第2問 近代ドイツの史学史に関する次の文章を読み、問に答えなさい。
総じていえば、一概に古代経済史研究と称しても、歴史学派(経済学)におけるものと、近代歴史学の古典古代学におけるものとは、研究における志向の契機においても、事象の対象化の方法においても、ひとしからざるものが存するのである。歴史学派経経済学はその根本の性格においては依然として経済学なのである。―即ち歴史学ではないのであって―古代にも生活の一特殊価値
たる経済を発見せんとすることが最も主要な研究契機を形作っているのに、古典古代学にあっては、経済をもそのうちに含むところの古代世界への親灸が研究契機になっている。歴史学派においては全ヨーロッパ的経済発展上の然るべき位置に古代経済を排列することが問題になっているのに、古典古代学においては、古代と現代とを本来等質の両世界として、又等質たるべき両世界として表象することが主要問題になっている。古典古代学にも発展の理念は存するけれども、それは等質の両世界における、同一律動のそして自界完了的なる発展の理念であって、全ヨーロッパ的、又は全人類的発展の観念ではない。古代の事象は、それが経済世界を構成する方向において対象化せられるのが歴史学派経済学における方法であるのに、古典古代学においては、古代の事象はそれが歴史的現実的なる古代を形成する方向において対象化せられる。もしかくの如き観察が―多数の異例は別として―一般的に下されうるものとすれば、古代経済に関する論争が単に史料の技術的操作の辺のみ存するものではない所以と、論争のよって来るところの精神史的・文化史的深所とをも、同時に理解しうるわけであろう。(ドイツ近代歴史学研究より)
問い 文章の下線部について、歴史学派経済学と近代歴史学の相違とはいかなるものであり、また、それはどのようにして生じたのか、両者の成立した歴史的コンテクストを対比させつつ考察しなさい。400字以内
総じていえば、一概に古代経済史研究と称しても、歴史学派(経済学)におけるものと、近代歴史学の古典古代学におけるものとは、研究における志向の契機においても、事象の対象化の方法においても、ひとしからざるものが存するのである。歴史学派経経済学はその根本の性格においては依然として経済学なのである。―即ち歴史学ではないのであって―古代にも生活の一特殊価値
たる経済を発見せんとすることが最も主要な研究契機を形作っているのに、古典古代学にあっては、経済をもそのうちに含むところの古代世界への親灸が研究契機になっている。歴史学派においては全ヨーロッパ的経済発展上の然るべき位置に古代経済を排列することが問題になっているのに、古典古代学においては、古代と現代とを本来等質の両世界として、又等質たるべき両世界として表象することが主要問題になっている。古典古代学にも発展の理念は存するけれども、それは等質の両世界における、同一律動のそして自界完了的なる発展の理念であって、全ヨーロッパ的、又は全人類的発展の観念ではない。古代の事象は、それが経済世界を構成する方向において対象化せられるのが歴史学派経済学における方法であるのに、古典古代学においては、古代の事象はそれが歴史的現実的なる古代を形成する方向において対象化せられる。もしかくの如き観察が―多数の異例は別として―一般的に下されうるものとすれば、古代経済に関する論争が単に史料の技術的操作の辺のみ存するものではない所以と、論争のよって来るところの精神史的・文化史的深所とをも、同時に理解しうるわけであろう。(ドイツ近代歴史学研究より)
問い 文章の下線部について、歴史学派経済学と近代歴史学の相違とはいかなるものであり、また、それはどのようにして生じたのか、両者の成立した歴史的コンテクストを対比させつつ考察しなさい。400字以内