“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

「不言実行」存亡の危機?(3)

2015-03-05 09:50:41 | 日記
大修館書店HP別館「漢字文化資料館」が、只今プレオープンの状態なのですね。
「今日の大漢和」がtopページに新設されていて、毎日更新されています。
私は2月下旬に気がつきました。
1月26日からリニューアルしていたようで、フルオープンは「今春を予定しています」とありました。まずは楽しみです!!

しかし、漢字Q&Aも、スタイルがすっかり今めかしくなっていて、
もとのスタイルに馴染みきっていた私は何気なくアクセスして一瞬、
そこにあるはずの見慣れた建物が目の前から消えており、探してもどこにも見当たらない、という状況に似た動揺と心細さを覚えました。
幸い、もとの画面はコピーしてwordに貼り付けて保存してあったので、懐かしくなればいつでもそれを見ればよく、
紙媒体でもとってあるので、大丈夫といえば全く大丈夫ではあるのですが。

メンテナンスされている方のご努力も考えると、無闇に淋しがるわけにもいきません。
500を超えるQ&Aは、ジャンル別で探せるようになっており、
「字形・字体」「PC・モバイル」「筆順・画数」「部首」「読み」「歴史・全体」「意味・成り立ち」「表記・使い分け」と、
7項目で分類されています。
これは、系統立ててQ&Aを理解したい人には、有難い機能だと思います。
また、以前は50問毎にひとつの画面だったので、かなりスクロールする必要がありましたが、
今は画面上で前後の質疑応答と連続してはおらず、
前後のQ&Aに序でに目を移せた以前の様式を思えば、
謂わば紙辞書スタイル(内容の順番はバラバラでしたが)から、電子辞書スタイルに様変わりした、と言えましょう。
個々のQ&A画面毎に、Facebook・Twitterでシェアのアイコンがあるのを見るにつけても、
フォントの変化を見るにつけても、
こんなに変わるんだなあ……
と瞬きせずにはいられませんでした。


で、「不言実行」のお話も引っ張って(3)です。これで区切りにはしますが、自分でも言いたいことが沢山あったのね、と振り返ってみて思います。

最後にお話しするのは、書籍やブログなどの、タイトルや記事内容の見出し項目を、どう命名するか、についてです。

もともと不言実行型のしろねこですが、
弊ブログタイトルを眺めると、
以前からその自覚は勿論きちんとしていましたが、
夢の無いくらいあからさまな有言実行型なんですよね。

これはブログを開いた当初から、悩みどころでした。

何が一番悩むかというと、どう命名するかで、net検索でのヒット数が大きく変わってくる、ということです。
皆様もご存じの通り、漢字ブログひとつとってみても、
奥ゆかしい方のブログはタイトルも本当に奥ゆかしくて、「もっと目立つ個性的なタイトルにすればいいのに……」と周りが何とかしたくなるくらいなのですが、
そこには、「もっと沢山の人に読んでもらいたい」という思いと同時に、「もっと検索したときヒットしやすいタイトルが相応しい」という思いがあるはずです。

ハウツー物の書籍なども、以前より「進化」しているなあ、と感じることのひとつに、その目次があります。
目次は、大きい章立てが分かるほかに、本文を区切った項目のタイトルも一覧することができます。
それがものによっては、最近インターネット上のアイコンのように、物凄くダイレクトな感じになってきているよなあ、と思うのですが、どうでしょうか。
下手をすると、勘のよい人なら内容をよく読まなくても、目次を一覧してしまえば著者の編み出した発想を、書籍購入もせずに掠め取ってしまえる。これって、商品として利益があるのか?
などと、ついお節介なことを連想してしまうくらい、目次のキーワードがダイレクトすぎる気がするときがあるのです。
勿論、目的やテーマははっきりしているのに、とても魅力的なタイトルが付けられているものもありますけれど。


