7/14産経新聞が伝えておりました。
-奥尻、1000年間隔で大津波…仕組み複雑で予測困難-
北海道・奥尻島に大津波が押し寄せ、200人以上が犠牲になった北海道南西沖地震から20年を迎えた。奥尻では約1千年間隔で大津波が襲ったことが最近の研究で分かってきたが、日本海の地震の仕組みは複雑で予測が難しい。本格的な調査と備えが必要だ。(黒田悠希)
■岬に津波が集中
マグニチュード(M)7・8の北海道南西沖地震は、日本海で起きた史上最大級の地震だ。死者・行方不明者230人のほとんどは奥尻島で津波にのまれた。
気象庁によると、震源に近い奥尻島では地震発生のわずか4、5分後に津波が押し寄せ、最大29メートルの高さまで駆け上がった。
被害が甚大だったのは南端の岬に位置する青苗(あおなえ)地区。津波が集中しやすい地形だったことに加え、低地に多くの家屋があった。南西沖地震の10年前に起きた日本海中部地震を教訓に設置した4・5メートルの防潮堤は役に立たず、火災も起きて壊滅状態になった。
大津波は震源域に面した島の西岸だけでなく、東岸にも到来した。青苗のすぐ東側の初松前地区には21メートルの津波が押し寄せ、住民の約4割が死亡した。
建築研究所の都司嘉宣特別客員研究員によると、島の南に広がる「奥尻海脚」という浅い海底地形の影響で津波の進行方向が曲げられ、岬を回り込んだ場所にエネルギーが集中したためという。
■プレートの衝突帯
南西沖地震は日本海を縦断するプレート(岩板)境界部で発生した。北海道や奥尻島を乗せた北米プレートと、日本海側のユーラシアプレートは東西から押し合っており、境界部に蓄積したひずみの影響で海底の断層が動いた。
奥尻島の津波は歴史上の記録がなく、過去の被害は不明だったが、北海道大の平川一臣名誉教授(自然地理学)らの調査で昨年、その実態が明らかになった。
島の南西沿岸にある高さ約10メートルの崖から、地震による津波で運ばれたとみられる砂などの堆積層を少なくとも4層発見。約3千年前、約2千年前~3世紀、13~14世紀、今回の地震と推定され、700~1千年に1度、南西沖地震と同規模の津波に襲われた可能性があることが分かった。
平川氏は「日本海沿岸の各地で津波堆積物を調査すれば、地震が繰り返し起きたことが明らかになるだろう」と話す。
だが、堆積物の調査だけで地震の震源域や次の発生時期を推定するのは難しい。太平洋側の巨大地震は海溝沿いのプレート境界断層で起きるが、日本海には明確なプレート境界がなく、どの断層が動いたのか分からないからだ。
■「空白域」の危険性
日本海の海底は東西に押し潰され、しわが寄ったように大小多くの断層が断続的に縦走しており、北海道沖から新潟県沖にかけて帯状にプレート境界を形成している。
断層が動く方向は、場所によって異なり複雑だ。例えば南西沖地震の断層は西方向へ傾斜しているのに対し、青森・秋田県沖で起きた日本海中部地震の断層は逆に東へ傾斜している。プレート境界では積丹(しゃこたん)半島沖地震(1940年)、新潟地震(64年)、サハリン西方沖地震(71年)、日本海中部地震とM7級が多発しており、地震の「活動期」にあるとの見方もある。だが歴史記録は少なく、今後の予測は困難だ。
北海道北西沖の利尻島付近は積丹半島沖地震とサハリン西方沖地震の震源域の間に位置し、地震がしばらく起きていない。こうした場所は「空白域」と呼ばれ、ひずみが蓄積して地震が起きる危険性が相対的に高い。ただ、切迫度は不明で、次の地震が別の場所で起きる可能性もある。
東日本大震災の教訓から、国土交通省の検討会は日本海で最大規模の津波を起こす地震断層モデルを今年度中にも想定する。政府の地震調査委員会も海溝型地震の想定を見直しているが、日本海はデータ不足から遅れている。
日本海の地震は、太平洋側と比べて規模の割に津波が高く、到達時間も短いため被害が大きくなりやすい。産業技術総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長は「主な断層から活動履歴の詳細な調査を進め、予測に生かすべきだ」と話している。
-引用終わり-
大間原発に関しては活断層のみならず大津波の心配があります。津波4.4mの予測値で敷地12mに防潮堤を3mとしていますが、そもそも津波4.4mの想定が小さすぎると思います。最大29mの奥尻島の悲劇に全く学んでいません。
津波がダイレクトに大間原発へ襲ってくるケースを全く想定していないのではないでしょうか。恐らく発生ポイントを過去の地震震源地に固定しているためでしょう。
上記記事のように新潟から北海道までプレート境界はあります。奥尻島は大間とそんなに離れておりません。原発計画に際しては一番津波の影響が大きい位置を震源地と仮定しても良かったようにも思えます。
