じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

三島由紀夫「海と夕焼け」

2018-03-11 23:26:36 | Weblog
☆ 三島由紀夫の短編集「花ざかりの森・憂国」(新潮文庫)から「海と夕焼け」を読んだ。色彩豊かな小説だった。

☆ 老いた寺男が一人の少年と山に登り、夕日が沈む鎌倉の海を眺める。山頂からの景色を見下ろしながら、寺男は自らの歩みを語る。彼はフランス人ではるばる日本へ渡ってきたのだ。

☆ 隙のない文章。これだけでも読む価値があると思った。
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「アウトロー」

2018-03-11 23:18:17 | Weblog
☆ 映画「アウトロー」(2012年)を観た。

☆ 銃の乱射で5人が犠牲となった。彼らはなぜ殺されなければならなかったのか。逮捕された男はただ「ジャック・リーチャー」の名を挙げる。

☆ 作品は面白かったが、動機が弱いように思った。緻密なようでいて杜撰な計画だった。

☆ ジャック・クリーチャーを演じるトム・クルーズの魅力に尽きるか。
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川端康成「弓浦市」

2018-03-11 18:39:04 | Weblog
☆ 川端康成の短編小説「弓浦市」を読んだ。

☆ 小説家、香住庄介の家に50歳ぐらいの女性がふと訪ねてきた。今から30年ほど前、九州の弓浦という町で香住と会ったというのだ。その上、香住から求婚されたと語り出した。しかし不思議なことに、香住には全く心当たりがない。

☆ 女性の錯誤にしては描写が現実味を帯びている。香住は女性が帰宅後に地図で調べてるが、弓浦市という町は存在しないという。なんとも不可解な作品だ。


☆ 今なら見知らぬ人が旧知を語って、金品欲しさに訪ねてきたのかと思うのだが、香住の想いはそこまで至らない。むしろ女性の物語に自分を当てはめてしまった。

☆ 人の記憶など結構曖昧なものだ。煎じ詰めれば、昨日の自分と今朝目覚めた自分がどうした同じ人格だと言えるのだろうか。案外その点は深く考えず、そうしたものだと思い込んでいるだけなのかも知れない。記憶などというものは、あとから自分がつくった物語なのかも知れないと、この作品を読んで思った。
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「天空の蜂」を観た

2018-03-11 17:13:17 | Weblog
☆ 映画「天空の蜂」(2015年)を観た。

☆ 予想を裏切る面白さだった。この手の日本映画は低予算のせいか、どうもちゃっちくなるが、この映画は何重にも仕掛けがあって熱中させられた。さすがは東野圭吾原作作品だ。

☆ 1995年、錦重工業から軍用ヘリコプターが盗まれた。航空自衛隊から発注された大型ヘリである。無線で操られるヘリが向かったのは原子力発電所。犯人は日本全国にある原子力発電所の使用停止(破壊)を要求してくる。もしこのヘリが発電所に墜落すれば半径250キロ以内が数百年にわたり放射能に汚染されるかも知れない。

☆ 前半はたまたまこのヘリコプターに乗ってしまった設計士の息子の救出作戦がテーマ。緊張の救出劇に熱中している間に1時間が過ぎた。

☆ 後半はいよいよこのヘリをどうするか。警察は犯人を追い、技術者は手立てを考える。ストーリーの展開とともに、更なる仕掛けが待っていた。

☆ マスコミは原発の扱いに神経質だと聞く。スポンサーが絡むようだ。それを正面からテーマとしたのは見事だ。制作サイドに賞賛を送りたい。

☆ 本木雅弘さんが演じる三島幸一の「沈黙する群衆」という言葉がグサッと刺さった。

☆ 1995年と言えば阪神淡路大震災の年。映画の終盤は2011年の東日本大震災が描かれていた。そう言えば今日は3月11日。福島原発事故直後は反原発の声も高かったが、のど元過ぎれば何とやらで、最近は原発推進派が盛り返してきているような気がする。

☆ これも三島のセリフ。「本当に狂ってるのは誰なのか、いつかお前たちは知ることになる」「子どもは刺されて初めて蜂の恐ろしさを知る」

☆ 私たちは、刺されてもすぐにその痛さを忘れてしまいがちだ。蜂には2度刺されればショック死の恐れがあるという。心したいものだ。 
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森友「政局」へ

2018-03-11 13:31:57 | Weblog
☆ 東洋経済オンラインは「森友政局」の見出しを付けた。

☆ 政局というのは政変を意味する。週明けには財務省が森友文書に関する報告を国会にするという。どうやら「書き換え」を認めるようだ。

☆ 捜査中とかわしてきた財務大臣だが、どうやら雲行きが怪しい。結局は辞任に追い込まれそうな風向きだ。

☆ くすぶり続けた森友問題。朝日新聞を批判してきた安倍総理だが、痛いとばっちりを受けたようだ。

☆ 次期総裁選はおろか、退陣に至るかも知れない。問題は党内野党の動き。総裁選に向けて動きが活発化するか。長期政権も終焉が迫っているようだ。
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「異邦人」を観た

2018-03-11 13:03:05 | Weblog
☆ 朝日新聞「読書」の紙面。今回の「古典百名山」は桜庭一樹さんがカミュの「異邦人」を取り上げていた。

☆ 書名は知っていたが読んでいなかった。手っ取り早く、映画「異邦人」(1967年)を観た。

☆ 第二次世界大戦前のアルジェリア。フランス人アーサー・ムルソーは母の死の知らせを聞いて養老院へと向かっていた。灼熱の太陽が容赦なく彼を消耗させる。当時の養老院は姥捨て山のようなものだったのだろうか。ムルソーは安給料とそれに何よりも母との折り合いが悪く、それで養老院に入れたようだ。

☆ ムルソーは母の死を目前にしても無感動で、それが周囲には異様に映った。葬儀が終わった後も喪に服することもなく、女性と情事を重ねる。

☆ そんな彼が悪友のいさかいに巻き込まれアラブ人を銃殺してしまう。ここまではいわばお膳立てのようだ。

☆ 後半の法廷シーン。検察官は彼の人間性を糾弾する。証人たちは彼の様々な側面を証言する。それはまるで最後の審判のようだ。

☆ 最後に裁判官に殺人の動機を聞かれ、彼は「太陽のせいだ」と答えて失笑を買う。それは彼の正直な感想であったが、人々には理解できない回答だった。弁護の甲斐なく彼には死刑が判決される。

☆ 死を待つ彼に教誨師(神父)が訪れる。ムルソーは彼を拒否するが、二人の間で束の間の論争が繰り広げられる。人は誰もが死刑を待つ身だ。それを知ったうえでどう生きるかが問われているような気がした。ムルソーは「神」を拒絶する。

☆ やがて、彼の心に平安が訪れる。宇宙と気脈を通じたような安らぎだという。彼は何かを悟ったようだ。その日が処刑の日となる。

☆ 難しく考えればどんどん深淵にはまり込んでいきそうな作品だった。

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