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古代インド史 03神奈川大(法)

2011年08月26日 | 復習用入試問題
03神奈川大(法)古代インド史

次の問題は古代インド史に関するものである。次の文章�から�を読んで以下の設問に答えなさい。
1.マウリヤ朝とサータヴァーハナ(アーンドラ)朝
「1」は,マガダ国のナンダ朝を滅ぼして,マウリヤ朝を興した。彼は,西北インドから東はベンガルに至る諸国を征服し,インド最初の統一国家を形成した。その都,「2」は,花の都と呼ばれた。
この王朝は,アショカ王の時代に全盛期を迎え,「3」王国を滅ぼして,デカン高原のサータヴァ一ハナ朝を朝貢させ,南端を除く全インドを統一した。しかし彼の死後,マウリヤ朝の勢力は急速に衰え,これに乗じて「4」王国は,西北インドに領土を広げた。これによってギリシア文化がインドに流入し,後のガンダーラ文化の基礎が築かれた。
マウリヤ朝が滅んだのち,南インドでは多くの国が興亡したが,その中でサ一夕ヴァ一ハナ朝が勢力をふるった。この国は,ドラヴィダ人がデカン高原を中心に興したもので,一時は北インドも支配した。この王朝の下で,インド最大の仏教学者といわれる「5」が生れたが,彼は後世,(イ)大乗仏教の祖と仰がれている。
問1.�の文章中の空欄(1~5)に,最も適当なものを次の語群からそれぞれ1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.カリンガb.ナーガールジュナc.プルシャプラd.チョーラe.チャンドラグプタf.クシナガラg.大月氏h.ブッダガヤi.バクトリアj.パータリプトラk.達磨l.チャンドラグプタ1世m.サールナートn.鳩摩羅什0.バーンディヤ
問2.文中の下線部(イ)に関して,誤っているものを次の中から1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.大乗仏教がインド史ヒで最も盛んであったのは,アショカ王からサータヴァ一ハナ朝の初期の時代であった。
b.大乗仏教は,中央アジアの諸都市から中国,朝鮮,日本に伝えられたので,北伝仏教ともいう。
c.大乗仏教の原典は,古代インドの言語であるサンスクリットで記されている。
d.大乗仏教に対する小乗仏教とは,仏教の革新者から見た既成仏教に対する蔑称である。
e.大乗仏教とは,戒律にとらわれず,菩薩信仰を中心に広く衆生救済をはかろうとする教えである。

�.クシヤーナ朝
「6」から独立したクシャーナ朝は,インダス川L流域からガンジス川上流域に至る地域を支配して,西北インドを中心に国を興した。特にカニシカ王のとき,その最盛期を迎えた。この時代,この王朝は西はローマ,東は中国とも交渉をもち,首都「7」は,東西交渉の要地としても繁栄した。カニシカ王は,仏教に篤く帰依し,(ロ)仏典結集を行なってその保護に努めたので.仏教は再び西北インドを中心に栄え,その結果仏教の経典の多くがこの頃成立した。
しかし王の死後,この国は衰退して3世紀には「8」の侵入をうけ,中央アジアの領土をうばわれて事実Lほろんだ。
問3.�の文章中の空欄(6~8)に,最も適当なものを次の語群からそれぞれ1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.バ一夕リプトラb.烏孫c.ササン朝ペルシアd.サールナートe.プルシャプラf.突廠g.大月氏h.エフタルi.ガンダーラ
問4.文中の下線部(ロ)に関して,誤っているものを次の中から1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.仏典結集とは,シャカの教えを確定し教団を統一するため,代表者を集め経典を整理編集したことをいう。
b.第1回の仏典結集は,シャカの入滅後まもなく行なわれたといわれている。
c.第2回の仏典結集は,シャカの入滅後100年程のち行われたといわれている。
d.第3回の仏典結集は,アショーカ王の時代に行なわれたので,紀元前1世紀の頃である。
e.第4回の仏典結集は,カニシカ王の時代に行なわれたので,紀元後2世紀の頃である。

