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板書(63)英国国教会

2012年05月27日 | トリオDE世界史

(1)ヘンリー7世 �王朝�王権強化2点
�チューダ朝
�星室庁設置
�枢密院設置
(2)星室庁 �目的�宮殿�設置した王
�貴族の裁判所
�ウェストミンスター宮殿の星の間
�ヘンリー7世
(3)英国教会の成立 �年・法令�国王�原因
�1534年・首長令
�ヘンリー8世
�離婚問題
(4)ヘンリー8世の業績3点
�首長令
�修道院解散
�ジェントリを地方判事に任命
(5)トマス=モア �主著�地位�仕えた国王
�ユートピア(羊が人を食う)
�大法官
�ヘンリー8世
(6)英国教会 �1534年�1549年�1559年
�首長令
�一般祈祷書
�統一令
(7)英国教会に関する王 �首長令�一般祈祷書�統一令
�ヘンリー8世
�エドワード6世
�エリザベス1世
(8)一般祈祷書 �国王�教会制度�教義
�エドワード6世
�カトリック
�カルヴァン派
(9)チューダ朝の政治家 �ユートピア�一般祈祷書�エリザベスの財務長官
�トマス=モア
�クランマー
�グレシャム
(10)ヘンリー8世の子3人
�エドワード6世
�メアリ1世(カザリン娘)
�エリザベス1世(アン=ブーリン娘)
(11)エリザベス1世 �英国教会�海戦�保護育成
�統一令
�アルマダの海戦
�毛織物工業
(12)メアリ=ステュアート �地位�宗派�処刑した国王
�スコットランド女王
�カトリック
�イングランド女王エリザベス1世
(13)アルマダの海戦 �スペイン王�年代�英国海軍
�フェリペ2世
�1588年
�ドレークの私掠船
(14)各国の東インド会社設立年 �イギリス�オランダ�フランス
�1600年
�1602年
�1604年
(15)イギリス東インド会社 �設立年�本社�初期の主力商品
�1600年
�ロンドン
�香辛料(~1623年まで)


エーゲ文明

2012年05月27日 | 復習用入試問題

【エーゲ海】地域は,山が海岸に迫り平野が少なく,陸地よりも海上による交通が容易であった。青銅器時代に入り,穀物栽培の定着と【オリーブ】や【ぶどう】などの栽培の開始によって独自な社会発展の基礎が築かれ,オリエントと交易を行い,世界最初の【海洋】文明を生んだ。
 【エーゲ】文明の前半は,【クレタ島】がその中心であったので今日では一般的に【クレタ】文明と呼ばれている。この文明は歴史的に長い間忘れられていたが,【エヴァンズ】が1900年以降この島の【クノッソス】宮殿(別名を【ラビリントス】という)の発掘を行い,古代ギリシア人の歴史家が最初の海上支配者であるとした伝説上の王【ミノス】の名から【ミノス】文明とも名付け,歴史的に存在を明らかにした。
 エーゲ文明の後半である【ミケーネ】文明も伝説上のものとされていたが,19世紀の後半に【シュリーマン】が,【小アジア】の【トロヤ】,ギリシア本土の【ミケーネ】などを発掘し,【ホメロス】の叙事詩の【トロヤ戦争】の舞台となった文明の存在を証明した。1952年にイギリス人の【ヴェントリス】が言語学者の協力を得て,【線文字B】の解読に成功した。しかしこのミケーネ文明も前【12】世紀になると崩壊するが,その原因は明らかではない。【鉄器】を持った【ドーリア】人の移動の波がミケーネ文明を崩壊させた,という説明は考古学的には現在は否定されている。
 とにかく,ミケーネ文明の崩壊と同時に線文字も使われなくなった。前【8】世紀に新しい【ギリシア】文字が発明されるまで,ギリシア世界は無文字の社会であり,それ故にこの約【400】年間をギリシア史上,【暗黒時代】という。


