i氏の海外生活体験記

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<part4>しもきた

東日本空間線量率

2011-11-26 05:57:20 | 震災復興

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気仙沼の6か月後

2011-10-31 22:04:59 | 震災復興
聞いた話によると、がれき処理は場所によっては全然進んでいないところもあるらしいです。

最も被害の大きかった地域は、そもそも一般の人が車で近づける道さえ復旧していないでしょう。

写真は先に復興支援に入っていた弟の写真です。まだ、こんな形で残っている場所があるのも事実です。


先日、がれき処理作業の契約のことが建設工業新聞に載っていました。

「岩手県沿岸3地区災害廃棄物処理業務が11/中契約へ」
・宮古地区:鹿島、三井住友建、鴻池組、西武建、三好建、斉藤工業
・山田地区:奥村、日本国土開発、陸中建、吉川建、佐藤建業
・大槌地区:竹中土木、タケイエ、松村建、八幡組

被災者の雇用も期待できるようです。是非、頑張ってほしいものです。

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少しずつ復興支援が動き出す(その13)

2011-10-24 12:32:49 | 震災復興
学生時代のクラスメートの人達と盛岡で久々に集まって話しました。近況報告もありますが、直接に津波被災地に居た人もおります。

話せる範囲で紹介するとこんな感じです。

津波当時の状況:最初の津波より、2回目、3回目が大きかったようだ。引き波とぶつかり合い、渦を巻いていた。波は壁のように押し寄せてきた。500m区間だけ少し高台にありギリギリ助かった。

現在の状況:災害査定はかなり進んだ。工事は応急復旧箇所のみ先行。測量は基準点も動いているのですべて任意で実施。地元大手が包括受注し分割作業。やはり作業員宿泊所がネック。

困っていること:認定避難所には物資が届くが、それ以外の任意避難所には物資届かず。柔らかい運用と連携が必要。(言っても動かない人も多い)

気付いた点:地震直後は停電で被災者は状況を把握できず。携帯の通じる拠点が街に1~2か所あれば良いのでは? 実際、ある建物施設の近くでは夜に人が集まる場所がある。そこは地震後も携帯が良く通じる場所であった。また、非常用の小型自家発電ライトで携帯電話の充電もできるものがある。避難所に常備させるべき。

居酒屋にて:海産物(カキ、ホヤ・・・)は津波の影響で全くダメ。焼き鳥、煮込み、枝豆で我慢、我慢。

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少しずつ復興支援が動き出す(その12)

2011-10-19 02:59:45 | 震災復興
作業チームの中に元役所OBの方が居ました。会社に頼んで現場に参加したのだそうです。

事務所の所長を幾つか歴任された方ですが、運転手と簡易作業を自ら買って出ました。

話を聞くと新潟地震の時に役所の立場で査定の指揮をされていたそうな。今回の作業内容との違いをいろいろ指摘していただきました。

結構勉強にはなりました。

被災状況の写真には役所の管理する立場の方を一緒に入れたのだそうです。多少のことは役所で責任を受け持つ、という手形みたいなものです。主体的発想でスムーズに事は運んだということです。


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少しずつ復興支援が動き出す(その11)

2011-10-18 00:09:15 | 震災復興
現地で調査活動をしている時のことです。

作業している我々チームにある住民が話しかけてきました。

「先日の大雨で雨水桝から沢山水があふれるようになったので、道路補修の時に一緒にやり直してほしい。きっと排水管工事の埋め戻し砕石のところが水みちになっているのでは?」

また、別の処ではこんな要望も。

「震災後に大型車が沢山通るようになり、舗装の打ち継ぎ目の段差で家に響くようになった。やり直してほしい。」

一応、施主側には報告しますが、どこまでが震災の影響なのか・・・。

でも、一方では、地元の方から「御苦労さま」と声を掛けてもらう場面もあり、いろいろです。

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少しずつ復興支援が動き出す(その10)

