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混乱の1世紀 学習院大学より改

2007年11月08日 | 高2用 授業内容をもう一度
 前146年は,古代地中海世界の歴史の中でも注目すべき年である。この年に,地中海の西部と東部において,それぞれ数百年間にわたって繁栄を誇っていた2つの有力な都市国家,カルタゴコリントが破壊され,地上から姿を消したのである。この両市を破壊したローマは,当時,事実上、地中海世界の支配者であった。
 一方,勝利したローマでもその社会の歪みが目立ちはじめていた。ローマ市民層の中核となる中小自営農民の一部が,打ち続く海外戦争の負担で没落しはじめていたのである。このローマ社会の危機に対処するために,前133年からグラックス兄弟の改革が始まった。彼らは,護民官に就任して、没落市民たちの救済に努めたが,反対派の抵抗で改革は挫折した。その後,ローマでは閥族派と民衆派との対立が激化し,社会の混乱が著しくなった。閥族派スラ民衆派マリウスは,小アジアポントスミトリダテス王との戦争の指揮権をめぐって激しく対立し,内乱が勃発した。この戦いはスラが勝利し,スラ独裁官(ディクタトル)となった。この時期は,地中海世界各地で反ローマの抵抗連動が活発化した時代でもあった。ミトリダテス王は,地中海東部でローマ軍と長期にわたる戦争を続けていた。また小アジア南部を本拠地とする海賊たちも地中海の海上交通路を脅かしてローマに大損害を与えていた。ローマの本拠地であるイタリアでも,剣闘士奴隷であったスパルタクスを指導者とする大規模な奴隷蜂起が勃発した。
 スラの勝利後,ローマでは閥族派優位の元老院が政治を指導する時期がしばらく続いていた。前60年,この体制に不満を持つ3人の有力政治家が手を結んで第1回三頭政治をはじめ,政治の実権を握った。三頭政治の一員であったカエサルは,ガリア遠征の功績で勢力を伸ばし,独裁官となった。彼はしばしば共和政の伝統を無視する政策を実施したため,前44年に共和政擁護派ブルートゥス等に暗殺された。その後,カエサルの養子オクタヴィアヌスと旧部下のアントニウスレビドゥスの3人が第2回三頭政治を結成し,反対派を打倒してローマの政治を支配した。
 第2回三頭政治を構成した3人の政治家の中で,レヒドゥスは一早くに失脚し,残りの2人が政治権力を分け合うこととなった。オクタヴィアヌスは地中海西部およびガリア方面を、アントニウスはヘレニズム文化の影響が強い地中海東部およびエジプトを支配した。アントニウスは,マケドニアのアレクサンドロス大王の部将プトレマイオスの子孫であるエジプト女王クレオパトラと親密となった。オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラヘのローマ市民たちの反感を煽って,エジプトに対して宣戦を布告し,前31アクティウムの海戦で勝利をおさめた。ローマと地中海世界の支配者となったオクタヴィアヌスは,前27年に元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられ,事実上の帝政をはじめた。この体制は,アウグストゥスが「市民の第1人者」を,意味するプリンケプスの呼称を採用したことから,プリンキパトゥス(元首制)と呼ばれる。

