それまでの社会はキリスト教の教えによって安全が守られていましたが、人々の惨めな死は、キリスト教会が説く「神中心の考え方」に対する不信感を植え付けていったでしょう。
それまでの社会はキリスト教の教えによって安全が守られていましたが、人々の惨めな死は、キリスト教会が説く「神中心の考え方」に対する不信感を植え付けていったでしょう。
(1)ルネサンスの3巨匠
�レオナルド=ダ=ヴィンチ
�ミケランジェロ
�ラファエロ
(2)ダヴィンチの代表作3つ
�受胎告知
�最後の晩餐(セント=マリア=ディレ=グラツェ聖堂の食堂壁画)
�モナリザ
(3)ミケランジェロの代表作4つ
�ダヴィデ像
�ピエタ
�天地創造(ヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂天井画)
�最後の審判(ヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂祭壇画)
(4)サン=ピエトロ大聖堂建築家3人
�ブラマンテ
�ラファエロ
�ミケランジェロ
(5)サン=ピエトロ大聖堂建築の教皇3人
�ユリウス2世
�レオ10世
�パウルス3世
(6)ラファエロの3作品
�シャルルマーニュの戴冠
�聖母子像
�アテネの学堂
(7)ルネサンス期の教皇3人
�ユリウス2世
�レオ10世(メディチ家)
�クレメンス7世(メディチ家)
(1)ネーデルラントの3人 �油絵�農民画家�人文主義者
�ファン=アイク兄弟
�フリューゲル
�エラスムス
(2)エラスムス �友人�主著�ルターとの関係
�トマス=モア
�愚神礼賛
�ルターに影響を与えたが後に対立した
(3)フランスの3人
�ルフェーブル=デターブル
�モンテニュー
�ラブレー
(4)モンテニュー �主著�地位�関係した戦争
�随想録(エセー)
�ボルドー市長
�ユグノー戦争を調停
(5)イギリスの初期ルネサンス �人名�作品�評価
�チョーサー
�カンタベリー物語
�イギリス版デカメロン
(6)トマス=モア �主著�地位�国王
�ユートピア(羊が人を食う)
�大法官
�ヘンリー8世
(7)エリザベス時代の3人 �詩人�劇作家�哲学
�スペンサー
�シェークスピア
�フランシス=ベーコン
(8)シェークスピア4大悲劇
�ハムレット
�マクベス
�オセロー
�リア王
(9)セルバンテス �主著�戦争�国
�ドンキフォーテ
�レパントの戦いで負傷
�スペイン
(10)スペインの画家 �人名�作品�出身
�エル=グレコ
�トレドの風景
�ギリシア
再び06年東大第1問についての発見です。30年戦争、フランス革命戦争、第1次世界大戦の共通点について、アビと散歩をしているときに考えたことです。 国民国家の形成に与えた影響を考えるとき、30年戦争のとき、何が民族間の戦争の争点であったかというと、それは「宗教」です。戦後のウェストファリア条約でも、宗教を国家が決定することを謳っています。国家主権の確立は、絶対王政という国家形成に大いに影響していくわけです。つぎに、フランス革命戦争では「教育」が国民国家形成に大いに影響している。戦争に多くの地域から一般市民が参加したため、地方語の存在は軍隊組織になじまないわけです。そこで国民が一律の共通語を話し、共通するモラルを持つことが求められたのです。そうしないと軍隊組織が停滞します。また、第1次世界大戦は総力戦といわれます。国民の生活すべてが戦争によって影響され、そのことを国民が違和感なく許す環境は「宣伝」によって形成されたわけです。第2次世界大戦のとき日本が「欲しがりません。勝つまでは」といった宣伝を展開したが、この動きは第1次世界大戦のときに始まったのです。以上のように考えると、国民国家ンの形成に向けて3つの戦争が果たした役割とは、それぞれ「宗教」「教育」「宣伝」によって展開された、といえます。 ここまで東大の問題が求めているとは思いませんが、このように思考が発展していくことは、東大の問題の醍醐味でもあります。
1346年に始まり1348年に大流行したペストは、人々の1/3を殺した。「死の舞踏」に描かれたように、ペストの大流行による死は、教会の聖職者であろうと都市貴族だあろうと諸侯であろうと容赦することはなかった。身分の高い、それによって人々から権威ある者と考えられていた人間たちが、貧しくいかにも価値がないように思わされていた人々となんら代わらずに死んでいった。このことは、中世社会を支えていた権威がいかに見せ掛けであり、無意味であるかを人々に教える結果となった。とくに教会は十字軍の失敗やグレート・シスマで権威が揺らいでいたので、このペストの大流行の打撃は決定的なものになった。多くの人々の死に対して無力な現実が数年もの間、西欧世界でつづいたのである。そして、西欧世界はルネサンスtp宗教改革の時代を迎えていった。
西欧の人々を死の恐怖から救うために、自然を克服し「人間の王国」を建設することを提唱したのがフランシス=ベーコンである。さらにデカルトは「われ思うゆえに我あり」という言葉に示したように、人間の自我が唯一絶対であるとし、自然は人間が済みやすくするために手を加えるべき対象とされた。こうして近代科学の原則が成立していった。
ルネサンスとは【再生】を意味する言葉です。西欧世界は古代ギリシア文明を直接には継承しませんでした。ゲルマン民族の大移動による混乱で、文化的活動が停滞したからです。中世西欧世界はキリスト教教会が示した規範・感性が人々の暮らしやものの考え方を支配していた時代です。
しかし、【十字軍遠征】が失敗して教皇や教会に対する不信感が強まり、フランス王【フィリップ4世】は【アヴィニヨン捕囚事件】で教皇庁そのものを移転させています。14世紀には【ペスト】が大流行すると教会に対する不信感はいっそう強まり、人々は教会が言う事が本当にそうなのか?と思い始めてきました。熱心に神に祈ってもペストにかかって人々が死んでいったわけです。
このように教会中心、神中心の考え方に不信感を持って人々は、何に頼ろうとしてのでしょうか。それは自分が実際に目にした物、実際に手にとって触れた物、実際に経験したこと、こういって人間が経験から得た感覚、考え方にたって物事を考えようとし始めたのです。この言ってみれば人間中心の考え方を【人文主義】(ヒューマニズム)といいます。
神中心の考え方から人々が解放され人間中心の考え方が広まると、いままで神によって説明してきた自然に対して、実験や観察によって自然を説明するようになりました。非論理的・非合理的な説明は排除され、合理的な説明が求められていったわけです。【コペルニクス】や【ガリレオ】の登場がこのことを示しています。人文主義の思考は【合理主義】を生んだといえます。
このように人間の思考も中世社会を脱して近代的思考へと変化していったわけです。