ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今夜はお月見(9.14)

2008-09-14 20:28:11 | 矢田だより
朝の曇り空は9時頃から青空に変わりました。
昼まで2時間半ほど矢田歩きを楽しみました。日蔭にはひんやりとした秋の気配が漂っています。




マンジュシャゲが咲き始めました。



アキアカネが羽を休めています。


クサハギがお月さまを待っています。


期待通り、素晴らしい十五夜のお月さまでした。

必死のパッチ

2008-09-14 13:20:46 | Weblog
このところ打てないで苦戦続きのタイガース。
昨夜も10回裏に矢野のヒットでサヨナラ勝ち。
お立ち台の矢野は、もうお決まりになったセリフ「必死のパッチでした」。
面白かったのはNHKのスポーツニュースで、カッコつきで(必死で頑張りました)と翻訳が出たことです。

他愛のないペンギンたちの会話…
♂ やっぱり全国的には通訳がいるんかなあ。
♀ 「パッチ」は標準語でなんていうんやろ?
♂ そら「股引」やろ。
♀ 「ズボン下」ともいうなあ。
♂ それに必死をつけるのは関西だけかなあ。昔はよういうたけどなあ。

インターネットで「パッチ」を調べてみました。
「修正プログラム」が一番多く、「パッチワーク」などはありましたが「股引」の
意味はありませんでした。
「必死のパッチ」で検索すると結構たくさんありました。
中には無理に意味を探して「股引が脱げかけたのを」…とか、ピント外れのものも…
♀ 結局、語呂あわせとちゃうん?
♂ 大阪では昔から手まり唄なんかで多い奴やなあ…。

今夜は冷や冷やさせんと、気楽に見せて欲しいもんです。

「千」の山-3

2008-09-12 08:14:46 | 四方山話
千穂ヶ峰(253m)。
「鎮護ヶ峰」とも「千尾ヶ峰」とも呼ばれる熊野速玉神社のご神体山・権現山の主峰。

2004年12月14日、烏帽子山が一番の目標ですが、古稀の祝いと40回目の結婚記念日にかこつけ、のんびり温泉にも浸かるつもりで二泊三日での計画ででかけました。



浮島の見学をすませて、正面に見える権現山に向かいます。
 赤い神橋を渡り、大鳥居をくぐると源頼朝の寄進といわれる538段の長い石段が目の前に聳えています。石段の勾配が弱まり大きく左にカーブすると、大きな岩盤が横たわっています。その奥の注連縄が張り巡らされた大岩がゴトビキ岩。この磐座を背にして、熊野三山の元宮と言われる神倉神社が絶壁の上に建っています。



山腹道を北へ。細かい登降で「牛の背中」を過ぎ、稜線にでると展望台がありました。
権現山の主峰・千穂ヶ峰へは分岐に帰って急坂を10分ほど登ります。左手が開け、熊野川の流れの上に明日登る予定の烏帽子山、その右に大雲取山が見えました。頂上は疎らながら樹木に覆われて展望は期待はずれでした。



急な道を駆けるように下って20分程で登山口に下りたって、速玉大社に参拝しました。

千丈寺山(346m)
丹波市春日町と市島町の境、黒井城山の北にあります。
2007年3月7日、干支の山にちなんで黒井城山の別名、猪ノ口山に登った後に訪ねました。


(黒井城跡から千丈寺山・一番手前)
黒井場跡猪ノ口から北西へ続く尾根道は、トラロープのある急な下りで西ノ丸跡の小ピークへ、さらに鉄ハシゴで兵主峠に下ります。
 小さいピークを二つ越えて最後の急坂を登ると千丈寺山山頂です。



灌木に囲まれていますが、南側が切り開かれていて、正面にどっしりとした向山連山が屏風のように連なっています。振り返ると木の間から猪口山が、ほぼ同じ高さに見えます。微かに砦のあとの石積みも望めました。

**長々と綴ってきました「数字の山」シリーズは一応これで終わります**

「千」の山-2

2008-09-11 08:43:33 | 四方山話
千頭岳(602m)
せんずたけ。大津市の南、京都市との境にある標高602mの低山です。
1997年12月16日、ふたりで石山の知人宅を訪れた折に登りました。
石山団地から東へ、陀羅谷川に沿って音羽山地に入り、まず大平山へ登りました。
止めの木の階段が延々と続く急坂を30分ほどで、大きな反射板のある見晴らしの良い場所に着くと、すぐ上が大平山頂上<464m>でした。



大平山から何度か急な登降を繰り返し、最後は急な木の階段道で電波反射板の横を通りピークに着きました。



「ここは東峰で三角点のある西峰はあと500m」と、親切な標識が木にぶら下がっています。千頭岳は双耳峰であったことを思い出しました。無展望なのですぐに西峰へ。
東峰から西峰までは、小さなピークや分岐がいくつかあって分かり難い道ですが、「右・醍醐、直進・陀羅谷一ノ切町」の小さな標識が付けられていて助かりました。


