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前12世紀「海の民」の侵入でAll Clear

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【「海の民」】には必ずといってよいほど「なぞの」という言葉がつきます。彼らは【前12】世紀に地中海から【エジプト】・【小アジア】・【メソポタミア】に侵入し、その地にあったヒッタイト帝国やミタンニ王国を滅ぼしています。ただし、新王国はこのときは滅びませんでしたが、以前のようにオリエント世界に影響力を持つような国ではなくなってしまいました。このように、海の民はそれまでインド=ヨーロッパ語族の世界であったメソポタミアに混乱をもたらし、全てを無にしたのです。前12世紀からオリエント世界はまったく新しい世界が始まりました。

アッシリアがオリエントを統一しました

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度
アッシリアによるオリエントの統一
 
 前12世紀、なぞの「海の民」の進入で大混乱におちいっていたメソポタミア地方でしたが、【メソポタミア北部】から新しい民族が勢力を付けてきました。それが【アッシリア】です。アッシリアは前7世紀になるとメソポタミアを統一すると、地中海東岸の民族を攻撃しました。ヘブライ人の【イスラエル】王国を【サルゴン2世】が征服したのは【前722】年のことです。ついで、アッサルハドンはフェニキア人の都市国家【シドン】と【ティルス】の港を破壊します。石積みの防波堤や船着場を破壊したのです。この戦いに敗れたフェニキア人は、北アフリカの【カルタゴ】などに逃れるほかありませんでした。海上貿易を独占していたフェニキア人の港が破壊されたというチャンスを逃さず、フェニキア人にとって代わって地中海の海上貿易に乗り出したのが【ギリシア】人です。
 ついで【サッシュール=バニパル】王(いかにもアッシリアの王らしい名前です)がエジプトの新王国を征服しました。サッシュール=バニパル王は、メソポタミアとエジプトの両方を支配する最初の王となったわけです。彼がエジプトでライオン狩りを楽しんだ様子が残されています。この「【獅子狩りのレリーフ】」は彼の勇気を示すものであると同時に、彼がアフリカにすむライオンを狩ることが出来たオリエントの統一者であったことがわかります。また、アッシュール=バニパルは都の【ニネベ】に、当時オリエントにあった粘土板を大量に集め、【大図書館】を作ったことでも知られています。その枚数はおよそ20万枚に及ぶそうです。
 
 

古代オリエント世界 1万年前の世界

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度
(2)古代オリエント世界 1万年前の世界<o:p> </o:p>
 今から1万年前に地球環境は激変しました。気温が上昇し、海水面が数10メートル上昇しました。これにより日本列島と大陸を結んでいた陸地は水没してしまいました。日本列島が誕生したわけです。日本列島に取り残された人々は、もともと、南から島々を伝わって、黒潮の魚を追って日本まで来た人々でした。島々が水没したため、彼らのカヌーでは南に戻れません。ナウマン像を追って大陸から入ってきた人々も、帰ることができませんでした。彼らが日本人のルーツと考えられています。
 一方、現在のイラクやイスラエルでは、温暖化によって【農耕】が始まりました。イラク北東部の【ジャルモ】やイスラエルの死海北岸の【イェリコ】にその遺跡を見ることができます。ジャルモ遺跡の住居跡から約200人程度の人口があったと考えられ、小麦、ヒツジ、ヤギなどを飼育し、床を掘って穀物を貯蔵していた。彼らは深い谷の上の村に住んでいたことがわかっています。イェリコは現在イスラエルの紛争地域としてニュースにしばしば登場する町です。このような農耕の始まりによって、人間の進化は急加速していきました。人々の生活は、それまで何百年も、何千年もまったく変化がなかったわけです。
 ところが、農耕が始まり、人々が定住し、安定した食生活が送れるようになると、人々の暮らしは急速に変化し始めました。ここから新しい人間の歴史が始まったといっても良いでしょう。この激しい変化は現在まで続いています。

オリエント世界(1)農耕の開始

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

古代オリエント世界 1万年前の世界

 今から1万年前に地球環境は激変しました。気温が上昇し、海水面が数10メートル上昇しました。これにより日本列島と大陸を結んでいた陸地は水没してしまいました。日本列島が誕生したわけです。日本列島に取り残された人々は、もともと、南から島々を伝わって、黒潮の魚を追って日本まで来た人々でした。島々が水没したため、彼らのカヌーでは南に戻れません。ナウマン像を追って大陸から入ってきた人々も、帰ることができませんでした。彼らが日本人のルーツと考えられています。
 一方、現在のイラクやイスラエルでは、温暖化によって【農耕】が始まりました。イラク北東部の【ジャルモ】やイスラエルの死海北岸の【イェリコ】にその遺跡を見ることができます。ジャルモ遺跡の住居跡から約200人程度の人口があったと考えられ、小麦、ヒツジ、ヤギなどを飼育し、床を掘って穀物を貯蔵していた。彼らは深い谷の上の村に住んでいたことがわかっています。イェリコは現在イスラエルの紛争地域としてニュースにしばしば登場する町です。このような農耕の始まりによって、人間の進化は急加速していきました。人々の生活は、それまで何百年も、何千年もまったく変化がなかったわけです。
 ところが、農耕が始まり、人々が定住し、安定した食生活が送れるようになると、人々の暮らしは急速に変化し始めました。ここから新しい人間の歴史が始まったといっても良いでしょう。この激しい変化は現在まで続いています。


