「しんぶん赤旗」2日付に京都大学名誉教授 岡田智弘さんが、戦前・戦中の京都大学の「悲惨な体験」を語りました。岡田名誉教授は、創立100年を迎えた経済学部百年史の編さん作業に携わりました。「大学の自治と学問の自由が奪われていった戦前戦中の歴史を繰り返してはいけない」と、菅義偉首相による日本学術会議会員の任命拒否を批判しています。以下、インタビュー記事の一部を紹介させていただきます。
「—戦前の京大の学問の自由が侵害される事件がたびたび起きます。経済学部はどんな状況だったのです」
「(岡田さん) 京大の経済学部と研究は1900年に、前身の京都帝国大学法科大学に講座が設置された時から始まります。当時は大学の自治と学問の自由をめぐって政府の強い干渉がありました。文部省は『天皇が教官を任命する』として、大学の人事と学問内容にたびたび口出しをしてきました」 ~中略~
「1928年3月15日、共産党関係者を治安維持法で大弾圧する事件が起きました。検挙された人の中に、京大をはじめ各大学で自主的につくられた社会科学研究会の会員がいました。このことから文部省は学生の処分や左派教授の辞職を迫ります」
「京大ではマルクス経済学者の川上肇教授が荒木寅三郎総長から辞職勧告を受けます。理由は、川上が指導教授になっていた社研から治安を乱す会員が出たなどとするものです。しかし指導教授になるよう依頼したのは荒木総長で、いかなる責任も持たせないと言っていたのです。説得性に欠ける勧告理由に川上は反発します」
「ところが川上を守るはずの経済学部教授会は、荒木総長の辞職勧告を容認する決議をしてしまったのです。教授会の自治を第1に考えていた川上は、教授会の決議を知らされ、辞職を決意します」
「政府・文部省の介入はこれにとどまらず、大学への思想統制を一気に強めます。その圧力に抗しきれず経済学部教授会は、輸入禁止・発刊禁止図書の貸し出し禁止を決めました」
「そして5年後の1933年に起きたのが滝川事件です。自由主義的な立場で学説を述べていた法学部の滝川幸辰教授の著書『刑法読本』に不穏当なところがあるとして、文部省が総長を通じて休職を発令しました。法学部教授会は強く抗議して一同辞表を出します」
「このとき経済学部教授会は、法学部に連帯することこともなく、声明すら出しませんでした。”是非を判できない””研究の自由、大学の自治は法律の限度内で認められる”と傍観したのです」
(以下、「つづき」とさせていだます)