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年代暗記法 周~漢

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)前770年 春秋時代始まる。・・・先生多770い、春秋時代
(2)前403年 戦国時代始まる。・・・世をみ403だす、戦国時代
(3)前221年 始皇帝の統一。・・・ににんが4の、始皇帝
(4)前202年 漢成立。・・・2列202に、つづれ220、前漢・後漢
(5)前154年 呉楚七国の乱・・・引越し154ごそごそ7国の乱
(6)前141年 前漢武帝即位・・・いよい141よ登場、漢の華87
(7)25年 後漢成立・・・復興25させる後漢の光武帝
(8)166年 大秦王安敦の使者訪中・・・一路ロ166-マの大秦王
(9)280年 西晋の中国統一・・・ふんばれ280西晋、中国統一


 



 


唐の年代暗記

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)618~907年 唐・・・一番(618)、暮れな(907)いの唐
(2)668年 高句麗滅亡・・・ロバ(668)乗り、高句麗征服
(3)690年 武韋の禍で周建国・・・リングを(690)はめた則天武后
(4)751年 タラス河畔の戦い・・・垂らす濃い(751)川辺
(5)755~763年 安史の乱・・・おんなごこ(755)ろ、み(63)だれる長恨歌
(6)780年 両税法施行・・・楊炎が、縄を(780)張って両税法
(7)875年 黄巣の乱発生・・・黄巣の乱で花子(875)さん
(8)907年 唐滅亡・・・くれな(907)いに沈む唐王朝


 


 


魏晋南北朝時代

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)184年 黄巾の乱・・・イワシ(184)の目がまっ黄色
(2)220年 魏建国・・・つづれ(220)、三国志
(3)280年 西晋が中国再統一・・・踏ん張れ(280)精神(西晋)、中国統一
(4)386年 拓跋珪が北魏建国・・・見張ろう(286)鮮卑の拓跋珪
(5)439年 太武帝が華北支配・・・豊作(439)の華北もらった太武帝
(6)494年 孝文帝の漢化政策・・・鮮卑族、しくし(494)く泣いて故郷捨て
(7)552年 突厥建国・・・ここに(552)突然突厥帝国
(8)581年 隋建国、589年 中国再統一・・・こわい(581)、公約(589)、隋の文帝


イスラム史(成立からアッバース朝)

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)610年 イスラム教成立・・・納豆より100年(610)古いイスラム教
(2)622年 ヒジュラ・・・浪人2(622)年、マホメット
(3)642年 ネハーヴァントの戦い・・・虫に刺(642)されて、ネハーヴァント
(4)661年 ウマイヤ朝成立・・・室井(661)さんとムアウイア
(5)711年 西ゴート王国滅亡・・・ナイイ(711)ブ過ぎる、ワリード1世
(6)732年 トゥール・ポワティエ間の戦い・・・波に(732)乗ってる、カール=マルテル
(7)750年 アッバース朝成立・・・名ごれ(750)、アッバース、日に壊(1258)
(8)751年 タラス河畔の戦い・・・しつこい(751)汚れ、たらす河畔
(9)756年 後ウマイヤ朝成立・・・和む(756)イベリア、スゴうま朝。
(10)909年 ファーティマ朝成立・・・クオーク(909)持ってファーティマ朝
(11)946年 ブワイフ朝バグダッド入城・・・シーア派に苦しむ(946)バグダッド
(11)929年 後ウマイヤ朝カリフ成立・・・くっつく(929)西カリフ国
(12)969年 カイロ建設・・・黒く(969)染まるカイロ市建設
(13)999年 サーマーン朝滅亡・・・スリーナイン(999)のサーマーン朝
(14)1055年 セルジューク朝バグダッド入城・・・一応午後(1055)にトゥグリルベク


