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板書(92)清�乾隆帝~道光帝

2012年07月27日 | トリオDE世界史

(1)清とイギリスの貿易 �清の貿易体制�18世紀まで�19世紀から
�公行体制
�片貿易(イギリスの貿易赤字)
�三角貿易(イギリスの貿易黒字)
(2)公行貿易 �貿易の状況�貿易港�特徴
�13行による貿易独占
�広州
�保護(管理)貿易主義による海禁策
(3)三角貿易 �英⇒印�印⇒清�清⇒英
�綿織物工業製品
�アヘン
�銀
(4)アヘン貿易 �開始�黙認�公認
�乾隆帝の末期から開始
�南京条約(1842年)で黙認
�北京条約(1860年)で公認
(5)アヘン貿易 �背景�銀の流れ�清への影響
�イギリス自由主義貿易の拡大
�銀が清から大量に流出した
�不況・インフレになり反乱など社会不安が拡大
(6)嘉慶帝時代の反乱 �北京紫禁城に乱入�仏教系の反乱�鎮圧した勢力
�天理教徒の乱
�白蓮教徒の乱
�団練(のちの郷勇)
(7)イギリスからの使節3人
�マカートニー
�アマースト
�ネイピア
(8)イギリスからの使者 �問題�目的�結果
�三跪九叩頭問題
�イギリスが自由主義貿易を要求
�清は受け入れなかった
(9)三跪九叩頭問題 �マカートニー�アマースト�ネイピア
�三跪九叩頭をして乾隆帝に謁見
�三跪九叩頭を拒否して謁見せず
�三跪九叩頭を拒否して謁見せず
(10)アヘン戦争 �年�反戦演説�条約
�1840~42年
�自由党党首グラッドストン
�南京条約
(11)アヘン戦争 �清高官�その役職�民衆の抵抗
�林則徐
�欽差大臣
�平英団
(12)平英団 �場所�評価�八旗
�広州三元里
�最初の反帝国主義運動
�イギリス軍に対して無力
(13)南京条約 �年�結果�割譲地
�1842年
�五港開港して公行貿易体制は終わった
�香港島
(14)南京条約 �評価�開港地�南京
�不平等条約ではない
�上海など
�南京は開港せず
(15)南京条約後の不平等条約 �イギリス�アメリカ�フランス
�虎門塞追加条約
�望カ条約
�黄ホ条約
(16)不平等条約 �裁判�関税�関係
�治外法権を清が認める
�関税自主権を清が失う
�片最恵国待遇
(17)アヘン戦争の結果 �清の状況�江南の状況�アヘン貿易
�中国の半植民地化が始まった
�経済が混乱し太平天国の乱が発生した
�南京条約で黙認されていっそう拡大した


清全盛期からアヘン戦争  2001年東京経済大学 経済

2012年07月26日 | 復習用入試問題

2001年東京経済大学 経済

 次の文章を読んで,後の各問に答えなさい。

 清朝は17世紀後半から18世紀にかけて,(a)三代の皇帝の時代に全盛期を迎えたが,18世紀も後半になると,内政全般において(b)さまざまな矛盾が表面化した。対外的には,(c)中国貿易を独占し始めたイギリスなどの圧力が強まり,(d)アヘン戦争へと発展した。
 清朝は,軍事的優位に立つイギリスに敗北し,1842年に南京条約が,(e)翌1843年に追加条約が結ばれた。アメリカやフランスとの間でも,翌1844年に同様の条約が結ばれた。1856年にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)が起こり,(f)1858年に天津条約が,1860年に北京条約が結ばれた。
 アヘン戦争の敗北により,清朝の威信は地に落ち,民衆の生活をさらに苦しめることになった。こうした民衆の不満が爆発したのが,1851年に起こった(g)太平天国の運動である。
 清朝が太平天国やアロー戦争による苦境にあったのに乗じて,(h)ロシアもまた東方への領土拡大を推し進めた。