2011-10-17 01:36:44 | 震災復興
朝日新聞Globeの記事ですが、「街のツボ、寄付で再生」のタイトルに引かれて読んでみました。

キャメロン・シンクレア氏は、建築デザインで地域の問題を解決するNPOの代表です。04年にはフォーチュン誌の「世界を変える7人」にも選ばれています。

東日本大震災では折り鶴で寄付金を募り、38ヶ国から200万羽以上が集まり50万ドルを東北の教育機関の再建に寄付しました。

彼の行動で共感するのは「スピード感」です。行政に任せると手続きを踏まなければならない場面も、地域の人の声で動くことがあるそうです。ハイチの避難民キャンプでは緊急事態と判断し、キャンプの男性達に呼びかけ1週間で診療所を建設したそうな。

東日本大震災の会合で日本の都市復興を3ヶ月単位の計画で論じているのを見て「直面している復興に3ヶ月は向かない。生活の困難に日々直面している住民のテンポで動く必要がある」と言っています。

*写真は松島の斜面崩壊です。点在する島々は津波の勢いをかなり防いでくれたようです。しかし、紅葉の季節の今も観光客は戻って来ません。

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少しずつ復興支援が動き出す(その9)

2011-10-16 05:11:57 | 震災復興
先日「津波が来たら○○だ」が、どうしても思い出せない、と書きました。

直ぐに岩手の友人からSMSが入りました。

「津波てんでんこ」ではないか、と。

そうです。そんな言葉でした。「てんでバラバラに逃げろ」と解説していたような。

ありがとうございました。

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少しずつ復興支援が動き出す(その8)

2011-10-14 08:55:13 | 震災復興
復興支援する方たちのエチケットという話があります。

いま、被災地ではセシウムを始め、放射能汚染と子供、家族、女性、教育、学校などデリケートな問題があります。

支援作業をしていて、プロジェクトチームでは一度も放射能汚染の話題に触れた会話を聞いていません。

これは世界的に見ても日本人の素晴らしいところだと感じます。

もちろん、某テレビ番組やお祭り行事でのKY(空気読めない)なミスはありますが・・・。

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少しずつ復興支援が動き出す(その7)

2011-10-13 11:56:27 | 震災復興
雇用創出という問題があります。被災地で仕事を失った方はたくさんおります。

復興の各作業員、補助員に被災者の方を積極的に雇用していけば良いように思いますが、それが簡単でないことも分かりました。

例えば、作業内容に関して被災地の方はいろいろな意見を持っています。被災当事者ですから当然です。
しかし、中には思い入れが強すぎて感情的な行動に走る方もいるようです。作業方法を批判したり、発注者側に個人的に意見や要望を言いに行く方です。
そんなことをされると作業がストップしてしまいます。

それでなくても発注者側からの指示内容はコロコロ変わりがちです。こんな災害の復興段取りは慣れていないので当然です。地方では専門分野の方も少なく、判断が遅れがちです。横並びという問題もあります。それでも全体スケジュールは守らなければなりません。

こんな状況から「遠方のセミプロの作業員」が重宝されています。淡々と自分の仕事に集中するからです。実際、我々のプロジェクトチームは殆ど遠方の方たちで構成されています。

今後、いろいろな作業で遠方からの混成チームの必要性が高まってくるでしょう。

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少しずつ復興支援が動き出す(その6)

2011-10-12 12:16:21 | 震災復興
一昨日、福島沖震源の震度4の地震がありました。丁度、現地で仕事をしている時でした。
仙台近辺は震度3でしたが、こちらに来てからは一番大きい余震でしょうか。

気付いたことがあります。

電柱、樹木、大地が揺れ始めて、我々は作業の手を休め大きくならないか状況を静観していました。
しかし、こちら地元の人は、自転車、歩きも止めないですし、「あっ、地震だ」という人も全くいません。
この程度の余震は頻繁にあるため、もう生活の一部になっているのでしょうか。

我々プロジェクトでは「震度4以上で警報が発せられたら、先ず高台に逃げること」としています。


そう言えば、三陸地方の昔からの言い伝えで「地震が来たら○○だ」という教訓があるそうです。
「親、子供の心配などせず、地震が来たら先ず自分が避難せよ」という意味で、言い伝えられているとか。
人道的には、お年寄りや寝たきりの病人などを振り切るわけですから、人間のあるべき行動として疑問符も付きます。そのため外部には出しません。
しかしながら、この言い伝えは奥が深く「一家全滅したら子孫が途絶えてしまう」ことを回避する苦渋の言い伝えです。