古代ギリシア史(2)民主化の世紀

2012年05月27日 | トリオDE世界史

板書(6)古代ギリシア史(2)民主化の世紀とペルシア戦争
(1)前6世紀の政治家3人
�ソロン
�ペイシストラトス
�クレイステネス
(2)前6世紀の民主化の年代 �ソロン�ペイシストラトス�クレイステネス
�前594年
�前530年
�前508年
(3)ソロンの改革 �民主化の政策�貧者対策�市民団の維持
�財産政治
�重荷おろし
�債務奴隷の禁止
(4)ペイシストラトス �独裁者�年代�業績
�僭主
�前530年
�ラウレイオン銀山の開発
(5)クレイステンス �年代�独裁者追放�貴族抑制
�前508年
�オストラシズム(陶片追放)
�10部族制
(6)ペルシア戦争の王 �第1回�第2回�第3回
�ダレイオス1世
�ダレイオス1世
�クセルクセス1世
(7)第1回ペルシア戦争 �原因�年代�ペルシア王
�イオニア植民市の反乱をアテネが支援したため
�前500年(戦争は前492年)
�ダレイオス1世
(8)第2回ペルシア戦争 �年代�戦い�スパルタの対応
�前490年
�マラトンの戦い
�スパルタは不参加
(9)第3回ペルシア戦争の戦い �スパルタ全滅�アテネ勝利�最終戦
�テルモピレーの戦い
�サラミスの海戦
�プラタイアの戦い
(10)第3回ペルシア戦争の人名 �ペルシア王�戦死したスパルタ王�アテネ将軍
�クセルクセス
�レオニダス王
�テミストクレス
(11)サラミスの海戦 �年代�アテネの将軍�戦争の主力
�前480年
�テミストクレス
�無産市民が船の漕ぎ手として参加
(12)テルモピレの戦い �年代�主力のポリス�人名
�前480年
�スパルタ
�スパルタ王レオニダス
(13)イオニア哲学者(ミレトス) �水�無限定�空気
�タレス
�アナクシマンドロス
�アナクシメネス
(14)イオニア哲学者(その他) �数�変化�アトム
�アルキメデス
�ヘラクレイトス
�デモクリトス
(15)タレス �時期�万物の根源�その他の業績
�前6世紀
�水
�日食を予言


宗教改革 03明治大学

2012年05月20日 | 復習用入試問題

次の文章を読み,下記の設問(1~6)に答えなさい。 03明治大学

1 宗教改革は,ドイツからおこった。教皇レオ10世は大聖堂改修の資金調達のため,贖宥状(免罪符)を発行し,それをアウグスブルクの (1) 家と結んで販売させた。マルティン=ルターはかねてカトリックの教義に疑問を抱いていたことから,1517年,大学の教会の扉に (101) を発表し,贖宥状の販売を攻撃した。
2 イギリスの宗教改革は,国王 (102) からはじまった。彼はカトリック信仰の擁護者として教皇からたたえられたほどであったが,王妃との離婚問題から教皇と対立し,破門されるにいたった。そのため彼は (2) 年首長法によって,国王を首長とするイギリス国教会をつくり,さらに修道院を解散してその財産を没収し王権の強化に努めた。
3 宗教改革の運動は,スイスやフランスにも広がった。フランス人(ア)カルヴァンは,ジュネーヴを拠点に改革運動を展開した。彼は神によって与えられた職業に専念し生活のすべてを「神の栄光のために」ささげることを強調した。勤労を重んじ浪費を戒めるカルヴァン派は,フランスではユグノー,ネーデルラントでは (103) ,イングランドではピューリタンと呼ばれた。
4 改革運動の高まりのなかでローマ教会ではカトリックの再建がはかられた。カトリック改革の中心となったのが1545年から開かれた(イ)トリエント公会議で,教会の再建方法がはかられた。スペイン人の (104) はイエズス会を組織し軍隊的な規律のもと布教活動を展開した。日本に初めてキリスト教をもたらしたフランシスコ=ザビエルもこの会の宣教師であった。
5 1555年,アウグスブルクの宗教和議ののち,新旧両教の対立は解消されず,1618年にはべーメン(ボヘミア)の新教徒が国王に反抗したのをきっかけに三十年戦争がはじまった。最初は宗教的色彩が濃かったが,しだいに列国の干渉によりて政治的色彩を強くしていった。結局1648年に(ウ) (105) 条約によって戦争は終結した。

