先日、劇団夜行館の公演が茂森の山観普門院の境内で行われた。
夜行館を見るのは今回二度目。前回はデネガでの公演だった。
正直、訳もわからずに、あっという間に演劇は終了した。そこに地獄はあった。としか感想はない。
そんな負の印象が強かった分、前もって知っていた弘前公演観覧を躊躇していたが、最近いつ録画したかわからない夜行館のドキュメンタリー番組を見たが、そこには夜行館の苦悩と苦労の旅が克明に記され、座長並びに劇団員の素性すら知り、自然と心を打ったのであった。
もう一度公演を体感したい気持ちに駆られ、仕事も休みという運命的な導きによって、今回観覧できることとなった。
公演場所の山観といえば、弘前で一番早く宵宮を行う場所という知識しかなかったので、てっきり神社だと思ってたら寺でした。
名前の通り、少し小高い山にある。
林に囲まれ、夕方とはいえ、太陽光を一切遮断し、灰暗い雰囲気に包まれる。
霊場といったどんよりとした空気が流れる。まさに夜行館の舞台に最適である。
本堂のまん前に灯籠と照明を置いただけの簡素なステージ。その前に観客席が設けられるも、ただ座敷を敷いただけ。開演前からケツと脚に痛みが走る。
誰の曲かわからない、和とフュージョンしたプログレッシブロックが流れ、聞き入っている中、ヒグラシがカナカナと鳴く。遠くではねぷたの練習に勤しむ太鼓の音色が聞こえる。
この原風景すら演出の一環であったのだ。自然の流れのまま開演。
あらすじ
-胎児のまま死児となった無縁童女が津軽の自然がもつ“太古からの生気”を一身に受けて、死児から繭となって胎児に転生していく無縁童女の物語-
今回も、地獄である。
白塗りの化粧を施した無縁童女のなでしこ(てんてこまい)と、ひぐらし(稲妻照葉)が、裸足でステージ無きステージの石の上を走り、這い蹲り、そして浅茅(木里立)が唄う。
美しさと無縁の女優たちの迫真の演技。
おどろおどろしい幽玄な空気が張り詰める中、何故かヘンテコな黒マントの男たちが出てきて、しょうもないコントを展開。そしてしょうもないフォークソングを熱唱。理解不能な急激な場面展開に笑うしかない。緩急にも程がある。
そんな和やかな雰囲気も一転。またもや地獄。
いや、娑婆なのか、冥土なのか、誰が生きてて誰が死んでいるのか、そもそも生まれてさえいないのか、全くもって謎めいたまま、終演。
全ての役者が登場。そしてねぷた囃子を奏で、唄い、踊り、エンディング。
一度観たのでわかってはいたけど、奇想天外・摩訶不思議な難解極まりない独自の世界観である。
ストーリーもあってないようなもので、理解とか共感は全く求められず、ただただ世界観を楽しむだけのものである。それが夜行館の芝居であると感じました。
こんなに疲れる芝居もなかなかないでしょう。地べたに座ってて立てないほど疲れたのもあるし。
公演終了後の役者紹介での座長の話の長いこと。これもお馴染み。
ここで気付いたが、謎のアフロ男は山観の住職でした。何やってんだか。いや、彼はこの場所を提供した芸術文化に理解のある大変すばらしい人に違いない。ちょっとお茶目なだけだろうが。
照明の稲妻照葉の妹は普通に美人。全くもって似ても似つかぬ姉妹。照葉はリアル座敷童子ってことで。
こんなプライベートな部分も含めて愛される夜行館なのでした。
最後に、「そこに地獄はあった!」
夜行館を見るのは今回二度目。前回はデネガでの公演だった。
正直、訳もわからずに、あっという間に演劇は終了した。そこに地獄はあった。としか感想はない。
そんな負の印象が強かった分、前もって知っていた弘前公演観覧を躊躇していたが、最近いつ録画したかわからない夜行館のドキュメンタリー番組を見たが、そこには夜行館の苦悩と苦労の旅が克明に記され、座長並びに劇団員の素性すら知り、自然と心を打ったのであった。
もう一度公演を体感したい気持ちに駆られ、仕事も休みという運命的な導きによって、今回観覧できることとなった。
公演場所の山観といえば、弘前で一番早く宵宮を行う場所という知識しかなかったので、てっきり神社だと思ってたら寺でした。
名前の通り、少し小高い山にある。
林に囲まれ、夕方とはいえ、太陽光を一切遮断し、灰暗い雰囲気に包まれる。
霊場といったどんよりとした空気が流れる。まさに夜行館の舞台に最適である。
本堂のまん前に灯籠と照明を置いただけの簡素なステージ。その前に観客席が設けられるも、ただ座敷を敷いただけ。開演前からケツと脚に痛みが走る。
誰の曲かわからない、和とフュージョンしたプログレッシブロックが流れ、聞き入っている中、ヒグラシがカナカナと鳴く。遠くではねぷたの練習に勤しむ太鼓の音色が聞こえる。
この原風景すら演出の一環であったのだ。自然の流れのまま開演。
あらすじ
-胎児のまま死児となった無縁童女が津軽の自然がもつ“太古からの生気”を一身に受けて、死児から繭となって胎児に転生していく無縁童女の物語-
今回も、地獄である。
白塗りの化粧を施した無縁童女のなでしこ(てんてこまい)と、ひぐらし(稲妻照葉)が、裸足でステージ無きステージの石の上を走り、這い蹲り、そして浅茅(木里立)が唄う。
美しさと無縁の女優たちの迫真の演技。
おどろおどろしい幽玄な空気が張り詰める中、何故かヘンテコな黒マントの男たちが出てきて、しょうもないコントを展開。そしてしょうもないフォークソングを熱唱。理解不能な急激な場面展開に笑うしかない。緩急にも程がある。
そんな和やかな雰囲気も一転。またもや地獄。
いや、娑婆なのか、冥土なのか、誰が生きてて誰が死んでいるのか、そもそも生まれてさえいないのか、全くもって謎めいたまま、終演。
全ての役者が登場。そしてねぷた囃子を奏で、唄い、踊り、エンディング。
一度観たのでわかってはいたけど、奇想天外・摩訶不思議な難解極まりない独自の世界観である。
ストーリーもあってないようなもので、理解とか共感は全く求められず、ただただ世界観を楽しむだけのものである。それが夜行館の芝居であると感じました。
こんなに疲れる芝居もなかなかないでしょう。地べたに座ってて立てないほど疲れたのもあるし。
公演終了後の役者紹介での座長の話の長いこと。これもお馴染み。
ここで気付いたが、謎のアフロ男は山観の住職でした。何やってんだか。いや、彼はこの場所を提供した芸術文化に理解のある大変すばらしい人に違いない。ちょっとお茶目なだけだろうが。
照明の稲妻照葉の妹は普通に美人。全くもって似ても似つかぬ姉妹。照葉はリアル座敷童子ってことで。
こんなプライベートな部分も含めて愛される夜行館なのでした。
最後に、「そこに地獄はあった!」
多分、voは前野柵。客席から木里立が目の覚めるような大声でハッパかけていました。そこにも地獄はあった!
僕はショックのあまり不眠狂四郎となり、てんてこまいにもなりました。
稲妻姉妹を見て、「ツインズ」のシュワちゃんとダニー・デビートをつい連想してしまいました。