問1 下線部(a)について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 雍正帝は軍事・行政の最高機関である総理衙門を設置し,乾隆帝は辺境統治の機関である理藩院を整備した。
② 康煕帝は三藩の乱を平定した後,鄭氏一族の支配下にあった台湾を中国の領土に加え,これを直轄領の一つとした。
③ 雍正帝は1689年にネルチンスク条約を,乾隆帝は1727年にキャフタ条約をそれぞれ結び,ロシアとの国境を確定した。
④ 乾隆帝は,1757年に外国船の来航を広州など四港に限定し,税関を設置した。
問2 清朝のキリスト教政策についての説明として最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① イエズス会宣教師は布教にあたって,信者に孔子の崇拝や祖先の祭祀などを認めなかった。
② いわゆる「典礼問題」でいう「典礼」とは,キリスト教本来の伝統的儀礼のことを指す。
③ 康煕帝はイエズス会宣教師以外の布教を禁止したが,フランス人の宣教師ブーヴェ(白進)らの協力を得て,『皇輿全覧図』を作製した。
④ 雍正帝が1724年にキリスト教の布教を全面的に禁止したため,キリスト教に対する厳しい弾圧が行われ,多くの殉教者が出た。
問3 清代の文化についての説明として誤っているものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 『古今図書集成』とは,乾隆帝の命で古今の図書を集めて編纂された大叢書であり,経(古典),史(歴史),子(諸子),集(文集)の4部に分類されている。
② 没落をたどる満州貴族の家庭を中心にして描いた『紅楼夢』や,官僚制度の腐敗を批判した『儒林外史』などの傑作が生み出された。
③ イエズス会宣教師カスティリオーネは,西洋の絵画技法や建築様式を紹介し,円明園の設計にも参加した。
④ 朱子学や陽明学にかわって,実証を重視する考証学が栄えた。
問4 清代の社会経済についての説明として最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 国家による農村支配は,土地を対象とする体制が崩壊し,戸数を基礎とする里甲制が発展した。
② 清代には,人頭税を土地税にふくめた地丁銀の税制が普及した。
③ 農村においては,新たに士大夫と呼ばれる読書人・知識階級が形成された。
④ 急速な人口増大により,広東・福建の農民の東南アジアヘの移住が奨励され,のちの南洋華僑のもとになった。
問5 下線部(b)について,最大の反乱の名称として最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 黄巾の乱 ② 白饌教徒の乱 ③ 紅巾の乱 ④ 黄巣の乱
問6 下線部(c)について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 茶をはじめとする中国からの輸入が増大するにつれて,ヨーロッパからの工業品の輸出も増大した。
② イギリスは中国の茶を買いつけて本国に送り,18世紀末まではその代価を新大陸からの銀で支払った。
③ 18世紀末からはインドで強制栽培させた木綿を中国へ大量に輸出した。
④ 公行による貿易独占の撤廃と,イギリス東インド会社による中国貿易独占を要求した。
問7 下線部(d)について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① アヘン戦争以前には,清朝はアヘン吸入や密輸を禁止していなかった。
② 林則徐は,アヘンを没収廃棄したが,イギリスとの一般貿易は容認した。
③ 1841年に広州の清軍が降伏した後,郊外の住民が平英団を組織し,イギリス軍を攻撃した。
④ イギリスとフランスが共同出兵し,1842年には北京を占領した。
問8 下線部(e)の内容として最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 上海・寧波・福州・厦門・広州の五港の開港
② 公行の廃止 ③最恵国待遇 ④ アヘン貿易の公認
問9 アヘン戦争直後の状況を説明したものとして最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 欧米諸国の中国貿易による利益が急速に増大した。
② 中国の銀価は急落した。
③ 1845年に,上海に初めての租界が設けられた。
④ アヘンの密貿易は急速に衰退した。
問10 下線部(f)の条約の内容として最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① キリスト教の布教の自由 ② 外国公使の広州駐在
③ 香港島の割譲 ④ 領事裁判権
問11 最近の香港返還について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 香港は南京条約以来,99年ぶりにイギリスから返還された。
② 返還後の香港は,香港特別行政区に指定された。
③ 香港では「一国二制度」は採用されなかった。
④ 香港返還に先立ち,1997年7月にポルトガルからマカオが返還された。
問12 下線部(g)について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① この運動は「扶清滅洋」を掲げ,儒教擁護の立場を取った。
② イギリスなどの欧米列強は,当初から清朝擁護の立場を取った。
③ この運動は当初は土地の均分を掲げたが,やがて地主制を擁護するようになった。
④ 郷勇とは,各地の義勇軍を率いた地方官僚や有力者のことである。
問13 下線部(h)について最も適切なものを,次の①~④の中から一つ選び,マークして答えなさい。
① 1858年のアイグン(愛琿)条約により,アルグン川とスタノヴォイ山脈(外興安嶺)を国境とした。
② 1860年の北京条約により,ウスリー川以東の沿海州を両国の共同管理とした。
③ 1875年には,日本との間でウルップ島以北の千島列島と交換に樺太(サハリン)を獲得した。
④ 外蒙古におけるハルハ部の反乱を機に,1881年にイリ条約を結んだ。





【解答4】 
問1 ② 問2 ③ 問3 ① 問4 ② 問5 ②
問6 ② 問7 ③ 問8 ③ 問9 ③ 問10 ①
問11 ② 問12 ③ 問13 ③



アヘン戦争から太平天国の乱  2002年東洋大学改

2012年07月26日 | 復習用入試問題

) 中国では清朝の乾隆帝が引退した後,約8年間にわたる農民の大反乱が起った。これが 1 である。これで清朝の統治力・軍事力の弱さが露呈した。おりから産業革命を行ったイギリスが市場として中国をねらうが,清朝の貿易は 2 と呼ばれる特許商人の組合が独占し,対外開放港も ア に限っていた。貿易赤字を懸念するイギリスはアヘンを密貿易で売り込んだ。欽差大臣の a はアヘンの没収・廃棄,イギリス商人の貿易禁止などの強行策にでた。これを発端としてアヘン戦争が起こり,勝ったイギリスは1842年, 3 を結び イ の割譲, ウ を始め5港の開港などを清朝に認めさせた。これが欧米列強による中国侵略のきっかけとなった。
 国内では清朝に抵抗する運動が起こった。太平天国は宗教色の強い 4 を組織した b が興し,人心を得たこともあって華南一帯を占領するまでになった。太平天国の政策は清朝打倒のほか 5 などであった。

問1  1 ~ 5 に入れるのに最も適切なものを,次のそれぞれ①~⑤のうちから一つずつ選べ。
 1  ① 李自戒の乱 ② 白蓮教徒の乱 ③ 三藩の乱
④ 天理教徒の乱 ⑤ 紅巾の乱
 2  ① 洋行 ② 客商 ③ 銀行 ④ 公行 ⑤ 票商
 3  ① 天津条約 ② 南京条約 ③ 北京条約
④ 望厦条約 ⑤ 黄埔条約
 4  ① 天地会 ② 哥老会 ③ 上帝会
④ 華興会 ⑤ 光復会
 5  ① 市場経済や自由往来 ② 男女平等や土地の均分
③ 信仰第一や公共福祉 ④ 人権尊重や世界友好
⑤ 内政不干渉や互恵平等