話は少し逸れますが、
入試問題を作るために新書を読んでいても感じることで、いまの文章はとにかく夥しい項目に寸断されています。
頻出する見出し項目のゴシック体に煩わされることなく、著者とあからさまな区切りの無い対話を自然にするように、連綿と続く長文をゆったり読む、となると、これはもう殆どの新書やハウツー物のスタイルとはかけ離れてしまいます。
そういう本を探しても、今やなかなか見つからない。あったとしても、今度は作問に適さなかったりする。
ですから、入試問題の評論は、やむを得ず途中に出現する小項目を抜いて、いかにもその文章がひと繋がりであるかのように抜粋するのです。
そこに何の躊躇いも無いかといえば、個人的には結構あるんですよね…………。


お話を戻しますが、
書籍の見出し項目や、ブログのタイトル・記事の命名は、

・明解さを目指して、テーマや目的をはっきり本文に持たせること
・読者の歯痒いニーズに即座に応じること、欲求を即座に満たして読者を退屈させないこと
・すぐに見つけてもらえること
・自分の威力や意気込みの表明
などの意図でつけられているものが多いのかな?と思います。

そこに、世の中の「有言実行」の定着された考え方が結構関わっている気がします。
「有言実行」自体、「はっきりした目的があり、それを叶えたい」という意識と直結するからで、その考えの現れが項目として文字になり、誰かの目に触れれば、嫌でも「有言」スタイルになるからです。


……理想をいえば、
謎かけみたいなタイトルで、中身が思いがけない宇宙をもっている!
というふうになれたらよかったのですが、
悩んだ結果、当時の私はその道は選びませんでした。

弊ブログタイトルは今現在、中途半端な有言実行型の生き方を曝しておりますが、
往生際を悪くして、タイトルを逃げるように変えることはせずに、
どうせならかっこよく有言実行を極めて、同時に不言実行の要素も磨かれた状態になっていることを目指して、
どちらの発想からも逃げないで鍛えていきたい、と思うしろねこなのでした。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「有言実行」蔓延の一因 (凜太郎)
2015-03-07 08:02:52
しろねこ さま

こんにちは。
「不言実行」、大変考えさせられる記事でした。

私の仕事は人事関係なのですが、20年ほど前からでしょうか、人事マネジメントの手法として「目標による管理」ということがもてはやされ(おそらくはアメリカからの輸入)、今では完全に我が国の企業人事の世界に定着した感があります。流行りすたりが著しい人事マネジメントの世界にあって、これは本当に稀有なことです。期の始めに上司との間で「今期は何をやるか」を決め、「目標管理シート」といったようなフォーマットにこれを明記し、それが実際に達成されたかどうかで評価され、処遇にも直接影響するのですから、まさに「有言実行」が求められているわけです。「目標管理シート」に予め明記された比較的小さな成果を「有言実行」で達成した場合と、それよりも大きな成果をシートには記入せずに「不言実行」で達成した場合とどちらが高く評価されるか? 企業により状況により一概には言えないでしょうけれど、おそらく多くの場合、より高く評価されるのは前者だろうと思います。こうした、日本企業における人材評価の流れなども、しろねこさんご指摘の状況をもたらしている(助長している)一つの原因なのではないかと思います。また、(2)で書かれていた「現代人が何だかつかれやすい原因」にも、間違いなくなっていると思います。(私自身にもそうした「疲れ」の自覚がなくもありません。人事担当ですから、社員にやらせている立場なんですけれど。(苦笑))

俗な表現になりますが、「不言実行」の方がかっこいい、人間(日本人?)のありようとしても立派だ、と強く思いつつも、自分自身は実際にはそれができない歯がゆさと自己嫌悪。やはり私は現代企業に身を置く「普通の人」なのでしょう。(笑)

自己を振り返る良いきっかけとなりました。ありがとうございました。
返信する
有言実行型の「目標」、不言実行型の「目的」 (しろねこ)
2015-03-08 14:07:26
凛太郎さま、こんにちは。
コメント有難うございます。

