じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「象は鼻が長い」

2021-06-13 10:06:19 | Weblog
★ 中学校の期末テストが近づいてきて、何かと忙しくなってきた。今年はありがたいことに塾生が多く(もはや60人を超えた。まだ増えそうだ。1人で担当するには限界ライン)、その分、授業の準備に追われている。

★ 近隣の中学校では、英語の定期テストがなくなった。単元ごとのテストやスピーキングテストで代用するという。コミュニケーション重視の英語教育への転換。「英語の授業は英語で」というのは程遠いが、先生方も文科省の方針転換や新しい教科書の扱いに苦慮しながら(愚痴りながら)、授業を変えていこうと努力されているようだ。

★ 「英語科」は遠からず「英会話科」になるのかも知れない。しかし、文法や単語を軽視して、更には読解を軽視して、果たして意味ある会話や作文力が培われるかは、はなはだ疑問だ。ある一定の(才能にも経済的にも)恵まれた層には有効かもしれないが。

★ ところで、Youtubeを観ていると「ゆる言語学ラジオ」という番組が面白かった。言語学専門の水野さんに言語学には素人っぽい感じの堀元さんがツッコミを入れながら解説が進む。「象は鼻が長い」という文。この文の主語は何かと言う。

★ 「が・は・も」があれば主語と思い込んでいれば、「象は」も「鼻が」も主語のような感じだが、「長い」が述語だから、「象は、長い」はおかしい。「鼻が、長い」が妥当だ。では、「象は」の役割は何か。「象の」の「の」が「は」に置き換わっただけと言えばそれに尽きるが、そこにこだわるところが学問というもの。(「象はカラダが大きい」だとどうなのだろうか。ダブル主語で良いのかな)

★ 番組の中では、過去の碩学たちがこの問題にどう取り組んだのかを紹介しながら、三上章さんの解釈にたどり着く。

★ そう言えば、先日(6月5日)、朝日新聞の「古典百名山」で大澤真幸さんが三上章さんの「象は鼻が長い」を取り上げられていた。大澤さんはこの文から、日本語とヨーロッパ語の特性まで言及されている。ヨーロッパ語は主体が特権化されているのに対して、「日本語の文は、他者からの問いへの応答」「日本語では、語る主体の前に問う他者がいる」と結ばれている。

★ どうでもいいようなことにこだわること。そこに学問の萌芽があるのかも知れない。
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