午後はジェリーと犬猫病院へフィラリア予防の薬をもらいに行った。待ち時間は1時間。
獣医さんは何人もいる大きな犬猫病院。ジェリーは2001年にここの院長先生が開催した譲渡会で当たりくじを引き当て我が家にやって来たので満16歳になる。「まだまだ元気でいてほしいですね」と声をかけられ、家に戻ってくると疲れたのか横になってもう爆睡している。
話は変わって、我が家の押入れは玉手箱のようで、出てくる宝物(ガラクタかもしれないが)。
この写真を見て、「ハッ」とされた方は源太郎と同じ世代で、今でいう「オタク族」だろう。
1978年に我が家にやって来た初代計算機(MZ-80K)。基盤はできていたがキーボードなどは組み立てるキットタイプのものだった。NECの初代PC-9801はそのあと我が家に二号機としてやって来たが、それまではこの計算機が大活躍した。大抵の計算はこの機械に任せ、当時西ノ宮にあった「上新電機」で購入したX-Yプロッターで作図したり、今なら笑い話のような作業をしてくれた。
プリンターはドットタイプで、「ジー、バシバシ」と紙を送りながら結果を印刷した。
埃をはらって、電源を入れ、「クリーンコンピュータ」と言われていたこの機械にカセットテープから「プログラム言語」をインストールして見た。
「おぉ、動くじゃないか」
言語のテープは、マシン語、BASIC、PASCAL、FORTRANと揃っている。そして、当時作ったプログラムを動かすとこれもちゃんと動くではないか。「懐かしい」、そして白黒のブラウン管(緑のフィルターをつけている)に映し出される文字や図形を見ていると、当時のことが蘇ってくる。
40年も前の機械だが「メモリーを増設したい」とMihoちゃんに頼み込んだことが思い出される。当時RAMの単位はKB、今のようにGBではない。NECやIBM、SONYと色々なパソコンを使ったが、結局今はMAC、何台も廃棄されたが、初代のこの計算機だけは残してあった。
もう、稼働しているこの計算機はないだろうな。「骨董品」のようなものであるが、言語のマニュアルは読んだとしても覚えることはもう不可能だ。