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世界史の復習をサポートするブログです

14世紀の危機と人文主義

2020年03月29日 | 高3用 授業内容をもう一度
 14世紀の危機とは、1346年からイタリアの都市で始まったペストの大流行で、西欧の人口が3分の1も死んでいったことや、1339年から始まった百年戦争の戦乱、1358年のジャックリーの乱・1381年のワット=タイラーの乱といった農民反乱などの社会混乱を指します。とくにペストの大流行は1348年がピークでした。ペストの病魔は、貧富や身分の差を越えて人々を遅い、身分の高い人も貧しい人と同様に惨めに無力に死んでいったわけです。このような14世紀の危機は14世紀後半の50年間も続いたわけですから、当時の人々の考え方に大きな変化をもたらしたのは言うまでもありません。
 それまでの社会はキリスト教の教えによって安全が守られていましたが、人々の惨めな死は、キリスト教会が説く「神中心の考え方」に対する不信感を植え付けていったでしょう。
 

14世紀では農業が行き詰まり、商業が拡大した

2020年03月29日 | 高3用 授業内容をもう一度
国王の権力が強くなって行くことを王権の伸長とよびます。
一般に諸侯たちは国王の権力が強まることを嫌い、自分たちがそれまでのように自分の領地を思うように支配し続けることを望んでいますが、広域経済が発達し、貨幣経済が拡大すると農業に支えられている諸侯は経済的に没落してしまいます。

諸侯は領主権からですから、領地内の荘園から得られる収入(貨幣地代あるいは生産物地代)に支えられているわけです。農業と商業や工業との違いは拡大のしやすさにあります。つまり農業による収入を増やすためには土地を増やすしかありません。商業や工業は市場を拡大したり技術革新をするなど様々な方法で収入を増やすことができます。領主である諸侯はなかなか収入を増やせずにおり、さらに彼らにとって不幸だったのは、ペストの流行で収入をを増やすどころか働き手である農奴が激減していたわけです。14世紀とは寒冷化も加わり、農業関係者にとっては最悪な時代だったわけです。

諸侯が没落する一方で商人たちは活動の場を広げることができました。それまでは 東地中海では商業活動ができなかったのに、第4回十字軍をきっかけに東地中海貿易を独占できるようになっていました。










































マキャベリの政治思想の近代性と限界

2020年03月29日 | 高3用 授業内容をもう一度
 フィレンツェで活躍したマキャベリの思想は、彼が著した『君主論』に示されています。彼はキリスト教が説く「個人的な道徳」よりもむしろ「政治的な道徳」を優先させるべきだと主張します。この「政治的な道徳」とは君主が従うべき道徳のことで、君主は一般民衆(群集)を統治して内外の危機に対処するために、個人として守るべき道徳よりも優先させるべき道徳があると述べています。
 また、キリスト教が人々に隷属的支配をしているとし、その隷属的立場からの自由を重視しています。このような意味での自由をマキャベリが主張することは、まさに中世的にキリスト教支配から脱して「自由」を求めるという近代性をみることができます。マキャベリは共和制を重視しますが、それは自由を知った国民は容易に他の支配を受け入れない強さを持っている、という点を重視したからです。すなわち、マキャベリは「個人の自由」を確立するために「自由」を求めるのではなく、「国家の安定」を保つために「自由」を求めているといえます。つまり、「個人」よりも先に「国家」が存在すると考えていただろうといえるでしょう。この点は、「個人の自由」を国家より優先させたホッブスに対すると、マキャベリの限界が感じられるでしょう。
 マキャベリの思想は「マキャベリズム」と呼ばれ、君主の権力を最大限認め、君主は国の安全のためには策略(悪い意味で)をめぐらしても良いのだと、一般には言われています。しかし、マキャベリの本当の主張は、個人の安全を保障するためにはまず国家が安全でなければならないのだ、という点です。これはマキャベリの新しさでもあると同時に限界を意味しているわけです。

ラテン語

2020年03月29日 | 高2用 授業内容をもう一度
 中世ヨーロッパではラテン語だけが教会と学問の言語として利用された。現在でもその傾向は残っており、例えば生物の学名はラテン語を用いられているし、元素名もほとんどがラテン語である。中世ラテン語はやがてイタリア語・ルーマニア語・スペイン語・ポルトガル語・フランス語に変化し、各地で日常語として試用されなくなった。12世紀ごろには貴族・国王もほとんどラテン語をやむことができなくなており、聖職者だけが修道院などで使用していた。

板書(51)教皇のルネサンス

2020年03月29日 | トリオDE世界史

(1)ルネサンスの3巨匠
�レオナルド=ダ=ヴィンチ
�ミケランジェロ
�ラファエロ
(2)ダヴィンチの代表作3つ
�受胎告知
�最後の晩餐(セント=マリア=ディレ=グラツェ聖堂の食堂壁画)
�モナリザ
(3)ミケランジェロの代表作4つ
�ダヴィデ像
�ピエタ
�天地創造(ヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂天井画)
�最後の審判(ヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂祭壇画)
(4)サン=ピエトロ大聖堂建築家3人 
�ブラマンテ
�ラファエロ
�ミケランジェロ
(5)サン=ピエトロ大聖堂建築の教皇3人
�ユリウス2世
�レオ10世
�パウルス3世
(6)ラファエロの3作品
�シャルルマーニュの戴冠
�聖母子像
�アテネの学堂
(7)ルネサンス期の教皇3人
�ユリウス2世
�レオ10世(メディチ家)
�クレメンス7世(メディチ家)