楔形文字

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

【ペルセポリス】はアケメネス朝ペルシアの都。この町は当時パルーサと呼ばれていた。この町を破壊したのは【アレクサンドロス大王】です。彼がこの町を破壊したとき、保管されていた【粘土板】が焼かれ(粘土が焼かれると植木鉢のようになるでしょ)、その焼き固められた粘土板は2000年以上の歳月にも風化することなく保存されたわけです。まさに偶然。この【ペルセポリス碑文】から【楔形文字】の解読研究が始まったわけです。この【ドイツ】人【グロテフェント】の努力を受け継いだのが、【イギリス】人の【ローリンソン】でした。彼はグロテフェントの研究に加え、【ダレイオス1世】の業績を讃えた【ベヒストゥーン碑文】の解読を行い、約5000年前に使用されていた楔形文字の解読に成功したのです。
 楔形文字の解読により古代オリエント史研究は飛躍的に進歩しました。たまたま見つけたHPにペルセポリスの様子が写真入で紹介されています。コピー&ペーストで、見てください。

http://cuzco75.hp.infoseek.co.jp/iran/iran03_3.html


シュメール文明のチェックポイント

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

 シュメール文明で古代メソポタミア文明の幕が開きました。1週間かけて勉強した古代メソポタミアの歴史のチェックをしていきます。では、シュメール文明のチェック・ポイントから・・・

⑴シュメール文明が始まった時期は?
=前2700           
⑵使われていた文字は?
=楔形文字(粘土板を使用)  
⑶シュメール人の民族系統は?
=不明
⑷代表的な都市国家は?
=ラガシュ,ウル,ウルク,ウンマ など(このうちウルが最大でユーフラテス河付近にあった)
⑸シュメール文明の特徴は?
=�神殿が政治・経済の中心だった
 �神権政治が行われていた
 �ジグラット(聖塔)が都市のシンボル
 �60進法を使用した
�太陰暦の使用した
�彩文土器の使用した
�古代インドのインダス文明との交流があった
�犂スキ、舟、車、などを発明した
�ギルガメシュ神話(ウルク)の洪水伝説
�1週7日制(占星術)


シュメール文明ジッグラト


ツタンカーメン

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 【ツタンカーメン】は【新王国】第【18】王朝の少年王で、【黄金のマスク】の発見で有名な王です。イクナートンの腹違いの弟であろうと考えられています。イクナートンがなくなった後、【アモン】を祭る【テーベ】の神官たちに押されてテーベに都を戻し、ツタンク・アモンと名乗りました。在位9年18歳で死去したため、王墓の建設がまにあわず、【テーベ】近くの【王家の谷】にある大臣の墓に葬られました。それから3300年後、イギリス人【ハワード=カーター】が1922年に発掘し、王のミイラには黄金のマスクが被せられていたわけです。


ツタンカーメンの黄金のメスク




考古学者ハワード=カーターがルクソールでツタンカーメンの墓を発掘



ファラオ

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 ギリシアの歴史家【ヘロドトス】は「【エジプトはナイルのたまもの】」という言葉を残しました。彼は【前5】世紀の歴史家ですが、ピラミッドについても多数の奴隷に労働によって作られたと、書き残しました。
 【カイロ】の対岸にある【ギザ】という場所に【3大ピラミッド】があります。【クフ】王のピラミッドが最大ですが、カフラー王やメンカフラー王のピラミッドも巨大なものです。彼らのようなエジプトの王を【ファラオ】とよびました。現在ではピラミッドはファラオの墓ではないのでは??と考えられています。このような大ピラミッドは【古王国】時代の【第4】王朝にさかんに作られました。
 それより以前、上エジプト(ナイル川【上流】地域のことをそうよびます)から登場して、下エジプト(ナイルの【デルタ】地帯)を征服し、最初のファラオになったのは【メネス】です。ファラオは【太陽神ラー】の化身とされ、ファラオも神の名によって政治をしましたから、まさに【神権政治】が行われていたわけです。