問1 空欄(101)~(105)に,それぞれ最も適した語句を記入しなさい。

問2 空欄(1)に適する語句を次から一つ選び,マークしなさい。
A フッガー B ブルボン C ヨーク
D ヴァロワ E メディチ

問3 空欄(2)に該当する年を次から一つ選び,マークしなさい。
A 1509 B 1516 C 1524 D 1534 E 1547

問4 下線部(ア)に関して,カルヴァンが公刊した著作を次から一つ選び,マークしなさい。
A 『キリスト者の自由』 B 『キリスト教綱要』
C 『愚神礼賛』 D 『随想録』
E 『告白録』

問5 下線部(イ)の説明で誤りであるものを次から一つ選び,マークしなさい。
A 教皇の至上権が再確認された。
B 異端審問の強化と禁書目録が定められた。
C 教会組織で長老制度をとりいれた。
D この会議の目的は当初新旧両教の調停にあったが,新教側が出席を拒否した。
E 聖書とならんで秘蹟(サクラメント)が教義の基礎とされた。

問6 下線部(ウ)の条約によって独立が承認された国の組合せとして,最も適したものを次から一つ選び,マークしなさい。
A プロイセンとスイス B スイスとオーストリア
C オランダとプロイセン D プロイセンとオーストリア
E オランダとスイス


板書(61)対抗宗教改革

2012年05月20日 | トリオDE世界史

(1)モハチの戦い �スルタン�年�征服地
�スレイマン1世
�1526年
�ハンガリー全域を征服
(2)1526年 �戦い�国会�内容
�モハチの戦い
�第1回シュパイエル国会
�ルター派容認
(3)第1回ウィーン包囲 �スルタン�皇帝�年
�スレイマン1世
�カール5世
�1529年
(4)1529年 �ウィーン包囲�国会�結果
�ウィーン包囲失敗
�第2回シュパイエル国会
�ルター派否認
(5)カール5世主催の国会 �1521年�1526年�1529年
�ヴォルムス国会でルター追放
�第1回シュパイエル国会でルター派を容認
�第2回シュパイエル国会でルター派を否認
(6)ルター派諸侯 �中心的存在�第2回シュパイエル国会�トリエント公会議
�ザクセン公
�翌年シュマルカルデン同盟を結成
�出席を拒否
(7)シュマルカルデン戦争 �開始年�敵対勢力2つ
�1546年
�皇帝カール5世
�反皇帝派=ルター派諸侯
(8)トリエント公会議 �開催年�目的�主催者
�1545年
�対抗宗教改革の開始
�カール5世
(9)トリエント公会議の内容3つ
�聖書解釈は教会が独占
�教義の見直し
�免罪符は無料配布
(10)16世紀中ごろの状況 �公会議�戦争�和議
�トリエント公会議
�シュマルカルデン戦争
�アウグスブルクの和議
(11)アウグスブルクの和議 �年�容認�選択権
�1555年
�カトリックとルター派を容認(カルヴァン派は否定)
�諸侯と帝国都市が選択権を持つ
(12)イエズス会 �創始者�中心人物�公認した教皇
�イグナ=ティウス=ロヨラ
�ザビエル
�教皇パウエル3世
(13)ザビエル �上陸�イエズス会の拠点�死去
�鹿児島上陸
�ゴア
�広州沖の上川島