�.グプタ朝とヴァルダナ朝
4世紀に入ると,ガンジス川中流域のマガタ地方に「9」を都としてグプタ朝が興り,第3代のチャンドラグプタ2世のとき,北インドの大部分を統一して全盛期を迎えた。しかし5世紀の中頃,中央アジアの遊牧民「10」の侵入を受けてからその領土をせばめ,6世紀の中頃に滅んだ。
このグプタ朝ののち,北インドにヴァルダナ朝が興こり,ハルシャ=ヴァルダナ王のとき,南部を除く全インドの統一に成功した。彼は,アショカ王以来の名君ともいわれるが,この王の死後,ヴァルダナ朝は分裂し急速に衰えた。
グブタ朝の時代には,(ハ)古代文化の復興の気運がおこり,仏教はそのためヒンドゥー教に圧倒され振わなかったが,まだ仏教は多くの信徒により研究が行なわれていた。東晋の僧「11」がインドに来訪したのもこのグプタ朝の時代であり,唐の僧で『大唐西域記』を著わした「12」が学んだのもヴァルダナ朝時代のナーランダー僧院であった。
間5.�の文章中の空欄(9~12)に,最も適当なものを次の語群からそれぞれ1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.法顕b.義浄c.エフタルd.仏図澄e.プルシャプラf.トハラ人g.慧遠h.ガンダーラi.デリーj.パータリプトラk.ソグド人l.玄奘
問6.文中のト線部(ハ)に関して,この文化を代表する人物にカーリダーサがいる。次の中から彼の代表作品を1つ選び,その記号をマークしなさい。
a.『パンチャタントラ』b.『ラーマーヤナ』c.『ジャータカ』d.『ルバイヤート』e.『シャクンタラー』

正解
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古代インド史 03日本大(法)

2011年08月19日 | 復習用入試問題
03日本大(法)古代インド史

次の文章を読み,問1~問10に答えなさい。答はすべて数字・記人しなさい。

 前2300年ごろから前1800年ごろ,インド亜大陸最初の都市文朋であるインダス文明がインダス川流域を中心に栄えた。(1)ハラッパーはこの文明の代表的な都市遺跡である.その後,中央アジアにいたアーリや人が前1500年ごろからカイバル峠をこえてインドに侵人した。彼らは宗教的には太陽・風・雷などの自然現象を神として崇拝し.これらの神々に対する讃歌や呪法などをまとめたものを生んだが,それらは(2)アーリヤ人の文化・生活を伝える貴重な文献である。
前4世紀末に(3)の遠征軍が西北インドから撤退したのち,チャンドラグプタがマウリや朝をひらき,やがて北インドー一帯を支配した。この王朝は(4)第3代の王の時に全盛期をむかえたが,かれの死後には分裂して前2世紀前半に滅亡した。その後,紀元後1世紀になると(5)系のクシャーナ朝が,中央アジアから進出してきた、2世紀なかばにはクシャーナ朝は(6)プルシャプラを都として,西トルキスタンからガンジス川中流域までを支配した。しかし,この王朝はしだいに衰えて3世紀に滅亡し,北インドでは混乱がつづいたが,4世紀に(7)グプタ朝が北インドを統一し,(8)パータリプトラを首都とした5世紀には分裂が深まり,中央アジアから(9)が侵入し,6世紀中ごろグプタ朝は滅亡した。7世紀前半にハルシャ=ヴァルダナがヴァルダナ朝をおこした。この王の時にインドを.訪れ仏教を研究した玄奘は(10)を著した。

