まだまだ歩くよ。鎌倉市佐助の北のはしっこを西へ向かって通過中。
今日は、いや、今日もかな。
かなり長い投稿になる。退屈しのぎに音楽をどうぞ。
優雅なナット・キング・コールをどうぞ♪ いい声だ💛
長谷大谷戸の交差点に来た。
ここを左折して南下。
つまり高徳院方面へ行く。
iPhoneによると、ここまでで6.4kmで、11,935歩だって。
私は時速4.8kmのペースで歩いているらしい。
しかし私は途中でたくさんの金融機関、おまけに市役所にも立ち寄っていて、それらの建物の中で私は停止したり、微妙に動いたりする。
その時間も、時速を計算する際の時間にカウントしたりしなかったり、iPhoneは見事に分別するのだろうね。
まだまだ先は長いのだ。合計で11kmほど歩く予定だ。
谷戸の道を南へ。
長谷「大谷戸」ってくらいで、かなり広がりのある谷戸だ。
右手が高徳院。つまり大仏があるところだ。
鎌倉市内にタダで大仏をチラッとだけ見られるところが複数ある。
ここもそのひとつ。
ほら(↓)。
わからない?(笑)
わからないよねぇ。
拡大してみましょうか? ほら。
頭が見えるでしょ?
ここまで来たらもっと見える。
お前はケチか?と言われそうだ。
そうです、私はケチです。
私がおカネを払って大仏を見たことは、たしか2回しかない。
大仏を見るツアー終了!
それじゃあんまりだぁ~!
大仏が見たいぃ~!
遠方にお住まいで、そうお嘆きの鎌倉好きな方もいらっしゃることでしょう。
そんな方のために、特別に大仏をお見せしましょう。
特別ですよ。
このブログは、なんて親切なブログでしょう。
8年前にこのブログで掲載した画像だ。
私がおカネを払って大仏を見たのはその時が二回目のはず。
その前というと、高徳院に入ったのは、確か1990年代のはずだ。
でも記憶が定かではない。
ベタな鎌倉案内になるけれど、大仏ってたしかに堂々たる構え。
横から、っていいよね。
これでツアーは終了ね。
路地に入った。
延々と歩いてまだランチしていない。
こんな看板を見ると無性に空腹感が強まる。
でもここは、この時営業していなかった。
長谷寺を通過。
この周辺は大観光スポットで、おみやげ屋さんが多い。
江ノ電長谷駅を通過。
坂ノ下の有名店である、三留商店。
オシャレな食品が揃うよ。
大昔、鎌倉が別荘地だった頃から、別荘族に愛されて来たお店だ。
力餅屋さん。
力餅を買いたかったが、この日はお店が休みだ。
あ、向かいのお店に竹の小さな熊手がある。我が家の古いのが壊れてしまって、欲しいと思っているものだ。
今日はまだ歩くし、それを入れる適当なものがないので無理だが、近いうちに買いに来ましょう。
高級食パンとして大ブレークしたBread Code。
一度買ったことがあるが、確かにおいしかったねー。
ここはまだ坂ノ下(↓)。
極楽寺坂の下にあるからね。
こちらが極楽寺坂の始まりだ。
周囲を山に囲まれた旧鎌倉。
その周囲から、旧鎌倉の中心部へ入る、古くからの切通しの一つがこの坂道だ。
その坂道を今私は逆に登ろうとしている(←なんかちょっと司馬遼太郎的書き方(笑))
虚空歳堂の横を通る。
虚空歳堂は「こくうぞうどう」と読みましょう。
「きょくうさいどう」じゃないからね。
極楽寺坂を上がって行きますよ。
今いる場所はここ。「現在地」とあるところ。
現代の極楽寺坂はゆるやかなもの。
しかしだらぁ~っとした坂が延々と続く。
よくぞ掘りましたね。
通るたびに撮影してしまう、魅力的な階段。
「(鎌倉市)坂ノ下」から続く極楽寺坂を上り切ったところが、「(鎌倉市)坂ノ上」・・・というのはウソ。
坂ノ上なんて地名はない。
そこは極楽寺のある、鎌倉市極楽寺という地名だ。
極楽寺があるから、そこから下る坂が極楽寺坂であって、その坂の下の地区が鎌倉市坂ノ下なのであり、極楽寺のある場所をわざわざ坂ノ上と呼ぶ必要はないのだ。極楽寺が中心となっている名称である。
英国の切手に「英国」と書いてないのと似ている。当初その必要はなかった。今も書かないのはどうかと思うがねぇ。あそこは常に傲慢な国だ(笑)。日本も多少見習えばいい。
ここ極楽寺坂の上にある場所は、坂ノ下と比べたら、当然ながらかなり高くなっていて、海抜もご覧のとおりだ。
かつて有名な喫茶店だった店舗には、今、ミシンが並ぶ。
縫製をするお店らしいよ。
江ノ電の古いトンネル。
トンネルにはレンガが使われている。
これが極楽寺の山門だ。
江ノ電の駅はたくさんあるけれど、その中でも「バエ」な部類の極楽寺駅。
バエるよねぇ。赤いポストがアクセントだ。
我が家からほぼ同じくらいな距離の江ノ電七里ヶ浜駅や稲村ヶ崎駅は、駅舎がまったく絵にならない。
それに比較したらこの極楽寺駅は絵になるので、たびたび多くのインスタで登場する。バエ。
最近極楽寺駅には、外に開放された公衆トイレが出来た。
ご厚意に甘えて利用させてもらいましょう。
朝からミルクティをがぶ飲みする私が午前から長時間外を歩く場合、どこにトイレがあるかを考えておくのは、大変重要なことだ。
ここのトイレは、タクシーの運転手さんもよくご利用だ。
上杉憲方(1335年 - 1394年)の墓はこちら。
この奥ってこと?