イスラム史年代暗記

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)622年 ヒジュラ・・・浪人2年マホメット
(2)632年 正統カリフ時代開始・・・無残に死んだマホメット
(3)642年 ネハーバントの戦い・・・虫にさされてネハーバント
(4)661年 ウマイヤ朝成立・・・料理人室井さん、超ウマいや
(5)750年 アッバース朝成立・・・
(6)751年 タラス河畔の戦い・・・垂らす濃い(751)川辺
(7)786年 ハールン=アッラシード即位・・・悩むことないシンドバッド
(8)909年 ファーティマ朝成立・・・
(9)929年 後ウマイヤ朝カリフ成立・・・苦肉の策でカリフ位使用
(10)946年 ブワイフ朝バグダッド入場・・・くすむ色の不細工なバグダッド
(11)999年 サーマーン朝滅亡・・・スリーナインのサーマーン朝
(12)1055年 セルジューク朝バグダッド入城・・・いいワここセレブが入場
(13)1258年 アッバース朝滅亡・・・日に壊れゆくアッバース


重要年代暗記(1)ギリシア・共和制ローマ史

2023年02月16日 | 年代暗記法

重要年代暗記(1)ギリシア・共和制ローマ史

�前594年 国宝、ソロンの改革
�前508年 号令発して、陶片追放
�前480年 素っ裸(480)で、サラミスの海戦
�前431年~前404年 四散と(431)知れよ(404)、ペロポネソス 
�前334年 さーさし(334)っかり、サレキサンダー
�前509年 功多く(509)あり、共和制ローマ
�前451年 横の(451)字で書く、12表法
�前367年 みんな(367)力んで、リキニウス法
�前287年 庭な(287)ど、掘ルテンシウス法
�前264~146年 ふろし(264)き、海にひとしろ(146)
�前202年 痛烈(202)なザマ、ハンイバル
�前133年 勇み(133)足の、グラックス兄弟
�前73年 波(73)にのまれたスパルタクスの乱
�前60年 群れ(60)るカエサル・ポンペイウス
�前43年 読み(43)深い、オクタヴィアヌスの3頭政治
�前31年 再(31)挑戦できないアクティウム
�前30年 未練(30)残した、クレオパトラ
�前27年 船(27)出した帝政ローマ

山村良橘「世界史年代記憶法」代々木ライブラリーより改


帝政ローマ時代とキリスト教

2023年02月16日 | 年代暗記法

帝政ローマ時代とキリスト教


(1)9年=トイトブルクの森の戦い・・・グー9の音も出ぬ、トイトブルク
(2)64年=ネロ帝のキリスト教迫害・・・ペテロとパウロは蒸し64焼き
(3)96~180年=五賢帝時代・・・苦労96言わない180、五賢帝
(4)166年=大秦王安敦の使者が日南に来航・・・一路、ローマ166に大秦王
(5)193年= 軍人皇帝時代開始・・・193始まる、軍人皇帝
(6)212年=アントニウス勅令・・・ついに212ローマの、市民権
(7)284年=ディオクレティアヌス帝即位・・・庭よ284くまとめたディオクレティアヌス
(8)313年=ミラノ勅令・・・再三313の迫害、やっと公認
(9)325年=ニケーア公会議・・・3つ込325みで、三位一体
(10)375年=ゲルマン民族大移動開始・・・みんなゴ375ソゴソと、西ゴート
(11)392年=キリスト教国教化・・・御国(みくに)392到来、キリスト教国教化
(12)395年=ローマ帝国東西分裂・・・割くこ395とになったローマ帝国
(13)431年=エフェソス公会議・・・エフェソスで、坊さんひとり431、また異端


古代オリエント史

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)前1286年 カディシュの戦い・・・いつ止む、カディシュの戦い
(2)前922年 ヘブライ王国分裂・・・苦痛に分かれるヘブライ王国
(3)前722年 イエルサレム王国滅亡・・・夏になってもイエルサレム
(4)前586年 バビロン捕囚開始・・・拒む、ユダヤを連れ去って
(5)前550年 アケメネス朝ペルシア成立・・・ここは、ペルシア帝国
(6)前538年 バビロン捕囚解放・・・きょろきょろと、ゴミ屋さんを解き放つ


