あるウソつきのブログ

日本の左翼が売国的すぎて、本当の左翼がいない事を嘆く、多分左翼的な人のブログです。

メモを持ち歩くようになった

2008年05月29日 12時06分29秒 | 日常ネタ
 最近、メモを取るようになった。

 ちょっとなんの本だったかは忘れたのだが、職場ビル内にある某大型書店で立ち読みしてて、大変共感したメモ術があったので、やってみたくなったのだ。

・ノートは1冊のみ
・色分けもなにも必要ない
・ノートのつけ方は日付と文章のみ。時系列で記載する

 基本はたったこれだけである。超シンプル。

 この書き方だと、エントリーのネタ、スケジュール、買い物のメモ、使った金額、食べたもの、ゲームの攻略法等、混在してしまう。

 これを基本として、「ノートが完全に埋まって、次のノートに移行する為に、住所録等は付箋にしておいて、張り替えるだけでイケるようにすればいい」とか、「ボールペンは無くなる事が前提。大量に、あらゆる場所に準備する」等の、使いこなす為の応用編が続く。

 これはいい。実に理にかなったノートのつけ方だと、舌を巻いた。
 最近知った「心得」の中では、流行の兆しが見えるマインドマップよりヒット。


 要するに、このノートのつけ方は、「ライフログ」なのだ。「俺の人生のログ」。

 俺の仕事であるシステム開発を絡めて言えば、ログというのは大変重要だ。
 プログラム上で、なんらかの障害が発生した場合、原因がはっきりしなければ、まず最初に調べるのはログである。
 ログが出力されていない(処理速度が遅くなるからとか、ログファイルの容量がかさむっつーてログを止めてたり)システムなんて、危険極まりない。

 再現できる問題なら、ログファイル出力モードに切り替えて再現テストも出来るが、とある変数の桁落ちがらみのオーバーフローとか、排他制御がらみの障害とかだと、バグなのに再現するのが困難な事とか多々ある。
 プログラムを修正しなければ、本番稼動中に再度同様のエラーが発生するかもしれない危険性があるにも関わらず…だ。
 障害が再現できなければ、障害発生箇所を特定する事はまず不可能だ。


 俺は、メモの重要性は仕事をしている上で十分に熟知しているつもりなのだが、有効に機能させていたとは言いがたい。 
 なんというか、スケジュールならスケジュール、仕事なら仕事、趣味なら趣味と、使い分けようとして失敗していたと、今にして思う。
 仕事で議事録を書くためにメモっているページに、ミルドラースの配合方法とか、友達と飲みに行く約束が書いてあるとまずいと思っていたのだ。当たり前の感覚だと思っていたのだが…。

 そうか。分けなくてもいいやん。なんという逆転の発想。

・メモが隅々まで字で埋まるのは俺的には大変快感
 ※追記を意識して、今まで不要な程に改頁していた。
・メモから必要事項を探す時、時系列に追っていける

 グループ化なんかは、後でもできる。大切なのは、「手軽にいつでも記録できる」という事だ。
 周辺の人がシステム手帳を使いこなしているのを見てて、どうやったら使いこなせるのかずっと謎だったんだよなぁ…。1日分があんな狭いスペースに何を書けと言うのか。