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2022年東大本試験 トルキスタン通史(2) 解答

2022年02月27日 | 論述問題
2022年東大本試験 トルキスタン通史 解説(2)



「段落1」75字

8世紀タラス河畔の戦いにアッバース朝が勝利し西トルキスタンでイスラム化の契機となった。東トルキスタンでは唐が都護府を置き間接統治した。この間、トルキスタンは東西交渉の舞台となりネストリウス派キリスト教や仏典が中国に持ち込まれた。114字



「段落2」150字

840年ウイグルが西走し東トルキスタンで西ウイグル国を建国。中央アジアがトルコ化する契機となった。11世紀には西トルキスタンで建国したカラハン朝は中央アジアを統一。この間、トルコ系イスラム王朝として中央アジアのトルキスタン化とイスラム化が進んだ。しかし、宋と結んだ金によりモンゴル高原を追われた契丹族はこれを滅ぼしてカラ=キタイを建国した。167字



「段落3」150字

13世紀にチンギス=ハンがホラズム王国を滅ぼし中央アジアを支配。その後チャガタイ=ハン国が成立した。この時期にジャムチが発達し東西交渉が発展。カトリックが中国に伝えられた。西チャガタイ=ハン国から独立したティムールはアンカラの戦いに勝利して西アジア一帯を支配する帝国を建設。その支配下でトルコ=イスラム文化が開花した。その系譜を継ぐバーブルはムガル帝国を建てた。180字



「段落4」150字

16世紀にウズベク人がトルキスタンに侵入しティムール帝国を滅ぼし、やがてブハラ・ ヒヴァ両ハン国が西トルキスタンを支配した。彼らはスンナ派イスラム教を使用した。78字



「段落5」75字

18世紀清の乾隆帝は東トルキスタンを征服。新疆として藩を置き理藩院で間接統治した。19世紀南下政策をとるロシアはブハラ・ヒヴァ両ハン国を征服し西トルキスタンを植民地とした。84字


全文
8世紀タラス河畔の戦いにアッバース朝が勝利し西トルキスタンでイスラム化の契機となった。東トルキスタンでは唐が都護府を置き間接統治した。この間、東西交渉の舞台となりネストリウス派キリスト教や仏典が中国に持ち込まれた。
840年ウイグルが西走し東トルキスタンで西ウイグル国を建国。中央アジアがトルコ化する契機となった。11世紀には西トルキスタンで建国したカラハン朝は中央アジアを統一。この間、トルコ系イスラム王朝として中央アジアのトルキスタン化とイスラム化が進んだ。
しかし、宋と結んだ金によりモンゴル高原を追われた契丹族はこれを滅ぼしてカラ=キタイを建国。以後中央アジアにモンゴル系国家が成立した。13世紀にチンギス=ハンがホラズム王国を滅ぼし、その後チャガタイ=ハン国が成立した。この時期ジャムチにより東西交渉が発展。マルコ=ポーロやカトリック宣教師が中国に赴いた。西チャガタイ=ハン国から独立したティムールはアンカラの戦いに勝利して西アジアを含む大帝国を建設。サマルカンドでトルコ=イスラム文化が開花した。これを継ぐバーブルはムガル帝国を建てた。
16世紀ウズベク人がトルキスタンに侵入。やがてブハラ・ヒヴァ両ハン国が西トルキスタンを支配した。
18世紀清の乾隆帝は東トルキスタンを征服。新疆として藩を置き理藩院で間接統治した。19世紀南下政策をとるロシアはブハラ・ヒヴァ両ハン国を征服し西トルキスタンを植民地とした。599字










2022年東大本試験 トルキスタン通史 答案の書き方(1)

2022年02月27日 | 論述問題
2022年東大本試験 トルキスタン通史


東大にはエジプト通史、イベリア通史、シチリア史といった過去問があります。これらに共通するのは、長い歴史スパンで地域を考えるときは、大きな時代の変化に注目するべきだという点です。とくにエジプト4000年の歴史を510字で書かせた問題でそれが顕著でした。さて、今年の問題はトルキスタンについて8〜19世紀に渡って600字で論述せよというものでした。


まず問題の読み取り

① 解答すべきは、トルキスタンの歴史的展開(8〜19世紀)です。展開とは「次の段階に進めること。また、次の段階に進むこと。」ですから、「段階」そのものを考える必要があります。世界史的に言えば「段落」でしょう。この「段落」を発見することが解答のポイントです。

② 次にトルキスタンの何を書くのか?を探っていきます。

1、トルキスタンを乾燥地帯(西トルキスタン)とオアシス都市(東トルキスタン)に分けている点に着目します。意外とこんなことが考えるヒントになります。

2、トルキスタンでは文化が交錯する。文化についても書く必要がありそうです。「交錯」ですから、東から西からトルキスタンを通過したり、トルキスタンで定着したりしている世界史知識を思い出します。