ノルマン・シチリア王国

2023年02月16日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【1130】年シチリア島【パレルモ】の都として【ノルマン・シチリア】王国が成立しました。もともとのルマン人は北フランスの【】ノルマンディー公国にいた人々で、シチリアには巡礼に訪れることが多く、その関係もあって移住したようです。北フランスの世界遺産モンサンミシェルと同じ大天使ミカエルを祀った南イタリアのモンテサンタンジェロへの巡礼がノルマン人も間で流行していました。ノルマン・シチリア王国建国以前、シチリア島を支配していたのはイスラム教徒でした。建国者【ルッジェーロ2世】は、イスラム教徒への迫害は行わなかったばかりでなく、【アラビア】語文献やビザンツ時代から残る【ギリシア】語文献を【ラテン】語に翻訳するなど、イスラム・ビザンツ文化を積極的に取り入れました。そのため、首都パレルモにはアラブ人学者やギリシア人学者が多く集まり、歴代の王もイスラム教徒女性によってハレムを作るなど、イスラム的暮らしを謳歌していたそうです。12世紀のシチリア島は世界にもまれなくらい異文化が共存・並存していた社会でした。
 しかし、13世紀になると国王の力が弱くなっていきました。そのため、それまで押さえられてきたイスラム教徒への迫害や攻撃が始まり、多くのイスラム教徒は迫害を避けて北アフリカに移住していきました。最終的にノルマン王は残ったイスラム教徒をイタリア半島難文ルチェーラという町に強制移住させました。こうして、異文化が共存する社会は消えていったのです。
 初代国王ルッジェーロ2世はモロッコ生まれアラブ人の【アル=イドリーシー】に世界地図を書かせています。それは『【ルッジェーロの書】』と呼ばれましたが、アラビア語で掛かれたためイスラム教世界に伝えられました。

中世西欧史(1)

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)375年 ゲルマン民族大移動開始・・・みなここに集合ゲルマン人
(2)395年 ローマ抵抗東西分裂・・・割くことになるローマ帝国
(3)451年 カタラウヌムの戦い・・・仕事休んでカタラウヌム
(4)476年 西ローマ帝国滅亡・・・死なんとする西ローマ
(5)486年 メロヴィング朝成立・・・座ろうパリのクローヴィス
(6)496年 クローヴィスがカトリック改宗・・・仕組むクローヴィス、カトリック
(7)726年 レオン3世聖像禁止令・・・何が無理だと聖像禁止
(8)732年 トゥール=ポワティエ間の戦い・・・波に乗ってるカール=マルテル
(9)751年 小ピピンがカロリング朝建設・・・しつこいピピンのカロリング朝
(10)756年 ラヴェンナ寄進・・・和むピピンの教皇領
(11)800年 カール戴冠・・・晴れれ?カール大帝
(12)829年 エグバードがイングランド王国統一・・・抜群のエグバード
(13)843年 ヴェルダン条約・・・ベランダで休み、鼻をかメルセン
(14)870年 メルセン条約・・・ベランダで休み、鼻をかメルセン
(15)862年 ノブゴロド王国成立・・・販路に建てたリューリック
(16)882年 キエフ公国成立・・・派閥は消えたキエフ公国
(17)911年 ノルマンディ公国成立・・・食いしん棒の口ふたつ
(18)955年 レヒフェルトの戦い・・・マジャール・ナインここで解散
(19)962年 オットー戴冠・・・苦労人のオットー大帝
(20)987年 カペー朝成立・・・食わないユーグ=カペ
(21)989年 キエフ公国ギリシア正教改宗・・・旧約も読むウラジミール
(22)1016年 デーン朝成立・・・とおーいむかしのデーン朝
(23)1054年 東西教会分裂・・・とうとう故障の東西教会
(24)1066年 ノルマン朝成立・・・通ろう、無理やりドーバー海峡
(25)1077年 カノッサの屈辱事件・・・異例な難儀でグレハイン
(26)1122年 ヴォルムス協約・・・とうとう不服が治るむす
(27)1130年 両シチリア王国成立・・・いい実を結ぶルッジェーロ2世
(28)1256年 大空位時代(~73年)・・・いつごろ、波やむ大空位
(29)1356年 金印勅書・・・数見込む、7選帝侯