板書(62)30年戦争

2012年05月20日 | トリオDE世界史

(1)30年戦争 �開始年�フランス参戦年�終結年
�1618年
�1635年
�1648年
(2)30年戦争に介入した3国
�デンマーク
�スウェーデン
�フランス
(3)介入した国王 �デンマーク�スウェーデン�フランス
�クリスチャン4世
�グスタフ=アドルフ
�ルイ13世
(4)グスタフ=アドルフ �戦い�結果�影響
�リュッツェンの戦い
�勝利したが戦死
�バルト海の制海権を獲得して全盛期を現出
(5)フランスの参戦 �参戦した国王�その宰相�終結時の国王
�ルイ13世
�リシュリュー
�ルイ14世
(6)ウェストファリア条約の承認した宗派3つ
�カトリック
�ルター派
�カルヴァン派
(7)ウェストファリア条約で独立が承認された国2つ
�オランダ
�スイス
(8)ウェストファリア条約の意義3つ
�史上初の国際条約
�領邦国家が主権を確立(神聖ローマ帝国の死亡診断書)
�ハンザ同盟が解体しスウェーデンがバルト海を獲得
(9)グロティウス �国�主著�意義
�オランダ(ライデン大学)
�戦争と平和の法・海洋自由論
�国際法の父


板書(60)カルヴァンの宗教改革

2012年05月20日 | トリオDE世界史

(1)ルター以外の宗教改革者 �ドイツ�スイス・チューリヒ�ジュネーブ
�ミュンツァー
�ツヴィングリ
�カルヴァン
(2)ツヴィングリ �活動地域�結果�影響
�スイスのチューリヒ
�カッペルの戦いで戦死
�再洗礼派に影響
(3)ミュンツァー �地域�結果�主張
�南ドイツ
�ドイツ農民戦争で処刑死
�身分制否定
(4)ドイツ農民戦争 �指導者�主張�ルターの対応
�トマス=ミュンツァー
�12ケ条要求(身分制否定など)
�はじめ同情したが後に非難した
(5)カルヴァンの活動地域の変化3つ
�フランス・パリ
�バーゼル
�ジュネーヴ
(6)カルヴァン �改革の年代�主張�主著
�1541年
�予定説
�キリスト教綱要
(7)各地のカルヴァン派 �フランス�イングランド�オランダ�スコットランド
�ユグノー
�ピューリタン
�ゴイセン
�プレスヴィテリアン


板書(59)ルターの宗教改革

2012年05月20日 | トリオDE世界史

(1)ルター以前の聖書主義 ①イングランド②ベーメン③時期
①ウィクリフ
②フス
③14世紀
(2)ウィクリフ ①大学②業績③主張
①聖書の英語訳
②オックスフォード大学
③聖書主義
(3)フス ①大学②地方③処刑年
①プラハ大学
②ベーメン(ボヘミア)
③1415年
(4)フス処刑 ①公会議②公会議を主催した皇帝③結果
①コンスタンツ公会議
②ジギスムント
③ボヘミアでフス戦争が発生した
(5)免罪符 ①原因②発行した教皇③販売独占した一族
①サン=ピエトロ大聖堂全面改修
②レオ10世
③アウグスブルクのフッガー家
(6)ルターの宗教改革年代3つ 
①1517年
②1519年
③1521年
(7)ルターの宗教改革事項 ①17年②19年③21年
①95ヶ条の論題
②ライプチヒ討論
③ヴォルムス国会
(8)95ヶ条の論題 ①教会②内容③使用文字
①ヴィッテンベルク城教会
②免罪符反対
③ラテン語
(9)ライプチヒ討論 ①教皇②カトリック論客③結果
①1519年
②エック
③1520年にルターを破門した
(10)ルターの主張3つ
①聖書主義(パウロ『ローマ人信徒への手紙』)
②信仰義認説(信仰のみ)
③万人司祭主義
(11)ルターの3大宗教改革書
①キリスト教者の自由
②ドイツ国民のキリスト教貴族に与う
③教会のバビロン捕囚
(12)ヴォルムス国会 ①主催者②結果③ルターの庇護者
①カール5世
②ルターを帝国追放
③ザクセン公
(13)ザクセン公庇護下のルター ①ザクセン公居城②業績③農民戦争への対応
①ヴァルトブルク城
②聖書のドイツ語訳
③同情から非難に転じた
(14)ルターが決裂した人物3人
①ミュンツアー
②エラスムス
③ツヴィングリ