アケメネス朝ペルシア(1)建国期

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4王国分立時代の【メディア】を倒して【ペルシス】地方から拡大していったのが【アケメネス朝ペルシア】です。【前550】年に建国し【前330】年に【アレクサンドロス】大王によって滅ぼされました。約220年間の歴史ですが、世界史で扱う時期は限られていて、王も建国期から全盛期までの4人と、最後の国王だけです。
 建国者は【キュロス2世】といいます。ペルシスから【メディア】王国を滅ぼし、さらにメソポタミアの【バビロン】も征服した業績を残しています。しかし、彼の名を世界の歴史にとどめさせたのは、彼が戦争で勝利したことではなく、【前538】年に約50年間バビロンで奴隷としてとどめられていた【ユダ】の人々を解放し、故郷のイェルサレムに戻したことでしょう。その結果、ユダの人々(ユダヤ人)は【前6】世紀に【イェルサレム】に戻ると【神殿を再建】し、ユダヤ教をはじめたわけです。
 エジプトを征服しふたたびオリエト世界に統一をもたらしたのは、【カンビセス2世】でした。アッシリア王【アッシュール=バニパル】が獅子狩りを趣味としていた様子が【獅子狩り】のレリーフに残されていますが、カンビセスはどうだったのでしょうか。


文化と文明

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 文化とは、その民族がしている習慣のことで、他の民族からは「何でそんなことする??」といった感じの習慣です。たとえば、箸の使い方なんか、どうでもいいじゃん!?と言われたら、だけど、なんとなくうまく説明できないけど、やっぱ、箸の使い方にはルールというか、マナーがあるんだ!!としか、言えないようなものが、文化です。
 一方、文明は、どの民族にも広く受け入れられている習慣です。キリスト教はさまざまな民族が信仰している宗教ですから、文明といえます。でも、神道は日本人しか信仰していませんから、これは日本の文化です。
 文明を世界に発信して民族は、世界史でも限られた民族しかいません。


最後の審判の思想

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

 【前7】世紀にペルシア人(今のイラン人)が建国した【メディア】王国で、【ゾロアスター】教が生まれました。ゾロアスターという人物が創始した、【火】を神聖視して、火を拝む宗教です。ゾロアスター教は【キリスト】教に多大な影響を与えたことで知られています。
 世界の宗教の中で始めて【善悪二元論】でこの世の中のできごとを説明しました。彼らは、善神【アフラ=マズダ】と悪神【アーリマン】が対決して最後にアフラ=マズダが勝利してこの世に平安が訪れると、考えました。これはキリスト教の神と悪魔、天国と地獄などの思想に受け継がれています。また、【最後の審判】の思想もゾロアスター教が始めて考えた思想です。エジプトの中王国に伝わり、オシリス神を生んだわけです。この世の中を善と悪・明と暗から捉えることや、死後の世界で最後の審判が下されると考えるところなど、現在のわれわれにも通じるものがあります。
 一時期、中国の【唐】にも伝わり【ケン教】と呼ばれましたが、今ではイランにはわずかにゾロアスター教を信仰しているに過ぎません。このように特定の民族のみが信仰している宗教を民族宗教、多民族に広まっているキリスト教やイスラム教のような宗教を世界宗教といいます。
なお、ゾロアスター教は死者を鳥葬することでも有名です。山の頂上に死者を運び、鳥たちに死肉を食わせるそうです。


エジプトの神

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

 エジプトの各【ノモス】(都市国家)には、それぞれ主神がいてその都市を守っていて、エジプト全体は【太陽神ラー】を守護神としていました。エジプトは多神教の世界だったわけです。たとえば、テーベの主神は【アモン】神でした。中王国と新王国の時代を通じて、テーベに都が置かれ、他のノモスを支配していたので、やがてテーベの神アモンと太陽神ラーが一体となった【アモン=ラー】の信仰が生まれました。
 エジプト人は不死の魂を切望したといわれています。早稲田大学の吉村教授は古王国【第4】王朝時代に作られたピラミッドも、王が不死の力を得るための建造物であったという説を唱えています。しかし、一般の人々はそのようなチャンスはありません。死後に再生できるかどうかは、【オシリス】神が行う【最後の審判】で、天秤が右に傾けばその心臓が食われ、逆ならば再生することができると考えました。
 このようなエジプト人の様子を現在の私たちが知ることができるのは、水草で作られた【パピルス】紙に残っている【死者の書】の記述からですが、エジプト人が使用した絵文字(象形文字)は、フランス人【シャンポリオン】が「【ロゼッタストン】」を使って【ヒエログリフ】(神聖文字)や【デモティック】(民衆文字)を解読してからに他なりません。現在、大英博物館にある「ロゼッタストン」はフランス革命の時に【ナポレオン】が率いた歴史学者ブッサールたちが発掘したものです。