(東峰を振り返る)

1時間ほど歩いて頂上に到着しました。広い砂地状台地は殆ど金網で覆われ、中に関西電力の施設の鉄塔があります。囲いの反対側へ金網の周囲を辿って行くと、予想通り三角点がありました。
ここも展望はありませんでしたが、腰を下ろしてビールを飲むと二人とものんびりした幸せな気分に浸りました。帰りは直接、陀羅谷へ下る標識を見つけて、1時間で駐車場所に帰りました。

千丈寺山(590m)
三田市の北、千丈寺湖近くの一等三角点をもつ山。あまり登られていない静かな山です。

2000年1月30日 低山徘徊派MLオフで登りました。
千丈寺湖(青野ダム)湖畔の大きな駐車場からしばらく林道を歩くと、谷の中の細い道になります。
尾根に出て右へ折れ笹原の道をしばらく行くと小さな凍った池があり、その先で峠からの登山道に出ました。



南へ緩く上下しながら痩せ尾根を行くと石の祠と護摩壇があるコル状の広場にでます。



ここで昼食後、急な坂道から岩場を登り、最高点から少し下ったところに三角点石標と山名板がありました。展望もないので記念写真を撮ってすぐ下山しました。

秋空高く…大台ケ原 (9.9)

2008-09-09 20:31:25 | 山日記
ようやく高気圧が張り出して天気が安定したので、大台ケ原へ出かけました。


9時45分、車もまばらな山頂駐車場を出て日出ヶ岳へ。
真っ青な空の下、快調に山頂を目指します。


山頂で360度の展望を楽しみました。(10時25分~10時35分)


ドウダンツツジが紅葉し始めています。(正木ヶ峰で。11時05分)


空はあくまでも高く青く、爽やかな秋風が心地よく頬をなでます。



大蛇の岩頭で展望を楽しんで…(11:40~11:45)
少し引き返したいつもの岩峰の上で、大峰の奥駈道を眺めながら昼食(11時50分~12時05分)。


シオカラ谷の河原でコーヒータイム(12時40分~13時)を過ごした後、13時30分、駐車場に帰りました。



ようやく秋の風が…

2008-09-07 16:14:54 | 矢田だより
日中は、まだまだ暑い日が続きますが、朝夕はやはり秋の涼しさが感じられます。
9月に入ってからの一週間に矢田山で咲いていた花の一部です。


キンミズヒキ(9.1 弘法井戸近く)


ミズヒキ(同上)


ヘクソカズラ(9.3 まほろば見晴らし所)


こんな大きなキノコがありました。(9.4 横山北)

「千」の山

2008-09-04 10:27:51 | 四方山話
千丈ヶ岳(833m)
丹後山地にある大江山の主峰で、山頂付近はなだらかで大きな草原状で展望に優れています。
酒呑童子の鬼伝説で名高い大江山は、千丈ヶ岳と鍋塚(763m)、鳩ヶ峰(746m)の総称で、周辺に鬼の岩屋などの地名が残っています。
1996年10月27日、低山俳掴派のオフ会で登りました。



千丈ヶ岳から北西に延びる稜線上740m地点、航空管制塔の立つ林道終点で集合。鬼の岩屋を見てコルに下り、鍋塚に登り返します。
北に丹後半島伊根の船泊、青葉山と日本海。行く手には鳩ヶ峰と主峰・千丈ヶ岳が重なって見え、青空に映える山肌は紅、朱、橙、黄、茶、緑と様々な色糸で織りなされ、まさに錦繍を纏ったあで姿でした。



次のコルに下り、600mの登りで鳩ヶ峰頂上。
のんびりと陽光を浴びながら、360度の山々の大展望とランチタイムを楽しんだ後、最後の目的地、千丈ヶ岳を目指して落ち葉の散り敷く木の階段道を登りました。
真紅のナナカマドの樹林帯を抜けると、なだらかな833m二等三角点の山頂で、振り返るとスタート地点の管制塔から続く紅葉の稜線。手前には白いススキの穂、遠くに青い海。
そして三角錐の三岳山、すぐ近くの赤石ケ岳はいうに及ばず、ぐるりを取り巻き、重なり合う山、山、山。



眼下に拡がる箱庭のような町や村。昨日泊まった福知山の市街地が光っています。大展望に酔いしれて立ち去りがたい頂上でした。

千ヶ峰(1006m)
東播磨の最高峰で、山頂付近は草原状で播磨、丹波、但馬の山々の大展望が得られます。山名は多くのピークを持つことが由来といわれます。

1997年11月16日 いくつかのコースがありますが、千日山歩渉会例会で三谷渓谷入口から登りました。
美しい渓谷沿いの道から見下ろすと小さな滝が連続して現れ、やがて大きな岩盤の上を水がナメ状に流れる三谷大滝雌滝に出会います。次の雄滝は、規模は小さいが真っ直ぐ豪快に落ちています。
道は次第に勾配を増して、左、右と渡り返した後に沢を離れると、胸を突くような急坂となります。