メソアメリカ 07年関西学院大学

2012年05月11日 | 復習用入試問題

次の文中の   に最も適当な語を語群から選び,また下線部に関する問いに答え,記号にマークしなさい。07年関西学院大学

 今から約3万年前頃,アメリカ大陸にアジア系の人間集団が イ 海峡付近を経由して移住していったと考えられている。中南部アメリカには,今から約1万年前から人間が住んでいた証拠が発見されており,その後,アメリカ大陸の各地に多様な文化・文明が育まれていった。
 メキシコ湾岸の低地森林地域においては,紀元前1200年頃からオルメカ文明が栄えた。ここでは大規模な神殿が建てられたほか, ロ などの遺物が発見されている。オルメカ文明をはじめ,南北アメリカ古代文明の多くはこの大陸原産の ハ 栽培を基盤として成立した。4~9世紀には中央アメリカ南部のユカタン半島を中心に�マヤ文明が栄えた。この文明はピラミッド状の建築物,精密な暦法など独自の文化を発達させた。北部より移住してきたといわれるアステカ族は14世紀中頃テスココ湖上の島を開拓し,
 ニ という町を建設し,帝国の基礎を築いた。
 一方アンデス地方北部においては,紀元前1000年頃からチャビン文明が栄えた。その後,1~8世紀にペルー南部の海岸地域には�ナスカ文明が栄えた。12世紀頃にはアンデス高原一帯に�インカ帝国が建てられ,15世紀後半に入ると大規模な征服活動を始めた。この帝国をつくった民族は ホ 族で,エクアドル北方からチリ中部までの広い地域を支配下に置いた。この帝国は王を頂点とするピラミッド型に組織されていた。
 しかしアステカ帝国も�インカ帝国も16世紀前半にアメリカ大陸に侵入したスペイン人に滅ぼされた。植民者による酷使や伝染病の流行により,16世紀後半には�インディオの人口が激減してしまった。

[語 群] 
イ a.マラッカ b.ジブラルタル
c.ベーリング d.マゼラン

ロ a.水道橋 b.巨大人面彫刻
c.城壁 d.階段ピラミッド

ハ a.アワ b.大麦 c.タロイモ d.トウモロコシ

ニ a.モチカ b.ティアワナコ
c.テオティワカン d.テノチティトラン

ホ a.ケチュア b.チチメカ
c.チャンチャン d.トルテカ

[問 い] 
� マヤ文明に関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.マヤ文明では,都市国家が栄えた。
b.マヤ文明は,二十進法による数の表記法を持っていた。
c.マヤ文明は,青銅器を使用していた。
d.マヤ文明は,スペイン人に征服されて滅んだ。

� ナスカ文明に関する記述で,誤りを含まないものはどれか。
a.ナスカ文明は,地上絵と多彩な彩文土器で有名である。
b.ナスカ文明は,アマゾン川流域にまで拡大した。
c.ナスカ文明の遺跡は,マチュピチュでもみられる。
d.ナスカ文明は,チムー帝国と同時期に栄えた。

� インカ帝国に関する記述で,誤りを含むものはどれか。
a.インカ帝国では,馬車による駅伝制が発達していた。
b.インカ帝国では,物とその数量などの情報を縄の結び方で示した。
c.インカ帝国は,優れた石造建築の技術を持ち,神殿や灌漑施設を建設した。
d.インカ帝国が滅亡すると,スペイン人は新しい首都としてリマを建設した。

� インカ帝国を滅ぼしたのはだれか。
a.コルテス b.ピサロ
c.アメリゴ=ヴェスプッチ d.バルボア

� インディオに関する記述で,誤りを含まないものはどれか。
a.コロンブスは国王からインディオを労働に使役するアシエンダ制の実施を認められた。
b.ラス=カサスはインディオの悲惨な状況をスペイン国王に報告した。
c.ラテンアメリカに定住した白人とインディオの混血は,ムラートと呼ばれる。
d.マデロはメキシコ初のインディオ出身の大統領となった。