企業での人事を左右する評価も、やはりそれほどまでにはっきりした有言実行型なのですね。

不言実行で何かを成し遂げるより、有言実行で成し遂げた事のほうが、その仕事の大きさに関わらず、より価値が与えられ易いことは、確かに想像がつきます。
そのほうが、きっと評価する側にとっても、される側にとっても、分かりやすいですしね。有言実行型のほうが、「契約」の形をはっきりとれますし。

私たちの世界でも、それほどあからさまでなくても、同じような傾向は、あるかもしれません。
最も、これも学校によって、区々(まちまち)だと思いますが。
私立の場合、校長や理事会によっても、方針が大きく変わります。

私個人をとってみると、
今でこそ、自分の歴々の仕事をいろいろ周りの方に見ていただいているので、ある程度信用はあるのでしょうし、
立場も中堅になってきて、仕事内容によっては、自分の遂行任務(=目標)を割り当てられる側でなく、提示する側にもなりつつありますが、
最初仕事を一通り覚えてから後の数年間は、
特にこちらが厭世的でもないわりに、
結構ひとりで勝手に仕事をする奴だと思われていたようです。
勿論、学年なり分掌の指示を耳にした上でのことで、そこからの取り組み方において、です。

嘗て私を呼び出して、過去2年間ほどの、ありとあらゆる苦言を呈した上司に、
あまりにも私の仕事に対して、こちらの意図していたことと異なる評価をされていたと知ったためか、
「では、私の仕事のどこならいいんですか?」
という趣旨のことを聞いたところ、
「何にでも一生懸命である」ということと、「生徒からの(私に対する)苦情や悪口を聞かない」
ということでした。
多分、その時その上司が伝えてくださった数々の側面は、
よくも悪くも、有言実行型に馴染みきれない私の、不言実行型の仕事の現れだったように思います。

因みに、「過去2年間ほどの、ありとあらゆる苦言を呈」された件に関しては、
不言実行型とは無関係な問題もはらんでいましたし、
いろいろ誤解もありながら、
どういうつもりでどう仕事をしていればどういう見られ方をされていたか、お陰でよく分かったので、
自分の心の中では折衷案で、職場での気の利かせ方をかなり変えて、会話も世間話を含め、いろいろなタイプの先生方と、努めて最低限するようになりました。
所謂、最低限の根回しの基盤の作り方を覚えたというわけですが、
根回しの会話にも、やはり「契約」の要素、目的・目標の提示、それについて結果的な責任はこちらで持つとうな意思表示まで、
考えてみると、陰での有言実行型の発想がかなり必要になります。

有言実行型の人からみると、不言実行型の仕事は、その仕事人の美学として理解しようとするより、契約違反で出し抜かれたように感じることも、あるのかもしれませんね。
かと言って仕事に限らず、目的を口にしたらしたで、
軽率な人はそれが達成される前から、平気で自分の都合のよい解釈をつけてネタにしてしまい、
思わぬところで「実行」の道が妨げられたりもするので、
「有言」せざるを得ない際にはくれぐれも用心したいものです。


ところで、先ほど午前中「いつだって波乱爆笑」にゲスト出演されていた坂東玉三郎さんのお話では、
その成された仕事について、インタビューの質問内容に有言実行型のキーワードが含まれていると、
そうではなくて、と、ご自分のものの捉え方を表す言い方にして答えていらっしゃいましたよ。
返信する
追伸:間違いました。 (しろねこ)
2015-03-08 19:33:35
先のコメント最後、

「いつだって波乱爆笑」

じゃなくて、

「誰だって波瀾爆笑」

でしたね。
日テレさん、堀尾さん、すみません。
固有名詞はよく見なきゃだめですね。
返信する
ありがとうございます (凜太郎)
2015-03-08 20:45:44
しろねこ さま

いつもながらご丁寧なレスをありがとうございます。
事後報告になりましたが、「漢字文化資料館」のこと、こちらの記事を引く形で拙ブログで紹介させていただきました。私も久しぶりに再読中です。やっぱり面白いですね。^^

悔しいことに、波瀾爆笑、見逃しました~
見たかったなぁ  (; ;)

返信する

コメントを投稿