中世西欧世界 前半

2023年02月16日 | 年代暗記法

(1)375年 ゲルマン民族大移動開始・・・みなここに集合ゲルマン人
(2)395年 ローマ抵抗東西分裂・・・割くことになるローマ帝国
(3)451年 カタラウヌムの戦い・・・仕事休んでカタラウヌム
(4)476年 西ローマ帝国滅亡・・・死なんとする西ローマ
(5)486年 メロヴィング朝成立・・・座ろうパリのクローヴィス
(6)496年 クローヴィスがカトリック改宗・・・仕組むクローヴィス、カトリック
(7)726年 レオン3世聖像禁止令・・・理だと聖像禁止
(8)732年 トゥール=ポワティエ間の戦い・・・波に乗ってるカール=マルテル
(9)751年 小ピピンがカロリング朝建設・・・しつこいピピンのカロリング朝
(10)756年 ラヴェンナ寄進・・・和むピピンの教皇領
(11)800年 カール戴冠・・・晴れれ?カール大帝
(12)829年 エグバードがイングランド王国統一・・・抜群のエグバード
(13)843年 ヴェルダン条約・・・ベランダ休み鼻をかメルセン
(14)870年 メルセン条約・・・ベランダ休み鼻をかメルセン
(15)862年 ノブゴロド王国成立・・・販路に建てたリューリック
(16)882年 キエフ公国成立・・・パパに言うと俺ぐれる
(17)911年 ノルマンディ公国成立・・・食いしん口ふたつ
(18)955年 レヒフェルトの戦い・・・マジャール・ナインここで解散
(19)962年 オットー戴冠・・・苦労人のオットー大帝
(20)987年 カペー朝成立・・・食わないユーグ=カペ
(21)989年 キエフ公国ギリシア正教改宗・・・旧約も読むウラジミール
(22)1016年 デーン朝成立・・・とおーいむかしの田園調布
(23)1054年 東西教会分裂・・・とうとう故障の東西教会
(24)1066年 ノルマン朝成立・・・とおろ、無理でもドーバー海峡
(25)1077年 カノッサの屈辱事件・・・異例な難儀でグレハイン
(26)1122年 ヴォルムス協約・・・とうとう不服治るむす
(27)1130年 両シチリア王国成立・・・いい実を結ぶルッジェーロ
(28)1256年 大空位時代(~73年)・・・いつごろやむ大空位
(29)1356年 金印勅書・・・数見込む、選帝侯


 


 


都市の空気は自由にする

2023年02月16日 | 高2用 授業内容をもう一度
このドイツの諺には2つの意味が含まれています。キーワードは「自由」。すなわち教科書に説明されているように、農奴が荘園から都市に逃れて1年と1日都市で生活すれば、自由な身分になれるということをこの諺は示している。ここでいう自由とは、領主権からの「自由」であり、自治都市が領主権から自由を獲得しているため、都市の市民として認められれば、領主による人格的支配から自立することができる。
しかし、いっぽうで、ここで言う「自由」には限界があることも説明する必要がある。その自治都市内では、都市貴族が参議会を構成して市政を独占し、都市民を支配しているため、現在の我々が思い描くような自由な雰囲気は中世都市には存在しないという点。さらに商業活動もギルドが支配していて、自由な商業活動は認められていない。
つまり、領主に対して自由であるが、中世都市内では不自由である。