【解答】 
イ c ロ b ハ d ニ d
ホ a
� c � a � a � b
� b


板書(58)ネーデルラント独立戦争

2012年05月11日 | トリオDE世界史

(1)ネーデルラント独立戦争 �ユトレヒト条約年�独立宣言年�休戦協定年
�1579年
�1581年
�1609年
(2)ネーデルラント �北部の特徴�南部の特徴�南部の宗教
�ハンザ同盟諸都市(カルヴァン派)
�フランドル地方の毛織物工業(カルヴァン派)
�領主階級はカトリック
(3)独立戦争 �支配国�国王�独立戦争の中心
�スペイン
�フェリペ2世
�ゴイセン
(4)ユトレヒト条約 �年�中心勢力�離脱した勢力
�1579年
�北部7州のホラント州
�南部10州
(5)独立戦争中 �海戦�海戦の年�イギリス海軍
�アルマダの海戦
�1588年
�ドレークの私掠船を組織
(6)独立戦争の結果 �独立達成�国際承認した条約�南部の独立
�北部のみ独立
�ウェストファリア条約
�ベルギーとして1830年にオーストリアから独立
(7)都市 �戦争中に破壊された都市�オランダの中心都市�産業
�アントワープ
�アムステルダム
�金融業が中心
(8)アルマダの海戦 �英王�スペイン王�影響
�エリザベス1世
�フェリペ2世
�スペインの衰退が始まる


板書(57)スペインの新大陸経営

2012年05月11日 | トリオDE世界史

(1)新大陸探検者 �1492年�大陸に上陸�太平洋到達
�コロンブス
�アメリゴ=ヴェスプッチ
�バルボア
(2)コロンブス �出身国�出航した港�到達地
�ジェノヴァ
�パロス港
�サン=サルバドル島
(3)コンキスタドレス(征服者) �メキシコ�ペルー�反対者
�コルテス
�ピサロ
�ラス=カサス
(4)コルテス �征服年�征服地�征服した帝国
�1521年
�メキシコ
�アステカ文明
(5)ピサロ �征服年�征服地�征服した帝国
�1533年
�ペルー
�インカ帝国
(6)インカ帝国 �都�文字�特徴
�クスコ
�キープ文字
�鉄・馬・車輪を持たない高度な青銅器文明
(7)ポトシ銀山 �発見年�位置�銀
�1545年
�ボリビア
�メキシコ銀
(8)中南米統治 �16世紀�17~18世紀�19世紀
�エンコミエンダ制
�アシエンダ制
�プランテーション
(9)エンコミエンダ制 �内容�目的�反対者
�インディオの貢納
�インディオのカトリック改宗
�ラス=カサス
(10)中南米の4階級 �本国人�中南米生まれ白人�白人とインディオ混血�白人と黒人の混血
�ペニンスラール
�クリオーリョ
�メスティソ
�ムラト
(11)世界周航 �探検家�帰還年�死去した地
�マガリャンイス
�1521年
�フィリピンのセブ島
(12)フィリピン �都市�支配年�初代総督
�マニラ
�1571年
�レガスピ
(13)スペインの対中国貿易 �貿易�中継地�影響
�アカプルコ貿易
�マニラ市
�明で一条鞭法が施行された


板書(56)商業革命と価格革命

2012年05月11日 | トリオDE世界史

(1)オスマン=トルコの拡大 �1517年�1538年�1571年
�マムルーク朝征服
�プレヴェダの海戦
�レパントの海戦
(2)レパントの海戦で勝利した連合軍3国
�スペイン
�ヴェネツィア
�教皇
(3)ポトシ銀山 �開発年�現在の国�積出港
�1545年
�ボリビア
�メキシコのアカプルコ港
(4)価格革命で衰退した勢力3つ
�ポルトガル
�北イタリア諸都市
�領主(諸侯・騎士)階級


