連盟には、戦後処理の特殊な任務として、敗戦国ドイツの旧植民地やトルコの旧支配地の統治を、連盟が指定する国に【委任】する役割があたえられた。
しかし国際連盟の提唱国として大きな役割を期待されたアメリカが、【上院】の反対でこれに加盟せず、【ソ連邦】と敗戦国【ドイツ】が当初排除されて連盟に加わらなかったことは、連盟の力を制約した。また総会決議が【全会一致】を必要としたことは、機動的な動きを制約した。さらに連盟が侵略国に対しておこなう制裁は主に【経済制裁】であり、それも必ずしも徹底せず、大国がかかわる紛争の解決には非力であった。例えば連盟は【1935】年【エチオピア】に侵入した【イタリア】を侵略国とみなし、経済制裁を決議したものの、効果なくおわり、その無力さを露呈した。
1930年代後半、ヨーロッパとアジアで国際紛争が拡大するなかで、国際連盟に対する期待はいちじるしく弱まり、39年に第二次世界大戦が勃発すると、連盟の活動は事実上停止した。これに代わる新たな国際平和維持機構の構想は、戦時中の【1941】年アメリカの【Fルーズベルト】大統領とイギリスの【チャーチル】首相により発表された戦後の国際秩序と安全保障の原則を謳った【大西洋憲章】に由来する。これをもとに翌42年、連合国共同宣言が出され、さらに【43】年にはアメリカ・イギリス・ソ連邦・中国の4カ国による【モスクワ】会談で国際平和維持機構の必要性が確認され、【44】年【ダンパートン・オークス】会議で国際連合憲章の草案がまとめられた。