問1.下線部(1)に該当する場所を,地図上の1~9の中から一つ選びなさい。(地図省略)
問2.一線部(2)に関連して,インドの古代文明が生みだした文献のうち最古のものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.『アヴェスター』 2.『マヌ法典』 3.『リグ=ヴェーダ』 4.『ウパニシャッド』
問3.空欄(3)に該当する人名を,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.ホスロー1世 2.アレクサンドロス大王 3.シャープール1世 4.アルデシール1世
問4.下線部(4)に、該当する人名を,次の1~4の中から選びなさい。
1.カニシカ.王 2.アショーカ王 3.チャンドラグフタ2世 4.チャンドラグフタ1世
問5.空欄(5)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.イラン 2.トルコ 3.モンゴル 4.ギリシア
問6.下線部(6)に該当する場所を,地図上の1~9の中から一つ選びなさい。
問7.下線部(7)に関連して,当時の文化についての記述として正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.ヘレニズム文化の影響を受けたガンダーラ美術が栄えた。
2.第3回の仏典結集が行われた。
3.インド古典文化の黄金時代で,カーリダーサが『シャクンタラー』を残した。
4.ナーガールジュナ(竜樹)が大乗仏教の理論を確立した。
問8.下線部(8)に該当する場所を,地図上の1~9の中から一つ選びなさい。
問9.空欄(9)に該当するものを,次の1~4の中から1つ選びなさい。
1.ヒクソス 2.キルギス 3.大月氏 4.エフタル
問10.空欄(10)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.『大唐西域記』2.『仏国記』3.『南海寄帰内法伝』4.『五経正義』

正解
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明清の社会経済史  2001年成城大学 経済

2011年08月19日 | 復習用入試問題
2001年成城大学 経済
 つぎの文章を読んで,下記の設問に答えよ。

 元は漢民族以外の民族が初めて中国全土を統治した王朝であり,少数のモンゴル人がその武力により圧倒的多数の漢民族を支配した。しかし(A)元では皇位継承をめぐる争いが絶えず,そのため政治は不安定であり,また放漫な財政運営が物価の高騰を招き,民衆の生活を直撃した。そのため末期になると各地で民衆の反乱がおこったが,なかでも白蓮教徒を主体とする紅巾の乱がもっとも激しかった。紅巾軍の武将であった a は,穀倉地帯である江南を根拠地として勢力を伸ばし,ついには南京で帝位につき明を建国した。彼が洪武帝である。洪武帝は元の首都である大都を占領して,モンゴル人を北方へと駆逐し,漢民族による王朝を復活した。
 洪武帝は皇帝権の強化をはかり,改革をおこなった。中央では b 省を廃止し,宰相の制をやめ,実務機関であった六部を皇帝直属とした。地方では末端の村落までの支配を確立するために c 制を施行した。また(B)朱子学を官学として科挙を整備し,民衆教化のために儒教道徳に基づく教訓として d を公布するなどの措置をとり,専制体制の基礎とした。第3代皇帝である永楽帝は都を北京に移し,皇帝の補佐役として e を置くなどして,明の政治体制を確立した。
 明の経済の中心は江南であった。宋代にこの地方は「 f 熟すれば天下足る」といわれる米の生産地であった。しかし明代になると江南では綿織物や絹織物といった家内制手工業が発達したため,原料としての綿花や養蚕のための桑といった米以外の作物の栽培が盛んになった。そのため米生産の中心は長江中流域に移り,「 g 熟すれば天下足る」と言われるようになった。手工業の発達により商業も活発化し,山西商人や(C)新安商人の活動は全国的な範囲におよんだ。
 商業や手工業の発達は貨幣の流通を盛んにした。明は当初(D)元の制度にならい紙幣を主要な貨幣としたが,これは普及せず,代わりに銀が主要な貨幣として流通するようになった。このため税金を銀で代納することが始まり,やがて土地税と人頭税を一括して銀で納める h が導入されるに至った。
 永楽帝以後,明では宦官の専横と官僚内の党派争いが激しくなり政治の混乱が続いた。さらに国内での反乱や周辺民族との戦闘の激化などにより軍事費が増大し,財政が悪化した。軍事費は増税でまかなわれたが,そのため民衆の生活は困窮し,社会は不安定となった。万暦帝の初期には i が政治・財政を一時的に建て直したが,その成果は長続きしなかった。最後の皇帝となった祟禎帝は(E)徐光啓らを登用し改革をはかった。しかしたび重なる飢饉により反乱が頻発し,ついには李自成に率いられた反乱軍により北京は陥落し,明は滅亡したのである。