「種の存続」の話で、蟻の大移動中に小川があると自ら「蟻の橋」を作り、その上を女王蟻などが渡るのだそうです。
その後「蟻の橋」は流されて一族は生き延びます。

NHK「江」を見ても、似たような思いが過ります(ちょっと違うかな・・)。


ところで「地震が来たら○○だ」の「○○」がどうしても思い出せません。

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少しずつ復興支援が動き出す(その5)

2011-10-06 20:02:41 | 震災復興
仙台フェリー埠頭に行ってみました。

倒壊ガレキや車・船のひっくり返ったものとかはもう殆どありませんでした。途中の倒れた電柱などもきれいに建て替えられています。

埠頭のすぐそばのフェンスを見つけました。

陸側(右側)から折れ曲がっているので、津波の引き波で曲がったのだろうと想像できます。


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少しずつ復興支援が動き出す(その4)

2011-10-06 12:10:32 | 震災復興
作業の現地からですが、雨が降り出し、1時間ほど待機になりました。チャンスとばかり車の中でブログ更新です。

主な作業は道路の亀裂など影響を確認・指揮するものですが、まあ、いろいろあります。

一般に何が地震のクラックか判断できる人は極少でしょう。ただ、施工クラックはほぼ分かります。

住宅地一体が沈下しているところもあります。現在雨が降っていますが、一見被災されていないような場所も沈下の影響で至る所で水たまりの水が吐けません。

問題としては査定の判断の仕方で範囲が大きく変わることです。大きく見てもらいたい自治体側の意向もいろいろ見え隠れします。



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少しずつ復興支援が動き出す(その3)

2011-10-05 21:41:24 | 震災復興
仙台で復興支援関係の業務を手伝っています。

現在、盛んに各種災害査定の業務が動いているようです。

気が付いたのは、作業員の車のナンバープレートが結構、全国各地のものが多いのです。

私たちのチームでも大阪、岡山、四国、北海道、石川などがあります。東京からは寧ろ少数です。

また、レンタカーを借りた人から聞いた話では、借りた車が釧路ナンバーだったそうな。

これは、従来のレンタカーは全部津波で流されたので、北海道からフェリーで融通してもらったんだとか。




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少しずつ復興支援が動き出す(その2)

2011-10-01 21:06:01 | 震災復興
久し振りに昔の上司から急に携帯に連絡ありました。

聞くと「復興支援の業務を緊急で手伝ってほしい。」とのこと。 

お世話になった恩師ですし「時間の許す限りで」という条件で了解してしまいました。

今日の明日からですが、仙台へ行ってきます。


まだ避難生活を余儀なくされている人を思えば、何とか協力して少しでも貢献したいとは思いますが・・・。


チームはマンションに4~5人ずつ共同生活で寝泊まりし、土日も無く毎日夜遅くまで作業しているそうです。

私は学生時代に寮生活を十分経験していますので、同室での共同生活の危うさも熟知しています。

仕事よりマンション共同生活の方が気になってしょうがありません。


それより大事なことは、夜遅くに行うブログ更新が無理そうなことです。


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少しずつ復興支援が動き出す(その1)

2011-09-26 06:17:05 | 震災復興
偶然、先週個人的に聞いた話で復興支援関係の動きらしき話題が2件続きました。

・私に「チームをもう一班作りたいが、エントリーできないか。返事は今日中だけど・・・」

と言うものと

・知人が「今度、オファーがあって、被災地に行くかも知れない・・・」

と言うものです。水面下での準備作業が動きつつあるように感じます。


ご存じの通り、今後東北地方では調査・計画モノのみならず、道路も橋も河川も構造物も人材不足となりそうです。

阪神淡路大震災の時も似たような支援チームがありました。


問題は時期的なものも絡んできます。

下半期に入り、主要プロジェクトが動きだすため、プロポ予定メンバーはあまり動かせないという事情もあるでしょう。

今後、会社の枠を超えたネットワークや連携が、とても重要になってくると感じます。

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