ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

干支の山 (卯~巳)

2010-01-17 09:03:08 | 旅の想い出
1999年(卯)
赤兎山(1628.7m)1999.05.14


加越国境(石川県白峰村と福井県大野市、勝山市の境)にあり、白山火山帯に
属する展望にすぐれた山。山頂部に高層湿原がある。
林道終点の駐車場近くには、新緑の中にコブシとムシカリの白い花が咲き、
足下にはリュウキンカの群落が黄金色に輝いている。明るい林の中をジグザグ
に登る。道の両側にはショウジョウバカマがずっと咲いている。雪解け水が溜
まったところにはリュウキンカの群落。早くも残雪が現れ、その上を歩いたり
水の流れに沿った道を行ったりする。



 小原峠から上は、ずっと真っ白な雪の斜面。踏み跡も目印も全くないので、
ともかく主尾根と思われるところを直登する。大舟山分岐にくると前方左手
に赤兎山の丸みを帯びた頂が見える。左手に白山連峰を眺めながらのんびり
と尾根を辿ると赤兎山頂上。



 遮るもののない眺望が待っていた。北東から真東にかけての白山連峰。左端
の御前峰からいったん下って次の高みの別山へ。三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰の連
なりは真東に距離が近いだけに主峰に劣らず堂々としている。手前には願教寺
山から野伏ヶ岳への稜線。南西に荒島岳が青く浮かび、その右手・西に少し離
れて経ヶ岳の姿が大きい。



荒島岳の方向から雲が湧いてきたのをしおに、元の道を引き返した。

2000年(辰)
竜の字のつく山は多いので、この年は近くは天理の竜王山から遠くは御坂山塊
の竜ヶ岳まで、毎月一つ竜の山に登りました。

このページをご覧ください。

2001年(巳)
蛇 山<おろちやま> 2001.01.07

兵庫県氷上郡山南町西部にあり標高358m。国土地理院地形図には山名の記載
はない。山頂に岩尾城跡があり、地元では城山と呼ばれている。



山南町の稲荷神社の赤い鳥居が登山口である。四国88箇所を模した石の地蔵を
いくつか見ながら、共同アンテナが二本立つ最初の小ピークに着く。ここから
アカマツが多い尾根道になる。少し勾配が強まり小さな岩場を登る。ピークを
越えて緩く下る。ここまで北北西に向かってきた道はほぼ西に行くようになる。
南南西に蛇山山頂が見えるピークに「城山まで440m」の標識があった。 緩く
登り返して15分ほどで頂上についた。



南側の少し低い所が天守跡で、石垣が何段にも残っていて山城址の感じが濃い。
頂上からはほぼ南に向かって、滑りやすい急坂を下る。途中に深い空堀跡や下
知殿曲輪、南曲輪などの小広場がある。親縁寺への分岐からは緩やかなジグザ
グの道になり、やがて笹原の中を通って小学校の裏に出た。次第に降雪が激し
くなり、辺りは銀世界に変わっていった。

蛇谷ヶ峰 2001.05.20

比良山系北部・滋賀県高島郡高島町と朽木村の境にあり、標高902m。山頂東側
から高島郡富坂に落ちる谷が蛇谷で、西の朽木側からは、足利時代に造園され
た周林(秀隣)院庭園の借景として小椋栖山と呼ばれた。
「京は遠うても十八里」といわれた鯖街道を北へ、市場から入部谷沿いに朽木
スキー場入口に走り車を置く。リフト沿いに登ると「さわらび草原」に「標高
485m・ 蛇谷ヶ峰へ2.2㎞」の標識があり、遊歩道が雑木林の中に伸びている。
歩き始めて1時間15分で頂上に着く。



真ん中に三角点のある広場で、やや霞んでいるものの素晴らしい展望だ。北に
マキノ方面、東に琵琶湖、リトル比良。南は釈迦ヶ岳、無線中継塔の立つカラ
岳、コヤマノ岳、ひときわ高く武奈ヶ岳…。



 同じ道を下り、時間があるので朽木の古刹・興聖寺を訪れた。旧秀隣院庭園
は12代足利将軍義春が三好長基反乱の京から難を避けたとき、管領・細川高国
が将軍を慰めるための築庭といわれている。正面に蛇谷ヶ峰を仰ぎ、谷水を引
いた池を持つ美しい石庭だった。


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