問1 文中の空欄a~iを埋めるのに最も適切な語句を記せ。
問2 下線部(A)について,
 元で皇位継承をめぐる争いが絶えなかったのは,後継者の決定が有力者の合議によっていたことと関係している。この合議の機関をモンゴル語で何と呼ぶか。
問3 下線部(B)について,
 朱子学は南宋時代に朱熹により大成された。朱熹の思想を最もよく表している語句を下記の語群の中から1つ選び,記号で答えよ。
(イ) 性即理 (ロ) 兼愛・交利 (ハ) 知行合一 (ニ) 無為自然
問4 下線部(C)について,
 新安商人の出身地を下記の語群の中から1つ選び,記号で答えよ。
(イ) 陝西省 (ロ) 河南省 (ハ) 安馘省 (ニ) 山東省 (ホ) 四川省
問5 下線部(D)について,
 元が発行した紙幣を何と呼ぶか。
問6 下線部(E)について,
(1) 徐光啓は政治家であるとともに学者でもあった。彼が編述した農政・農学書の名称を記せ。
(2) 徐光啓はキリスト教徒でもあった。彼の協力を得て『幾何原本』を刊行した,イエズス会最初の中国伝道者は誰か。




【解答1】 
問1 a 朱元璋 b 中書 c 里甲 d 六諭
e 内閣大学士 f 蘇湖 g 湖広〔江浙〕
h 一条鞭法 i 張居正
問2 クリルタイ 問3 (イ)    問4 (ハ)    問5 交鈔
問6 (1) 『農政全書』 (2) マテオ=リッチ



明清の社会経済史  2005年札幌大学 比較文化

2011年08月19日 | 復習用入試問題
2005年札幌大学 比較文化

 次の文を読み,文中の 1 ~ 10 に適切な語句を以下の語群から選び,その記号を解答欄に記せ。あわせて下線部の問いに答えよ。

 明・清時代には,長江下流域を中心とする社会・経済の発達がますます著しくなった。とくに16世紀頃からその傾向が強まり,18世紀には頂点に達した。
 人口が密集した長江下流域は,農・工・商業活動をはじめ文化活動の中心地となった。蘇州・ 1 ・上海などの都市が栄え,16世紀頃から綿織物や絹織物に代表される家内手工業が盛んになり,その原料となる綿花や,養蚕に必要な桑の栽培などが普及した。このため,明末には長江中流域の湖北・ 2 省が新たな穀倉地帯となった。
 穀物・塩・木綿・絹織物など,長江流域の先進地に集まる物資は,山西商人や 3 商人らの手で全国の需要を満たした。(A)商業はいっそう発達し,同郷者や同業者のつくる互助機関が各地の都市にできた。こうした商工活動により,松江木綿や蘇州・湖州・ 1 の絹製品,景徳鎮の陶磁器など,外国にまで知られる特産品がうまれた。(B)これにともない大地主や大商人など地方社会の指導勢力が成長した。また経済の成長につれ,彼らの活動の地盤は都市に移り,都市文化はいっそう繁栄したが,手工業者や農民の地位はあまり改善されず,根深い社会問題をうみだしていった。広東・福建方面の農民の中には,禁をおかして東南アジアなどに移住するものも多く,のちの南洋華僑のもとになった。
 一方,東アジアの海上貿易がさかんになると, 4 ・スペイン人・オランダ人・イギリス人らが東方貿易を求めて進出した。中国では明の半ばから貨幣経済が発達し,経済の需要にこたえて銀が求められていた,16世紀頃から 5 の銀が,ついで 6 の銀が大量に流れ込み,中国経済に大きな影響を与えた。(C)16世紀半ばから,両税法にかわり税や徭役を銀に換算して一括して納税する制度が江南で始まり,やがて全国に普及した。清はこの制度を受けて,課税の柱として地銀と丁銀を民に課したが,18世紀前半に丁銀額が固定したため,丁銀を地銀にくりいれる 7 がうまれた。ここに,土地税一本となり,税制は発達した貨幣経済に応じて簡略化された。(D)また,ヨーロッパ人との貿易は, 8 が1757年に交易港を 9 1港に限定し,翌年実施した後も,特許商人の組合が交易を独占して活発におこなった。当時,中国貿易を独占する勢いを示していたのは,茶の貿易を中心とする 10 であった。