西欧政治思想史

2023年02月16日 | 高3用 授業内容をもう一度

 


前6世紀初、小アジアのイオニアのミレトスを中心に、自然の本質を合理的に探ろうとする自然哲学が成立した。前585の日食を予言したとされるタレスや、「万物は流転する」の言葉を残したヘラクレイトスらがイオニア自然哲学を代表する。一方、アテネにおいて民主政治が確立すると、ポリス市民たちは政治や軍事に活動の中心を求め、財産や生命以上に名声や名誉を尊重した。ポリスでは政治参加の権利や政治的発言力をめぐる競争が公然と展開され、市民として協力し合う一方で、激しい名誉獲得を追及する行動様式が支配的であった。このような「協力」と「競争」とのバランスが崩れていった時代がペロポネソス戦争の時期である。名誉獲得のための弁論・修辞を教える職業教師が出現し、その代表者であるプロタゴラスは絶対的な真理の実在を否定した。このような潮流に対して一線を画したのが、西欧政治思想の源流と位置づけられるソクラテスである。彼は著作を残していないが、その弟子プラトンの著作から彼の思想を知ることができる。ソクラテスは絶対的真理の存在を説いてアテネの青年を導いたとされる。ソクラテスは従来のポリス市民が行動規範としていた名誉や名声を追求する考え方を改めるよう求め、絶対的真理である「魂」を追究することで、荒廃したポリスを立て直すことを目指した。しかし、このことは現実のポリス社会との軋轢を生み、市民に誤解されて刑死を余儀なくされた。プラトンはイデア論・理想国家論を説き、古代最大の総合的哲学者と位置づけられるその弟子アリストテレスは、その著『政治学』で最善のポリスを構想している。


ヘレニズム時代になるとポリス的生活様式は衰えたため、ポリス的に生きるポリス人から、ポリスや民族の枠組みから離れて同じ世界人であるというコスモポリタニズムの風潮が浸透する一方、個人主義の傾向を帯びていった。この時流を反映して、哲学も政治からの逃避や個人の心の安静を追求するようになり、禁欲による幸福を追求するゼノンらのストア派や、精神的快楽を求めるようエピクロス派がさかんになった。一方、イオニアで起こった自然哲学の流れは、ヘレニズム時代には自然科学として発展を見せた。ピタゴラス学派による数学、ヒッポクラテスによる医学などがその例である。しかし、労働力を奴隷労働に依存していたため、科学知識が工業生産に活用されることは見られなかった。


 ギリシア哲学はキケロによってローマの人々に伝えられた。実践倫理を重んじた彼の哲学はローマの上流社会に受け入れられ、その文体はラテン語散文の模範とされた。ストア派哲学の流れは皇帝ネロの師であるセネカや『自省録』を著したマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝などの哲人に受け継がれた。


 中世になると「哲学は神学の婢」という言葉にあるように、神学が最高の学問とされた。神と教会の権威の確立をめざす神学は、教父の思想を基礎として、カール大帝時代に宮廷に招かれたイギリスの学僧アルクィンらにはじまった。古代最大の教父アウグスティヌスは、ゲルマン民族の大移動の中で生涯を送った。永遠の都ローマが破壊された禍がキリスト教批判に向けられると、全22巻から成る大著を残した。彼はヴァンダル族に包囲されたアフリカのヒッポで劇的な生涯を閉じた。その後、神学はアンセルムスの実在論を経て、12世紀ごろには壮大な体系のスコラ哲学に発展した。この過程には十字軍時代にビザンツ帝国やイスラムから伝えられたアリストテレス哲学が影響を与えている。そして、13世紀にスコラ哲学は『神学大全』を著したトマス=アクィナスによって集大成した。また、中世末期にはウィリアム=オッカムが唯名論を展開した。


