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2018年上智TEAP 設問2・3 問題と解答例

2021年01月24日 | 論述問題
2018年上智TEAP
問題
設問2 上記の文章からすると,ヨーロッパ統合については,これを加速させる要因と抑制する要因が見受けられる。この2つの要因を250字から300字で述べなさい。

設問3 上記の文章からすると,ヨーロッパ統合には2つの異なる形態が見受けられる。この形態に対するイギリスの立場を明示しながら,なぜイギリスがEU脱退の決定に至ったのか,イギリスのそれまでのヨーロッパ政策を振り返り,250字から300字で説明しなさい。その際,以下の用語をすべて使い,その用語に下線を引くこと(同じ用語を複数回使用する場合には,下線は初出の1箇所のみでかまわない)。
〔用語〕 
移民, 自由市場経済, 国民投票, 国家主権, 共通通貨


2018年上智TEAP
解答例
設問2
西ドイツは冷戦下、ソ連の軍事的脅威にさらされソ連軍が駐屯している東側陣営と国境を接していた。フランスは普仏戦争と2つの世界大戦でドイツの軍事的脅威にさらされたため対独戦争を回避するための方策として統合を進めた。両国は安全保障上の課題が統合を加速させた。一方、日米が経済成長をする一方でイギリスは「イギリス病」に陥り、巨大な市場を形成する必要があった。(175字)
統合を抑制したのは国民国家の主権を重視する思考やその伝統・文化を保持したいという欲求であった。1989年冷戦が終結したため統合を加速する要因は薄らいだ。一方、イスラム圏が政治的に不安定になると移民や難民が急増し、EU域内で移動の自由を制限する動きに繋がった。(125字)

設問3
2つの形態とは経済的統合と政治的統合の形態である。イギリスは前者に対し、ヒト・モノ・資本・サービスの移動の自由を容認した。後者に対しイギリスは一定の距離を置き、自国の通貨を維持するなど主権を保持した。(100字)
EU離脱の背景は、旧植民地からの移民に加えイスラム圏からの移民の増加への反発である。EUの移民政策は低賃金労働者の流入に対する反発を生み、イスラム文化やテロへの脅威を助長するもととして反発を受けた。(97字)
生きない関税の撤廃、労働力の自由な移動、共通関税など市場を統合させたEECが1958年に成立。これに対抗したイギリスは1960年EFTAを創設したが失敗に終わった。しかし1973年ECに加盟した。サッチャー退陣後にEUに加盟した。(99字)


2019年上智大学TEAP設問6・7 問題と解答例

2021年01月24日 | 論述問題
2019年上智TEAP 問題

設問6 下線部(6)に関して,中東欧の多民族帝国に西欧の国民国家体制を適用する試みが問題含みだった理由はどのような点にあったと考えられるか。アーレントの引用文を踏まえながら,120字程度で答えなさい。

設問7 本文全体を読み,特に波線部に留意しながら,第一次世界大戦後の世界においてヨーロッパの覇権はどのような形で揺らぎ,どのような形で立て直されたと言えるのかを350字程度で論じなさい。その際,以下の用語をすべて使い,その用語に下線を引くこと(同じ用語を複数回使用する場合には,下線は初出の1箇所のみで構わない)。
〔用 語〕 
ワシントン体制, 旧オスマン帝国, サイクス・ピコ協定,委任統治, 植民地


2019年上智TEAP 解答例

設問6
中東欧で主権国家の下で、国民が形成されていることが前提になる。しかし、チェコスロヴァキアは歴史的に背景の異なる3地域を複合させた国家で、さらにドイツ系住民も存在する。ポーランドは18世紀以来主権国家を持たず、国外にポーランド系住民が残った。119字

設問7
レーニンがサイクス=ピコ協定を暴露するとアラブの指導者フサインは反英闘争に転じた。また、「平和に関する布告」で無併合が示された結果、英仏は覇権を支えた植民地獲得は困難になった。コミンテルンが各地で民族運動を支援したため植民地や利権を維持する費用は増大した。一方、英仏は戦債の返済に苦しみ、経済力の相対的低下が進んだ。(158字)旧オスマン帝国領を英仏が委任統治領として支配し、その後親英政権を樹立。イランを含めた西アジアに資本を投下することを可能にしたことで覇権は再建された。また、インド帝国など植民地に対する支配も妥協を強いられながらも維持できた。アジア・太平洋地域ではワシントン体制を構築し、英米日の海軍力を調整して東南アジア・太平洋地域の植民地や中国における利権の現状維持を図ることに成功した。(186字)