ヒッタイト帝国

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

 ヒッタイト人は【メソポタミア】の【古バビロニア】王国を滅ぼしました。しかし、その地で建国せず、【小アジア】で建国し、都を【ハトゥシャシュ】に定めました。【前17】世紀のことです。
 その後、ヒッタイトは【前14】世紀になると【製鉄技術】を発明したことで、歴史にその名を残しています。現在のわれわれも【鉄器時代】を生きているのですから、彼らの文化的・科学技術上の功績は偉大でしょう。しかし、彼らはこの技術をひた隠しにしたそうです。製鉄技術者は厳重に国家の管理下におかれたそうです。鉄製の武器はヒッタイト帝国の大きなアドヴァンテージになったことでしょう。このヒッタイト帝国と対抗できたのは、エジプトの【新王国】だけといってよいでしょう。新王国も単独では対抗できず、ミタンニ王国などと外交関係を持ったことが、前14世紀の新王国の【アマルナ文書】に残っています。この両国は【前13】世紀に【カディスの戦い】を行い、ヒッタイト王ムワタリと新王国の【ラムセス2世】は、互いに自分たちが勝ったと記録に残しています。おそらく引き分けだったろう、と考えられています。
 そのようなヒッタイト帝国が滅亡したのは、【前12】世紀のことでした。なぞの民とされれ【海の民】の侵入を受けて滅亡しました。その際、製鉄技術を持ったヒッタイト人技術者はオリエント世界に散らばり、やがてオリエント世界は【前10】世紀ころ、鉄を使用することが一般的になりました。


ヒクソス

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 【ヒクソス】は、【ヒッタイト】に追われて【シリア】から【エジプト】に侵入した民族です。彼らはヒッタイトに真似て【馬と戦車】を前面に出す戦い方でエジプトの【中王国】を滅ぼしました。前【17】世紀に第17王朝を建設したヒクソスは、【セム】語族です。【ハム】語族のエジプト人にとってヒクソスによる約【100】年間の支配は、いわゆる異民族支配でした。このヒクソスはエジプト人と混血していき、やがて【新王国】を建てたエジプト人によって追放されました。彼らの時代にはまだ、【製鉄技術】は発明されていませんから注意が必要です。


ユダヤ人の歴史

2022年05月09日 | 高2用 授業内容をもう一度

シリアからエジプトに移り住んで、エジプトでは奴隷として生活していた人々が、【前13】世紀に【モーセ】に連れられてエジプトを脱し、約束の地カナーンに移住しました。この出来事を【「出エジプト」】といいます。また、モーセはエジプトのファラオである【ラムセス2世】の異母弟であったといわれます。ラムセス2世は【新王国】【第19王朝】の全盛期の王で、【アブシンベル神殿】を建設したことでも有名です。モーセは「出エジプト」の際に【シナイ】山で神【ヤハウェ】から【「十戒」】を授かったとされ、預言者の一人に数えられています。
 その後、【前1000】年頃、ユダヤ人は【ヘブライ】王国を成立させ、初代サウル王が神殿を建設しました。現在ではその一部が残っているに過ぎませんが、「嘆きの壁」】といユダヤ教の聖地になっています。この王国の全盛期は第2代【ダヴィデ】王と第3代【ソロモン】王のときです。しかし、前922年にこのヘブライ王国は、北の【イスラエル】王国と南の【ユダ】王国に、南北に分裂しました。【前722】年北のイスラエル王国を【アッシリア】王国の【サルゴン2世】が襲い、滅ぼしました。その後、アッシリア王国はメソポタミアからエジプトにいたるまでを支配し、最初の【オリエント統一】を成し遂げています。しかし、このアッシリア王国は統一後40年ほどで滅亡したため、オリエント世界は4王国(リディア、エジプト、新バビロニア、メディア)が勢力を競う時代に入りました。その4王国のうちメソポタミアを支配した【新バビロニア】王国(別名【カルディア】王国)の支配者【ネブカドネザル2世】が、【前586】年に南の【ユダ】王国を滅ぼしました。そして、生き残った彼らを自分の都【バビロン】に連れ帰り、奴隷としたのです。この出来事を【「バビロン捕囚」】といいます。
 【前538】年、バビロン捕囚からユダヤ人を解放したのは、【アケメネス朝ペルシア】を建国した【キュロス2世】です。開放されたユダヤ人は、【イェルサレム】に戻り、神殿を再建しました。これによって、【前6】世紀に【ユダヤ教】が成立したわけです。
 参考までに、彼らは自らを「イスラエル人」と呼び、周囲の人々は彼らを「ヘブライ人」と呼びました。また、前6世紀以降、ユダヤ教を信じるユダの人々という意味で「ユダヤ人」と呼びます。