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私大対策講座(1)慶應経済07年「5」

2009年12月20日 | 復習用入試問題
問1 下線部Aに関する次の文章1~4のなかから,誤りを含む文章を1つ選び,解答欄 (1) にその番号をマークしなさい。
1.スペイン支配下のネーデルラントでは,スペイン王フェリペ2世によるカトリック強制と自治権の制限に反発するカルヴァン派の貴族・市民が,オラニエ公ウィレムを指導者とする反乱をおこした。南部10州はやがてスペインに屈服したが,北部7州はユトレヒト同盟を結んで戦いを続け,独立を勝ち取った。

2.ドイツでは,皇帝カール5世がイタリア戦争やオスマン帝国の脅威に対処するために一時ルター派に譲歩したが,再び反ルター派の態度を明らかにすると,ルター派の諸侯はこれに抗議し,シュマルカルデン同盟を結成した。その後,アウクスブルクの宗教和議により,カトリックとルター派のいずれをとるかの選択権が諸侯に与えられることとなった。

3.フランスでは,新旧教徒の対立がユグノー戦争に発展し,それはサンバルテルミの虐殺などをともないつつ,30年以上にも及んだ。王位についたブルボン家のアンリ4世は,自らは新教から旧教に改宗する一方,ナントの勅令でユグノーにも信教の自由を与えることで新旧両派の融和を図り,この戦争を終息させた。

4.自らの離婚問題をめぐって教皇と対立したイギリス国王へンリ8世は,首長法を制定してイギリス国教会を創設し,『一般祈祷書』を公布して国教会独自の教義を定めた。また彼は,カトリック教徒の多いアイルランドに対する征服戦争を行って当地の修道院領やカトリック貴族の領地を没収し,広大な王有牧羊場を囲い込んだ。

正解 4

選択肢の吟味・・・慶應経済の選択肢の特徴は、文が長いことにある。ただし、着目すべきは、「選択肢の個々の用語の正誤」よりも「選択肢の文中の事実と事実の関係の正誤」にある。たとえば、事実A「自らの離婚問題をめぐって教皇と対立したイギリス国王へンリ8世は,首長法を制定してイギリス国教会を創設し,『一般祈祷書』を公布して国教会独自の教義を定めた。」と事実B「彼は,カトリック教徒の多いアイルランドに対する征服戦争を行って当地の修道院領やカトリック貴族の領地を没収し,広大な王有牧羊場を囲い込んだ。」の事実Aと事実Bのそれぞれの用語に間違いはないが、ヘンリー8世が事実Bを行ったということは聞いた事はないはず。アイルランド遠征は1649年のクロムウェル。


高校3年 2学期期末試験解答速報

2009年12月11日 | 高3用 授業内容をもう一度

【解答1】2000 武蔵大学
問1 3 問2 3 問3 5 問4 4
問5 ア 7 イ 1 ウ 6
問6 7 問7 1 問8 2
【解答2】2004 学習院大学
問1 全体主義
問2 〔A〕 民族自決 〔B〕 大西洋憲章
問3 ナショナリズム
問4 ビスマルク
問5 (a) 旧オーストリア帝国 (b) ミュンヘン会談
問6 (a) ペタン政府 (b) イギリス
(c) チャーチル
【解答3】2007 同志社大学
設問1 
a 2 b 3 c 2 d 1
e 3 f 2 g 1 h 3
i 2 j 1 k 2
設問2 
A 3 B 6 C 8 D 12
E 13
設問3 
1 ペタン 2 自由フランス政府
3 独ソ不可侵条約 4 日ソ中立条約
5 武器貸与法 6 スターリングラード
【解答4】2001 明治大学
問1 ① O ② T ③ X ④ C ⑤ N
⑥ F
問2 (ア) C (イ) E (ウ) A (エ) D
【解答5】2008 上智大学
問1 c 問2 a 問3 a 問4 c
問5 c 問6 b 問7 d 問8 b
問9 b 問10 b 問11 c 問12 b
問13 d 問14 c 問15 c 問16 a
問17 c 問18 d 問19 a 問20 c
問21 d 問22 c 問23 b 問24 b
問25 a
【解答6】2000 関西学院大学
① b ② c ③ c ④ a
⑤ e ⑥ b ⑦ d
(イ) b (ロ) e (ハ) b
【解答7】2004 法政大学
問1 1 コ 2 ス 3 ウ 4 ク
5 ソ 6 テ 7 ツ 8 サ
9 イ 10 オ 11 エ 12 ア
問2 A ア B キ C ク
問3 ① ウ ② ク
【解答8】2007 南山大学
(31) (オ) (32) (エ) (33) (イ) (34) (ウ)
(35) (イ) (36) (ア) (37) (オ) (38) (ア)
(39) (エ) (40) (オ)
【解答9】2006 早稲田大学
問A 1 問B 3 問C 3 問D 2
問E 1 問F 3 問G 1 問H 2
問I 4 問J 3 問K 1 問L 4