問2  ア ~ ウ に入れるのに最も適切な地名または地域名を,次のそれぞれ①~⑤のうちから一つずつ選べ。
 ア  ① 北京 ② 天津 ③ 上海 ④ 福州 ⑤ 広州
 イ  ① 九龍半島 ② 香港 ③ 台湾
④ マカオ ⑤ 山東半島
 ウ  ① 天津 ② 青島 ③ 大連 ④ 煙台 ⑤ 上海

問3  a ・ b に入れるのに最も適切な人名を,次のそれぞれ①~⑤のうちから一つずつ選べ。
 a  ① 林則徐 ② 曾国藩 ③ 左宗棠
④ 魏源 ⑤ 康有為
 b  ① 洪秀全 ② 鄭成功 ③ 李鴻章
④ 梁啓超 ⑤ 張之洞



解答
問1 1 ② 2 ④ 3 ② 4 ③ 5 ②
問2 ア ⑤ イ ② ウ ⑤
問3 a ① b ①


洋務運動から変法自強 2008年早稲田大学 文

2012年07月26日 | 復習用入試問題

 次の文章を読んで,設問に答えなさい。1~5は所定欄に一つだけマークし,6は所定欄に記しなさい。

 アヘン戦争の直後,魏源は『海国図志』を著して,西洋諸国に対抗するためには西洋技術の導入が必要だと説いたが,その主張は,当時はあまり重視されなかった。しかし,a太平天国とアロー戦争の後になると,新技術導入の必要性が痛感され,太平天国鎮圧に活躍した有力官僚の主導の下に,各地に兵器工場や造船所などが建設されるようになる。いわゆる洋務運動である。こうした技術革新は,たしかに一定の成果をあげた。 b の率いる湘軍によるc新疆の回復は,その一例であろう。ところが,d洋務派官僚の作り上げた軍隊が新興国日本に完敗したことは,人々に大きな衝撃を与え,「変法」の主張が盛り上がってくる。その基本的な考え方は, あ というものである。ただし,興味深いのは,康有為の「孔子改制考」に見られるように,変法派が主張の正当性の根拠をしばしば古典の解釈の中に求めたことである。義和団事件の後,体制の限界を認識した清朝は,「変法」を本格的に推進するが,一方で,清朝打倒,共和政実現を目指す革命派の動きも活発化してくる。革命派の間では,主張のよりどころを古典に求める態度は,さすがに稀薄になる。たとえば,汪兆銘が e の機関誌『民報』の創刊号に寄せた論文には,古典への言及はほとんど見られない。

設問1 下線部aとほぼ同時期に清朝に反抗して蜂起し,主に長江以北で活動した集団はどれか。
イ 天地会 ロ 上帝会 ハ 淮軍 ニ 捻軍

設問2  b に当てはまる人物は誰か。
イ 袁世凱 ロ 左宗棠 ハ 劉永福 ニ 李鴻章

設問3 下線部cの直前の新疆に関する記述として,正しいものはどれか。
イ 南部のオアシス地帯に本拠をもつジュンガル部が,北部の草原地帯をも支配していた。
ロ 現地イスラーム教徒の反清蜂起に乗じて,ブハラ=ハン国出身のサイイド=アリー=ムハンマドが実権を握った。
ハ ヘディンの率いるイギリスの探検隊が,楼蘭の遺跡を発見した。
ニ ロシアは,通商路の保護を名目として,新疆の一部を占領した。

設問4 下線部dの戦争後,日本は朝鮮の植民地化を進めたが,これに対して,朝鮮(大韓帝国)の皇帝は万国平和会議に密使を送り,日本の不当性を訴えた。この会議が開かれた場所はどこか。
イ ハーグ ロ パリ ハ ジュネーヴ ニ ワシントン

設問5  e に当てはまる団体名は何か。
イ 華興会 ロ 国民党 ハ 中国同盟会 ニ 中国共産党

設問6 空欄 あ を,軍事技術・富国強兵・政治制度の三つの語を使用した30字以内の文章で埋めなさい。句読点も1字とする。


【解答6】 
設問1 ニ 設問2 ロ 設問3 ニ 設問4 イ
設問5 ハ
設問6 軍事技術の導入よりも政治制度の近代化による富国強兵を図る。


第2次アヘン戦争と太平天国   2005年同志社大学

2012年07月26日 | 復習用入試問題

次のA~Cの文を読み,(   )内に入るもっとも適切な語句を,各語群よりひとつずつ選び,その番号を解答欄に記入しなさい。同一記号のみ同一語句とする。また,指示にしたがって〔設問1〕と〔設問2〕に答えなさい。

A 
 アヘン吸飲の風習がひろまり,密貿易が増えた中国では,( ア )が( イ )に派遣されてとりしまりにあたったが,自由貿易を要求するイギリスとの間でアヘン戦争が生じた。戦争は清の敗北に終わり,1842年に( ウ )条約が結ばれ,清は( エ )の割譲や( イ )をはじめとする5港の開港などを認めた。
 アヘン戦争後,中国の民衆生活は破綻し,暴動が頻発した。1851年,( オ )が指導する太平天国が,( カ )省で挙兵し,1853年に( ウ )を占領し,これを天京と名付けて首都とした。この太平軍を破ったのは,( キ )のひきいる湘軍や,( ク )のひきいる淮軍など,各地の郷勇であった。かれらは,( ケ )ひきいる常勝軍などの外国人の協力をえて,1864年に( ウ )を占領し,太平天国は滅んだ。
 イギリスは,1856年には( カ )省でおこったフランス人宣教師殺害事件で清に抗議していたフランスと共同出兵し,アロー戦争をおこした。英仏軍は( イ )を占領した後,北上して( コ )にせまり,1858年にいったん条約を結んだが,戦闘再開の後に,( サ )で条約が結ばれ,外国公使の( サ )駐在,キリスト教布教の自由などを清に認めさせた。その後,清では,外国との和親や西洋文化の摂取に努める洋務運動がおこり,( キ )や( ク )のほかに,( シ )らの漢人官僚が西洋技術の導入につとめたが,社会の本質的な変革は難しかった。

