エンジン始動。
奥様を鎌倉駅まで送る。
本日は奥様泊りがけ@江戸の実家の日。
両親のお世話だ。だから私は一時的にエセ独身貴族。
独身貴族って言葉も死語かねぇ?
若宮大路を北上。二の鳥居前。
私はこの日独身貴族の気分だ(←どうしてもその言葉が使いたい)。
バスが邪魔して三の鳥居が見えないやんか。
そこからは、古くからある金沢みちを行く。
岐れ路交差点。
この先を左斜めに真っ直ぐ行ったら鎌倉宮。
大塔宮ともいう。
しかし私はそこへは行かず、市内浄明寺、十二所から朝夷奈の切通脇の現代の舗装道路を横浜市側に抜ける。
そして上郷の森の家へ。
ここは隣接して横浜自然観察の森もあるところだ。
ところでボルボ(北欧のクルマ)の話。
北欧って、人に優しく、あらゆることを非常にシンプルにまとめる傾向があると私は思っている(違うのかな?)。
こんなにシンプルで有名な照明器具や・・・
こんなに細くて頑丈で有名な家具も・・・
私が外国為替専門銀行の東京銀行(のちの東京三菱銀行、現三菱JFJ銀行)に就職した時、最初に担当した仕事が輸出業者から輸出手形を買い取ることだった。
輸出業者は輸出したらすぐにもおカネが欲しい。だって輸出製品の原料の仕入れやそれを生産・管理する社員の給料を先に払っているわけだから。一方輸入業者はまだ船荷が自国へ到着もしないのに、おカネなんて払えない。そこで活躍するのが輸出入両方の国のそれぞれの銀行だ。
輸入地の銀行は取引先である輸入業者から手数料を取って貿易信用状というものを発行する。輸出業者がその貿易信用状に書かれた条件を満たす輸出関係書類(船荷証券、インボイス、パッキングリスト、輸出手形等)を輸出地の銀行に提示すると、輸出地の銀行は輸出業者にさっさとおカネを払うという仕組みだ。両国の銀行はその間で金利を伴う決済を行う。
この貿易信用状という書面がいろいろあって、とにかく複雑な文面(英語)なのだ。しかしお国柄というものがあって、その中では北欧の銀行が発行する貿易信用状は突出してシンプルで読みやすかった。条件がサラサラと簡単に書いてあるので、新人銀行員にはとても助かるものだった。一方ごちゃごちゃ一杯書いてあってややこしいのは中東の銀行が発行する貿易信用状だったな。
美青年だった(?)頃の私は若い銀行員としてそれを体験し、「北欧という地域は、ものごとをシンプルにルール化する賢い人達が住むところ」と信じて来た。
それから約40年経って、私はボルボという北欧のクルマを初めて運転し、それを再び経験しつつある。クルマも文化だねえ。
タッチパネルを操作。
寒すぎる国だからか、ワイパーの使い方も独特だ。
これまで自分が体験したクルマは全部、フロントガラス面を拭くとかワイパーのゴムを交換するためにワイパーをガラス面から離すのに、そのまま手でワイパーを動かせば良かった。
この車両ではそれは不可能なのである。
ワイパーの根元がボンネットに深く埋もれているからだ。
タッチパネルを操作して、ワイパーをガラス面につけたままこのように(↓)垂直に立てて停めてから、手でこのワイパーを持ち上げるとよい。
ではなぜボルボはこんなことをしたか?
私はまだその謎を解明していない(笑)。後日考えてみましょう。
人により生活スタイルは異なる。
当然ながら必要とされるクルマも異なる。
私の嗜好としては、このクルマはいい選択だったと思うな。
我が家が必要とするいくつかの条件を満たしている。
この森を歩いてみよう。
結構深い森だ。
しかしここは広い舗装道で、歩行者専用線があり、ということはクルマも通れるようになっている。
横浜市南部の山も意外と深いのですよ。
出た、ここが横浜自然観察の森だ。
そしてこの横浜市南端の森は、我らの鎌倉天園ハイキングコースにつながるのだ。
面白い地層あり。
ここは川が途中で砕けた小石や砂を運びそれが海に入って堆積してできた地層だけはなく、火山爆発があってその噴火物が海の中に直接的に入ってまた別の地層を形成し、それらが重なって出来たものらしい。
森体験には付き物の炭小屋。
ますます鎌倉天園ハイキングコースに近づく。
いっそこのまま天園ハイキングコースを行こうかとも思うが、駐車場にクルマを放置してあるからねえ。戻らざるをえない。
立派なトイレがあるので、せっかくだから使わせてもらいましょ。
さてどんどん歩きますよ。
ドガティ君も連れて来たらいいかと思うが、基本はアスファルト舗装された道なので、ドガティ君には迫力不足かも。
しかしニンゲンが軽く散歩するには、素晴らしいところだね。
これで猪でも出なければいいが。
ここ(↓)から左へ行きましょう。
ウグイスの道を行くぞ。
すごい階段だ。
ひとつの踏み板とその次の踏み板との間隔が広くて、一気にまたぐにはちょっと遠め。
でもそこを敢えて二歩で歩くのは、面倒な距離の階段。
さてと、元来た道にまたここで合流する。
再び炭焼き小屋の横を通る。
あ、鎌倉霊園(鎌倉市十二所)が見える。西武の開発による巨大な霊園だ。西武の鎌倉への入れ込みようは戦前から強い。この霊園もそうだし、何か所かの大きな住宅地、逗子マリーナ、鎌倉プリンスホテルなどに関わって来た。七里ヶ浜に突き出した大きな駐車場もそうだ。
鎌倉霊園は戦後の新しい墓だし、所詮霊園なので、鎌倉の古い寺の檀家さん達の墓地とは格が違うが、それでも著名人が多数眠っている。「命のビザ」で有名な外交官杉原千畝さんとか川端康成さんとか海軍中将だった秋山真之さんとか・・・と書くと「それでは時代が合わない」と思う人もいるだろうが、間違いではない。戦後になって秋山元中将の遺骨は青山墓地からこの鎌倉霊園に移されているのだ。
お寺と無関係な霊園の中では、鎌倉霊園は最高峰かな。お高いですよ(笑)。
この森の開園時間って、日の出から日の入まで。
その決め方がいいねぇ!
ここで森を出る。
急な階段が楽しい。下りましょう。
ここで階段が終了する。
鎌倉の住宅地の路地みたいなところを抜ける。
すると森の家に戻って来た。
1992年に作られたみたいだ。
それって私がかつて逗子市民だった頃だ。
当時この森へ来た記憶がある。こんなに整備されていなかったな。
荷物を積み直しましょう。
これで出発。
下の画像で、パーキング・ブレーキ(左上のP)を掛けたまま、エンジンのシフトをドライブ(右下のD)に入れてアクセルを踏めば、自動的にパーキング・ブレーキが外れて前進するというシステム。
これに今も慣れない。ちょっと怖いのだ。
そんな簡単にパーキング・ブレーキが外れて、大丈夫なんだろうか?
坂道にこのクルマを停めておいて大丈夫なんだろうか?
面白いのがセンター・コンソールなんて呼ばれるここ。
加速度Gがかかると勝手に開く(笑)。
まあ、その話はまた今度にしましょう。
【つづく】