-奥尻、1000年間隔で大津波…仕組み複雑で予測困難-
北海道・奥尻島に大津波が押し寄せ、200人以上が犠牲になった北海道南西沖地震から20年を迎えた。奥尻では約1千年間隔で大津波が襲ったことが最近の研究で分かってきたが、日本海の地震の仕組みは複雑で予測が難しい。本格的な調査と備えが必要だ。(黒田悠希)
■岬に津波が集中
マグニチュード(M)7・8の北海道南西沖地震は、日本海で起きた史上最大級の地震だ。死者・行方不明者230人のほとんどは奥尻島で津波にのまれた。
気象庁によると、震源に近い奥尻島では地震発生のわずか4、5分後に津波が押し寄せ、最大29メートルの高さまで駆け上がった。
被害が甚大だったのは南端の岬に位置する青苗(あおなえ)地区。津波が集中しやすい地形だったことに加え、低地に多くの家屋があった。南西沖地震の10年前に起きた日本海中部地震を教訓に設置した4・5メートルの防潮堤は役に立たず、火災も起きて壊滅状態になった。
大津波は震源域に面した島の西岸だけでなく、東岸にも到来した。青苗のすぐ東側の初松前地区には21メートルの津波が押し寄せ、住民の約4割が死亡した。
建築研究所の都司嘉宣特別客員研究員によると、島の南に広がる「奥尻海脚」という浅い海底地形の影響で津波の進行方向が曲げられ、岬を回り込んだ場所にエネルギーが集中したためという。
■プレートの衝突帯
南西沖地震は日本海を縦断するプレート(岩板)境界部で発生した。北海道や奥尻島を乗せた北米プレートと、日本海側のユーラシアプレートは東西から押し合っており、境界部に蓄積したひずみの影響で海底の断層が動いた。
奥尻島の津波は歴史上の記録がなく、過去の被害は不明だったが、北海道大の平川一臣名誉教授(自然地理学)らの調査で昨年、その実態が明らかになった。
島の南西沿岸にある高さ約10メートルの崖から、地震による津波で運ばれたとみられる砂などの堆積層を少なくとも4層発見。約3千年前、約2千年前~3世紀、13~14世紀、今回の地震と推定され、700~1千年に1度、南西沖地震と同規模の津波に襲われた可能性があることが分かった。
平川氏は「日本海沿岸の各地で津波堆積物を調査すれば、地震が繰り返し起きたことが明らかになるだろう」と話す。
だが、堆積物の調査だけで地震の震源域や次の発生時期を推定するのは難しい。太平洋側の巨大地震は海溝沿いのプレート境界断層で起きるが、日本海には明確なプレート境界がなく、どの断層が動いたのか分からないからだ。
■「空白域」の危険性
日本海の海底は東西に押し潰され、しわが寄ったように大小多くの断層が断続的に縦走しており、北海道沖から新潟県沖にかけて帯状にプレート境界を形成している。
断層が動く方向は、場所によって異なり複雑だ。例えば南西沖地震の断層は西方向へ傾斜しているのに対し、青森・秋田県沖で起きた日本海中部地震の断層は逆に東へ傾斜している。プレート境界では積丹(しゃこたん)半島沖地震(1940年)、新潟地震(64年)、サハリン西方沖地震(71年)、日本海中部地震とM7級が多発しており、地震の「活動期」にあるとの見方もある。だが歴史記録は少なく、今後の予測は困難だ。
北海道北西沖の利尻島付近は積丹半島沖地震とサハリン西方沖地震の震源域の間に位置し、地震がしばらく起きていない。こうした場所は「空白域」と呼ばれ、ひずみが蓄積して地震が起きる危険性が相対的に高い。ただ、切迫度は不明で、次の地震が別の場所で起きる可能性もある。
東日本大震災の教訓から、国土交通省の検討会は日本海で最大規模の津波を起こす地震断層モデルを今年度中にも想定する。政府の地震調査委員会も海溝型地震の想定を見直しているが、日本海はデータ不足から遅れている。
日本海の地震は、太平洋側と比べて規模の割に津波が高く、到達時間も短いため被害が大きくなりやすい。産業技術総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長は「主な断層から活動履歴の詳細な調査を進め、予測に生かすべきだ」と話している。
-引用終わり-
大間原発に関しては活断層のみならず大津波の心配があります。津波4.4mの予測値で敷地12mに防潮堤を3mとしていますが、そもそも津波4.4mの想定が小さすぎると思います。最大29mの奥尻島の悲劇に全く学んでいません。
津波がダイレクトに大間原発へ襲ってくるケースを全く想定していないのではないでしょうか。恐らく発生ポイントを過去の地震震源地に固定しているためでしょう。
上記記事のように新潟から北海道までプレート境界はあります。奥尻島は大間とそんなに離れておりません。原発計画に際しては一番津波の影響が大きい位置を震源地と仮定しても良かったようにも思えます。