ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

高取山へ(3.6)

2008-03-07 11:40:57 | 山日記
高取山は高市郡高取町、西国三十三カ所第六番札所・壺坂寺の東方にある、標高584mの山です。



10時10分、壺阪寺の駐車場に車を置いて出発。



境内を抜けて、しばらく車道を歩くと五百羅漢への分岐があります。



この石仏群のある場所は、かって壺坂寺奥の院・香高山(こうこうざん)のあった場所です。
今は新しい石仏群と山中の石仏を巡る遊歩道が付けられています。遊歩道とは名ばかりで、下りで使った道よりもきついくらいでした。
石仏は羅漢様だけでなく、十一面観音などの菩薩・如来、大黒天などの神様までさまざまです。
お顔のはっきり残っているもの、ほとんど薄れてしまっているもの…さまざまな長い年月を過ごしてこられたことが分かります。(10時30分)



登山道はゆっくりと高度を上げていきます。伐採された木をぶら下げたヘリコプターが何度も頭上を往復し、ローターの音が騒がしかくて困りました。
一度車道にでて、すぐまた山腹の道に入ります。
切り倒されてワイヤーをかけられた杉の木が何本も斜面に横たわり、数人の山仕事の人たちが焚火を囲んでいました。
二度目に車道に出て、次に山道に入るところに「発掘調査中のため立ち入り禁止」の標識がありました。




しかたなく車道終点まで歩き、「七つ井戸」の標識から資材運搬用のモノレールに沿って急登します。



この山の天嶮を利用して、南北朝時代に越智氏(南朝方)が城を築きました。
のち戦国時代の本多氏を経て、江戸時代寛永年間に植村氏が大改修を行い、明治の廃藩置県まで高取藩二万五千石の居城でした。(この植村家のお殿様の子孫が、今の高取町長さんです)
いくつかの櫓跡の石垣が残っています。



本丸の跡には大きな展望盤があり、山名板も落ちていました。
女性5人のグループがいてカメラのシャッターを切るように頼まれました。
ここからは高見山や台高、大峰の山々が見晴らせました。



三角点は天守閣あとのもう一段高い所にありました。
頂上滞在10分(11時25分~35分)。
お弁当を広げたグループに声をかけて、お先に下山しました。
12時30分、壺阪寺に帰りました。

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