[語群] 
イ.南京 ロ.湖南 ハ.ポルトガル人
ニ.洛陽 ホ.地丁銀制 へ.ベトナム ト.乾隆帝
チ.ブラジル リ.青島 ヌ.オランダ東インド会社
ル.河南 ヲ.広州 ワ.イタリア人 カ.新安
ヨ.租庸調制 タ.日本 レ.康熙帝 ソ.メキシコ
ツ.杭州 ネ.イギリス東インド会社

問1 下線部(A)について,このような機関を何と呼ぶか。

問2 下線部(B)について,次の問いに答えよ。
(1) 大地主や大商人など地方社会の指導勢力となったものを何と呼ぶか。
(2) 当時の農民が地主に対しておこした抗争を何と呼ぶか。

問3 下線部(C)について,この制度を何と呼ぶか。

問4 下線部(D)について,この特許商人の組合のことを何と呼ぶか。


【解答1】 
1―ツ 2―ロ 3―カ 4―ハ
5―ソ 6―タ 7―ホ 8―ト
9―ヲ 10―ネ
問1 会館・公所 問2 (1)―郷紳,(2)―抗租運動
問3 一条鞭法 問4 公行


明清の文化  2008年同志社大学 経済

2011年08月19日 | 高3用 授業内容をもう一度
 次の文においてA〔   〕からT〔   〕については,〔   〕内の最も適切な語句・数字を選んで,その番号を解答欄甲に記入しなさい。また( い )から( ほ )については,最も適切な語句を漢字で解答欄乙に記入しなさい。

�.明朝初代の( い )帝は,A〔1.漢 2.隋 3.元〕代に政治の中枢を握っていた中書省を廃止し,B〔1.三省 2.六部 3.門下省〕を皇帝に直属させた。( い )帝は,C〔1.都市 2.首都 3.農村〕では里甲制を実施し,D〔1.土地 2.租税 3.住民〕台帳である魚鱗図冊などを整備した。さらに( い )帝は,E〔1.官吏 2.軍人 3.民衆〕教化のために,六ヶ条の教訓である( ろ )を定めた。

�.明朝成立から約F〔1.30 2.80 3.150〕年後に,西北G〔1.モンゴル 2.チベット 3.ウィグル〕がエセン=ハンの下で強大となり,明の正統帝が捕えられた( は )の変がおこった。この後,彼らはH〔1.洛陽 2.西安 3.北京〕を包囲したが,この頃から明は長城を改修した。この長城は,I〔1.周 2.戦国 3.漢〕の頃から部分的に存在していたが,匈奴防衛のために( に )帝によって修築され,万里の長城となった。

�.清代にはJ〔1.康煕 2.雍正 3.乾隆〕帝の時に,皇帝直属のK〔1.諮問 2.教育 3.文化〕機関である軍機処のような独自な制度が作られた。清は,古今の書物を集めた一大叢書である( ほ )などの大規模な編纂事業を行うとともに,漢人のL〔1.官吏のみ 2.男女 3.男子〕に辮髪を強制し,M〔1.仏教 2.道教 3.儒教〕的要素の強い白蓮教を弾圧した。この白蓮教はN〔1.宋 2.元 3.明〕の頃に現れ,後にO〔1.紅巾 2.黄巾 3.黄巣〕の乱をおこした。

�.清代のP〔1.初期 2.中期 3.末期〕の学者である顧炎武らによって実証的研究が主張される中,やがてQ〔1.道教 2.儒教 3.仏教〕の経典の研究を行う考証学が発展し,清代中期にはR〔1.黄宗羲 2.湯若望 3.銭大〕らの学者が生れた。『紅楼夢』や『儒林外史』などのS〔1.長篇小説 2.短篇小説 3.戯曲〕は,清代のT〔1.庶民 2.学者 3.上流階級〕や士大夫の生活を描いている。


【解答2】 
�. A 3 B 2 C 3 D 1
E 3 い 洪武 ろ 六諭
�. F 2 G 1 H 3 I 2
は 土木 に 始皇
�. J 2 K 1 L 3 M 1
N 1 O 1 ほ 『四庫全書』
�. P 1 Q 2 R 3 S 1
T 3