1月もはや半ばを過ぎましたが、今年はまだキンシン中で初歩きに行けていま
せん。しばらく前までの今日は「成人の日」で休日だったので、山に入ること
も多かったのですが…
子供たちが小さい頃は、葛城山や金剛山や六甲山などによく登っていました。
この頃は雪が多く、町では見られぬ銀世界に子供たちは大喜びしていました。
90年代に入り、子供たちもクラブなどで忙しく、付き合ってくれなくなりました。
この頃から「干支の山」に登るようになりました。
94年1月15日、泉南の犬鳴山に登りました。
犬鳴山は山号で、「大蛇の難から主人を救った」この「義犬伝説」に由来しま
す。現在の犬鳴山は七宝滝寺の周辺のいくつかの山の総称です。この日は、まず
犬鳴トンネルを抜けて、林道を登って高城山に向かい、木や岩や黒黄まだらの
ロープに縫っての急降下で…
最後に地獄岩という標識のある一枚岩を鎖を頼りに下り、行者の滝の落ち口に
でました。登り返して義犬伝説の発祥地の「蛇腹」を見てさらに登り、最後に
大きく右に捲くように登って燈明ヶ岳頂上に立ちました。
ここから稜線歩きで経塚ヶ岳、さらに東に小さなこぶをいくつか越えていく天狗
岳のピークに立ちました。低山ですがアップダウンの多い、登りでのある山歩き
でした。
翌、1995年1月15日には猪ノ背山に登りました。
この時の様子は、2007年(亥年)のこの BLOGでリポートしていますので、ご覧ください。
せん。しばらく前までの今日は「成人の日」で休日だったので、山に入ること
も多かったのですが…
子供たちが小さい頃は、葛城山や金剛山や六甲山などによく登っていました。
この頃は雪が多く、町では見られぬ銀世界に子供たちは大喜びしていました。
90年代に入り、子供たちもクラブなどで忙しく、付き合ってくれなくなりました。
この頃から「干支の山」に登るようになりました。
94年1月15日、泉南の犬鳴山に登りました。
犬鳴山は山号で、「大蛇の難から主人を救った」この「義犬伝説」に由来しま
す。現在の犬鳴山は七宝滝寺の周辺のいくつかの山の総称です。この日は、まず
犬鳴トンネルを抜けて、林道を登って高城山に向かい、木や岩や黒黄まだらの
ロープに縫っての急降下で…
最後に地獄岩という標識のある一枚岩を鎖を頼りに下り、行者の滝の落ち口に
でました。登り返して義犬伝説の発祥地の「蛇腹」を見てさらに登り、最後に
大きく右に捲くように登って燈明ヶ岳頂上に立ちました。
ここから稜線歩きで経塚ヶ岳、さらに東に小さなこぶをいくつか越えていく天狗
岳のピークに立ちました。低山ですがアップダウンの多い、登りでのある山歩き
でした。
翌、1995年1月15日には猪ノ背山に登りました。
この時の様子は、2007年(亥年)のこの BLOGでリポートしていますので、ご覧ください。
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