Aの語群 
1.アマースト 2.金玉均 3.黄宗羲 4.洪景来
5.洪秀全 6.ゴードン 7.宋応星 8.曾国藩
9.左宗棠 10.大院君 11.マカートニー 12.李鴻章
13.李舜臣 14.林則徐 15.漢口 16.広州
17.杭州 18.江西 19.天津 20.南京
21.北京 22.香港 23.四川 24.山西
25.広西

〔設問1〕 次のa~cに対する解答を解答欄に記入しなさい。
a 太平天国に関する次の1~4のうち,誤りのあるものをひとつ選び,その番号を記しなさい。
1.アヘン戦争後,増税と銀価格の高騰により,貧農の生活は一段と苦しくなった。
2.宗教結社の上帝会は,徹底したキリスト教排斥をとなえた。
3.太平天国は天朝田畝制度によって,男女の区別なく土地を均等に配分しようとした。
4.「滅満興漢」を唱える太平天国は,清が強制していた辮髪をやめた。


解答
A (ア) 14 (イ) 16 (ウ) 20 (エ) 22
(オ) 5 (カ) 25 (キ) 8 (ク) 12
(ケ) 6 (コ) 19 (サ) 21 (シ) 9
〔設問1〕 


中国近代史(アヘン戦争~太平天国) 2000年神戸学院大学 法

2012年07月26日 | 復習用入試問題

 西洋との関係からみた中国の近代について,あとの設問に答えよ。

 中国の近代は,欧米列強が積極的なアジア進出を展開した19世紀半ばにはじまる。当時清朝では,外国貿易を 27 1港に制限し,公行(特許商人の組合)所属の商人にだけ取引を許していた。産業革命の進んだイギリスは,綿糸・綿布など工業製品の中国への輸出をのぞみ,自由貿易にのりだした。いっぽう,購入する 28 の代金支払によって銀の流出が増大するのを防ぐため,18世紀末ころから,銀にかえてインド産のアヘンを中国にもちこむようになっていた。
 アヘンの輸入により,逆に激増する銀の流出とアヘンの害毒をふせぐため,清はしばしば禁令をだしていた。しかし実効がなかったので,ついに強硬処置をとり, 29 年林則徐を派遣して,イギリス商人所有のアヘンを没収して廃棄し,一般の通商をも禁じた。イギリスは外交,貿易上の問題を,武力で解決しようと, 30 年遠征軍をおくり,アヘン戦争をおこした。
 近代的軍備をもつイギリス軍はアヘン戦争に勝利して,1842年 31 が結ばれた。ついで1844年には,中国でも市場拡大をのぞむアメリカ・フランスとも,同様の条約を結んだ。イギリスはさらに大きな利権を得ようと,たまたま1856年広州港でおこった事件を口実に,英仏連合して 32 をおこす。いったん1858年天津条約が結ばれたが,清が批准を拒絶したため,60年北京に進撃し,敗れた清は北京条約を結んだ。
 ロシアは19世紀中ごろから,清の弱体化に乗じて,ふたたび積極的な進出政策をとり,イギリスの中国進出をおびやかし,20世紀初めまで英露両国は対立を続けた。1858年ロシアは 33 を結んで,アムール川(黒竜江)以北の地を獲得した。ついで英仏連合軍の北京入城のとき和議を仲介した代償として,1860年北京条約を結び, 34 を獲得し,太平洋進出の拠点とした。
 1796年から1804年の白蓮教徒の乱や,1851年から64年の太平天国の乱は,清の国力がおとろえたことを示している。太平軍の鎮圧に政府軍は役にたたず, 35 や李鴻章が郷勇を組織して鎮圧にあたるとともに,ゴードンらが西洋式に訓練した常勝軍をひきいて力を貸した。この教訓から,ヨーロッパの近代機械文明をとりいれる 36 がひろがっていった。
 19世紀末には,日本もドイツもアメリカも中国への進出をはかり,それぞれに権益を獲得した。そういうなかで, 37 がおこり,1898年戊戌の政変があった。この頃,民衆の排外運動が激しくなり,義和団が蜂起し,首都北京までおびやかされた。1900年連合軍が共同出兵して北京を占領,外国の軍隊が首都に常駐して,半植民地化を深めた。外国に奪われた利権を回収し,漢民族の主権国家を建設しようと,孫文らの革命派が勢力をのばし,1911年 38 がおこって,1912年中華民国が成立,清は滅亡した。

問1  27 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 上海 B 香港 C 青島 D 広州
問2  28 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 茶 B 絹 C 鉄 D 豚
問3  29 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 1838 B 1839 C 1840 D 1841
問4  30 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 1839 B 1840 C 1841 D 1842
問5  31 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 北京条約 B 南京条約 C 広東条約 D 上海条約
問6  32 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A アロー戦争 B インドシナ戦争
C 清仏戦争 D ヴェトナム戦争
問7  33 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A キャフタ条約 B ネルチンスク条約
C アイグン条約 D 天津条約
問8  34 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 遼東半島 B 大連 C 旅順 D 沿海州
問9  35 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 曾国藩 B 康有為 C 梁啓超 D 西太后
問10  36 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 変法運動 B 洋務運動 C 革命運動 D 五・四運動
問11  37 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 仇教運動 B 五・四運動 C 抗日運動 D 変法運動
問12  38 に該当するものを,次のA~Dのうちから1つ選べ。
A 二月革命 B 社会主義革命 C 幸亥革命 D 反帝革命



