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2021年東京大学本試 第1問解説(速報)

2021年02月28日 | 論述問題
2021東大本試 第1問

文化圏内の宗教対立や文化圏間の宗教的対立を経て地中海世界に3つの文化圏が成立していく過程を記述する問題。リード文を読み解くことで「対立」を具体化していく。ただし、リード文に指示語が多いので確認しながら考える必要がありそうです。
 この問題の最大のポイントは文化圏成立の過程をそれぞれ時代順に記述することが求められてはいないということ。受験の現場で多くの受験生は各世紀ごとにカール戴冠による西欧世界の成立、イスラム教世界の拡大の過程、ビザンツ帝国についてはユスティニアヌスの時代とレオ3世のイコン禁止について記述するのではないか。それでもそれなりの得点にはなるはず。
 

書くべきポイント
1. 5~9世紀 地中海世界における3つの文化圏(イスラム世界・ギリシア正教世界・ローマカトリック世界)が成立した過程。それぞれ200字ずつ。
2. 宗教の問題に着目する。

考え方(リード文にある抽象的記述を具体的歴史事実に置き換える作業)
1. 新しい軍事的覇権を手にした征服者と被征服者⇨ゲルマン国家と西ローマ帝国
2. 生き延びたローマ帝国⇨ビザンツ帝国
3. その周辺⇨西アジア
4. 政権の交替➡メロヴィング朝からカロリング朝 ウマイヤ朝からアッバース朝
5. 特定地域の帰属関係の変動
6. ゲルマン国家と西ローマ帝国の宗教的問題が政権の交替や領土の帰属問題を引き起こした。
7. ビザンツ帝国とササン朝ペルシア・イスラム世界の宗教的問題が政権の交替や領土の帰属問題を引き起こした。
8. このような摩擦(宗教的問題)を経て、3つの文化圏が成立していった。(⇦過程)
9. 現在に残る刻印とは?⇒「その」はローマの覇権⇒3地域それぞれに色濃く残るローマの覇権とは?


知識(年代がわからなくても可)
1. 5世紀 418年西ゴート王国建国 476年西ローマ帝国滅亡 481年フランク王国建国
496年カトリック改宗 451年カタラウヌムの戦い 452年教皇レオ1世
2. 6世紀 534年ヴァンダル王国 555年東ゴート王国征服 568年ロンゴバルド王国成立
3. 7世紀 610年イスラム教成立 632年正統カリフ時代 661年ウマイヤ朝成立・シーア派形成 641年正統カリフのウマルがエジプト侵略 610年ビザンツ帝国ヘラクレイオス朝成立(ヘラクレイオス1世即位) 681年ブルガリア王国成立
4. 8世紀 711年西ゴート王国滅亡 732年トゥール・ポアティエ間の戦い 751年カロリング朝成立 756年ラヴェンナ寄進 774年ランゴバルド王国征服 800年カール戴冠 726年皇帝レオン3世偶像崇拝禁止令 750年アッバース朝 756年後ウマイヤ朝成立 789年イドリース朝(モロッコ シーア派)
5. 9世紀 843年ヴェルダン条約 870年メルセン条約 875年サーマン朝成立 843年偶像崇拝禁止令廃止 867年ビザンツ帝国マケドニア朝成立(バシレイオス1世即位)

ローマカトリック世界の成立過程
1. 西ローマ帝国(アタナシウス派)➡西ゴート王国(アリウス派)➡西ローマ滅亡➡フランク王国(アタナシウス派)
★5世紀アタナシウス派の西ローマ帝国のアリウス派に改宗したゲルマン人の西ゴート王国がイベリア半島に建国し、同じくヴァンダル王国が北アフリカに建国した。これに対しフランク王国を建国したクローヴィスはアタナシウス派に改宗した。
★西ローマ帝国の滅亡により西方教会はビザンツ帝国の皇帝教皇主義の下に置かれた。
2. 5世紀教皇レオ1世が教皇権を確立➡6世紀グレゴリウス1世ランゴバルドや西ゴートなどのゲルマン人の改宗に尽力
3. 711年西ゴート王国滅亡➡732年トゥール・ポワティエ間の戦い
★ウマイヤ朝が西ゴート王国を征服しイベリア半島を支配下に置き、732年フランク王国とのトゥール・ポワティエ間の戦いに敗北しキリスト教世界への侵入は止まった。
4. 726年偶像崇拝禁止令➡751年カロリング朝成立➡756年ラヴェンナ寄進➡774年ランゴバルド王国(アリウス派)征服➡800年カール戴冠➡870年メルセン条約
★イスラム教の影響を受けて726年ビザンツ皇帝がイコンを禁止。ゲルマン布教にイコンを必要とした教皇はフランク王国と提携し、800年カール戴冠で皇帝をローマカトリック教会の保護者とし皇帝教皇主義から離れ西欧世界すなわちローマカトリック世界が成立した。古代都市文明と貨幣経済は衰退し自給自足の村社会でゲルマン的伝統とローマ的伝統が共生する社会が成立した。

ギリシア正教世界
1. ★5世紀ゲルマン移動の影響が少なかった。ローマ帝国の都市文明と貨幣経済、皇帝教皇主義を継承した。
2. ★6世紀ユスティニアヌスがイタリアと北アフリカを奪回して地中海世界を再統一。ローマ法大全で法体系を継承した。一方シリアを巡りササン朝ペルシアのホスロー1世と抗争を続けた。東西交易路が変化した結果、7世紀にヒジャーズ地方でイスラム教が成立した。
3. 7世紀に穀倉地帯のエジプトをイスラム勢力に奪われ
4. ★イスラム教の聖像禁止の影響で726年皇帝レオ3世がイコンを禁止したが、9世紀にこれを停止。ブルガリア人やスラブ人への布教に活用した。
5. 9世紀マケドニア朝が成立したが分権化が進んだ。


イスラム教世界
1. メッカでイスラム教が成立。多神教勢力と対立してウンマはメディアに移動。再びメッカに戻りカーバ神殿の偶像を破壊した。632年までにアラビア半島のベドゥインが改宗し、正統カリフ時代エジプトから北アフリカをビザンツ帝国から奪い、ゾロアスター教を国教としたササン朝ペルシアを滅ぼしイランを制圧した。征服地にはミスルが建設され都市文明と貨幣経済が維持される地中海沿岸部の南部と西アジアにイスラム教世界が成立した。
2. 661年ウマイヤ朝が成立。4代目正統カリフのアリーを支持する一派はシーア派としてスンナ派と対抗した。ウマイヤ朝はアラブ至上主義をとりマワーリーにジズヤを課した。そのため750年アッバース朝が起こりムスリムの平等が実現した。しかしウマイヤ家はイベリアで後ウマイヤ朝を立てアミールとしてアッバース家カリフと対抗した。
3. 9世紀になるとアッバース朝の支配が弱まりモロッコにシーア派のイドリース朝、イランにスンナ派のサーマーン朝が成立してイスラム教世界は分断されていった。


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