「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

稲村ガ崎の西側

2008-08-10 08:56:01 | 環境・土地


画像は今朝の稲村ガ崎である。七里ガ浜から(西から)見たので逆光だ。鎌倉から逗子、葉山にかけて海岸線が優美に見えるのは、山が海に迫って景色が変化に富んでいることが理由であろう。画像で左手(北側)から伸びた尾根が、ここ稲村ガ崎でストンッ!と右(南)側の相模湾に落ちる。その尾根の途中が無残に切り開かれ(画像中央上)、国道134号線が通っている。これがなければ景色はさらに良いのだが、もし本当になければ我々地元住民は困ってしまうことだろう。

我々の住む七里ガ浜や、住居区分で言う稲村ガ崎の多くの部分は、地形上、海に突き出た稲村ガ崎(下の地図で言うと∴の印)とそれに連なる尾根の西側にある。「鎌倉は三方(東、西、北)を山に囲まれ、南は海で・・・」というが、その鎌倉の西の限界である山にあたるのが、画像でご覧の稲村ガ崎の尾根だ。それより更に西側にある、住居区分で言う鎌倉市稲村ガ崎、同七里ガ浜東、同七里ガ浜、同腰越は、現在の「鎌倉市」ではあっても正真正銘、歴史に裏打ちされた「鎌倉」ではないのだ。昔々義経が壇ノ浦で勝ち、西方から平宗盛父子を連れて鎌倉入りしようとしたが、頼朝に拒否され、留め置かれたのが腰越であることからしてもそれがわかる。腰越は「鎌倉」ではないのだ。


Source: Google

KAMAKURAブランドに憧れ、鎌倉に住みたい人は旧鎌の土地を選んで買いましょう。三方を山に囲まれた旧鎌は稲村ガ崎よりも東側になる。稲村ガ崎の尾根から東方の鎌倉に向かって降りて行く坂(極楽寺坂)の下、住所も坂ノ下。そこから東の旧鎌地区、住所で言えば大町、小町、由比ガ浜、扇ガ谷、笹目、雪ノ下、西御門、二階堂、材木座、長谷他だ。それが適わぬならやはり外になるが北鎌倉方面か。つまり寺が多いところである。

その点、七里ガ浜の山を西武グループが切り崩して造った我が西武七里ガ浜住宅地なんてモノは、鎌倉と呼ぶにはほど遠いのである。今の七里ガ浜を含む広い地域はかつて津村郷と呼ばれたらしい。七里ガ浜は何もない砂浜だが、大昔から砂鉄が取れて重宝されたと言う。今度磁石を持って海岸に遊びに行ってみよう。
コメント (2)
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