インダス文明とマウリヤ朝  西南学院大学

2007年11月08日 | 高2用 授業内容をもう一度
次の文は、インダス文明と古代インドについて述べたものである。これを読んで,下の問いに答えよ。西南学院大学

 インド亜大陸西北部を流れるインダス河流域には,前2300年ごろからインダス文明が栄えた。インダス文明は,モエンジョ=ダロやハラッパー,【a】などの遺跡に見られるように,整備された街路や排水設備を持つ高度な都市文明として栄えた。これらの都市の社会生活については,未だ十分には明らかになっていないが,発見された絵画図像のなかには,後のヒンドゥー教三大神の一つで,破壊の象徴とされる【b】神の原型など,後世に受け継がれたものもある。前1500年ごろには,インド=ヨーロッパ語族である【c】人が先住民を征服し,中央アジアからカイバル峠を越えてパンジャーブ地方に移住した。前1000年ごろからはガンジス河流域に進出し,先住民と交わりながら定着農耕の生活に入った。彼らは自然現象を神格化した神々を信仰し,その讃歌を聖典である『【d】』にまとめた。この過程で祭式を司るバラモンとよばれる人々がしだいに大きな権力をもつようになり,やがて【e】制とよばれる厳しい身分制度が形成された。この制度のもとでは,人々の身分が,バラモンを最上位に四つに分けられ,他の身分階層の者とは婚姻が許されなかった。後に,この【e】制を原型にして,現在に至るカースト制度が発展した。
 前6~5世紀ごろには,【f】国が小王国を抑えて領土を拡大した。同じころ,特にガンジス川中流域では,鉄器の使用により農業が発達し,多くの都市が生まれ,経済活動が活発になった。それにともない,農民・商人・職人階層である【g】の社会的地位が向上し,特権階級として存在するバラモンヘの対抗意識が高まっていった。このような状況のなかで,複数の宗教革新運動が買った。バラモン教内部ではウパニシャッド哲学が生まれ,また,【h】が開いたジャイナ教や,ガウタマ=シッダールタが開いた仏教など,新しい宗教も生まれた。ガウタマの死後も発展を続けた仏教は,インダス川とガンジス川にまたがる初の統一帝国を打ち立てたマウリや朝のもとで,前3世紀,インド亜大陸の辺境にまで伝えられた。この王朝の最盛期を築いた第三代王【i】は,各方面への布教を推進したほか,磨崖碑・石柱碑を各地に造り,武力ではなく,【j】とよばれる人間の普遍的倫理による統治を図った。また仏典結集とよばれる教説の編纂事業を援助した。
 【i】王の死後,マウリや朝は衰え,やがて紀元1世紀ごろに【k】朝が興り,中央アジアからガンジス川中流域に至る広大な領土を支配した。この王朝の全盛期を築いたカニシカ王は,仏典編纂に貢献し,熱心なサンスクリット文学の保護者でもあった。また,紀元前後には,仏教の中にも新しい動きが生まれた。

問A.文中の【 】(a~k)に最も適当なものを,下の語群(1~4)から1つ選んで,その番号を記入せよ。

a.1.ドーラヴィーラ  2.アジャンター 3.ブッダガヤ  4.ナーランダー
b.1.シヴァ  2.ヴィシュヌ  3.ブラフマー  4.クリシュナ
c.1.ドラヴィダ  2.アッカド  3.アーリヤ  4.シュメール
d.1.マハーバーラタ  2.リグ=ヴェーダ  3.シャクンタラー  4.ラーマーヤナ
e,1.テマ  2.アター  3.ヴァルナ  4.イクター
f.1.マガダ  2.カリンガ  3.チャンデーラ  4.シンハラ
g.1.クシャトリア  2.シュードラ  3.ジャーティー  4.ヴァイシャ
h.1.ビンビサーラ  2.ヴァルダマーナ  3.カーリダーサ  4.ナーガールジュナ
i.1.ハルシャ  2.サムドラグプタ  3.チャンドラグプタ  4.アショーカ
j.1.四諦  2.八正道  3.ストゥーパ  4.ダルマ
k.1.クシャーナ  2.ヴァルダナ  3.ナンダ  4.グプタ

問B.文中の下線部について,正しくないものを,それぞれの短文(1~4)から1つ選んで,その番号を記入せよ。

1,祭式至上主義を批判し,内面の思索を重視した。
2.人間存在の本質であるブラフマンと,宇宙の本体であるアートマンを一致させることで,苦しみから解放されると説いた。
3.生き物は業(カルマ)から影響を受け,輪廻転生を繰り返すという考えを論じた。
4.ウパニシャッドとは「近くに坐る」という意味で,師の傍らで仕える弟子に,秘儀が伝授されることを示す。

正解
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