【解答3】 
問1 D 問2 A 問3 B 問4 B
問5 B 問6 A 問7 C 問8 D
問9 A 問10 B 問11 D 問12 C



20世紀のアメリア史(1)永遠の繁栄と大恐慌

2012年07月15日 | トリオDE世界史

(1)1920年代共和党大統領3人
�ハーディング
�クーリッジ
�フーヴァー
(2)1920年代の共和党スローガン �ハーディング�クーリッジ�フーヴァー
�常態への復帰
�黄金の20年代
�永遠の繁栄
(3)1920年代の軍縮会議 �ハーディング�クーリッジ�フーヴァー
�ワシントン海軍軍縮会議
�ジュネーブ軍縮会議
�ロンドン軍縮会議
(4)ワシントン会議 �太平洋関係�中国関係�軍縮会議
�4国条約
�9国条約
�ワシントン軍縮会議
(5)4国条約 �年�破棄された条約�テーマ
�1921年
�日英同盟
�太平洋の取り決め
(6)9国条約 �破棄された日本の権益�日本が返還した権益�破棄された協定�21ヶ条要求
�山東省のドイツ権益
�石井ランシング協定
(7)軍縮 �ワシントン会議�ジュネーブ会議�ロンドン会議
�主力艦
�補助艦・仏伊は不参加
�補助間・仏伊は参加したが調印せず
(8)不戦条約 �年�フランス�アメリカ
�1928年
�ブリアン
�ケロッグ
(9)大恐慌 �年�場所�アメリカ大統領の対応
�1929年
�NYウォール街
�共和党フーヴァー・モラトリアム
(10)賠償問題 �総額決定�総額�1924年
�ロンドン会議(1921年)
�1320億金マルク
�ドーズ案
(11)賠償問題 �初の減額�支払猶予�支払い停止
�ヤング案
�フーヴァー・モラトリアム
�ローザンヌ会議


19世紀後半のアメリカ(3)帝国主義

2012年07月15日 | トリオDE世界史

(1)帝国主義時代の大統領3人
�マッキンリー
�Tルーズベルト
�タフト
(2)アメリカ帝国主義政策 �マッキンリー�Tルーズベルト�タフト
�砲艦外交
�棍棒外交
�ドル外交
(3)合衆国の帝国主義 �政策�時期�対中国政策
�カリブ海政策
�1890年代以降
�門戸開放宣言
(4)カリブ海政策 �戦争�年�大統領
�米西戦争
�1898年
�マッキンリー大統領
(5)米西戦争で獲得した領土3つ
�フィリピン
�グアム
�プエルト=リコ
(6)ハワイ併合 �年�ハワイ最後の王朝�目的
�1898年
�カメハメハ王朝
�捕鯨基地と砂糖生産
(7)門戸開放宣言 �年�国務長官�目的
�1899年
�ジョン=ヘイ
�中国市場への経済的進出
(8)門戸開放宣言のスローガン3つ
�門戸開放
�機会均等
�領土保全
(9)反米闘争の人名 �フィリピン反乱�フィリピン文豪�キューバ革命党
�アギナルド
�ホセ=リサール
�ホセ=マルティ
(10)キューバ �プラット修正の年�合衆国の保護国化の年�独立年
�1901年
�1903年
�1934年
(11)西領スペインの独立 �年�戦争�キューバ憲法修正
�1898年
�米西戦争
�プラット修正
(12)パナマ独立 �米外交政策�大統領�元の支配国
�棍棒外交(カリブ海政策の典型)
�Tルーズベルト
�コロンビア
(13)反独占 �アメリカの独占形態�1890年�1914年
�トラスト
�シャーマン反トラスト法
�クレイトン反トラスト法
(14)労働組合 �特徴�熟練工組合�未熟練工組合
�職種別組合
�アメリカ労働総同盟(AFL)
�世界産業労働者同盟(IWW)
(15)アメリカ労働総同盟 �略称�特徴�性格
�AFL
�熟練工が中心
�穏健
(16)世界産業労働者同盟 �略称�特徴�性格
�IWW
�未熟練工が中心
�急進的
(17)ウィルソン大統領 �外交�内政�政党
�宣教師外交
�新しい自由
�民主党