入ったことないけど。
極楽寺の大(?)商店街。
注目して頂きたいのはまんなかの盛華園。
鎌倉市内に同名の店舗は複数あり。
経営は同族らしい。
お好きな人も多いであろう町中華の雰囲気。
私がこの盛華園に入るのは13年ぶりだと思う。
ここを食事時に通りかかることが少ないのだ。
いつもこの店はにぎわっているらしい。
観光客はそんなに多くないのにね。
そこでラーメンと半炒飯のセットを頂く。
空腹感いっぱいの私には涙が出そうな眺めである。
もう午後1:30あたりだよ。この日も時間は遅いのに、この店は満席に近かった。
これは典型的な醤油ラーメンだ。
昔ながらのもの。
わかめ、叉焼、なると、シナチク。
ちょっと甘めのスープ。
こちらはしっとり系炒飯のハーフサイズ。
おいしいねぇ。セット価格900円(税込み)だった。
とにかく腹が減っていて、がつがつと食べた。
5分ほどあれば全部食べ終わる。ごちそうさまでした。
谷戸をどんどん進む。
住所で言うと、ここはまだ鎌倉市極楽寺だ。
谷戸を奥へ、奥へ。
月影地蔵の横を左折。
すると急坂に差し掛かる。道幅はギリギリ軽自動車が通れるくらい。
どんどん傾斜が厳しくなり、やがて人間が歩いて通るのが精いっぱいの道幅になる。
ずいぶん上がって来ましたね。
まだまだ上がるよ。
このあたりまで来ると、疲れを実感。
傾斜もすごいのだが、その前に相当な距離を歩いているからね。
やがて坂を登り切る。
住所が鎌倉市極楽寺、鎌倉市稲村ガ崎、鎌倉市鎌倉山と分かれるあたりだ。
そこで道が分かれる。
上の画像の分かれ道を左側に行くと、その先はさらに2つに分かれている。
下の画像(↓)で言うと、右手の道を行くしかない。これは稲村ガ崎5丁目につながる道だ。
左手の道は現在通行禁止。かなり面白い道なんだがねぇ。行けないんじゃ仕方がない。
こちら(↓)は鎌倉山の住宅地へ向かう道だ。
では稲村ガ崎5丁目へと向かいましょう。
やがて住宅街の端っこへやって来る。
はい、ここは稲村ガ崎5丁目。私の住む住宅地の自治会の範囲だ。
私が住む七里ガ浜住宅地のほとんどは鎌倉市七里ガ浜東という住所なんだけれど、一部稲村ガ崎5丁目を含む。
すべて昭和時代に西武が開発したところだ。
そんな住宅街を歩く。
そのまま家に帰りたいくらい疲れていたが、ヨーグルトとシャウエッセン・ソーセージを買わなければならず、そのまま西友七里ヶ浜店まで歩く。
小型でどこでも売っている大衆的ソーセージの中では、価格からしてシャウエッセン・ソーセージってずば抜けて味や食感がいいように思うのだが、みなさん、いかがお感じになりますか?
歩いて帰りましょう。間もなく自宅だ。
これでおそろしく長くて退屈な鎌倉市内の散歩も終了だ。
用事も全部済んだ。