冬至が過ぎ、クリスマスも過ぎました。
今年もあと僅かですが、まだ何の実感もついてきていません。
昨日、勤務地では週始めの雪が溶けたと思いきや、
水を多く含んだ雪が昼から一時吹雪になって、また道が白くなってしまいました。
うちの高校の受験生は今日から合宿……いつも冬至と一緒にしろねこが思い浮べる緊張感と慌ただしさです。
今年は中3担当として、本当に陰ながら見守る立場です。
毎朝6時21分に家を出てバス停に立つので、毎年冬至はまだ日の出前の景色です。
元々暁闇が好きなので、しろねこにとっては最も落ち着く、どこか心待ちにしているところのある日でもあります。
既にあちこちで話題になりましたが、今年は19年に一度の「朔旦冬至」だったそうで、
「一陽来復」の意味だけでなく、
月の復活も同時に始まる、
滅多にない冬至だったのですね。
そこで19年前は……と1995年を思い出すと、しろねこの場合は、
進路変更のため某私立高校を前の年に自主退学し、
某公立高校で高1から再出発をしていた年でした。
各教科を好き嫌い無しに100%頑張ろうという努力が、最も順調な形で実っていた年でもあったと思います。
そこからまた紆余曲折があり、
学業だけでなくあらゆる面で、
自分の弱さや不注意、無分別、虚栄心などの克服しなければならない課題を沢山抱えてきました。
今が19年前と同じく、新たな再出発と考えるには、
10代の頃には無かった様々な柵(しがらみ)も増え(←畢竟自分で「増やしている」わけですが)、
自分とのつきあいかたを自分でも縛ってしまっていることだ、とつくづく思います。
そのような状態で、
それでもどこまで再出発できるか……
野心ではなく、けれど己というものを守って生きて行きたいと考えさせられた「朔旦冬至」でした。
ところで、冒頭の画像ですが、
前の記事で触れた、桃源郷のイラストです。
(勿論描いたのは家に帰ってからで、授業中ではありません!)
職場に置いてある、高校の時のノートを久々に開いてみました。
20年以上前の、ツッコミの激しい自分のイラストを見るのは楽しいのですが、
まるで幼児の描く世界地図のように突飛で、
時代背景や風土、農耕文化のあり方など出鱈目に好き放題描いているなあと笑えてきます。
しかしイメージするパワーだけは、流石若かっただけあって溢れているようです。
この絵のような認識の外し方を、多分私はまだまだ漢字に対してしてしまっているのだと思います。
楽しみながらも見る人が見れば、ものすごくずれているのかも。
配当漢字のイメージ図、
全部絵に描いてみろと言われたら………
大変な仕事だけど、素敵だろうな。
もうそれだけで、人生の大半を使ってしまいそうです。
今年もあと僅かですが、まだ何の実感もついてきていません。
昨日、勤務地では週始めの雪が溶けたと思いきや、
水を多く含んだ雪が昼から一時吹雪になって、また道が白くなってしまいました。
うちの高校の受験生は今日から合宿……いつも冬至と一緒にしろねこが思い浮べる緊張感と慌ただしさです。
今年は中3担当として、本当に陰ながら見守る立場です。
毎朝6時21分に家を出てバス停に立つので、毎年冬至はまだ日の出前の景色です。
元々暁闇が好きなので、しろねこにとっては最も落ち着く、どこか心待ちにしているところのある日でもあります。
既にあちこちで話題になりましたが、今年は19年に一度の「朔旦冬至」だったそうで、
「一陽来復」の意味だけでなく、
月の復活も同時に始まる、
滅多にない冬至だったのですね。
そこで19年前は……と1995年を思い出すと、しろねこの場合は、
進路変更のため某私立高校を前の年に自主退学し、
某公立高校で高1から再出発をしていた年でした。
各教科を好き嫌い無しに100%頑張ろうという努力が、最も順調な形で実っていた年でもあったと思います。
そこからまた紆余曲折があり、
学業だけでなくあらゆる面で、
自分の弱さや不注意、無分別、虚栄心などの克服しなければならない課題を沢山抱えてきました。
今が19年前と同じく、新たな再出発と考えるには、
10代の頃には無かった様々な柵(しがらみ)も増え(←畢竟自分で「増やしている」わけですが)、
自分とのつきあいかたを自分でも縛ってしまっていることだ、とつくづく思います。
そのような状態で、
それでもどこまで再出発できるか……
野心ではなく、けれど己というものを守って生きて行きたいと考えさせられた「朔旦冬至」でした。
ところで、冒頭の画像ですが、
前の記事で触れた、桃源郷のイラストです。
(勿論描いたのは家に帰ってからで、授業中ではありません!)
