FORZA世界史inBLOG

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2種類の時間

2011年05月27日 | 何かの足しになれば

 時間には2種類の時間があります。マイナスをゼロに引き上げるための時間とゼロから積み上げる時間です。前者は非効率的です。テストのやり直しの時間、呼び出されて怒られている時間、待ちあわせに遅れて謝っている時間だったり、その相手が不機嫌で気まずい気分で過ごしている時間。勉強を始めようとしたけど、ノートをどこに置いたのか分からなくて、探している10分間。こういった不毛な時間を減らしていきたいものです


輪投げ

2011年05月14日 | 何かの足しになれば

 輪投げをする時、好きなところから投げても良いとしたら、どのくらい離れたところから投げるでしょうか。周りには大勢の人が見ています。
 すぐそばで確実に入りそうなところから投げる人、入るかはいらないか、微妙なところから投げる人、誰もがそこから入れるのは無理だと思うくらいの距離から投げる人、などがいそうです。
 成長する人間はフィフティーフィフティーの状況にチャレンジして、それを乗り越えるノウハウを見出し、実現していく。まさに「微妙な距離」に自分を置く人間です。間近からしか投げない人間は、失敗を恐れ、失笑されることを嫌っていますし、はるか遠くから投げる人は、失敗に対して、始める前から理由を準備していると、考えることができます。
 近くから投げる人は、いつも入りますから、つぎの工夫をする必要もないわけです。遠すぎる距離から投げる人は工夫のし甲斐がないので、繰り返し練習することもないでしょう。「微妙な距離」から投げる人は、さっきは少し弱かったから次は少し強目にとか、次はちょっと右に、といった具合に工夫をし、成功したり失敗したりを繰り返す。そしてその距離を乗り越えた時、さらに少し遠い位置からのチャレンジをしていく。
 模擬試験で志望校の判定を見る時、C判定やD判定の大学学部のレベルを上げていく。その「微妙な距離」を縮めるための努力と思考を繰り返すことが大切なのかもしれません。


無知の知

2011年05月14日 | 高2用 授業内容をもう一度

人間はいかに生きるべきか?ソクラテスはそれまでの哲学者とは違って、この問いに対する答えを求めていました。ソクラテスは「無知の知」という言葉で知られています。しかし、この言葉の前に「知徳合一」という言葉が重要になります。すなわち、「知る」ことと「よく生きる」こととは結びつくという言葉です。自分が知らないことを知っていることの大切さは、無知の知の言葉が示しているとおりですが、さらにこのことは、知徳合一とあわせて考えると面白くなります。「知」への欲求が「よく生きる」ことにつながっている。「知的好奇心」が、「よく生きる」ことであり、「いかに生きるか」という問いに対する答えでもある。ソクラテスはそのように考えていたのではないでしょうか。したがって、よく生きることを追い求めるものにとって、「知的好奇心」はとどまることはなく、常に追い求められる「知」がある以上、「無知の知」という言葉が彼の思想を象徴するわけです。
 では「知」に対する欲求を持つにはどのようにすればいいのでしょう。まさに、このような「欲求」が存在することが大切なのでしょう。


ペリクレス時代

2011年05月14日 | 高2用 授業内容をもう一度

【前480】年の【サラミスの海戦】後、アテネは全盛期を迎えました。そのアテネの指導者は【ペリクレス】です。彼が生きた時代を【ペリクレス時代】ともいいます。アテネではペリクレスによって、サラミスの海戦で船の漕ぎ手として勝つ隠した【無産市民】の功績に答えるため、【18歳以上】の【男性市民】全員が参加する制度に改められ、古代社会において民主政治が完成しました。
 18歳以上の男性市民全員が【民会】に出席します。ここでポリスの出来事のほとんどの問題が処理されました。つまり、民会が最高議決機関です。また、ポリスを運営するための仕事はすべて【抽選】で選ばれた市民が行います。彼らの任期は【1年間】で【再任】を認めませんでした。アテネでは独裁者の出現につながることは極力嫌ったのです。【裁判官】も抽選で選出されました。ただし、軍隊を指導する【将軍職】については例外的に抽選で選出せず、【再任】も認めました。ペリクレスはこの将軍職に再任され続けることで、政治の中心人物であり続ける事ができました。
 しかし、無産市民は、日雇い労働者で、その日暮らしの生活をする市民です。彼らも抽選でポリスの仕事に就くことになります。もし給料が支払われなければ、彼らは生活に窮することになります。しかし、アテネは昔から、市民から税を集めていません。裕福な者が寄付や持ち出しで運営していました。それは名誉なことだとされていたからです。無産市民がポリスの政治にかかわるためには何らかの生活支援をしなければいけません。
 そのとき、ペリクレスがとった方法は、【デロス同盟】で各ポリスから集めた供出金(軍資金)を流用するというものでした。もともとデロス同盟の【本部・金庫】はエーゲ海に浮かぶ【デロス島】に置かれていました。そこでペリクレスはデロス同盟の本部・金庫を【アテネ】に移してしまいました。さらに彼は自分の親友であった【フィディアス】にペルシア戦争で破壊された【パルテノン神殿】の再建を依頼しました。その再建費用までもデロス同盟の供出金を流用したのです。このため、アテネは他のポリスから反感を買うことになりました。