19世紀後半のアメリカ(2)南北戦争

2012年07月12日 | トリオDE世界史

(1)セクション間の対立 �1820年�1850年�1854年
�ミズーリ協定
�1850年の妥協
�カンザス・ネブラスカ法
(2)セクション間の対立に関する3つの年代
�1820年
�1850年
�1854年
(3)ミズーリ協定 �年�自由州として昇格�奴隷州に昇格
�1820年
�メイン州
�ミズーリ州
(4)セクション間の対立 �北部�南部�西部
�産業資本
�奴隷制プランター
�自由農民
(5)移民の拡大 �1845年�1848年�1867年
�アイルランドのジャガイモ飢饉
�カリフォルニアのゴールドラッシュ
�アラスカのゴールドラッシュ
(6)移民 �1815~48年�1860~70年代�1870年代
�ポーランド系
�ドイツ系・イタリア系
�中国系(苦力)・日系
(7)1850年の妥協 �問題の州�結果�南部の主張
�カリフォルニア
�自由州に昇格
�逃亡奴隷の取締り強化を要求
(8)カンザス・ネブラスカ法 �年�選択の仕方�破棄された協定
�1854年
�自由州か奴隷州かを住民投票により決定する
�ミズーリ協定
(9)奴隷制反対運動 �小説�作家�発表された年
�アンクル=トムの小屋
�ストウ夫人
�1852年
(10)その他の奴隷制反対運動 �逃亡奴隷支援�黒人裁判�反奴隷制蜂起
�アンダー=レイル=ロード
�ドレッド=スコット判決
�ジョン=ブラウンの蜂起
(11)南北戦争 �年�奴隷制反対の政党�奴隷制支持の政党
�1861~65年
�共和党
�民主党
(12)南北戦争の人名 �南軍大統領�南軍将軍�北軍将軍
�ジェファーソン=デーヴィス
�リー将軍
�グラント将軍
(13)南軍 �国名�首都�大統領
�アメリカ連合国
�リッチモンド
�ジェファーソン=ディヴィス
(14)リンカン大統領の政策 �1862年�1863年�1865年
�ホームステッド法
�奴隷解放宣言
�ゲティスバーグの演説
(15)戦後の南部 �農業経営�奴隷迫害集団�経済
�シェア=クロッパー制
�KKK(クー・クラックス・クラン)
�北部の市場・綿花供給地になった


19世紀後半のアメリカ史(1)19世紀前半

2012年07月12日 | トリオDE世界史

(1)合衆国大統領 �3代目�5代目�7代目
�ジェファーソン
�モンロー
�ジャクソン
(2)合衆国の拡大の年 �ミシシッピ川以西ルイジアナ購入�カリフォルニア併合�アラスカ購入
�1803年
�1848年
�1867年
(3)合衆国の購入による拡大 �フランスから�スペインから�ロシアから
�ミシシッピ川以西ルイジアナ
�フロリダ
�アラスカ
(4)19世紀前半の出来事 �1812~14年�1823年�1846~48年
�米英戦争(1812年戦争)
�モンロー宣言
�米墨戦争
(5)19世紀前半 �ジェファーソン�モンロー�ジャクソン
�1800年の革命
�モンロー宣言
�ジャクソニアン=デモクラシー
(6)1800年の革命 �支持基盤�連邦政府のありかた�反発の対象
�自作農
�アンチ=フェデラリスト(反連邦派)リパブリカンズ
�大プランターの政治独占
(7)1812年戦争 �意義�影響�原因
�イギリスから経済的独立
�北部産業資本が成立
�イギリスの逆封鎖
(8)モンロー宣言 �年�外交政策�おもな目的
�1823年
�孤立外交政策
�反ウィーン体制
(9)移民 �1820年代�1845年�1870年代以降
�ドイツ系・ポーランド系
�アイルランド系
�中国系
(10)ジャクソニアン=デモクラシー �民主主義�制度�西部開発の弊害
�白人社会内部の平等
�猟官制度
�インディアン強制移住法
(11)インディアン �移住した部族�そのエピソード�最後まで抵抗した部族
�チェロキー族
�涙の道
�アパッチ族ジェロニモ
(12)米墨戦争 �年�原因�国境
�1846~48年
�合衆国によるテキサス併合
�リオ=グランデ川
(13)カリフォルニア併合 �年�影響�奴隷制度の問題
�1848年
�ゴールド=ラッシュで移民が急増
�1850年の妥協
(14)西部開発 �明白なる運命�未開地と文明地の境界線�西漸運動の終焉年
�マニュフェスト=ディスティニー
�フロンティア
�1890年
(15)アラスカ �発見者�領有して国�アメリカが購入した年
�デンマーク人ベーリング
�ロシア
�1867年


ウィーン体制 2000年東海大学

2012年07月08日 | 復習用入試問題

次の文中の空欄にあてはまる適切な語句を記入し,また下線部(A)~(C)に関する次の設問に答えよ。東海大学2000年

 (A)1814年春にナポレオンは失脚し,エルバ島に流された。フランス革命以来の混乱を収拾し新しいヨーロッパ秩序の構築のために,オーストリア外相 1 の主宰でウィーン会議が開催された。この会議の基本方針となったのは,各国の勢力均衡とフランス代表の 2 が主張した正統主義であった。(B)正統主義とは,フランス革命以前の政治秩序を正統とみなして,それの回復をめざす考えである。しかし,ドイツに関しては正統主義の適用はなされなかったといえる。1806年に滅んだ神聖ローマ帝国は復活されず,35の君主国と4の自由市からなるドイツ連邦が成立した。
 領土問題に関しては各国の利害が対立し,調整に手間取ったが,結局勢力均衡の原則に基づいて合意にいたった。オーストリアは北イタリアに領土を拡大し,プロイセンはライン地方を獲得した。ロシアは,立憲王国として再興された 3 王国の支配権を認められ,ロシア皇帝がその国王を兼ねることになった。イギリスは,旧オランダ領の 4 とケープ植民地の領有を承認された。17世紀に正式に独立を承認されていた 5 は,永世中立国になった。
 1815年には,ウィーン会議によって作られた新しい国際秩序を守り,革命の再発を防ぐためにロシア皇帝 6 の提唱で神聖同盟が結ばれた。さらにイギリス,プロイセン,ロシア,オーストリアは国際協調をめざして四国同盟を結び,後にフランスも加わり五国同盟となった。このようにしてできあがった国際秩序をウィーン体制と呼ぶ。しかし,復古的,反動的側面を持つこの体制に満足できない人々も各地に存在した。彼らは自由主義や国民主義の立場から組織を作り運動を展開していくものの,いずれも政府によって弾圧された。(C)ドイツにおける学生の運動,ロシアにおける貴族出身の士官の運動,イタリアにおける自由主義的秘密結社 7 の運動などが有名である。