高校2年 2学期期末試験解答速報

2009年12月11日 | 高2用 授業内容をもう一度
【解答1】
問1 1 イ 2 ア
問2 ウ 問3 イ 問4 キ
問5 (あ) ア (い) オ (う) エ (え) ウ (お) ウ
【解答2】
問1 ② 問2 ③ 問3 ④ 問4 ③
問5 ④ 問6 ④ 問7 ① 問8 ①
問9 ② 問10 ③ 問11 ① 問12 ②
【解答3】
イ d ロ f ハ c ニ e
① c ② d ③ b ④ a
⑤ c ⑥ b
【解答4】
A (イ) 10 (ロ) 漢
(ハ) 女真 (ニ) テムジン
(ホ) クリルタイ (ヘ) チンギス
(ト) ワールシュタット〔リーグニッツ〕
(チ) オゴタイ (リ) フビライ
B 〔あ〕 c 〔い〕 b 〔う〕 b 〔え〕 a
〔お〕 c 〔か〕 c 〔き〕 d 〔く〕 b
〔け〕 c 〔こ〕 b 〔さ〕 c
【解答5】
A 郡県 B 劉邦 C 門下省 D 殿試
E 六部
〔1〕 李斯 〔2〕 上品に寒門なく下品に勢族なし
〔3〕 均田制 〔4〕 孟子 〔5〕 雍正帝
【解答6】
21 ① 22 ④ 23 ③ 24 ③ 25 ⑤
26 ④ 27 ② 28 ③ 29 ③ 30 ⑤
31 ③ 32 ① 33 ③ 34 ⑤ 35 ②
36 ③ 37 ④ 38 ① 39 ① 40 ①
【解答7】
問1 エ 問2 オ 問3 エ 問4 ウ
問5 ウ 問6 ア 問7 イ 問8 イ
問9 ア 問10 エ
【解答8】
(イ) d (ロ) c (ハ) a (ニ) c (ホ) e
① e ② b ③ e ④ b ⑤ b
【解答9】
1 BD 2 AC 3 BC 4 AC 5 AD
6 AC 7 CD 8 BD
【解答10】
(1) (イ) (2) (ウ) (3) (ウ) (4) (ア)
(5) (イ)


冷戦 センター91

2009年12月08日 | 復習用入試問題
冷たい戦争(冷戦)について述べた次の文①~④のうちから,正しいものを一つ選べ。〔91・追〕
①スペインの共産化を恐れたアメリカは,トルーマン=ドクトリン(宣言)を発して,対ソ封じ込め政策を開始した。
②アメリカの発表したマーシャル=プランに対抗して,ソ連と東欧諸国はコミンテルンを組織した。
③東欧で共産党を中心とする政権があいついで誕生すると,西側諸国は,北大西洋条約機構(NATO)を結成して,共産主義勢力の拡大に対抗した。
④ソ連が占領下のドイツで行った通貨改革に対抗して,米・英・仏三国はベルリン封鎖を行った。

正解 3
①トルーマン=ドクトリン(1947年)は,ギリシア・トルコの共産化を防止。
②コミンテルンは1919~43年の国際共産党のこと。1947年のはコミンフォルムである。
③北大西洋条約機構の成立は1949年。1948年のチェコ政変に対応。
④通貨改革を行ったのが米・英・仏で,ベルリン封鎖を行ったのがソ連。

希望制講習

2009年12月05日 | 何かの足しになれば
12/14 12:00~14:00  アメリカ南北戦争
12/18 12:00~14:00  アメリカ帝国主義・大戦間史
12/19 13:00~14:00  アメリカ戦後史  
1/5  8:40~11:40   インド独立・オスマン近代化
1/6  8:40~11:40   イランイラク・アフリカ・東南欧現代史
1/7  8:40~11:40   中国現代史・社会主義史など

10世紀の東アジアと遼

2009年12月03日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【960】年に建国した【宋】を取り巻く国際環境と、【8】世紀に唐が築いた【東アジア文化圏】とには大きな対外があります。8世紀の東アジア文化圏に参加していた諸国は、自国の独自性を完成させるにいたってはいませんでした。たとえば日本は、文字は漢字を使用し、文学では漢詩を読み、建築様式や都市計画にいたるまで、唐風の国家になっていたわけです。この東アジア文化圏が崩壊したことを象徴する年代が【894】年といえます。この年、遣唐使【】が廃止されると、日本は国風文化を興し、ひらがな・カタカナを発明して源氏物語などの独自の文化を生みだしていきました。漢詩に代わって和歌が詠まれるようになったのもこの頃です。
 【10】世紀の東アジアは、高度な中国文化に飲み込まれない、独自の文化を持つ国々が誕生したといえます。【モンゴル高原】に出現した【契丹】族の【遼】は、【916】年に【耶律阿保機】によって建国されました。彼らは【契丹文字】を発明しました。漢字を使って自分たちの言語を書くと、どうしても中国文化の影響を受けてしまうからです。【チベット高原】北部に出現した【タングート】族(中国表記では【党項】)の【李元昊】が【1038】年に建国した【西夏】も、【西夏文字】を使用しています。すなわち、遼にしろ西夏にしろ、【12】世紀に【満州】で登場する【金】にしろ、独自の文化をもつ確固とした「国」として存在していたのだ、ということです。この点において8世紀とは大きく違うわけです。
 宋の周辺には確固とした「国」が存在していましたから、宋とそれらの国々とは「国」同士の「関係」が存在します。したがって、その「関係」がどのようであったかと知ることは、10世紀の東アジアを知る上で大切なポイントになります。さらに、宋が国内政治の安定を重視して【文治主義】を採っために、【消極的外交】政策を採用せざるを得なかったことが、この「関係」をより興味深いものにしたといえます。