20日の午後は加賀温泉に移動。
北大路廬山人がいろは草庵を結んだ加賀の地です。
明智光秀、与謝野鉄幹・晶子、北大路魯山人、泉鏡花などが訪れた温泉地です。
【歴史】
約1300年前の神亀2年(725年)に行基という名の高僧が霊峰白山へ修行に向かう途中、一匹の烏が羽の傷を癒している水たまりを
見つけたのが今に受け継がれているという山代温泉。その烏は、古事記や日本書紀にも出てくる伝説の霊長、三本足のヤタガラス。
IRいしかわ鉄道で加賀温泉駅に3時16分に到着。事前に依頼していたホテルの送迎の車が来ていました。
工芸の町、加賀温泉。九谷焼の窯元がここにあることを初めて知りました。石川県は焼き物や漆工芸などの工芸の地でした。
ホテルでチェックインをして、中心地まで歩き、翌日の永平寺の時間を多くとるために、できるだけ加賀温泉を
見ることにしました。
能登の地震の際に山中、山代温泉も被害を受けたと聞いていました。地震の影響か判断できませんでしたが、破損した
家屋が見られました。
宿泊した「ききょう」から歩いてすぐの所に見たいところが集まっていました。
古総湯を中心とした温泉の町。一番見たかったのは「いろは草庵」でした。
薬王院も行くことにしていました。
中心部まで行く途中に古い建物を通りました。
泉鏡花の小説の元になった伝説が残る専光寺です。
事前にマークしていなかったので、帰ってから調べました。
専光寺は、天徳年間(957~961年)越前新郷(福井県あわら市)に開創された大威徳寺が始まりと伝えられ
1318年に専光寺として浄土真宗となり、1458年現在の山代温泉に移っている。
1471年蓮如上人が越前吉崎へ向う途次に、当時の住職が蓮如上人に帰依して高田派から本願寺派になり、蓮如上人は
それを受けて自らの御影を与えたといわれている。その時に蓮如上人が袈裟と数珠を掛けたと伝承される松の何代目かの
松が勢いよく根付いている。
(1)寺名:専光寺(せんこうじ)
(2)住所:石川県加賀市山代温泉17-225
(3)山号:出雲路山 (4)宗派:真宗大谷派
(5)開創:957~961年 (6)本尊:阿弥陀如来
むかし、山代の専光寺の太鼓の堂(たいこんどう)で、恋仲の幸蔵とお光は逢引をかさねていました。
ある日のこと、幸蔵はいつものようにお光を待ちますが、その日急に病になったお光はやってきません。
次の日、お光の死を知った幸蔵は悲しさの余り井戸に身を投げてお光の後を追いました。
泉鏡花の作品のモデルにもなった、お光と幸蔵の悲恋物語の伝説がのこる山代温泉専光寺。
加賀温泉郷観光オフィシャルブログより
江戸時代に建てられたという山門
「如来の摂取不捨(えらばず、きらわず、見すてず)の心を学び、真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを、他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう」
ある宗教雑誌に上記の竹中智秀先生(1932-2006)の言葉の一節
選ばず、嫌わず、見捨てず
はじめに尊敬あり
「如来の摂取不捨(えらばず、きらわず、見すてず)の心を学び、真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、
できることを、他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう」
竹中智秀先生(1932-2006)の言葉の一節
もう一匹猫ちゃんがいましたが、すぐ逃げられてしまいました。
March 30 2025 Kaga Onsen
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