問1 下線部(A)に関連して,ナポレオンの劣勢を決定的なものにしたのは,1813年10月のプロイセン・オーストリア・ロシア同盟軍との戦いでの敗北であった。この戦いの名称を記せ。
問2 下線部(B)に関連して,この原則に基づいてスペインで復位した王朝の名称を記せ。
問3 下線部(C)に関連して,この運動の中心となった組織の名称を記せ。

【解答】 
1 メッテルニヒ 2 タレーラン
3 ポーランド 4 スリランカ
5 スイス 6 アレクサンドル1世
7 カルボナリ
問1 諸国民戦争
問2 ブルボン朝 問3 ブルシェンシャフト


19世紀前半のヨーロッパ(2)ウィーン体制

2012年07月08日 | トリオDE世界史

(1)プロイセン改革 �原因�中心人物2人
�イエナの戦いの敗戦
�シュタイン
�ハルデンベルク
(2)プロイセン改革の内容3つ �10月勅令�フンボルト�グライセナウ
�農奴解放
�教育改革
�軍制改革
(3)教育改革 �中心人物�大学�初代総長
�フンボルト
�ベルリン大学創設
�フィヒテ
(4)ドイツ国民に告ぐ �講演者�大学�意義
�フィヒテ
�イエナ大学での連続講演
�ドイツの国民主義を説く
(5)ウィーン体制を支える同盟 �1815年�1818年�ロシアが提唱
�4国同盟
�5国同盟
�神聖同盟
(6)神聖同盟 �提唱者�精神�成立年
�アレクサンドル1世
�キリスト教友愛精神
�1815年
(7)神聖同盟に不参加の国3つ
�イギリス
�オスマン=トルコ
�ローマ教皇
(8)ウィーン体制 �保守思想�反体制の思想�19世紀の民族主義
�正統主義
�自由主義
�国民主義
(9)自由主義・国民主義の暴動 �ドイツ�イタリア�スペイン
�ブルシェンシャフト運動
�カルボナリ党の蜂起
�リェゴの反乱
(10)5国同盟の定例会議 �1819年�1821年�1822年
�カールスバードの決議
�ライバハ会議
�ヴェローナ会議
(11)ブルシェンシャフト運動 �年�大学�弾圧
�1817年ルター300年祭
�イエナ大学
�カールスバードの決議
(12)カルボナリ党の蜂起 �中心都市�目的�弾圧
�ナポリ
�イタリアの統一
�ライバハ会議
(13)リェゴの反乱 �発生した国�目的�弾圧
�スペイン
�カディス憲法の復活
�ヴェローナ会議
(14)ヴェローナ会議 �年�弾圧に不参加だった国�英首相
�1822年
�イギリス
�カニング
(15)デカブリストの乱 �年�中心勢力�原因
�1825年
�ロシア自由主義貴族
�保守的なニコライ1世の即位に反対


19世紀前半のヨーロッパ(1)ウィーン議定書

2012年07月08日 | トリオDE世界史

(1)ウィーン会議代表 �オーストリア�フランス�イギリス
�メッテルニヒ
�タレーラン
�カスルレー
(2)ウィーン議定書 �思想�領土分割の原則�国境線
�正統主義
�勢力均衡
�1790年の国境線
(3)オーストリアの領土 �喪失地2つ�獲得地
�ベルギー(オランダが獲得)
�ポーランド
�ヴェネツィア
(4)イギリスの領土 �アフリカ�インド�地中海
�ケープ植民地
�セイロン島
�マルタ島
(5)ロシア �皇帝�提唱した同盟�兼王
�アレクサンドル1世
�神聖同盟
�ポーランド立憲君主国の王位を兼務
(6)オランダ �獲得地�その地が独立した年�喪失地
�ベルギー
�1830年
�ケープ植民地
(7)ドイツ連邦 �参加領邦国家数�自由市の数�自由市の1つ
�35
�4
�ダンチヒ(グダンスク)
(8)ポーランド �1815年の国名�その国の地位�1830年以降の地位
�ポーランド立憲君主国
�ロシア皇帝が王位を兼務
�反乱が失敗し、ロシアの1州に格下げ


