東アジアにおいて、中国という国家と日本という国家との関係を考えるとき、国家権力が低下している1970年以降では、国家権力を維持強化する目的でナショナリズムを高揚させる傾向が強まっている。
文化大革命前後の中国を除き、冷戦期は日中の政権はそれぞれ米ソの強い影響力の下に置かれていたために国家権力を強化することはなく、またその必要ななかった。つまり東アジア各国にとって冷戦が国家権力の強化によるナショナリズムの拡大の歯止めとなっていた。しかし1990年以降はその歯止めすらなくなり、国家権力低下の傾向の中で、権力維持を求める東アジア各国はナショナリズムに依存する度合いを増している。それでも日本の場合、国家権力の強化に対し、敗戦の経験や憲法がそれを抑止していたが、911によりテロ対策という形で、抑止力が減退している。さらに311が国家権力から離れた形ではあるが「絆」という言葉で結果的にナショナリズムへの抵抗感を押し下げた。
一方、中国ではこの間に国内の格差が拡大した。そのため「汎漢族」とでも言うようなナショナリズムが国家権力によって意図的に強化され、格差を潜在化させることに注力するあまりにウイグル族やチベット族などの比較的規模の大きい少数民族との対立を顕在化させている。そのため一層、国家権力の強化が必要になっているという循環におちいっている。
偏狭なナショナリズムを煽り国家権力の維持強化が図られる中で、これを乗り越えて東アジアの平和を維持する必要がある。
そのためには、教育によって国家から自立した「市民」を育成する必要がある。ここでいう「市民」とは1920年代に出現しナチズムや日本の国粋主義の出現を許した「大衆」とは異なる人々である。彼らは国家から自立している。国家から自立するとは、「日本人」として判断し行動できることを意味する。そのような人々を「市民」と呼びたい。民主主義に基づく「市民」と呼ぶこともできる。
この「市民」は日本という単位から独立して存在する。日本人としてのアイデンティティーはグローバル社会に発信するためのものであって、国家権力が示す偏狭なナショナリズムを補完するものではない。
1920年代から30年代の状況と現在の状況と大きく異なる点は、このような「市民」が同様に「中国人」として判断し行動できる人々とインターネットなどを通じて直接に結びつき繋がることができる点にある。すなわち1970年代から始まったグローバル化の中で、各国の「市民」が直接知的に繋がることが可能になっている。グローバル化社会の下だからこそ、東アジアは1920年代に許した偏狭なナショナリズムの再現を防ぐことが可能なのだ。
したがって、グローバル化した社会を受け入れ、促進する努力を続けることこそが東アジアの平和に貢献することにつながるだろう。
とくに知的活動の分野において、現代の人々はグローバル化に対して、無関心や無関係ではいられない。しかしその一方で、その弊害が強調されることも多い。グローバル化した社会だからこそ日本人としてのアイデンティティーを確立するべきだという立場がそれである。その立場は認めるが、それが偏狭なナショナリズムの構築に利用されないように教育が導くことが重要である。
古代ギリシアのアリストテレスによれば、ポリスがあってはじめて市民が存在した。しかしアレクサンドロス大王の東方遠征を契機に出現したヘレニズム世界は、世界市民主義すなわちコスモポリタニズムという思考を生み出すことになる。その時ギリシア市民はポリスへの帰属意識を捨て去り、各地のエリートと結びついてコイネーという言語やギリシア文化をアジア各地に広め、ある意味共通した要素を持つヘレニズム世界を構築していった。しかしここでも、現在のグローバル社会と大きく異なる点は、古代ギリシア人は、存在としてポリスを離れて拡散した結果、ヘレニズム世界を築きそれに参加したのに対して、現在は居ながらにしてグローバル社会に参加できる。
したがって、国内に居ながらにして行われている教育は国家権力が示す価値から独立する人間、すなわち「市民」を育成することができる。日本という単位から独立した「日本人」を育てていくことが、グローバル化した社会における教育の役割となる。
このように教育された人々が実際に国外に出て他のアイデンティティーを持った他の「市民」と直接つながることは大きな意味がある。多様性を許容する場に身を置くことで自らのアイデンティティーを深化させ、それによって偏狭なナショナリズムの台頭を抑止するためである。