職場に置いてある、高校の時のノートを久々に開いてみました。
20年以上前の、ツッコミの激しい自分のイラストを見るのは楽しいのですが、
まるで幼児の描く世界地図のように突飛で、
時代背景や風土、農耕文化のあり方など出鱈目に好き放題描いているなあと笑えてきます。
しかしイメージするパワーだけは、流石若かっただけあって溢れているようです。
この絵のような認識の外し方を、多分私はまだまだ漢字に対してしてしまっているのだと思います。
楽しみながらも見る人が見れば、ものすごくずれているのかも。
配当漢字のイメージ図、
全部絵に描いてみろと言われたら………
大変な仕事だけど、素敵だろうな。
もうそれだけで、人生の大半を使ってしまいそうです。
約4年間使っている携帯電話の画面が、開いても10度に1度程度しかつかなくなってしまい、
先ほど仕事を抜けて、修理をお願いしてきました(ガラケーなのですが、愛着と使いやすさのため機種変はまだしません)。
利用端末の都合で、レンタル機種からの投稿は容易には出来ないようですので、
次の投稿は少なくとも1月上旬~中旬となります。
新年のご挨拶が、そのようなわけで、すぐにはできないので、復旧し次第、改めてご挨拶申し上げます。
なお、コメントのやりとりは可能です。
何卒宜しくお願い申し上げます。
(紙面にて鍛錬せよとのお告げだと思って、携帯への執着をこれを機会に少し減らそうと思います。)
年末の週末、いかがお過ごしでしょうか。(お仕事かな?)
私も自分で使っているいろいろな機械や道具、わけても書籍にはすぐに「魂が宿ってしまう(笑)」たちで、なかなか手放せません。なので本などは一方的に増えるばかりです。昔ほどむやみに買わなくなったのでペースは鈍ってますが、そのうち置き場所がなくなりますね・・^^;
少し早いですが、今年も1年、ブログを通じて大変お世話になりました。ご多忙を極めておられる中、一方でご自分の世界を守っていらっしゃる姿勢に、いつも感じ入っております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
昨日仕事納めでした。
只今お年賀状を準備中です。
コメント有難うございます!!!
人知れず遭難して、SOSの旗を地味にコメント欄で振ってみたような心境でしたので、
凛太郎さまのご訪問がいつにも増して胸にしみました。
記事を出さないときは全く出さないくせに、
本当に出せなくなると途端に心細くなりそうになる自分に呆れました。(笑)
>すぐに「魂が宿ってしまう(笑)」たち
私もそのような感じです。
彼らが手元にある間に、
自分に生じた巡り合わせや喜怒哀楽を見届けてくれている、意味のある存在だと思うと、
そのご縁が本当に尽きて新たなステージを迎えざるをえない時までは、簡単にさよならすることなどできないのです。
こちらこそ、凛太郎さまには、ブログを通じて大変お世話になりました。
凛太郎さまの濃やかさ、緻密さを見習っていけたらという思いです。
引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。
迎える年がしろねこ様にとってよりよき毎日となりますようにお祈りいたします。
少し雪の多い新年となりそうですね。
こちらこそ、
本年もまことにお世話になりまして、有難うございました。
ボクちゃん様・ご家族様・ミイちゃんにとりまして、
来年がより一層素晴らしき年となりますように、
心より祈念申し上げます。
あと2時間弱ですが、
どうかよい年の瀬をお迎えくださいませ。
しろねこ様にとり、本年もよい年でありますようお祈りいたします。
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
ブログいつも御覧くださいまして有難うございます。
なかなか更新されない上に、よりによってこの時期に携帯までアクシデントに遭遇してしまいましたが、
また気持ちを新たに進めてまいります。
>今年もいろいろなことに挑戦していこうと考えています。すべてが中途半端なのですが、それもいいかなあと考えています。
現在“中途半端”なものが、やがて完成されてゆくのを逆算するのは、また一番の醍醐味ではないかと思います。
一つのことを極めて只管突き進むもよし、いろいろな分野を極めて総合的な共通項を見いだすもよし、
私も自分の経路を辿って頑張ります。
octave様の挑戦されたことが、一つひとつ叶いますように、お祈り申し上げます。