岩座神からの道が合わさると、ようやく傾斜がゆるまりクマ笹の道を行きます。頂上が見上げるように迫ると再び急坂で、一歩一歩踏みしめて広い頂上台地に登り着きました。



空全面が雲で覆われていましたが、遠目が利きました。
すぐ目に付くのが南の笠形山。その向こうに七種山、明神山。北西には段ヶ峰、氷ノ山は雲に覆われているようです。丹波の山々、六甲の方角は雲が隠していましたが、確かに360度の大展望が楽しめる山で人気の高いのもうなずけます。



下山は市原峠に向けて、厚く散り敷いた茶色や黄色の落ち葉を踏みしめて歩き、長い林道歩きで配車してあったキャンプ場跡に着きました。

「百」の山

2008-09-03 11:55:59 | 四方山話
百貝岳(860m)
サクラで名高い吉野・奥千本の西南に位置します。
麓に理源大師の大蛇退治伝説で知られる古刹・鳳閣寺があります。大師が大蛇を呼び寄せたホラ貝の音は、百個のホラ貝を一時に鳴らしたしたほどであったということが山名の由来とか…。

1998年2月18日
ひっそりした冬の吉野。金峰神社に車を置いて百貝岳を目指す。
大峰奥駆道分岐には「峰入りや 一里遅るる 小山伏」の芭蕉の句を記した柱があった。西行庵への分岐から鳳閣寺に向かう道を行く。
右手に竜門山群を眺めるのも束の間、すぐ杉林に入る。左の山腹をからむ道は、音を立てて霜柱を踏んで大きく下って行く。少し登り、また下って45分ほどで左手の斜面に取り付く。



分岐の大きな杉の木の幹に、墨で山名と矢印が鮮やかに記されてあった。
かなりの急斜面は5分ほどで終わり、いったん雑木林の平地にでる。山仕事の道が入り乱れているが、赤や黄のテープが道を示している。
再び杉林の中を5分ほど登ると、如意輪観音の祠がたつ百貝岳頂上にでた。尾根上の小台地といった感じで、大きな樹木に囲まれ展望はなかった。



この日は高城山、青根ヶ峰にも登ったので、図らずも「山・峰・岳」とピークを表現する三つの言葉の、それぞれに立てたことになった。

五大尊岳-(五の山補遺)

2008-09-02 11:32:36 | Weblog
五大尊とは、真言密教の五大明王<降三世明王(東)、軍荼利明王(南)、大威徳明王(西)、金剛夜叉明王(北)が中央の不動明王を守護する形>をいいます。
 山頂には昭和50年、不動明王像が安置されました。(森澤義信氏「大峰奥駈道七十五靡」による)
 五大尊岳(825m)は標高は低くなってきていますが、峻険なところとして知られています。75ある靡の第七番目ですが、北の吉野から逆峰で打ってきた私たちには六十八番目の行所になります。

 2004年4月から始まったJAC関西支部70周年記念行事・奥駈道山行は、2005年6月の第七回目にして初めて雨の灌頂を受けた。
 近畿地方に梅雨入り宣言が出された6月11日、浦向から425号線、四ノ川林道で行仙岳登山口に入り、雨の中を笠捨山、地蔵岳を経て玉置神社へ歩く。



夕刻、神社に着き懸崖造りの重厚な建物の奥深く、太い梁の部屋に案内され、ゆったりと布団に手足を伸ばして寝につく。



 翌12日、夜のうちに雨は上がり、拭ったような青空になる。玉置山から大森山を経て4時間後、五大尊岳に到着した。

 大森山からの下りは急で、木の枝などを頼りに慎重に足を運ぶ。ようやく篠尾辻の手前の岸の宿跡(靡八番)に降りたって休憩する。
 さらに降った笹原の鞍部が篠尾辻で、ここから五大尊岳へ登り返す。尾根が次第に痩せてきて木の根や露岩が現れると、細長い頂上台地に着いた。
 不動明王の石像は見えず台座だけが残っている。西側の林が少し開けて、十津川の流れと果無山脈らしい連山が見えた。



 ここから「蟻の戸渡り」「貝摺り」と呼ばれる痩せた岩稜を、木の根や岩角を頼りに下り金剛多和ノ宿跡を経て大黒天神岳へ。更に七越峠を越して17時、備崎で熊野川の畔に下り着きました。



これで吉野から140㎞に及ぶ奥駈道を歩き通したことになり、翌日、無事完遂を熊野本宮に報告しました。