Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

なんと、40年前の計算機が動いた!!

2017年06月03日 | 毎日の話

午後はジェリーと犬猫病院へフィラリア予防の薬をもらいに行った。待ち時間は1時間。

獣医さんは何人もいる大きな犬猫病院。ジェリーは2001年にここの院長先生が開催した譲渡会で当たりくじを引き当て我が家にやって来たので満16歳になる。「まだまだ元気でいてほしいですね」と声をかけられ、家に戻ってくると疲れたのか横になってもう爆睡している。

話は変わって、我が家の押入れは玉手箱のようで、出てくる宝物(ガラクタかもしれないが)。

この写真を見て、「ハッ」とされた方は源太郎と同じ世代で、今でいう「オタク族」だろう。

1978年に我が家にやって来た初代計算機(MZ-80K)。基盤はできていたがキーボードなどは組み立てるキットタイプのものだった。NECの初代PC-9801はそのあと我が家に二号機としてやって来たが、それまではこの計算機が大活躍した。大抵の計算はこの機械に任せ、当時西ノ宮にあった「上新電機」で購入したX-Yプロッターで作図したり、今なら笑い話のような作業をしてくれた。

プリンターはドットタイプで、「ジー、バシバシ」と紙を送りながら結果を印刷した。

埃をはらって、電源を入れ、「クリーンコンピュータ」と言われていたこの機械にカセットテープから「プログラム言語」をインストールして見た。

「おぉ、動くじゃないか」

言語のテープは、マシン語、BASIC、PASCAL、FORTRANと揃っている。そして、当時作ったプログラムを動かすとこれもちゃんと動くではないか。「懐かしい」、そして白黒のブラウン管(緑のフィルターをつけている)に映し出される文字や図形を見ていると、当時のことが蘇ってくる。

40年も前の機械だが「メモリーを増設したい」とMihoちゃんに頼み込んだことが思い出される。当時RAMの単位はKB、今のようにGBではない。NECやIBM、SONYと色々なパソコンを使ったが、結局今はMAC、何台も廃棄されたが、初代のこの計算機だけは残してあった。

もう、稼働しているこの計算機はないだろうな。「骨董品」のようなものであるが、言語のマニュアルは読んだとしても覚えることはもう不可能だ。

 

 


Laura 、、、女の子だろ!!

2017年06月03日 | 毎日の話

源太郎が車を洗って戻ってくると、ラウラはまったりとしていた。

カメラを取りに行って、戻ってくるとまだそこにいる。風通しの良いところで昼寝をしていたのだろう。

そして、一枚撮影。なかなかいい顔をしているじゃないか。

 

さらにもう一枚、と思った矢先。なんと「大あくび」

お前は女の子なんだよ。

「勝手に、撮らないでよ」

「ああ、皆んなにはわからないようにしておいたから」(嫁にはいけないなぁ)


日が昇り、一気に暑くなってきた。さぁ探し物!!

2017年06月03日 | 毎日の話

子供達(ジェリーとラウラ)は、こ主人様達の朝食の間だけ起きていたが、食洗機が稼働するとそれぞれの寝場所に戻り、再び眠りについた。まぁ静かな土曜日のスタートになったので、それはありがたいが、またお腹が空いて活動を始めると探し物の邪魔をするので、今のうちに押入れを覗くことにした。

そして、やっと探していた「大正15年3月12日発行、初版本」を見つけ出した。発行所の住所は東京市麹町區有樂町一丁目一番地、社團法人日本工人倶樂部出版部が発行した書籍で「非賣品」と書かれている。この本は、国会図書館には現存しているだろうが、当時の学者が取りまとめた学術書。

例えば、「コンクリート」を「混凝土」と書いてある時代の本で、もう忘れ去られた時代の書籍。再来週に知人から都内で「勉強会」を開催するので講演(そんな偉そうなものではない)、改め「与太話」をしてほしいと頼まれ、その準備のため「時代背景について嘘は言えないので」(本当のことも言えないが)確認するために探していた。

与太話には直接は関係ないが、緒言の書き出しはこんな文章だ。なんとか読めるが難しい漢字がある。(原文通り)

「河川とは地上に降った雨や雪などが集り自然に出来た水路をいふのである。河川工學は河川の性質を研究し且河川に因る被害を避くる工事及河川の利用に必要なる工事に就て研究する學である。普通の状態に於ける河川は各方面に利用される例へば交通路、水道水力電氣等の水源又は自然の排水路等として重大なる役目をしてゐるが一方には又洪水を齎らして甚大なる惨害を惹き起こすこともある」

そして、書いてある単位も面白い。「封度」はポンドを現し(今のバターはポンド(453g)じゃないなぁとこの前セシリアと話していた)、長さは尺貫法。「いいね、いいね。この時代に戻りたい」

しかも、カタカナの記載はなく、ちゃんと英語の単語(スペルで)が記載されている。これでなくてはいけない。省略言葉を多用する現代、「AKB,ABS,IT,ASTEM,USBR・・・」悪いとは言えないが・・・・・。

押入れの段ボールが気になって開けると、もう使わないと思ってしまってあった電卓が出てきた。もう40年も前の電卓、電源を入れてみると稼働するじゃないか。おもちゃをもらった子供のように、懐かしく、いま手元に置いて眺めている。(また余分なものを出してと奥様に怒られそうだ。内緒だ)

40年前といえば、結婚した頃だが、富士山山頂には気象レーダーがまだあった。この富士山気象レーダーは昭和38年ごろに完成したので、源太郎が「坊ちゃん」と言われていた頃だが(一般には悪童の頃)、白いレーダードームを見てあれが800kmも先の台風をキャッチするのだと感心したものだ。同時期には黒部ダムも完成したので、当時の日本は本当に高度成長期だった。

その富士山頂を、息子からもらったカメラで撮影して見た。源太郎は単焦点レンズか広角レンズしか使用しないから、ズームの効くこのデジタルカメラはたまにしか使用しないが重宝している。空気も澄んでいるし、ちょうど撮影には都合が良かった。登山道の積雪も稲妻のようによく見える。

話は変わって、「甘夏の実」は日に日に大きくなってきた。その実を見ていると「名もしれないバッタくん」が実のそばにいるではないか。「こやつ、甘夏の実」を狙っているのかと思ったが、小さな虫を狙っているようだった。消毒はしたくないので「ちゃんと虫退治しろ」と彼(?)に頼んでおいた。

さぁ、土曜日。車を洗おうか、音楽でも聴くか、昼寝をするか・・・・悩むところだ。