板書(55)ポルトガルの時代

2012年05月06日 | トリオDE世界史

(1)ポルトガルの王家3人 �探検�ディアス�ダ=ガマ 
�エンリケ航海王子
�ジョアン2世
�マヌエル1世
(2)アフリカ西岸探検 �探検を組織�天文台�最西端
�エンリケ航海王子
�ザグレス天文台
�ヴェルデ岬
(3)アフリカ南端到達 �探検家�到達年�岬の名
�バウトロメウ=ディアス
�1488年
�喜望峰
(4)アフリカ南端到達 �最初の岬名�現在の岬名�命名した国王
�嵐の岬
�喜望峰
�ジョアン2世
(5)インド航路開拓者 �ヴェルデ岬�喜望峰�カリカット
�エンリケ航海王子
�バウトロメウ=ディアス
�ヴァスコ=ダ=ガマ
(6)インド航路開拓年 �ヴェルデ岬�喜望峰�カリカット
�1445年
�1488年
�1498年
(7)ポルトガル・スペインによる分割 �1492年�1493年�1494年
�コロンブス新大陸到達
�教皇子午線
�トルデシリャス条約
(8)ポルトガル・スペインによる分割 �教皇�ヴェルデ岬沖�ブラジル領有
�アレクサンドル6世
�教皇子午線
�トルデシリャス条約
(9)インド航路開発 �探検家�到達年�到達地
�ヴァスコ=ダ=ガマ
�1498年
�カリカット
(10)ブラジル �探検家�到達年�領有した国
�カブラル
�1500年
�ポルトガル
(11)ポルトガルの香辛料貿易年 �デュウ沖の戦い�ゴア�マラッカ
�1509年
�1510年
�1511年
(12)ポルトガルのインド進出の3人 �探検家�初代インド総督�第2代総督
�ダ=ガマ
�アルメイダ
�アルブケルケ
(13)ポルトガルの中国進出 �マカオ到達�日本上陸�マカオ居住権
�1517年
�1543年
�1557年
(14)ポルトガル香辛料支配 �1511年�香辛料生産地�征服年
�マラッカ王国征服
�モルッカ諸島
�1522年
(15)マカオ �1517年�1557年�1887年
�マカオ上陸
�マカオ居住権を得る
�マカオを植民地化


板書(54)レコンキスタ

2012年05月06日 | トリオDE世界史

(1)後ウマイヤ朝以降のイスラム王朝 ①11世紀②12世紀③13世紀
①ムラービト朝
②ムワヒッド朝
③グラナダ王国ナスル朝
(2)イベリア半島の都 ①西ゴート王国②後ウマイヤ朝③ナスル朝
①トレド
②コルドバ
③グラナダ
(3)ムラービト朝 ①民族②都③出身地
①ベルベル人
②マラケシュ
③モロッコ
(4)ムラービト朝 ①貿易②商品③征服した王朝
①サハラ縦断貿易または塩金貿易
②サハラの岩塩とガーナの金
③ガーナ王国
(5)サハラ以南(ニジェール川)の黒人王国3つ
①ガーナ王国
②マリ王国
③ソンガイ王国
(6)グラナダ王国ナスル朝 ①都②宮殿③様式
①グラナダ
②アルハンブラ宮殿
③アラベスク様式
(7)イベリア半島のキリスト教国 ①10世紀②11世紀③12世紀
①カスティリア王国
②アラゴン王国
③ポルトガル王国
(8)ポルトガル王国 ①都②分離独立した元の国③成立した時期
①リスボン
②カスティリア王国
③12世紀
(9)スペイン王国 ①結婚した王2人②成立年
①アラゴン王フェルナンド2世
②カスティリア女王イザベル
③1479年
(10)レコンキスタ ①開始時期②終結年③陥落したイスラム教徒の都
①10世紀
②1492年
③グラナダ