板書(52)アルプス以北のルネサンス

2020年03月29日 | トリオDE世界史

(1)ネーデルラントの3人 �油絵�農民画家�人文主義者
�ファン=アイク兄弟
�フリューゲル
�エラスムス
(2)エラスムス �友人�主著�ルターとの関係
�トマス=モア
�愚神礼賛
�ルターに影響を与えたが後に対立した
(3)フランスの3人 
�ルフェーブル=デターブル
�モンテニュー
�ラブレー
(4)モンテニュー �主著�地位�関係した戦争
�随想録(エセー)
�ボルドー市長
�ユグノー戦争を調停
(5)イギリスの初期ルネサンス �人名�作品�評価
�チョーサー
�カンタベリー物語
�イギリス版デカメロン
(6)トマス=モア �主著�地位�国王
�ユートピア(羊が人を食う)
�大法官
�ヘンリー8世
(7)エリザベス時代の3人 �詩人�劇作家�哲学
�スペンサー
�シェークスピア
�フランシス=ベーコン
(8)シェークスピア4大悲劇
�ハムレット
�マクベス
�オセロー
�リア王
(9)セルバンテス �主著�戦争�国
�ドンキフォーテ
�レパントの戦いで負傷
�スペイン
(10)スペインの画家 �人名�作品�出身
�エル=グレコ
�トレドの風景
�ギリシア


2006年東京大学 第1問について

2020年03月29日 | 論述問題

再び06年東大第1問についての発見です。30年戦争、フランス革命戦争、第1次世界大戦の共通点について、アビと散歩をしているときに考えたことです。 国民国家の形成に与えた影響を考えるとき、30年戦争のとき、何が民族間の戦争の争点であったかというと、それは「宗教」です。戦後のウェストファリア条約でも、宗教を国家が決定することを謳っています。国家主権の確立は、絶対王政という国家形成に大いに影響していくわけです。つぎに、フランス革命戦争では「教育」が国民国家形成に大いに影響している。戦争に多くの地域から一般市民が参加したため、地方語の存在は軍隊組織になじまないわけです。そこで国民が一律の共通語を話し、共通するモラルを持つことが求められたのです。そうしないと軍隊組織が停滞します。また、第1次世界大戦は総力戦といわれます。国民の生活すべてが戦争によって影響され、そのことを国民が違和感なく許す環境は「宣伝」によって形成されたわけです。第2次世界大戦のとき日本が「欲しがりません。勝つまでは」といった宣伝を展開したが、この動きは第1次世界大戦のときに始まったのです。以上のように考えると、国民国家ンの形成に向けて3つの戦争が果たした役割とは、それぞれ「宗教」「教育」「宣伝」によって展開された、といえます。 ここまで東大の問題が求めているとは思いませんが、このように思考が発展していくことは、東大の問題の醍醐味でもあります。


ペストの大流行が人々の意識を変えた

2020年03月29日 | 高3用 授業内容をもう一度

 1346年に始まり1348年に大流行したペストは、人々の1/3を殺した。「死の舞踏」に描かれたように、ペストの大流行による死は、教会の聖職者であろうと都市貴族だあろうと諸侯であろうと容赦することはなかった。身分の高い、それによって人々から権威ある者と考えられていた人間たちが、貧しくいかにも価値がないように思わされていた人々となんら代わらずに死んでいった。このことは、中世社会を支えていた権威がいかに見せ掛けであり、無意味であるかを人々に教える結果となった。とくに教会は十字軍の失敗やグレート・シスマで権威が揺らいでいたので、このペストの大流行の打撃は決定的なものになった。多くの人々の死に対して無力な現実が数年もの間、西欧世界でつづいたのである。そして、西欧世界はルネサンスtp宗教改革の時代を迎えていった。


 西欧の人々を死の恐怖から救うために、自然を克服し「人間の王国」を建設することを提唱したのがフランシス=ベーコンである。さらにデカルトは「われ思うゆえに我あり」という言葉に示したように、人間の自我が唯一絶対であるとし、自然は人間が済みやすくするために手を加えるべき対象とされた。こうして近代科学の原則が成立していった。


 


人文主義

2020年03月29日 | 高3用 授業内容をもう一度

 ルネサンスとは【再生】を意味する言葉です。西欧世界は古代ギリシア文明を直接には継承しませんでした。ゲルマン民族の大移動による混乱で、文化的活動が停滞したからです。中世西欧世界はキリスト教教会が示した規範・感性が人々の暮らしやものの考え方を支配していた時代です。
 しかし、【十字軍遠征】が失敗して教皇や教会に対する不信感が強まり、フランス王【フィリップ4世】は【アヴィニヨン捕囚事件】で教皇庁そのものを移転させています。14世紀には【ペスト】が大流行すると教会に対する不信感はいっそう強まり、人々は教会が言う事が本当にそうなのか?と思い始めてきました。熱心に神に祈ってもペストにかかって人々が死んでいったわけです。
 このように教会中心、神中心の考え方に不信感を持って人々は、何に頼ろうとしてのでしょうか。それは自分が実際に目にした物、実際に手にとって触れた物、実際に経験したこと、こういって人間が経験から得た感覚、考え方にたって物事を考えようとし始めたのです。この言ってみれば人間中心の考え方を【人文主義】(ヒューマニズム)といいます。
 神中心の考え方から人々が解放され人間中心の考え方が広まると、いままで神によって説明してきた自然に対して、実験や観察によって自然を説明するようになりました。非論理的・非合理的な説明は排除され、合理的な説明が求められていったわけです。【コペルニクス】や【ガリレオ】の登場がこのことを示しています。人文主義の思考は【合理主義】を生んだといえます。
 このように人間の思考も中世社会を脱して近代的思考へと変化していったわけです。