 ルネサンス文化は、フィレンツェにおいていち早く花が開いたが、やがてアルプス以北の地域にも新しい思想傾向が生まれた。ネーデルラント出身のエラスムスは、16世紀最大の人文主義者として国際的に活躍し、『愚神礼讃』の中で教会腐敗を攻撃した。またエラスムスの友人トマス=モアは、理想の国家を描く『ユートピア』を著してイギリス社会の現実を批判した。このような教会の教えに対する批判精神は、中世では衰えていた科学精神を呼び覚ますきっかけとなった。


 自然科学の発達に伴って、哲学思想においても理性や経験を重んじる傾向が強まった。「われ思う、ゆえに我あり」の言葉で知られるデカルトは、理性によって自然界の法則を解明できると説いた。大陸の合理論に対して、イギリスでは哲学者フランシス=ベーコン以来、実験と観察を重んじる経験論が展開された。


 新しい思考方法が発達すると、国家や社会に対する新しい政治思想が出現した。とくにホッブスはデカルトから始まる近代哲学を継承し、哲学的思考様式を政治学に応用した思想家である。彼は(I)が説くように、学問の目的を生活の進歩と社会の発展にあるとした。彼はピューリタン革命による秩序崩壊を見ると、『リヴァイアサン』を書き、事実上、主権者は絶対的権力を持つこととした。またロックが『市民政府二論』を著し、社会契約説にたちつつ、政治状況の多様性を考察しつつ、自由な社会体制の可能性を追求する国家論を展開した。一方フランスでは、モンテスキューが啓蒙専制君主に期待をかける風潮を批判しつつイギリスの議会政治をたたえ、その著『法の精神』では、制度論を駆使しつつ、既存の政治体制を抑えるために三権分立を唱えた。またサンスーシー宮殿に招かれフリードリヒ2世と懇談したヴォルテールも、絶対主義や教会の腐敗などを痛烈に批判した。ルソーは『人間不平等起源論』などで、人間の自由・平等を唱え、主権在民を主張した。フランスにおけるこのような思想の拡大は、『百科全書』の刊行によってフランス革命前の市民階級を教化に貢献した。


 


 


皇帝教皇主義

2023年02月16日 | 高2用 授業内容をもう一度

 東ローマ帝国で【皇帝】が東方教会を支配する「政教一致」の体制を【皇帝教皇主義】と言います。東ローマ皇帝が【東方教会】の指導者であるコンスタンティノープル教会の大司教(大主教)を任命したり、自分の言うことを聞かせたりできたので、政教一致なわけです。ここでいう教皇とは、実際の教皇ではなく、大主教のことです。皇帝が西欧の教皇を兼務しているようだ?!という意味の言葉といえます。
 【帝国教会制】という言葉と似ていますが、まったく違う内容の言葉です。


帝国教会制

2023年02月16日 | 高2用 授業内容をもう一度

 自分の領地内にある教会は、その領主の所有物である、という考え方を前提にしている制度です。この考え方を拡大すると、神聖ローマ帝国はその皇帝のものだから、その帝国内にある教会は皇帝の支配下にあるのだと、歴代の皇帝たちは主張したわけです。これを「帝国教会制」といいます。
 さらにこのことを、より具体的に話をすすます。帝国内にある教会を支配するとはどのようなことでしょうか。そもそも教会は、教皇を頂点として、各国にいる大司教が自分の大司教区内にある教会を管理しています。その大司教区は司教区に分かれ、司教がその司教区にある教会を管理しています。大司教や司教ももちもん、それぞれ教会に住んでいます。その教会は村にある教会に比べれば立派なわけです。
 神聖ローマ帝国の皇帝は教会を支配するといいましたが、つまり大司教や司教レベルの上位聖職者を任命して、自分に都合の良い人物にやらせようとしたわけです。そうすることで大きな利点があったからです。それは、彼らがいる教会は非常に大きな教会領を所有する大領主だったし、その教会領を全部あわせると、神聖ローマ帝国の土地の30%を占めるほどだったので、教会を支配することは帝国の30%を支配することができるわけです。