板書(9)古代ローマ史(1)共和制時代

2012年07月08日 | トリオDE世界史

板書(9)古代ローマ史(1)共和制時代
(1)ローマ建国 �世紀�双子の兄弟
�前8世紀 
�ロムルスとレムス
(2)貴族政治の開始 �年�追放された王�統領
�前509年
�エトルリア人の王
�コンスル
(3)貴族政治 �貴族�統領�最高決定機関
�パトリキ
�コンスル
�元老院
(4)パトリキ �任期・人数�前509年の構成�前367年の構成
�任期1年2名
�パトリキから2名
�パトリキ1名・プレブスからも1名
(5)聖山事件 �年�内容2点
�前494年
�護民官を設置
�平民会を公認
(6)12表法 �年�内容�同年のアテネ
�前451年
�成文法
�市民権法の制定
(7)リキニウス・セクスティウス法 �年�内容2点
�前367年
�コンスルの1名を平民(プレブス)から選出する
�占有地を500ユゲラに制限
(8)ホルテンシウス法 �年�内容�意義
�前287年
�平民会の決議が貴族をも拘束する
�身分闘争が完了
(9)官職 �独裁官�統領�平民の擁護
�ディクタトル(任期半年1名)
�コンスル(任期1年2名)
�護民官(任期1年数名)
(10)身分闘争の法律 �前451年�前367年�前287年
�12表法
�リキニウス・セクスティウス法
�ホルテンシウス法
(11)イタリア半島の勢力 �北伊�中伊�南伊
�エトルリア人の都市国家
�サムニウム人の都市国家
�マグナ=グレキア(ギリシア人の植民市)
(12)マグナ=グレキア �場所�セ最後に征服された年�最後の植民市
�南イタリア・シチリア島
�前272年
�タレントゥム
(13)ポエニ戦争 �期間�敵国�ポエニ
�前264年~前146年
�カルタゴ
�フェニキア人のこと
(14)第1回ポエニ戦争 �年�原因�結果
�前264年
�シチリア島の反乱
�シチリアを最初の属州とした
(15)第2回ポエニ戦争 �時期�カルタゴの将軍�ローマの将軍
�前202年まで
�ハンニバル
�スピキオ
(16)第2回ポエニ戦争 �カルタゴの基地�決戦2つ
�カルタゴ=ノヴァ
�カンネイの戦い(前216年)
�ザマの戦い(前202年)
(17)ポエニ戦争 �終結の年�結果�意義
�前146年
�カルタゴ滅亡
�ローマが地中海を統一した
(18)前146年 �西地中海�東地中海�意義
�ポエニ戦争終結
�属州マケドニア設置(マケドニア戦争終結は前148年)
�ローマが地中海貿易圏を統一した。







板書(10)古代ローマ史(2)混乱の1世紀

2012年07月08日 | トリオDE世界史

板書(10)古代ローマ史(2)混乱の1世紀
(1)プレブスとは
�平民(ローマの市民権を持つ自由民)
�中小自作農民
�重装歩兵としてファランクスの兵士
(2)グラックス兄弟の改革 �年代2つ�兄�弟
�前133年・前123年
�ティベリウス=グラックス
�ガイウス=グラックス
(3)グラックス兄弟の改革 �目的�政策�結果
�ファランクスの再建
�リキニウス・セクスティウス法の復活
�失敗
(4)マリウスの兵制改革 �支持した党派�時期�内容
�平民派
�前100年頃から15年間
�私兵による軍団を創設
(5)ユグルタ戦争 �時期�国名�征服したローマ将軍
�前107年
�ヌミディア王(現アルジェリア)
�マリウス
(6)スラ �時期�主な戦争2つ
�前80年頃
�同盟市戦争
�ミトリダテス戦争
(7)同盟市戦争 �時期�解決したローマの将軍�結果
�前91~88年
�スラ
�半島内の全自由民男子にローマ市民権を与える
(8)ミトリダテス戦争 �国名�王名�ローマの将軍
�ポントス王国(小アジア)
�ミトリダテス6世
�スラ
(9)第1回三頭政治の3人の将軍
�カエサル
�ポンペイウス
�クラッスス
(10)第1回三頭政治 �開始年�終了年�内容
�前60年
�前46年
�3人の将軍で戦争を分配して独占する
(11)クラッスス �主な戦争�立場�戦死
�スパルタクスの蜂起
�富豪
�パルティアとの戦いで戦死(前53年)
(12)スパルタクスの蜂起 �年�内容�鎮圧した将軍
�前73年(~71年)
�剣奴スパルタクスが率いた奴隷大反乱
�クラッススが鎮圧
(13)ポンペイウス �党派�担当した地域�主な征服地
�閥族派
�オリエント方面(エジプトを除く東方を征服)
�セレウコス朝シリア(前63年)
(14)カエサル �党派�担当した地域�主な征服地
�平民派
�ガリア
�ガリア・ブリテン島(現イギリス)
(15)カエサルのガリア遠征 �時期�記録�場所
�前58年から
�「ガリア戦記」をカエサルが記述
�現在のフランス
(16)カエサル独裁の重要年代 �ガリア遠征�10年任期�インペラトル
�前58年
�前46年
�前44年
(17)カエサルの独裁 �前46年�前44年�前44年
�10年任期のディクタトルに就任
�終身のディクタトル(インペラトル)に就任
�ブルータス等に暗殺される
(18)クレオパトラの3人の夫
�ポンペイウス
�カエサル
�アントニヌス
(19)第2回三頭政治の3人の将軍
�オクタヴィアヌス
�アントニヌス
�レピドゥス(すぐに失脚)
(20)アントニヌス �勢力圏�立場�敗北した戦争
�エジプト(クレオパトラと結婚)
�カエサルの部下
�アクティウムの海戦(前31年)
(21)オクタヴィアヌス �勢力圏�立場�滅ぼした国
�ガリア
�カエサルの養子
�プトレマイオス朝エジプト
(22)アクティウムの海戦 �年�対戦した将軍�場所
�前31年
�オクタヴィアヌスVSアントニヌス・クレオパトラ連合軍
�エーゲ海バルカン半島の西側
(23)プトレマイオス朝エジプト �敗北した戦い�滅亡した年�最後の王
�アクティウムの海戦(前31年)
�前30年
�クレオパトラ
(24)前30年 �意義2つ�滅亡した国
�ヘレニズム時代の終焉(前330~前30年)
�ローマによる地中海支配の完成
�プトレマイオス朝エジプト
(25)オクタヴィアヌス �元老院が与えた称号�自称した称号�行った政治形態
�アウグストゥス(尊厳者)
�プリンケプス(第1の市民)
�プリンキパトゥス(元首制)
(25)元首制 �呼び名�開始した年�はじめた皇帝
�プリンキパトゥス
�前27年
�オクタヴィアヌス