⇛8世紀:タラス河畔の戦いでイスラム教が西トルキスタンに、東からは玄奘が仏典を求めてオアシス都市を往復した。

3,トルキスタンの支配について、周辺地域から侵入するケースと、トルキスタンで勃興した勢力が周辺に影響したケースがあり、それぞれ具体的な世界史知識を思い出します。このあたりが「段落」に関係するかな、と思いながら読み進めます。



解答のメモ

1,まず手始めにトルキスタンの勢力を時代順に書き出すことから始めるのが一般的でしょう。その作業をしながら「段落」を並行して考えます。

 

8世紀:西トルキスタンでソグド人 東トルキスタンで西突厥(〜744年)

9世紀:サーマーン朝(875〜999年) 東トルキスタンで西ウイグル国(ウイグルの西走840年)

10世紀:東トルキスタンでカラハン朝が成立。10世紀半にイスラム教を国境として最初のトルコ=イスラム国家となる。サーマーン朝をほろぼして西トルキスタンも支配しトルキスタンを統一。  

12世紀:契丹族のカラ=キタイ(西遼)がカラハン朝(1133〜1211年)を滅ぼす。

13世紀:チンギス=ハンによる征服。チャガタイ=ハン朝が東西トルキスタンを支配。

14世紀:チャガタイ=ハン国が東西トルキスタンで分裂。西チャガタイ=ハン国からティムールが登場。東チャガタイ=ハン国は存続。

15世紀:西トルキスタンでティムール帝国 東トルキスタンについては記述するのは難しいでしょう。

16世紀:西トルキスタンでウズベク人が建国。

17世紀:ブハラ=ハン国に成長した。

18世紀:東トルキスタンを清乾隆帝が征服。新疆とし藩部として理藩院が統括した。

19世紀:西トルキスタンをロシアが征服。



実際、試験会場でここまで書き出すことはできないでしょう。しかし、東大はもっと大きな「段落」を求めているだけですから、現場で細かい世界史記憶にすがる姿勢から抜け出せたかどうかが得点の分かれ目だったでしょう。



2,さて、「段落」です。「段落」ごとの勢力が侵入した勢力なのか、トルキスタンで建国した勢力なのかを明示しながら書く必要があります。またこの「段落」は、問題の読み取りに示したように、民族や国家の特徴を宗教や文化と関連させて考える必要があります。



「段落1」8世紀:タラス河畔の戦いでイスラム化が始まる。トルキスタンを経由してネ  ストリウス派や仏教が中国に伝わった。

「段落2」10世紀:中央アジアのトルキスタン化とイスラム化。

「段落3」13世紀:モンゴル帝国が支配。ジャムチが整備され東西交渉が発達。カトリックが中国に伝播した。

「段落4」16世紀:ウズベク人の支配。18世紀には東トルキスタンを清が藩部をおいて間接統治してウイグル人の文化や宗教は尊重された。

「段落5」19世紀:南下政策をとるロシア帝国により征服され植民地となる。



3,字数配分を考えます。「段落」は5つですが、「段落1」と「段落5」は半分程度しか書けそうもないので、600字を4つの150字ずつに分ける事になりそうです。そう考えると、細かい世界史的知識を書き並べることはできません。




2022年東大本試験 トルキスタン通史

2022年02月27日 | 論述問題
第1問

内陸アジアに位置するパミール高原の東西に広がる乾燥地帯と,そこに点在するオアシス都市は、 ユーラシア大陸の交易ネットワークの中心として,様々な文化が交錯する場であった。この地は,トルコ化が進むなかで,ペルシア語で「トルコ人の地域」を意味するトルキスタンの名で呼ばれるようになった。トルキスタンの支配をめぐり、その周辺の地域に興った勢力がたびたび進出してきたが、その一方で,トルキスタンに勃興した勢力が、周辺の地域に影響を及ぼすこともあった。

以上のことを踏まえて,8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開について記述せよ。解答は解答欄(イ)に20行以内で記し,次の8つの語句をそれぞれ必ず一度は用い,その語句に下線を引くこと。



アンカラの戦い  カラハン朝  乾隆帝  宋  トルコ=イスラーム文化   バーブル  

ブハラ·ヒヴァ両ハン国  ホラズム朝


感想
1972年(米中接近)から50年、あるいは1932年(満州国建設)から90年に当たる2022年。米中関係を中心とするアメリカ外交史や日米関係を中心とする問題が予想される一方、東大世界史によくあるパターンで、そのような注目点とは関係なく古い時代の問題が出るパターンを予想していました。
その意味で、エジプト通史の書き方考え方を12月に投稿してみました。通史を扱う問題はしばらく出題されていませんでした。
中央アジアの歴史だけを取り上げて学習、準備していた高校生はどれくらいいたでしょうか?良い視点の問題であると思いますが、多くの高校生が苦戦したかもしれません。